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犬のしつけとコロッケ

作者: Rj

 雲ひとつなく晴れわたった空はサングラスがほしいと思うほどまぶしい。


 いつもはにぎわっている繁華街も氷点下という寒さで人がまばらだ。


 七海は用事をおえ電車にのるため急いでいた。この電車をのがすと次の電車まで三十分、時間をつぶさなくてはならない。


 ぎりぎり間に合った電車の車内も街とおなじく人がまばらだ。平日の午後というもともと乗る人が少ない時間帯で、寒さのせいでよけいに人がいない。


 大学生ぐらいの女の子二人の華やいだ声が聞こえたかと思うと、七海が座っている場所からほど近い所にすわった。


 ふざけあいながら話しているので声が大きい。二人の話を聞くつもりはないが勝手に耳にはいる。


「そういえばあいつと別れたの?」


 髪の長い女の子が眼鏡をかけた女の子にきいた。


「……別れてない。もう二度と浮気しないってあやまってるし……」


 髪の長い女の子がこれみよがしなため息をついた。


「ねえ、そのセリフ何度目? いいかげん聞き飽きないの? 好きという気持ちなくならない?


 犬と同じで浮気しても許されるって学習しちゃったから、あいつの浮気癖は絶対なおらないって」


 七海の頭の中にコロッケが思いうかんだ。


 そして忘れていた記憶がよみがえり、髪の長い女の子がいった「犬と同じ」という言葉を七海自身がいわれた時のことを思い出した。結婚するはずだった元カレと別れた時のことを。


 元カレの航平は大学時代の友人で付き合い始めたのは卒業したあとだ。


 同じ業界で働いていて友人としての付き合いがつづき、お互い付き合っていた相手と別れた時期が同じだったことから二人でやけ酒をしているうちに傷をなめあう間柄になった。


 あいまいな関係がつづいたが、航平が引っ越した時に合鍵をわたしてきたことから恋人といえる関係になった。おだやかに付き合いがつづき航平から結婚しようといわれた。


 七海が週末に泊まりがけで航平の部屋にいきくつろいでいると、ノートパソコンで調べ物をしていた航平が急に「しまった! もうすぐ店が閉まる。その前に行かないと」といいあわてて出かけた。


 航平のお気に入りのコロッケを売っている精肉店でコロッケを買うのが航平の週末のたのしみだ。


 平日は精肉店の営業時間に間に合うように帰ってこられず、日曜日は定休日なので航平がコロッケを買えるのは土曜日だけだった。


 結婚式場をスマホでさがしていた七海は、大きな画面の方が調べ物をするのに楽なので航平が帰ってくるまでパソコンを使わせてもらうことにした。


 航平は七海がパソコンを使うことを許していたのでログインのパスワードをしっている。


 ロックされていたパソコンにログインすると航平がコロッケを買いに行く前にひらいていた検索画面が目に飛び込んだ。


「好きでない人との結婚」


 その検索結果のいくつかに目を通した跡があった。


 七海は思わず立ち上がっていた。


 ノートパソコンのふたを閉じようと手にかけたところで「やっぱり」という心の声がきこえた。


 七海は座り直すとパソコンの画面を再びみた。


 検索ワードは七海の見間違いではなく「好きでない人との結婚」だった。


 航平がクリックしたサイトをひらく。好きではない人と結婚した人達の体験談やメリットとデメリットなどが書かれていた。


 航平がクリックしたすべてのサイトをみたあと七海は椅子の背もたれに体をもたれかけた。


 航平は七海が好きかときくといつもごまかした。


 元カノに未練があるのは知っていたし、七海自身も航平のことを恋愛的な意味で好きだからと付き合ったわけではない。友達として好ましいから傷のなめ合いでそのままずるずる付き合った形だ。


