鬼が出た?
さて、夏の終わり。毎日暑さは続くが、いつの間にか蝉の鳴き声が聞こえなくなったある日、妙な噂を耳にした。
「何と、鬼が出ると・・・」
「そうでございます。どうやら、見た者も多く、まことではないかと。」
あの、顔も体も真面目な宗珊が、こう言っているのである。間違いなく、ヤツはいる。
「それは、どこで見かけたのじゃ?」
「宿毛の橋上村でございます。」
「何と!延光寺(39番札所)の裏手ではおじゃらぬか。」
「はい。夜の戌の刻から朝方の寅の刻に見かけた者が多いのですが、中には昼間に見た者もおり、村はもちろん宿毛でも大きな噂になっております。」
「しかし、夜は皆、外には出んであろう。」
「しかし、遍路の中には宿坊ではなく、外で寝る者も多いですので。」
「夏であったわ・・・赤いのか?それとも青いのか?」
「赤黒いとのことでございます。身の丈およそ1丈(約3m)。」
「いやいやいや、でか過ぎるぞよ!」
「いえ、これはあくまで見た者の話ですので。」
「そりゃあ、鬼ならばその位の背丈かも知れぬが、そんな者が昼間はどこに隠れておるのじゃ?」
「分かりませぬ。」
「それで、悪さはせんのか?」
「まあ、誰かが襲われたという話しは聞きません。」
「何を喰ったらそんなにでかくなるのかのう・・・」
「近くで牛馬がいなくなったという話は聞きません。」
「ならば、鮎か鯉じゃな。それとも猪か?」
「それはそうと、どうなさいますか?」
「どうするといっても・・・延光寺のご本尊様にお縋りするというのはどうじゃ?」
「如来様が鬼を退治してくれるものなのでしょうか。」
まさかの専門外?
「悪さもせぬ。身の丈一丈の鬼など、放っておいても良いのではおじゃらぬか?」
「しかし、橋上村の道は篠山の番外札所や伊予の津島に抜ける重要な道でもございますれば、そのまま捨て置く訳にも行きますまい。」
「では、兵を差し向けることとしようかのう。」
「数はいかほど?」
「そもそも鬼は何人いるのじゃ?」
「皆が見た鬼が同一か別の鬼かは分かりませぬ。」
「では、取りあえず槍と弓を持った百人を出そう・・・」
ということで三日後、宿毛城に集結した兵百は松田川を遡り、橋上村に入る。
『のうのう。ところで、何故麿がここにおるのじゃ?』
『お主が指揮を執るからに決まっているだろう。』
『馬鹿か?馬鹿なのか?何故やんごとなき麿が、そんなたわけた真似をせねばならんのじゃっ!』
『鬼退治した公卿、というのは格好いいだろう?』
『格好どうのこうのではおじゃらぬ。問題を解決できるかできないかが大切なのでおじゃる。』
確かに、それは兼定が全面的に正しい。
「御所様、本日はよろしくお願いいたしまする。」
『おいおい、何じゃ?皆麿に期待してしまっているではないか。』
『そりゃ。戦の天才、神懸かりの中将だからな。皆もう、鬼退治の英雄にでもなったつもりなのだろう。』
『まだ村に着いたばかりじゃぞ・・・』
「それでは御所様、ご指示を。」
「そうは言っても、鬼がどこにおるのか分からぬでは、何もできまい。ならば夜まで待つのはどうじゃ?」
「では、夜になるまで、山狩りをいたしましょう。何か鬼の痕跡が見つかるかも知れません。」
そう言うと、足軽達は各々山に分け入って行く。
「待て、麿は誰が護衛するのじゃ?」
『誰かに付いていくほかあるまい。』
『何故高貴な麿が山で鬼を探さねばならんのじゃ?』
『嫌ならここで待っていればいい。』
『ここに鬼が来たらどうするのじゃ?』
『ならば、誰かの後を付いていくほかないだろうな。』
『鬼じゃ・・・いや、悪霊か。』
『どっちでもいい。行くぞ。』
『行くぞって言っても、そなたは一切疲れないではおじゃらぬか。』
『文句言っていると、置いていかれるぞ。』
『全力でも置いて行かれるに決まっているでおじゃる。』
「待って、待ってたもれ・・・」
何とも情けない追跡劇が今、始まる・・・