さらに富国強兵を進める
新年の挨拶と評議も終わり、これから本格的な一年が始まる。
領内は日々発展を続けているが、いつか必ず来る、本格的な戦に備える必要がある。
仮想敵である毛利も、領内の引き締めと内政に力を入れており、出雲以外は盤石の安定感を見せている。
まず行ったのは、官兵衛の処遇である。直臣に格上げした上で、筆頭家老土居宗珊の屋敷を湯築城に移し、宗珊が使っていた屋敷を官兵衛にあてがうとともに、土佐に編入された白地と祖谷郷を除く三好郡を領地として与えた。
異例の厚遇であり、主家筋の小寺や赤松より出世してしまったが、コイツはそうでもしないと、直ぐに拗ねて怪しい動きを始めてしまうことは分かっているのだ。
内政においては、因幡・伯耆を重点的に整備する。新田開発の奨励はもちろん、蕎麦やワサビの生産、酒造、焼き物や織物、和紙などの工芸に力を入れるよう指示した。
また、千代川(鳥取)、天神川(倉吉)、日野川(米子)の堤防改修を指示するとともに、狼煙台設置と城郭の整理を始めることとした。基本的には各土豪、国人毎に城一つを基本としている。同時に鳥取城の拡張整備を指示し、一条家直轄事業として倉吉の打吹城と米子城の本格整備を開始する。
同時に鳥取の町割を武田氏に代わって行うとともに、伯耆では米子の町の建設を始めた。
どちらかというと、毛利に見せつける目的もあり、米子を優先する。
武田高信は、因幡をほぼ手中に収めかけていたので、本来は一国の主としても良かったのだが、その支配力は同じ一国の主とした宇喜多に比べても弱く、反発する国人も多かったことから、因幡八郡のうち、岩井、法美、八上、邑美の四郡を任せ、直臣とした。
その他の分野でいえば、街道は比較的整備されている。まあ、歴史の古い地域だし、地形的にも難所はないので、現状のままでも問題はない。
また、比較的豊かで、人心も穏やかな地域なので、統治そのものは容易な部類だろう。
伯耆については、尼子や毛利の影響が強かったため、南条を始めとする有力者こそいるものの、ドングリの背比べ的なものでしかない。そこで、河村郡の南条と日野郡の日野氏を直臣とし、残る久米、八橋、汗入、会見の四郡を直轄地とした。何か、一条領内に久米郡が複数あるのだが、気のせいか?
他の地方については、播磨御着城と鶏頂山城が完成し、備前でも富田松山城が落成した。いずれも比較的小規模な城であるが、三層の天守を備えた格好いいものである。そして、完成と同時に鶏頂山城は龍野城に改称した。
他の領地に関しては、中村で醤油や味噌の本格的な出荷が始まった。
清酒に続いて大規模な醸造が地元産業として定着したのだ。まだ中村を始めとする近隣の消費を賄うので精一杯だが、いずれは畿内に出したい。
また、水路やため池などの灌漑施設の拡張、整備も始めた。比較的降水量の少ない地域を多く持つので、整備指針、維持管理の決まり事、土木技術の均質化、水利権の取り決めなどを領内で統一しつつ進めるのだ。
また、農業の振興については、新田開発のほかに、特産品の栽培奨励を進め、小麦、茶、蜜柑、胡麻、栗、茶をはじめ、コウゾやミツマタの生産も急増している。
他にも銅や石灰石の採掘、木綿や絣、木材などの生産も順調に増加しているし、珊瑚漁も盛んになりつつある。
これには宍喰屋もほくほく顔だ。最近はひっきりなしに来る。
元々、堺でそれほど突出した存在ではなかったようだが、最近、会合衆に加わったそうである。いつの間にか有力者だが、これは莫大な産出を誇る銅によるところが大きいだろう。
他にも茶や酒、塩、鰹節に炭、陶器など、今や何でもござれの総合商社である。
普請については、明石、加古川、では城の土工が完了し、これから石垣の整備や最も下段の曲輪の整備を行う。また、高智では三層五階の天主が建ち、間もなく本丸が完成する。
美作の津山城も堀が完成し、石垣を始めとした本格的な工事が始まる。
堤防については、揖保川東岸で普請が始まり、吉井川でも上流部から順調に工事が進んでいる。徳島でも吉野川新河道を除く堤防整備は完了し、残る土砂は引き続き干拓用としている。高智でも九反田辺りまで干拓は完了しており、それより東についても、多数の井戸を掘り、水を集めては人力で排水しているという。全く大工事だ。
軍備増強に関しては、ついに足軽が一万を超え、一領具足も二万を確保した。
徳川家康は旗本八万騎と号していたが、召し抱えている家の数なら良い勝負してるかも知れない。
そして、これに伴い、鉄砲隊、砲兵隊を大幅に増員し、更に足軽の訓練に地面掘削や柵の整備なども導入した。元々みんな農作業の心得はあるので、それほど苦にならないようだし、天下太平になれば帰農する者も多く出るだろう。そのためにも、こういったことは無駄にならない。
これら施策により、一条家は貫高九十万、実質二百万貫格の大金持ちとなった。
もちろん、直轄領のみなら、これよりずっと小さくはなるのだが、それでも家臣を全て与力大名か直臣として掌握しているので、年貢による収入は莫大なものになる。
その多くは普請と軍備に消えてしまうが、それらに従事する者の雇用もあって、領内には活気が漲っている。
後は、周辺地域の安定だけが課題と言えよう。