吉川元春は、とても怒っている
倉吉に入った兼定は、東伯地方の国人衆と軽く挨拶を交わし、宴を行った後、彼らも引き連れ、長鋼寺(大山町)に到着した。ここに、伯耆の主だった国人たちが集めているのだ。
福頼左衛門尉、南条又四郎(元続)、進下総守など、結構な面子がいる。
伯耆も山名氏の領国であったが、すでに永正・大永年間には尼子氏が介入を始め、兼定が産まれる頃には東伯地方は尼子の直轄地となっていた。もちろん、尼子を滅ぼした毛利もこの地方に進出はしたものの、尼子勝久の反乱により、その支配力を著しく落としていたものである。ただし、これまで親毛利側として活動してきた者もここには多い。
「皆の者、待たせたのう。麿が一条権中納言におじゃる。」
「これは一条様、お初に目に掛かります。我ら伯耆の国人衆、余すところなく、ここに集結しております。此度は遠路の御出座、感謝の念に堪えません。どうか、我らをお助けいただきたく存じます。」
「良い。事情は分かっておる。これから毛利と膝を詰めて話し合い、そなたらが罪に問われぬよう、取り計らおうぞ。」
「ははっ!まことに有り難き幸せ。どうか、よろしくお願いいたします。」
「任せてたもれ。しかし、今後は尼子に与することも、出雲に兵を進めることも、伯耆の中で領地争いすることも、固く禁じるぞよ。」
「はい。分かり申した。」
「我ら日野衆は、尼子への恩と毛利への恨みを忘れることはできません。」
「一条の傘に入るのであれば、二君を仰ぐことは認めぬぞよ。また、麿の許し無しに、勝手をするなら麿は他の伯耆衆のために、そなたと戦わねばならぬ。これは、譲れぬぞ。」
「分かり・・・申した。」
「ここにおる者は全員、本領を安堵するゆえ、これからは平穏に暮らすと良いぞよ。恨みがあるなら水に流せ。恩があるなら民に返せ。それが麿とそなたらがこれからすべきことじゃ。」
何かコイツ、調子に乗ってる・・・
だが、さすがに本家本元の権中納言が言うと重みが違う。いや、みんながそう思い込んでいるだけなのだが、とにかくこうかはばつぐんだ。
「これからは、一条家臣として恥ずかしくない身の振りを、心掛けます。」
こうして、会見を終えた兼定は、更に西に進み、日野川の東岸に陣を敷いた。
ここは、出雲との国境まで、僅か半里ほど。目の前の低い山並みの向こうは既に出雲である。
「ついに、このような遠くまで来てしもうたの。」
「おめでとうございます御所様。このまま日の本を平らげてしまいますかな。」
「官兵衛よ、口は慎むのじゃぞ。」
そうだそうだ。また失敗するぞ。
「ハッ!申し訳ございませぬ。つい・・・」
「まあ良い。それで、正面の小山が米子の城か?」
「はい。その通りでございます。あそこまで行けば、眼下に国境があるとか。」
「まあ、ここまでで良い。」
などと言っていたら・・・
「御所様、至急の伝令が参っております。」
「良い。ここに通せ。」
聞くと、月山富田城にいた吉川元春が急遽、国境の吉佐というところに兵数千を率いて出撃してきたとのこと。
「えらく早かったのう。」
「まあ、月山富田城からは四里ほどですので。」
「そんなに近かったのか。なら、伯耆が尼子領になってしまうのも納得じゃのう。」
「申し上げます!ただ今、毛利の大将、吉川少輔次郎殿、御所様にお目通りを願っておりますが、いかがいたしましょう。」
「来たか。それにしても大将直々とは、剛胆なものよのう。」
「お初にお目に掛かる。それがし毛利家臣、吉川駿河守次郎と申す。以後、お見知りおきを。」
「うむ。いつも弟殿には大変世話になっておるぞよ。わざわざ挨拶に出向いていただき、大儀であったのう。」
「ただの挨拶ではござらぬ。この夥しい軍勢、何故毛利の領内まで進めたのでございますかな。返答次第によっては、一条様とて容赦はしませぬぞ。」
その声は低く、幾分震えているような気がする。少なくとも怒気は十分孕んでいる。
「はて?ここは毛利の領地だったのかや?どこにも毛利殿の兵はおらぬが。」
「伯耆は元来、毛利家の領地!因幡とて同じでございますぞ!」
