一条軍、上洛してしまう
松山に帰ってきた兼定は、急ぎ家老衆と今後の対応を協議する。
「織田軍は越前を攻めるのでございますな。」
「そうじゃ。これに徳川軍が加勢し、我が軍は都で後詰めを務める。」
「では、兵を出すだけでよろしいのですな。」
「それなら良いのだがのう。麿の読みでは近江の浅井が寝返る。」
「まさか、そんな。」
「そうさせないがために、麿が神懸かりの力を持って弾正殿に事前に伝え、浅井が寝返らないように最善を尽くした作戦としておる。何せ、神の知る世界では、この一条が加勢しておらなんだようじゃからのう。」
「なるほど。しかも、織田家に恩が売れるのであれば、良いことでしょう。して、動員はどのように。」
「その前に、毛利と大友殿の様子はどうじゃ?」
「毛利は主力を九州から引き上げて、すぐに山口で戦を行い、これを鎮圧した後、出雲で尼子勝久と交戦中でございます。」
「さすがに毛利軍主力が出てくれば、尼子は勝てぬのう。」
「はい。伯耆衆を通じて、尼子から支援要請がございましたが、それがしの判断で断っております。」
「それで良いぞ。それで、因幡と伯耆はどうなっておる?」
「はい、因幡においては、これまでの武田、安藤、安芸、景石、吉岡に加え、中村や矢部といった有力者も靡いてきております。」
「周囲が皆一条に付いたら、自分もそうせざるを得ないからのう。小さな領主は大変じゃ。」
「また、伯耆も日野、神西、行松、南条、十六島、長、野津といった所が恭順の意をしましております。」
「迂闊に与した者にとっては、困った時の一条頼みでおじゃるのう。」
「全くその通りでございます。」
「因幡と伯耆の衆には、尼子勝久とその一党を匿うなと厳命しておくのじゃ。京や堺に逃げるなら良いが、それを口実に毛利と戦になっては敵わぬ。」
「御意。」
「それで、九州はどうなっておるのじゃ?」
「大友殿は、九州北部の反乱分子の討伐を行っております。」
「次は龍造寺との戦じゃろうのう。」
「まだ、今なら兵を挙げても大丈夫かと思われます。」
「分かった。では、阿波と播磨で兵二万を動員する。残りは毛利に備えよ。」
「はっ!」
こうして兼定を総大将とする一条軍二万は、四月二日に播州垂水に集結し、都の向けて進軍する。
副将は阿波兵が安芸備後で、播磨兵が別所安治である。
すでに織田軍は都を発ち、徳川軍も近江の手前まで進軍している。
今回の作戦は、織田、徳川連合軍で越前を制圧し、一条軍が浅井の寝返り阻止と寝返った際の浅井攻めのため、近江に駐屯するというものである。
当初、信長は、裏切る浅井を斬って捨てるつもりであったが、兼定が「松永久秀よりはマシ」という謎理論で説得し、裏切らないなら不問に処すということになった。
二条御所落成式に参加した後の4月20日、信長率いる兵二万五千は、近江今津から水坂峠を越え、現在のJR小浜線沿いに若狭入りし、三方に進出した。
徳川軍五千は、北国街道を通り、疋田から敦賀と望む。これは史実で織田軍が通ったルートであり、小谷城下を通ることで浅井に兵を見せつける目的もある。
そして一条軍二万は、兵を二手に分け、本隊一万五千が近江観音寺に駐屯する。残る五千は織田軍の退却路となる若狭国内で防御施設の建設に当たる。
『しかし、堂々とした上洛を果たしてしもうたのう。』
『まさに偽天下人だったな。』
『麿が望んだものではないぞよ。』
『しかし、栄太郎の初陣はさせてやりたかったな。』
『総領様の目が光っておるうちは無理ぞよ。』
『しかし、朝廷も本家も反対しなかったな。』
『まあ、将軍家と弾正殿に歯向かうなどできまい。』
『さてさて、浅井はどう出てくるかのう。』
『ここに大軍がいることは、奴の耳にも入っているだろう。織田軍を追えば、我らが小谷城を攻める形だ。浅井だって自分が完全に信用されていないことを思い知っただろう。真面な神経なら、この兵力と陣容を見て戦いたいとは思わないんじゃないか?』
『そうじゃな。浅井を信用しているなら、我が軍は湖西に陣を敷いたでおじゃろうからな。』
『小谷を落として敵の後ろを衝けば、それだけで決着が着くかも知れん。』
『いつぞやの包囲網に大きな穴が空くのう。』
『そういうことだ。包囲されていないのであれば、各個撃破すればいい。』
『まあ、播磨と淡路を一条が握っている段階で、もう包囲は不可能でおじゃるよ。』
『毛利がいるぞ?』
『あの御仁がそんな無謀な賭けに出るかのう。』
『しかし、大友は九州からは出て来ないだろう。そうなれば、毛利だって東に兵力を集中させることはできるぞ。』
『まあ、越前を早く片付けてもらいたいところじゃな。』
『出雲が荒れている間には、終わって欲しいところだな。』
さて、戦の行方は・・・