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【試し読み版】ヴァイオレット・シュガーナイト~魔女と飼い人~

作者: 雅野キュウ

※Web掲載にあたって、適宜改行を追加しています。

 火の灯りが街を照らし、機関車が走る時代。大陸の北に位置する海洋国・リュリュミールでは人と魔女が生活していた。

 深々たる森の中にひっそりと佇むお屋敷に潜むのは、とある魔女の一族。

 コの字型の黒いその館で魔女たちが日々を織り成していく。

 そして庭では、すみれの花が咲き誇っていた。


 一族のしきたりは必ず守らなければいけない。


 食事をきちんと摂ること。

 正しく振る舞うこと。

 魔法学校へ進学すること。

 十五歳になった魔女には人を与えること。

 

 人と魔女。

 種族の異なる二人の少女たちが、今。その芽を出すときだった。


【第一章 魔女と飼い人】


「お母、さん……?」


 村の子どもたちが眠りについている夜更けと明け方の間に、「処刑」は行われた。やけに外が騒がしくて目を覚ますと、既に事は済んでしまっていた。


「ライラの娘が起きたぞ! こいつも魔女だ、殺せ!」


 雄叫びのような声と共に、村人はリッタに迫る。隣の家のベラおばさんも、漁師のジークおじさんもみんな、日々リッタへ向けてくれた笑顔が嘘だったかのような形相だった。彼らは母を弔う暇さえ与えないつもりだ。


「どうして! わたしとお母さんが何かした⁉」


 リッタの抗議に、ジークおじさんがせせら笑う。松明の炎は彼の斧を照らし、刃の血痕の存在を暴いた。


「その目だよ。緑色の目なんぞ、魔女に決まってる」

「あんたたちが越してきた時から怪しいと思ってたのよね」

「薬屋をやってるのだって『いかにも』だしな」


 仲間だと思っていた村の人たちが、堰を切って口々に自分たちを罵った。

 確かに母は薬屋を営んでいたし、二人の瞳は珍しい緑色だった。でも、それだけで?


「……わたしたちがいつ、魔法を使ったというの」


 呻くように反論するリッタに、彼らがほんの少し狼狽した。その隙に、リッタは母の元へ駆け寄る。

 皮膚が爛れていて、首には斧か何かで斬られた跡があった。リッタの全身の血がすっと冷えて、喉と鼻の奥が痛み、怒りと悲しみがごちゃ混ぜになって襲ってくる。それでも、今は子どものように泣きわめく場面ではない。

 歯が削れそうなほど食いしばって、リッタは大人たちに吠えた。


「証拠も無しに人を疑って、殺して! むしろあなた達が魔女に見えるわ!」


 リッタの瞳が燃える。本格的に夜が明け始め、水平線から漏れるわずかな日光が彼女の目に鋭い光を宿した。

 それでも大人というのは不可解なもので、誰も武器を降ろす素振りを見せない。


「黙りな! 魔法を使われてから気づくんじゃ遅いのさ。魔女に遭ったら身も心も闇に食い尽くされて、自分が消えてしまう。あたしらが何度教えたと思ってるんだい」

「なら魔女じゃない証拠を見せてみろよ!」


 そうだそうだ、と野太い声が響いた。

 魔女を見たことはないが、その説教だけは毎日のように聞かされていた。そんなものに疑われるなんて、冗談でも笑えない。


「わたし達は誓って、魔女じゃない……! 家や体を調べてもいい、とにかくわたしは、」


「魔女を狩るぞ!」


 何人もの大人がリッタに武器を向けた。斧、棍棒、弓矢……。リッタの主張に耳を傾ける者はおらず、まるで何かに取り憑かれているようだった。


 何を言っても意味がない。


 彼らにとって、彼らだけが正解なのだ。戦うか、ここから走って逃げるかしたところで、大人に勝てるわけもない。仮に生き延びても、その先に安寧が待っているのだろうか? ならば、母を追いかけるのがいいのか……。