「元来の領地とは何でおじゃるか?今は一条の領地よ。」
「何とたわけたことを、毛利と戦をしたいのか!」
随分短気な御仁である。
「いやに自分の土地じゃと言い張るが、因幡からこちら、一度も毛利の軍勢に会うておらぬし、ここの国人衆は皆、一条に臣下の礼を取ったぞよ。ならば、一条の領地じゃないかえ?」
「そんな騙し討ちと屁理屈が通ると思ったら大間違いだ。」
「騙し討ちでも屁理屈でもおじゃらぬ。麿が見たのは、一条の家臣になりたい武士と、一条を歓迎する民草だけじゃったぞよ。そうで無ければ、誰一人甲冑を汚すこと無くここまで来れる訳がなかろう。」
「儂は認めぬぞ。この借りは必ず返す。」
「まあまあ落ち着きなされ。そうイキった所で、何も変わりはせぬ。それより、まずは出雲を落ち着かせること。これが今の毛利家の成すべきことと、若輩ながら思うぞよ。」
「ならば、そうした後に、必ず因幡と伯耆は取り返して見せる。」
「随分鼻息の荒いことよ。しかし、それがご当主様の考えにおじゃるか?」
「当たり前だ。領地を盗まれて黙っている毛利では無い!」
「盗むとはまた、穏やかでは無いのう。まるで、毛利が正しく一条が間違っているかのような言いぐさよ。」
「その言葉の通りと受け取ってもらおうか。」
「では聞こう。毛利が正しいなら、何故尼子は挙兵した?伯耆衆はそれに手を貸した?全ては毛利への不満からでおじゃろう。皆が納得しておれば、かかる事態は起こらぬ。」
「言わせておけば!ならば戦で決着を付けてやる!掛かってこい!」
「皆の者、この無礼者共を引っ捕らえよ!」
ガチャガチャと甲冑の音が陣内に響き、一斉に元春を始め、毛利の使者たちに飛びかかった。いくら剛勇で知られる吉川元春と言えど、本陣を守る重松鬼八郎を始めとする「土佐鬼組」の連中相手に、丸腰ではどうしようもなく、組み伏せられてしまう。
「おのれ貴様!卑怯、下劣の極みなり!」
「何を言っておるのかさっぱりじゃな。いやしくも朝廷から直々に官位を授かる麿に無礼を働いたはそっちぞ?縛られて当然のことをしておいて何を言う。」
「何たる屈辱・・・」
「そちは先ほど、戦で決着を着けると言うたのう。良いぞ。目の前の毛利軍を蹴散らし、一気に吉田郡山の城を落として進ぜよう。そちには、毛利が滅びる様を特等席で見せてやろう。その後に及んで泣き言を言うなよ。」
「な、そ、それはまことか。」
「先に言うたはそっちじゃぞ?又左衛門(長船貞親)、急ぎ備中に走り宇喜多に伝えよ。戦じゃ!」
「お待ちくだされ!」
「目の前には数千しかおらなんだな。そこを突破すれば、吉田は殊の外近いのう。」
「も、申し訳ござらぬ。つい頭に血が上り・・・戯れ言でござった・・・」
「軽率よのう。戯れ言で済むと思うたか?」
「な、何と・・・」
「ならば、吉川以外の者を解放せよ。そして毛利の使者は急ぎ主君に知らせよ。そちらの大将が無礼を働いたゆえ、一条が激怒しておるとな。」
こうして吉川元春は捕縛され、人質となった。
『しかし、こんな国盗りもあるのじゃのう。』
『中納言は相手を怒らせる天賦の才を持っているな。』
『オホホホッ!それほどでもないぞよ。』
『しかし、卑怯千万な策だったなあ。』
『あれはきっと、官兵衛の仕業に違いない。』
『人のせいにするなよ。』
『しかし、これで毛利は妥協するほかないのう。』
『そうだな。代替わり直後の不安定な時に、山陰の重鎮が囚われたまま戦などできまい。』
『しかし、いつも相手が一番嫌がる時を狙って動くのう。』
『策多きが勝つんじゃなかったっけ?それに、一条は今まで準備万端の敵と戦った事は無い。』
『そうよの。勝つべくして勝って来たの。』
『卑怯下劣とまで言われてしまったな。』
『あれは悪霊に対して言ったのではおじゃらぬか?』
『いや、あれは中納言に対する正直な言葉だったと思うぞ。』
『それは気のせいぞよ。それにしても、最近麿の評判が落ち続けておるのじゃが、何とかならんものかのう。』
『ちゃんと戦えばいいんじゃないか?』
そんなこんなで吉川元春を人質にしたまま、全軍に出陣を発令する。