城の整備が進む
「人は城 人は石垣 人は堀」とは良く言ったものだが、だからといって守りを全て人に任せられるほど、一条は強くない。従って、城は堅固に整備する。
まず、一足先に完成にこぎ着けたのは中村城である。これは規模が小さく、水堀も無いからである。その代わり、四万十川と後川、岩田川が堀の役目を果たしている。本丸に三層三階、見た目四階の天守が聳える。西に二の丸、南に三の丸を配し、本丸と三の丸の間に空堀を設置し、橋で繋いだ。更に北ノ丸の東隅に大手門を西に搦手を配した。
決して規模の大きな城では無いし、櫓も少ないが、漆喰で塗られた白亜の城だ。
白地城も三層の天守が建ち、間道以外は完成した。山頂の本丸から北東及び南東に延びる尾根を中心に六つの小さな曲輪を有する、いかにも当時の山城らしい配置だが、石垣と漆喰塀、堅堀、砲台を有する近代的な特徴も持つ。そして、天守は本丸では無く二の丸に建つ。理由は山の頂上が街道からほとんど見えないのと、資材搬入が困難だったからだ。
天守は見えてこそ価値があるのだ。
松山城も二の丸の石垣と東・南の水堀の石垣が完成した。
これから、堀の残りの部分と二の丸の塀と櫓の建設を急ぐ。しかし、これでもまだ半分程度の進捗である。やっぱり十年では完成しない。
むしろ、町の方が順調に開発されている。干拓などが無いから、当然ではあるが。
徳島城は堀の掘削と大手門の建設が始まった。既に城地の嵩上げは終わっている。これは川の中州にある城には必須であり、土砂は眉山や吉野川新河道から幾らでも出てくる。
その他の構造物についてはこれからである。
高智城は南側の堀と西側の枡形門、更に西の外堀となる江ノ口川の石垣は完成した。
そして、城や街地の干拓、造成のための土砂を小高坂山を切り崩して確保するよう指示した。これは距離的に近いこともあるが、ここを敵に取られると城の防衛上、問題があるので、小山ごと無くしてしまおうというものである。
洲本城も本丸石垣の一部と天守閣だけは完成した。ここは海上から目立つので、敢えて五層五階とし、一条家の威光を示した。しかし、それ以外はサッパリ進んでいない。
ただ、基本的に山城だし、元の城の曲輪をそっくりそのまま使うので、石垣の設置と改修がメインである。
これから大手門を造り、順次山の上に向かって整備していく。
大規模なものはこの六つであるが、築城や増改築はこれに留まらない。
四国だけでも能島、来島、遠見山、撫養、板島、安芸で普請を行っており、その他の付城や砲台、狼煙台となると、夥しい数になる。
さらにここに備前と播磨の城が加わるのだ。
備前は天神山、三石、砥石、富田松山。播磨は鶏頂山、赤穂、御着、明石、加古川である。これ以外にも各領主が整備しているものがあり、阿波では由岐、日和佐、海部、桑野、川島、岩倉が拡張中で、讃岐も引田、高松、丸亀、土庄で築城中であり、藤ノ目、天霧が増築中。伊予でも仏殿、新居浜、大洲、岡本、常盤、久万で改修中である。
他の小領主のものなど、把握しきれない。
「それにしても、立派な城と御殿が出来上がったのう。」
「はい。西国一と言ってもよろしいかと。」
「すぐに追い抜かれるがの。それでも、やっとこれで宍喰屋に笑われずに済む。」
「堺のお屋敷はかなり大きいらしいですな。」
「三層の望楼が建っておったぞよ。麿が儲けさせ過ぎたに違いない。」
「天主に登って見ますかな。」
「楽しみじゃのう。」
眼下には中村から古津賀、四万十川や中筋川などが一望できる。
「麿らが住むのは東の段にある御殿じゃの。」
「はい。建物自体は小さいですが、政は麓で行いますので。」
「城内では無いのじゃな。」
「はい。町が既に手狭になっておりますので、石垣や堀などを今から作るのは困難と考えました。」
「仕方無いことよのう。余裕のある土地が山しか無かったからのう。」
「それでも西側にそれなりに広い土地があって良かったです。」
「そうよの。街道から櫓が見えにくいのが、玉に瑕じゃが。」
「そうですな。どうせなら見せびらかしたかったですな。」
「まあ、それでも一条の威光を示すには十分な城よ。」
「しかし、本拠は近く松山に移します。」
「ここは麿の隠居城ぞよ。じゃから御殿が多少小さくても構わぬのじゃ。」
「まだ早過ぎはしませんか?」
「人生などあっという間じゃ。麿が当主になってもう十年じゃ。気が付けば万千代の時代になっておるぞよ。」
「その頃にはどんな一条家になっておりますかのう。」
「きっと、もっと楽しく笑える領地になっておるぞよ。」
「それはそれは。隠居後の楽しみとしておきましょう。」
「長生きするでおじゃるよ。」
何か、良い感じになってるじゃないか。