 自分はなんて無力なんだろう、こうして迷うことしかできないなんて。


 夜が明けて、景色が白んでいく。空気がどうしようもなく清々しくて、リッタは一筋の涙を流した。爽やかな冷気が全身を洗い、同時に刃の切っ先がリッタに迫る。


「アッハハハ! 同族で争うなんて無様だね」


 突然、鋭い鎌のような声が降った。その場にいた全員が動きを止め、声の主を探す。リッタも思わず頭を上げた。


 陶器のような白い肌に、夜のように深い黒のドレスと帽子。すみれ色の瞳をした女性がこちらを見下ろしていた。何より異質なのが、彼女がほうきに乗って空に浮いていることだった。


「魔女狩りなんて時代錯誤なこと、まだやってるのかい」


 村人たちが呆然と見上げる中、彼女がパチンと指を鳴らす。すると彼らの持っていた武器の数々が、弾けるように細かい塵へと姿を変えた。

 女は呆気にとられるリッタの目をじっと見つめた。太陽が沈みかけている黄昏の、東の空のような、幻想的な紫色の瞳がリッタを穿つ。


「この子は貰っていくよ」


 突然夜が来たかのように、リッタの視界が真っ暗になった。


 魔女に遭ったら身も心も闇に食い尽くされて、自分が消えてしまう。

 リッタはベラおばさんの言葉を思い出した。間違いない、この女は魔女だ。


 魔女がこの世に存在するせいで、お母さんは殺された。根拠なく疑う奴らと、疑う原因を作った魔女への憎悪が膨らむ。

 そのまま、リッタは魔女の闇に呑まれていった。


 ◆


 時は進んで、誰もが寝静まった深い夜。森に囲まれた館にはまだ灯りがあった。


「誕生日おめでとう、ニニーナ」


「ありがとう、おばさま!」


 ニニーナはふぅっと息を吹きかけ、ケーキに刺さった蝋燭の火を消した。

 灯りがなくなると、メイドたちが燭台に火を付け始める。拍手と共に明るさを取り戻した食堂には、九人の魔女と、六人の人間と、四人のメイドがいた。


「ニニーナがもう十五……早いわあ」

「私が十五のときはプレゼントが待ち遠しかったわ」

「それって、何百年前よ」


 クスクスと魔女たちが笑うと、ドレスの裾が小さく揺れた。魔女たちの衣装はみな黒い。

 大きなパフスリーブの袖に、厚いベルベットの生地。スカートは真っ黒なフリルがあしらわれていて、裾からすみれ色の生地が覗く。黒いレースの手袋はしなやかな指を覆い、夫人の被るようなつばの広い帽子にはすみれの花が咲いていた。


 対するニニーナは、紫色のワンピース。一人前の魔女のみが黒い服を着る、それがこの家での決まりだ。ただそれは服だけに限定されているから、ニニーナの胸元には黒いリボンが奥ゆかしく彩られていた。


 魔女には「家」がある。

 それぞれの家がそれぞれのしきたりに従って、魔法と共に何百もの間を生きる。

 ニニーナは魔女のとある一族、ヴィオレッタ家の末っ子。末っ子といっても、一番年の近い魔女とは二百歳も離れていた。


「さて、プレゼントの時間ね」


 魔女の一人が大きな箱を連れて来た。黒い箱に紫色のリボンと花の舞の魔法がかけられている。それはそれは大きな箱で、ニニーナが余裕で入ることができてしまうほどだ。


 ヴィオレッタ家のしきたり、その一。

 十五歳になった魔女にはペットを与えましょう。


「もしかして、この中……!」


 ニニーナの顔が紅潮する。やっとこの時が来た。


「ほら、開けちゃいなさい」


 箱の周りにすみれの花がふわりと舞う。華やかな香りと共に、ニニーナはどきどきしながらリボンの端を引っ張った。

 箱の中身は、確かに彼女が一番欲しかったものだった。それはさっきまで眠っていたらしく、ゆっくりと瞼を開いた。その瞳を見て、ニニーナは小さく感嘆の息を漏らす。


「森の色だ……!」


 周りの魔女もそれに気づいたようで、好奇の視線を人間に向けた。


「あら、綺麗な緑色。こんな子、孤児院(ペットショップ)にいたかしら」

「今朝ようやく見つけたの。あ、ニニーナには内緒ね」


 人も魔女も、緑の瞳を持った者は珍しい。ここの魔女は、遺伝なのか全員すみれ色だ。

 ニニーナは改めて箱の中を見つめた。


 自分と同じくらいの年に見える、森の瞳を持った少女。


 深い夜のような黒い髪が無造作に肩まで伸びており、肩に当たっている毛先は外側に曲線を描いている。シャツとズボンは土に似た色をしていて、綻びが目立っていた。手入れのしがいがありそうだ。