 それでも彼女として航平と一緒にすごすうちに好きになり、航平にも自分のことを好きになってほしかった。


 元カノへの未練を断ち切るのには時間がかかるだろうと好きといわれないことを気にしないようにした。


 航平が引っ越しをする前に一緒に住まないかときいたので七海は浮かれた。


「一緒に住みたいのは私を好きだからで家賃の節約のためじゃないよね?」冗談でいうと、航平はごにょごにょと何かいっていたが好きとはいわなかった。


 そのかわり「七海といると一番落ち着くから一緒にいたいと思う」といわれた。


 航平は口下手なのできっとそれが彼なりの好きという気持ちをあらわす言葉なのだろうと思うことにした。


 航平と一緒に住みたいという気持ちはあったがアパートの更新を半年前にすませたばかりなのでことわった。


 その後とくに問題なく付き合いがつづき結婚しようといわれたので、航平も七海のことが好きで結婚しようといってくれたのだと思っていた。


「ただいま」


 航平がコロッケを手にうれしそうに帰ってきた。


 子供のようによろこんだ顔をした航平が愛おしい。


「週末のコロッケのためにがんばる」と残業つづきで疲れている自分をふるいたたせる姿がかわいかった。


 ――このまま見ないふりをして結婚してしまえばいい。これまでと同じ。いまの状態がつづいていくだけなのだから。そのうち好きという気持ちが育つかもしれない。


「結婚式場さがすのにパソコン使わせてもらってる」


 平気なふりをしていつものようにいったはずが涙声になっていた。何もいわなければよかったと後悔するがおそすぎた。


「何で泣きそうになってんだ?」


 買ってきたコロッケを袋からだそうとしていた手をとめ航平が七海を見た。


「――ごめん、見えちゃった。好きでない人との結婚って検索してたのを」


 航平がおどろいた顔をし動きが固まっていた。


 二人はしばらくそのまま見つめあっていたが航平が目をそらした。


 沈黙がつづく。


 すでに答えはみえている。


「マリッジブルー?」


 航平からの返事はない。嘘をつけないのが航平らしかった。


 嘘でもよいので結婚するのに少し不安になって変なことを考えたとでもいってほしかった。


 怒りで体がふくらみノートパソコンを航平に投げつけてやろうとつかんだ。


「好きでない人との結婚」という見たくもない文字が目に突き刺さる。


 パソコンを投げるのをやめ、七海は自分のバッグをつかみ玄関をでるとドアをたたきつけるようにしめた。


 目に見える物すべてを破壊したかったが、破壊できそうなものは自分のバッグとバッグの中身ぐらいだ。さすがにお気に入りのバッグを破壊する気にはなれない。


 七海はそのまま駅に向かった。駅のベンチにすわるとこらえきれず自分の膝に顔をうずめ泣いた。


「だから言ったじゃない。さっさと別れろって」


 七海は友人、彩の家に押しかけた。彼氏があそびにきていたが七海の泣きはらしたひどい様子に同情したのか帰っていった。


「でも普通の恋人みたいに関係が進んでいったから、きっと好きになってくれたんだろうと思うじゃない? それも結婚しようって向こうからいったんだよ!」


 彩があわれむような目で七海を見ているのに気付いた。彩が何をいいたいのか分かっているが認めたくない。


「私達の年齢って結婚はと人から聞かれるから、航平は彼女もどきはいるし、だったらこのまま結婚してしまえって思っただけでしょう。


 ほれてた元カノと結婚できないなら誰と結婚しても同じだろうという気持ちもあったんじゃない?


 七海と結婚するのが一番『面倒がない』から結婚しようっていっただけだよ」


 彩が急所をつく。


 精神的だけではなく身体的にも痛みを感じた七海はソファーの上で体を丸めた。


 航平は恋愛にたいして淡泊だ。


 そう思いたいのは七海だけで、航平は七海に対し淡泊な気持ちしかもてなかったが正解だろう。


 きらいではない。都合がよい。だから七海に結婚しようといっただけ。


「もし、もし私がこのままでいいと結婚すれば、きっと離婚するのが面倒だからで何となく結婚生活がつづいていくうちに、子供ができて家族として大切だってなりそうじゃない?


 べつに誰もが熱烈に愛し合って結婚するわけじゃないし、熱烈に愛し合ってても別れたりするじゃない。それだったら、それならマイナスから始まった結婚なら、それが上手くいったらもうけものって思えるじゃない?」


 言いながら自分の卑屈さに涙がでた。


「そこまでして結婚したい?」


 彩の冷静な声がすでに出血多量の心を深く斬りつけ血が派手に飛び散った気がする。


「したいわよ! 悪い? 私は航平が好きだから結婚したかった。好きな人だから結婚したかった。それのどこが悪いの?


