兼定、松山に本拠を移す
永禄11年(1568年)9月
この月、兼定は本拠を中村から松山に移すべく旅立った。
これは、松山城が仮に落成し、周辺の警備体制が整ったからである。
本来なら、夏前に転居する予定であったが、お松、お秀が揃ってお目出度となったため、時期をずらしたものである。また、今回の移転に伴い、筆頭家老と三家老も松山に移動することとなった。これに伴い、中村城代は源刑部が努めることとなり、高智城代には小島出雲守を置いた。
松山城は山上の本丸と二の丸は完成している。これは現在の松山城で言えば本丸に相当する。これに、南側山麓の南の丸御殿、城の南と西の水堀、西の丸の各奉行所が既に完成しており、南に大手、西と東に虎口を配し、それぞれの門も完成している。これも、現在の城が西に大手門を配しているのと若干異なる。
現在は、中腹の三の丸、山麓を囲む石垣、北側の堀と東の空堀と枡形、南の丸の庭園と倉庫群などを建設中である。
また、大手門の向かいに建つ家老衆の屋敷も完成しており、中村とは規模も格段に違う。
松山の町は、城を取り囲むように東西及び南を中心に区画整理した。特に東は、道後温泉方面まで、広く街地を設定した。
ここに鍛冶屋町、寺町、塩屋町などの職人町や商人町を設定し、周辺からの移住を促進したが、入居率はまだ二割といったところである。
「お松、お秀、もうすぐ着くぞよ。そうすれば、新しい城が見えるぞよ。」
「はい。楽しみですね。」
馬車はゆっくり石手川の橋を渡る。護衛の足軽衆を合わせると、かなりの人数を率いての入府である。
「ほれ、ここからなら、大手と天主が一度に見えるぞよ。」
「これは・・・」
「大き過ぎます・・・」
二人が驚くのも無理は無い。
さすがに中村の城を見慣れているから、初めて異世界の建物を見たような驚きはないだろうが、それでも、中村や岡豊の城が幾つも入るような大きさである。しかも正面には巨大な櫓門、その前には広く整然とした水堀がある。
「まだ、完成には遠いが、白壁の塀や櫓が建つと、もっと格好良くなるはずじゃ。」
「これが、皆の城なのですね。」
「そうじゃ。皆で苦労した末に、手に入れた四国最大の城じゃな。都の御所より大きいぞよ。」
「さすがは御所様でございます。今までの御所でも十分、立派でしたのに。」
「そうじゃの。あれはあれで、応仁の乱の最中、できうる限りの贅は尽くしておったからのう。でも、これはそれを数段上回る。そして今日からここに住むのじゃ。」
車は堀を渡り、大手門をくぐる。
「正面の石垣の上に御殿が見えます。」
「あそこが、みんなで住む屋敷じゃ。大きさは今の御所とそれほど違わぬが、中村のものと違って、ここで仕事をするわけではおじゃらぬ。建物全て、そなたらの暮らす場所じゃ。」
「それは、とても広いですね。」
「庭はまだ風情が足りぬの。松や桜がもう少し大きくなれば、見応えも生まれるぞよ。」
「はい。時間はいくらかかっても構いません。」
「子供のように愛しゅうございますね。」
「そう言ってくれると有り難いぞよ。」
「これほど堅固な城を落とす者など、おりはしませんね。」
「この城が、戦火にまみえることが無いよう努めるのが、麿の役目よ。」
車を降りて御殿の中に入る。子供たちもおっかなびっくりだ。
「ここが、新しい御所でおじゃるか?」
「そうじゃぞ。ここなら志東丸も遊び放題じゃのう。」
「かくれんぼができまするぞ。」
「そりゃあ、見つけるのに難儀しそうじゃのう。」
「お雅のお部屋はどれでしょうか。」
「そりゃ良いが、お雅はかかさまとでないと、一人では寝られないのでは無いか?」
「父上、お雅はいつまでも子供ではありませぬ。一人でも大丈夫なのですよ。」
「そうかそうか。良い機会じゃ。それなら好きな部屋を選ぶと良いぞよ。」
「こうじゅまゆもほしいでおじゃう~!」
「これ、幸寿丸よ、分からずに言っておろう。かかさまと一緒にねんねできんことになるぞよ?」
「ととさまとねる~」
分かってない・・・
「まあ、部屋は多いからのう。どうとでもなるが。」
「楽しいですね。これが新しい家を手に入れた醍醐味というものです。」
分かる。私もそういった家族を沢山見てきた。
「御所様、この大きさの城を他にも造っておられるのですよね。」
「そうじゃの。徳島と高智、洲本、板島辺りは、この位になるかの。じゃが、高松も大洲も相当大きなものになると聞いておるぞよ。」
「まあ、実家も立派な城を造っているのですね。」
「そうじゃ。皆、領地を守るために余念が無いのじゃ。」
「私たちも、御所様のために、もっと頑張らないといけませんね。」
「十分やってくれておるとは思うが、まずは元気な子をお願いするぞよ。」
「お任せ下さい。」
空は秋の色を帯びて、よく澄んでいる。