 今日からニニーナが、この子の飼い主になる。それを実感すると彼女の鼓動は弾んだ。


「可愛い……! こんな素敵な子が今日からわたくしの()(びと)だなんて! おばさま、ありがとう!」


 当の「飼い人」はこの状況がよくわかっていないのか、目に見えて混乱していた。透きとおった緑の瞳が揺れている。


「初めまして。わたくしはニニーナチェ・フォルマ・ヴィオレッタ。ニニーナと呼んで!」


 ニニーナが手を差し伸べたが、人間は応じず黙ったままだった。その媚びない様子はまるで野良猫のよう。

 おかしいな、おばさまたちの飼い人はみんな従順で、優しいのに。


「えっと、ここはヴィオレッタ家のお屋敷でね。今日からあなたも、」

「魔女?」

「え?」

「あんた、魔女?」


 人間はニニーナを睨んだ。初めて聞いた声は鈴のように愛らしい。ニニーナは会話の成功に喜びつつ、人間の声を胸と耳に刻んだ。


「そう、そうなの! ここの魔女はペットとして人間を飼って、家族の一員にするの。そしてあなたは今日からわたくしの飼い人になるの! そうね、名前は……」

「許さない」

「な、なに?」

「わたしは魔女を許さない……! あんたたちのせいでわたしのお母さんは殺された!」


 突然の威嚇に、ニニーナは動揺した。

 お母さまを亡くしたなんて、こちらの知ったことではないのに。しかしそんなことを言うと引っ掻かれてしまいそうだから、ニニーナは本音を押し込んだ。魔女たちのクスクス笑いが聞こえる。


「ミミなんてどう? お名前!」

「ふざけないで! 誰が魔女のペットになんか……!」

「なによ……」


 楽しみにしていたプレゼントにこんな態度を取られては、ニニーナも黙っていられなかった。この好機を無駄にするわけにはいかない。

 まだ子どものニニーナは、むきになって反発した。


「いいえ。あなたはもうペットよ。わたくしと家族になるしかないの」

「嫌」

「なら生活のあてはあるの?」


 人間がぐうと押し黙った。それもそのはず、ちゃんと家族のいる人間がここへペットとしてやって来ることなどありえない。ニニーナは勝ち誇ったような笑みで鼻を鳴らした。


「あなたにどんな事情があろうとも、人間は魔女とも家族になれるわ。まずは名前を教えてちょうだい、ミミが不満ならね」

「……リッタ」

「よろしく、リッタ!」


 リッタはもう一度ニニーナを睨んだ。誰一人味方のいない場所に放り込まれては、この程度の反抗しかできない。ニニーナはそんな視線などつゆ知らず、ケーキを頬張る。


「あなたも食べる?」


 魔女の館で、すみれの香りがリッタを包んだ。


【第二章 すみれのお屋敷】


 母の夢を見た。


 二人の家で、小さなキッチンに立つ母の後ろ姿をリッタはぼんやりと眺めていた。うちは入ってすぐが店の中で、村人たちが商品棚越しに母から薬を受け取る景色が常にあった。奥に進むと調合台があって、すぐそばに調理台と小さな食卓が並んでいる。そのさらに奥に、リッタと母の寝室があった。柔らかい午後の陽と、穏やかな空気。きっと今日は店がお休みなのだろう。


