誰が味方か
朝倉を滅ぼし、取りあえず周辺に大きな敵対勢力こそ無くなった織田氏であるが、越前では朝倉の残党が燻り、三好長逸と岩成友通の三好二人衆も、どこに潜んでいたかは謎であるが、細川昭元と組み、摂津で兵を挙げた。
さらに、これに斎藤龍興や六角承禎、雑賀衆などが加わり、そこそこ厄介な相手となっていた。
信長は、将軍や畠山、松永とともにこれと戦っていたが、そんな中突如、本願寺が挙兵し、信長に反旗を翻した。
まあ、原因は信長が本願寺に多額の戦費を徴発させ続けたことなんだろうけど・・・
記憶では、将軍のお手紙で挙兵したとばかり思い込んでいたが、どうやら将軍家に対抗するらしい。
こうなってくると、もう訳が分からない。
そして、石山本願寺だけでなく、長島願証寺でも蜂起したようだ。
それはまだ良かったが、何と一条領でも一揆が勃発してしまった。
場所は播磨の英賀という寺内町で、それに宇野政頼、香山秀明、三木通秋といった国人衆まで加わり、播磨西部で広く騒乱が発生してしまった。
まあ、織田家の盟友だから仕方無いが、違う政をしているはずなのに、何とも好戦的だなあと思う。
これを受けた兼定は、播磨、讃岐、阿波、淡路、美作、備前から総勢三万を動員し、9月29日に垂水と赤穂に集結した。阿波勢は安芸備後、混成隊は長宗我部元親が率いるほか、兼定も総大将として赤穂入りした。
英賀の寺内町は現在の姫路市の海沿い、夢前川と水尾川に挟まれた低湿地にあり、南の海沿いに三木通秋の居城、英賀城がある。
どうやら一部の門徒は大坂へ出兵したようだが、それでも約六千もの門徒が町に立て籠もっている。まだ未完成で、兵が配置されていない姫路と御着の二城も占拠され、さらに、長水山城(宍粟市山崎)の宇野氏も城に立て籠もっている。
このため、阿波勢は一旦、加古川城に入って待機し、混成軍は龍野から揖保川を遡り、宇野氏を先に攻略することにした。
10月3日、麓の山崎(宍粟市)にいた宇野方を蹴散らし、宇野氏の支城である篠ノ丸城を攻め落として山崎に陣を張った。
翌日、長水山城の大手、搦手を包囲し、敵の動きを封じた一条軍は、城郭施設の無い北側の稜線を占拠し、ここから大砲を山頂の本丸に向けて撃ち込んだ後、南、東、北の三方から一気に攻め寄せた。この結果、10月8日に城は落城し、城主以下城兵は全て討ち取られた。
その後、龍野方面にとって返した一条軍は10日、姫路の網干に陣を張った。
同時に加古川の阿波勢も御着城を奪還し、陣を張った。
『今回も順調に勝ち進んではいるが、敵も一条の領民なのよのう・・・』
『全く、勝っても何の得もない戦いだな。しかし、一向宗というのは浄土真宗のことだろう。何故これほど好戦的なんだ?』
『一向宗と浄土真宗は、祖こそ同じじゃが、最早全く別だと言って良いぞ。』
『何だ。神なのに、とか言ってなじらんのか?』
『今更でおじゃろう。』
『それで?一向宗はどこが違うんだ?』
『一向宗は増悪無垢といっての。阿弥陀様は悪人でも救済してくれるから、信仰のためなら悪事も厭うな、と教えておるのじゃ。』
『信仰のためなら人を殺めてもいいと?馬鹿じゃないのか?』
『麿に言ってもしょうがないでおじゃるよ。』
『弾正殿は越前や加賀、伊勢などで女子供を含めた信徒を皆殺しにした酷い奴だと語り継がれているが、やむを得んな。そんな価値観の人間が町中を跋扈していては、社会が安定しない。』
『麿も一揆を起こされたのは、これが初めてじゃぞ。』
『今回は中納言が悪い訳じゃない。そう落ち込むなよ。』
その後、12日に阿波勢が姫路城攻略を行い、混成軍は寺内町に砲撃を開始した。
何ともむごたらしいことだが、この命の軽い時代であっても、この考え方はダメだ。しかもそれが仏の教えともなれば、理屈が通じる相手ではない。
町は火に包まれ瓦礫の山と化すが、徹底的に破壊して進軍し、ついでに城も押しつぶした。
そして即日、一条領内での一向宗禁止を発令し、反乱を鎮圧した。
兼定は14日に現地入りし、三木通秋を断罪した。
『しかし、これほど酷い戦場は初めてじゃな。』
『ああ、何一つ残ってないな。それで、ここはどうする。』
『全て田にして町を消すぞよ。』
『港もあるのにか?』
『港も別の場所に移すぞよ。』
『さあこれで、一向宗との対立は決定的になった訳だが・・・』
『それでも、寺内町はもうないからの。これほどの反乱は、もう起きないと思うぞよ。』
『これで済んだのはせめてもの幸いだな。』
『それでも痛いことこの上ないがのう。』
一条軍はこの後、播磨国内を巡回し、力を見せつけて門徒を押さえることとなる。