上杉まで動くとは・・・
元亀3年(1572年)10月
少し遡った9月23日、山崎を超えて山城入りした一条軍は、そのまま勝竜寺城の南西に陣取る織田軍と合流し、そこから対峙する敵軍と城に大砲を撃ち込んだ。
すると、たちまち恐慌状態に陥った足利軍は乱れ、一部の兵は早くも逃散を始めた。
ここで織田・一条併せて四万が一気に城に押し寄せると、瞬く間に勝竜寺城は落城し、兵は北へ潰走を始めた。
しかし、北の鳥羽(京都市南区)には、丹羽長秀率いる別働隊約1万が伏せており、潰走してくる足利軍を面白いように討ち取っていく。
結局、敵は桂川を渡ることはできず、一部の兵は西に逃げたようだった。
総大将の足利義昭の行方は、杳として知れないが、岩成友通を討ち取り、松永久秀を降伏させることに成功した。
「左近殿、よう来てくれた。お陰で後顧の憂いはなくなったぞ。これで全軍を武田に向けられる。」
「それは重畳におじゃる。麿も盟友として、少しは役に立ったかの?」
「立ったどころの話ではない。それより、あの鉄の筒は何じゃ?」
「あれは南蛮の兵器でフランキ砲というものじゃ。まだ日の本で一条と大友しか持っていないものじゃぞ?」
「何と、舶来品か。それは儂でも手に入るのか?」
「ルイス・アルメイダ殿は知っておろう?あの者から仕入れたのじゃ。」
「良いことを聞いた。儂も早速買うぞ。」
そこに伝令がやって来る。
「申し上げます。ただ今、敵将松永弾正忠を連れてきました。」
「分かった。これへ連れてまいれ。左近殿も一緒にどうだ?」
「お付き合いするでおじゃるよ。」
何と、戦国で特に怪しい人物No1に会える。
捕縛され、跪いた久秀は、憎々しげにこちらを睨んでいるが、意外にも普通のおじいちゃんっぽい見た目である。
「ほう、これが天下に名高い大悪人、松永ニセ弾正でおじゃるか。」
「はっはっは!ニセ弾正とはこれまた愉快な名を付けたな。」
「当然でおじゃる。弾正とは本来、悪しきを正す由緒ある役職でおじゃる。それをよりにもよって、世を乱す悪党が名乗るなど、笑止千万におじゃる。」
「どうだニセ弾正。何か反論はあるか?」
「そこにおる白塗りは、一条権中納言でござるか。」
「左様じゃ。そちなど歯牙にもかける必要のない、高貴で聡明な公卿よ。そちのようなうつけ者が本来、こうして易々と会える立場ではないのじゃぞ。」
易々と会える岡っ引きや鬼はいるが・・・
「儂がうつけ・・・」
「そうであろう。節操なく、信用無く、わざわざ負ける方に付き、今こうして生き恥をさらしておる。まさに愚鈍の極みではおじゃらぬか?のう、正真正銘の弾正殿。」
「はっはっは!まあまあ左近殿、せめてそのくらいにしてやれ。いくら敵将といっても、これではあまりに哀れだ。」
「そうじゃの。そう言えば此奴、とんでもない茶器をもっておるそうじゃの。どうじゃ、今から多聞山に行って取ってくれば。此度は戦勝祝いに、麿がお手前を披露するぞよ。」
「おお!それは名案。早速使いの者を出そう。」
「おおお待ち下され。それだけは、それだけは何卒ご勘弁を。」
「うつけはそこで辞世の句でも考えておれ。茶を飲みながら待ってやるぞよ。」
「それはあまりにご無体でございます。どうかこの弾正にお慈悲を。」
あまりに騒ぐので、平蜘蛛の茶釜と領地の没収で助命してやった。
ちなみに、大和は筒井順慶に与えられた。
こうして、畿内の混乱が治まったと思ったら、上杉謙信が主力を率いて加賀に侵攻を始めたという知らせが入ってきた。
加賀は、今でも一向一揆衆が暫定的に統治しているが、本願寺が織田方に降ってからは、実質織田家の支配下にあると認識されている地だ。
なぜ、あの慎重な武田信玄がここに来て西進を始めたか謎であったが、これだったのである。
「これは公方様どころの話じゃなくなったな。」
「それでも、公方様を早めに片付けられて良かったでおじゃる。」
「毛利も動くかもな。」
「そちらは一条と大友で何とかするでおじゃる。」
「では左近殿、急ぎ毛利に当たってはくれぬか?」
「すでに手は打っておじゃる。麿が行くまでもないでおじゃるよ。」
「何と。さすがだな。」
「それで、これからどうするでおじゃるか。」
「儂自ら越前に行くしかない。あそこにも一万近い軍勢がいる。何とか押し返すことはできるだろう。」
「ならば、麿もお付き合いしようかの。」
「来てくれるか。」
「当然でおじゃる。任せてたもれ。」
「これでもう、勝ったも同然。皆、勝ち鬨じゃ!」
「おぅっ!」
という訳で、織田・一条連合軍七万は越前北之庄に向けて進軍する。