密書が届く
元亀3年(1572年)5月
季節はすっかり夏、なのであろう。梅雨前のある日、一条家に将軍直々の書状が届いた。
「して、宗珊よ。読んでたもれ。」
兼定はけだるそうに宗珊に読むよう促す。こういう所は史実のバカ殿そのものだ。
「では、読ませていただきまする。」
まあ、内容はおよそ知ってのとおりだ。幕府をないがしろにし、将軍を傀儡同様に扱う織田信長は、天下を乱す元凶であり、これを排除し、三代将軍足利義満公のような治世の実現のため、兵を挙げ、これに協力せよ、とまあ、こんな感じのことがつらつら書かれてあった。
「うむ。言いたいことは分かったぞよ。は、麿も弾正殿充ての密書をしたためるゆえ、その御内書と併せて送ってたもれ。」
と言うと、気怠そうに筆を取る。まあ、そうは言いつつも、ちゃんと仕事してくれるのは有り難い。
「しかし、麿が弾正殿に背く訳無かろうに、それでも送ってくるのかのう。」
「公方様は、自分の方に付くとお考えなのでしょう。」
「本家に人質がおるからかのう。」
「いや、いくら何でも、あそこに手を出せば、幕府とは言え、タダでは済みませんぞ。」
「そうよの。さすがに帝の面目を潰すようなことはできんのう。では、本気で麿が味方になると思っているでおじゃるか?」
「そうなのでしょうなあ。」
『のうのう、これはどう見れば良いのじゃ。』
『公方の必死さが伝わってくるじゃないか。』
『うむ。それは分かるぞよ。』
『そもそも、包囲網を完成させたければ、織田より西に反対勢力を作らないといけない。今のままなら、単に武田と織田・徳川が正面でぶつかるだけだ。しかし、毛利にしろ九州勢にせよ。一条の支配地域を通らざるを得ない。』
『そういうことか。』
『当然だ。それに、一条が反旗を翻した場合の織田の動揺はいかほどであろうな。しかも一条が付けば朝廷も追認する。』
『そうかのう・・・』
『中納言はともかく、世間はそう見る。お主の影響力は意外に大きいのだぞ。』
『意外じゃな。』
『お前が言うなよ・・・』
『じゃが、麿の方針は変わらぬし、過たぬ。』
『そうだ。その意気だ。』
結局、義昭がどの大名にまで密書を送ったのかは分からないが、恐らく西は毛利、大友、伊東、龍造寺あたり。東は武田、上杉、北条、畠山あたりまでは送っているのではないかと思われる。
そして、翌六月、信長から書状が届き、そこには感謝の意が述べられてあった。
花押入りの密書原本である。そりゃ、値打ち物だろう。そのお陰で将軍家と織田家の対立は表面化し、史実以上に早く、苛烈に両者は争うことになった。
『我の知っている歴史とは、既に大きく変わってしまったな。』
『頼むぞよ悪霊。どう変わっても良いが、一条だけは助けてたもれ。』
『ああ。とは言っても、一番頑張るのは弾正殿だがな。』
『麿でないなら誰でも良いぞよ。』
『お主はそういう男だったな。』
『麿は変わらぬ。そして、鋼の意思を持つ男じゃ。』
『随分脆くて頼りない鋼だな。』
『うるしゃいでおじゃる!よい子のみんなも見ているでおじゃる。言葉には気を付けなされ。』
『志東丸たちが怪訝そうに見ているな。』
『尊敬の眼差しじゃの。』
『だったら将来が心配だ。』
『麿の子じゃぞ?何を心配する必要があるのじゃ?』
『ああ、確かに。』
『何か無礼なことを考えておるな。』
『中納言は、知力の割には鋭いよな。』
『やっぱりそうでおじゃったかっ!・・・まあ、長い付き合いじゃからの。』
『そんなことより、戦の準備は抜かりなくしておけよ。』
『今度は麿も出るのか?』
『戦の相手による。』
『分かったぞよ。』
できれば、東の勢力同士で勝手にやっていてもらいたいものだが・・・