 それに誰とでもいいから結婚したいで結婚したって悪くないでしょう? 自分がそれで納得してるなら誰にも迷惑かけてないし。


 結婚できる相手と結婚しておけば周りからのプレッシャーもなくなる。だから、だから――」


 つづけられなかった。言いながらみじめだった。


「七海、大好きな友達が苦しんでるのを見てるのつらい。航平は七海から金をせびるとか暴力をふるうといったことはなくてクズではない。


 でも航平にとって七海と付き合ってるのが便利だからという感じでむかついてた。でも七海がそれでも航平と一緒にいるのが幸せというならと思ってた。


 でもさすがに目をつぶって結婚したらとはいえない。別に打算が悪いんじゃなくて、七海がきっと航平に愛されてないと思うたびに傷つくから。


 もうすでに航平から愛されてないと傷ついてる。いつか航平が自分のことを愛してくれるかもという希望だけで結婚しても、そのうち七海が耐えきれなくなると思う。


 それが七海にとって幸せと思えない。たとえ好きな人との結婚になるとしても、それを私は幸せと思えない」


 彩があえて厳しいことをいってくれているのは分かっている。


 彩も恋は盲目と突っ走ったことがあるからこそ、恋をしていると見えなくなるものや、あえて見ずに自分をだましてしまうことを知っている。


「私も経験したからいえるけど、こういうのって犬のしつけと同じなんだよね。


 七海は航平に自分を愛さなくても一緒にいるから大丈夫ってしつけちゃった。ちょっとやさしくすれば、やさしいふりをすれば七海は自分のそばにいるって」


 今だけはやさしくしてほしかった。


 すでに死にそうになっているのでなぐさめてほしかったが一気にとどめをさされた。


 航平が七海のことを愛していないことに見ぬふりをしてきた。そのまま見ぬふりをして結婚しようとしていた。


「彩のばか! 私を殺す気? 分かってる。そうやっていま正しいこといわれるのつらい! 私が間違ってるのは分かってる。でも正しいことが幸せとは限らない。


 だから―― もう、ばか! つらかったねってなぐさめてよ!!!」


 彩が笑った。


 笑われた怒りと恥ずかしさで七海はソファーの上でうつぶせになり彩から顔をそむけた。


 彩のうごく気配がしたかと思うと背中に手がそえられ体が飛び上がった。ギャグ漫画のような飛び上がり方をしたので彩がくすくす笑っている。


「ごめんね。ここで一度現実を突きつけておかないと、またあのクソ男とやり直しそうだと思って必死になっちゃった。


 傷ついてる七海を見るのがつらい。七海を傷つける航平が許せない。七海にはもっといい人がいる。


 だから今はつらいだろうし、次があると信じられないだろうけど、七海のことを心から愛してくれる人はいる。七海が一緒にいて心から幸せだと思える人がいる。きっと出会えるから」彩がささやくようにいった。


「こんなひどい顔して泣いてる私のこと好きになってくれる人って本当にいるの? 自分のことを好きじゃない男と結婚しようとしてた馬鹿な女のことを好きだといってくれる人がいると思う?」


 彩がにっこりとほほえむと「絶対いる」と断言した。


「大丈夫よ。運命とかじゃなくて世界にどれだけ男がいると思ってるの? 日本だけでも一億人の人がいてその半数が男なんだよ。世界規模で考えればとんでもない数の男がいるの」


「……そういう壮大な話ってこういう時にぜんぜん心に響かない!


 それに世界には食べる物に困ってる人がいるとか、戦争で大変な人がいるからといった話をくっつけないでね。


 うちの母がよくそういってあんたの悩みなんて大したことない扱いしてすごい嫌だった。


 私より不幸で大変な人がいるのは分かってる。でも私が悩んだり苦しんだりしてるのを取るに足らないといわれたくない。


 そういう言い方されると飢えて死にそうになってる人に、飢えは大変だろうがこの国は戦争してないから飢えなんて大したことないって言えるのかといいたくなる。


 私が生きている現実には飢えも戦争もない。だからそういったこととは違う種類の悩みがある。他人が勝手に私の悩みをくだらないか、くだらなくないか決めるなだよ。


 こうして私に愚痴られて彩はうんざりして私のこと黙らせたいだろうけど、今日だけはそれをやらないで……」


 彩がたしかにと同情してくれた。その彩の顔がとてもやさしく七海の心にしみた。


 七海が航平ときっぱり別れようと決心できるまでに、何度かまだ大丈夫だ、結婚さえしてしまえば何とかなるはずと思いくじけそうになった。


 しかし別れると決めたあとは淡々とやるべきことをすすめた。


 航平とのつながりをばっさり切るため連絡先やSNSのアカウントを消去した。


 彩がそれでも航平に会いたい、連絡を取りたいとなる時は必ず自分に連絡しろといってくれ、ぐちぐちと別れなければよかったという七海につきあってくれた。


 もう結婚できないかもと思ったが、彩が「私が七海の婚活に全面協力する!」といい婚活パーティーについてきてくれた。


 彩の彼氏に悪いとことわったが、彩の彼はぼろぼろになった七海の姿をみたこともあり、「本当はものすごく嫌だけど、友達のあんな姿みて一人でがんばれといえない彩の気持ちは分かる」と寛大な心で許してくれた。


 彩と彼氏はいまは結婚し子供もうまれ幸せにしている。


 七海は婚活していると知った上司から紹介された取引先の人と結婚した。夫に愛され幸せと感じる日々を送っている。


 航平と別れてしばらくはコロッケを見ると航平のことを思い出し食べられなくなった。


 しかし時がたつとコロッケをみて航平のことを思い出しても食べられるようになり、いつの間にかコロッケをみても航平のことを思い出さなくなった。


 犬と同じという言葉で過去を思い出すまで航平のことも、コロッケを食べられなくなったことも忘れていた。


「付き合ってる彼女を一途に愛すのが正しい行動としつけないと。でもそれより別れた方がいい。慣れ親しんだものを手放すのは怖いけど、手放さないと見えてこないものがいっぱいある。大丈夫だから」


 七海に背をむけ眼鏡をかけた女の子に話していた髪の長い女の子が振りかえり、不気味そうに七海をみている。


 どうやら頭で考えていたことを声にしていたようだ。


 あわててスマホをさわりネットで見ていたことに対し独り言をいったふりをする。


 七海は浮気男と付き合っている眼鏡の女の子をそっと見て彼女の幸せを祈った。

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