急遽、戦
永禄10年(1567)7月
もうすぐ稲刈りが、という夏のある日、以前から連絡を取っていた備前の宇喜多直家から急使が来た。
「御所様、ご多忙の所恐縮にございます。」
「おお、周孝殿(吉田孝頼)か、久しいのう。して、急ぎの用とは何かの?」
「はい。備前で何やら不穏な動きこれあり。それで、御所様の元にまかり越してきたものにございます。お使者はこちらに。」
「それがし、宇喜多家臣、岡平内(家利)と申す者。天下に名高き一条御所様にお会いでき、誠に光栄の極みにございます。此度は火急の用件があり、参上いたしたところでございます。」
「苦しゅうない。申して見よ。」
「はっ。備中の三村修理進(元親)が、我が領地の明禅寺城を攻め落とし、更に宇喜多領深く攻め入る気配でございます。御所様、どうか我々をお助け下さい。」
「話は分かったぞよ。しかし、宇喜多殿は昨年、修理進の父を討ち、三村は代替わりしたばかりでおじゃろう。三村はそんなに強いのかの?」
「敵は此度、本気で宇喜多と戦う心づもりのようで、総勢一万、対する当方は五千が目一杯でございます。それに、敵の後ろには毛利がおり、どのくらい援軍が来るか分からない状況でございます。」
『のうのう、これは毛利に頼んで両者和睦させるのが妥当では無いのか?』
『その後中将が備前を掠め取ったら、毛利は激怒するぞ。』
『そうじゃったのう。ならば、どうするのが良いのじゃ?』
『まず、宇喜多と盟約を結べ。そして、長宗我部を総大将に、援軍を出すのがいいだろう。』
『弥三郎を大将に据えるのでおじゃるか?』
『事は急ぐ。中将が今から向かっても間に合わん。だが幸いな事に、兵糧の輸送は既に始めているし、水軍も集め始めている。細々とした部分は宗珊に任せて良いから、判断は今すぐしろ。』
『任せるぞよ。』
「あい分かった。直ぐに援軍を出すゆえ、兵と荷揚げの港をすぐに確保するように伝えよ。」
「ありがとうございます。」
「歓待せずに申し訳おじゃらぬが、疾く帰り知らせるが良い。四国の主が見参するとな。」
「はっ!」
こうして突如、戦となる。
もちろん、秋にはやるつもりではあったが、思わぬ形になった。
一条軍は、動員を早めて、当初の作戦どおり、淡路と讃岐勝賀に集結を始めた。
今回、備前の援軍に向かうのは、地理的に近い讃岐と伊予東部の諸将を中心とする一万五千である。阿波の兵は、その後に攻め込む播磨を牽制するため、淡路に集結し、中予と宇和の兵は毛利に備えて松山に集結。土佐兵は兼定と共に遅れて合流となった。
そして、毛利に対しては、今回の戦が三村と宇喜多の長年に渡る遺恨に端を発した私闘であること、これから一条・毛利が共同して仲裁を行うことを提案する書状を送った。
『しかし、まさか援軍という形で備前に行くとは思わんかったのう。』
『まあ、これからは巻き込まれる事も多くなるということだろう。』
『しかし、このような準備不足の戦など初めてじゃ。』
『そう悲観することはない。堂々と本州に上陸できるのだ。考えようによっては、これほど理想的なことはない。』
『確かにそうよの。今なら宇喜多の寝返りを心配することもない。』
『ああ、宇喜多も気が付けば、領内に自軍を超える兵を迎え入れ、主導権を取られていることになる。』
『しかし、すぐに三村と一戦交えるのは想定外じゃぞ?』
『それは心配ない。宇喜多が自力で勝つ。』
『三村が倍の兵を繰り出したのにか?』
『ああ。せっかく広い岡山の地で戦をするのだ。兵を集中運用して押し込めば良かったものを、分散させて負ける。修理進もまだまだ若いということだな。』
『さすがは悪霊よの。』
茶畑の予想通り、明禅寺の合戦と呼ばれる戦は宇喜多軍が快勝し、三村氏は備中に引き下がることになる。
宇喜多勢は、明禅寺城を瞬く間に落とした後、敵の美作衆、石川、三村本隊と次々に撃破し、三村方を撤退に追い込んだ。
三村方は作戦面でも劣ったが、何より代替わり直後であったことや、国人衆の掌握が不十分であったことも重なって、形勢不利になった途端、瓦解してしまった形だ。
こうして、8月4日には早くも讃岐からの先遣隊千が児島に上陸し、同15日までには一万五千が宇喜多の居城である沼城下に集結した。