嵐の前の静けさ
永禄12年(1569年)1月
今頃、都は嵐の真っ只中であろう。我が領地はまだ、嵐の前の静けさといったところだが、そのうち、この嵐に巻き込まれることにもなるだろう。
畿内の状況も徐々に明らかになり、三好三人衆は信長の上洛前後の戦闘で撃破され、都周辺の地盤を失い、摂津の池田氏を頼ったようだ。これで阿波は救われたと言えよう。
摂津も一部は織田方の領地となり、河内と和泉は畠山が織田に味方したことにより、統治力は脆弱なものの、一応は織田の支配下となったようだ。
そして、大和についても松永久秀が織田方に降伏したことで、所謂五畿内と呼ばれる地域は制圧されたと言える。
これから信長は摂津の完全制圧に動くだろうし、伊勢も時間の問題だ。本当に動きが速いが、これで彼と領地が隣接する。兼定の政治力が試されるのはこれからだ。
22だけど・・・
そして、この後は信長包囲網が形成される。きっと浅井、朝倉、本願寺が中心となり、三好三人衆や摂津の国人衆、雜賀や根来、六角など、有象無象が反織田で行動を起こす。
松永や毛利はどうか知らないが、最終的には武田や上杉も加わることになるだろう。
その中で、一条家が播磨にいることは、織田方にとっては史実にはない好材料だろう。
何せ、宇喜多や毛利はこの包囲網に参加できない。三好の主力だった阿波兵もいないのである。
その中国以西であるが、そろそろ山中鹿之助が大暴れする頃合いではないだろうか。それに、大内輝弘ってのもいたなあ。毛利にとっては受難の日々が訪れる。
ということで、嵐の前にやることはたくさんある。
「御所様、明けましておめでとうございます。松山で迎える初めての新年、まことに喜ばしいことでございます。」
「宗珊を始め、羽生、安並、為松らも健勝そうで何よりじゃ。今年もまた飛躍が続く年にしたいゆえ、皆の働きに期待しておるぞよ。」
「ははっ!有り難き仰せにございまする。我ら家老衆一同、今年も粉骨砕身、お尽くしする所存ですので、ご期待あれ。」
「うむ。今年は金にも余裕があるし、軍備にも力を入れたいのう。」
「はい。松山でも随分足軽が増えてまいりました。」
「もう、毛利も我らが怖くて手が出せないほどの兵力となりましたな。」
「油断はできぬぞ。それで、守りの方はどうなっておる?」
「最終の防御線であります、高縄半島先端の大角鼻、糸山、来島、馬島には砲台を、遠見山には城を既に整備しております。」
「それより前線の城は出来上がったかの?」
「はい、大島には養老に小さいながら新たな城を構え、伯方島には木浦、金ケ崎の二城。大三島には甘崎、幸崎に砲台を、明日に城を構えており、守りはかつて無いほどに固めております。」
「ならば、後顧の憂いなく前に出られるのう。」
「摂津でも美作でも、好きなところに出られますぞ。」
「毛利と大友殿の和睦については進んでおるか?」
「いえ、どちらも相手が飲めないような条件を提示しておりまして、遅々として進みません。」
「そもそも、和睦する気など無いのではございませんか。」
「そうじゃろうのう。麿も期待はしておらぬ。」
「では、骨を折るのは何故でございましょう。」
「大友と毛利動きを封じるためのお茶濁しじゃ。時間を稼げればそれで良いのでおじゃる。」
「さすがは御所様。良い落とし所ですな。」
「どこにも落とさぬが、落とし所よ。」
「大友殿と毛利は当分、動けぬでしょうな。」
「その後ろの島津はどうなっておる?」
「はい、数年前に先代が隠居し、今は若い三郎左衛門が当主となっており、薩摩や大隅、日向で盛んに戦をしております。」
「龍造寺はどうじゃ。」
「肥前の大半は平定したようでございますな。しかし、少弐氏旧臣もまだ、根強く抵抗を続けているようです。」
「九州はいずれ、大友、島津、龍造寺の争いになっていく。」
「伊東殿から救援の要請があるかも知れませんな。」
「そうであるの。可能性は低いが、考えておくぞよ。」
「とにかく今は、兵を増やし、鍛える時ですな。」
「そうじゃ。今西国で一番安定しているのも、力を使わず蓄えているのも当家じゃ。行くべき時は行くぞよ。」
「見事な新年の抱負にございます。」
「今年はもっと神懸かって見せるぞよ。」
最高潮に調子に乗る兼定であった。
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