 調合台は小さな庭ができたかのように薬草が茂っている。鉢にあったり、上から吊るされていたり、とにかくいろいろな薬草が光り輝いていた。

 母はそこからいくつかの薬草を手に取り、軽く洗った後小さく刻んだ。包丁とまな板のぶつかる軽快な音が心地良かった。


「そろそろかしら」


 香ばしい香りと共に、窯の中で何かが燃えていた。母は窯から天板を取り出し、テーブルの上に置いた。下に敷いておいた濡れ布巾がシュウッと音を立てる。


「リッタ、お皿出して」


 母に呼ばれ、リッタは食器棚から一枚の皿を出した。土を焼いた簡素な皿だが、うちにはこの程度の食器しかない。皿をテーブルまで運んで、リッタは初めて天板の上にあるものを目にした。


「ローズマリークッキーだ!」


 精製されていない小麦粉に卵と蜂蜜を混ぜて、その中に生のローズマリーを刻んで入れたクッキー。穀類と魚ばかりのこの村でお菓子はあまり主流の食べ物ではないが、特別な日に母が作ってくれた。


「お誕生日おめでとう、リッタ」


 ここでリッタは初めて、この日が自分の誕生日だと気づいた。しかしそれが一体いつなのか、正確な日付はわからなかった。


「ありがとう、お母さん!」


 土色の皿の上では、小麦色に緑の混じったクッキーが眩しく見えた。リッタは一枚だけ手に取って、小さく齧った。ほのかな甘みの中に広がるローズマリーの爽やかな味わいは、まるで午睡に吹くそよ風のよう。母も一口頬張って満足そうに頷いた。

 このささやかな幸せが、母と共にずっと続くと思っていた。


 風が強く吹いた。

 リッタの頬を撫で、優しく体温を奪っていく。その冷たさに目を覚ますと、黒い天井に下がった煌びやかなシャンデリアが視界に飛び込んだ。その景色が、ここが魔女の館であるという現実を突き付けてくる。リッタはベッドの上でため息をついた。


 壁に視線を向けると窓のカーテンが大きく揺れていて、朝の空気をここまで運んでいた。それでもベッドは暖かい。こんなに重い布団は生まれて初めてだった。

 この部屋にはリッタしかおらず、一人部屋にしては広すぎて居心地が悪い。黒と紫色を基調とした空間で、大きなベッドとワードローブに、簡易的な食事や作業のできるテーブルと椅子、手の込んだ柄の絨毯。リッタは貴族に転生したかのような錯覚に陥った。

 

 コンコン、と大きな焦げ茶色の扉が鳴った。


「リッタ、起きてる?」


 案の定、ニニーナの声だった。リッタよりも高い、砂糖菓子のような甘さを持った声が扉越しに聞こえる。起きていたので、リッタはドアノブを捻ってしぶしぶ扉を開けた。


 ニニーナの白に近い金色の髪は、毛先へ伸びるにつれてオレンジ、ピンク、紫へとグラデーションをつくっている。リッタとは違って強いパーマがかかっているらしく、全ての毛が波打つようにうねっていた。それは耳よりも高い位置で頭の両側で結び、可愛らしい黒いリボンが彩られている。耳は魔女特有のものなのか先が尖っていて、すみれ色のイヤリングが輝いていた。イヤリングと同じ色のワンピースがふわりと揺れて、たまに裾から黒いパニエが見えた。


 頭のてっぺんから足の先まで、何一つ見た目の欠点が見つからない。陶器のように白い肌の色も相まって、まるで人形のように見えた。

 そんなニニーナはリッタの姿を見たとたん、パッと表情を明るくした。


「起きてた! おはよう、朝ごはんだよ!」

「……いらない」


 魔女の食べるものなど、きっと人の食事とはかけ離れたおぞましいものに違いない。トカゲとか、カエルとか。そんなものより、一切れのパンの方がずっといい。にもかかわらず、ニニーナはずけずけとリッタの部屋に入ってきた。


「ダメよ、ケーキも食べずに寝ちゃったんだから。ネグリジェから着替えるまで待つから、わたくしと食堂に行くわよ」


 ネグリジェ、と言われて初めてリッタは自分の服装が変わっていたことに気が付いた。白いコットン素材の軽く柔らかいワンピースがふわりと揺れる。リッタには名家のお嬢様の洋服に見えて、これが寝間着だなんて信じられなかった。ここへ来るまで着ていた目の荒い麻の服は、穴があいていたり、裾が破けていたり。「裸でなければいい」くらいのもので、装飾など最低限のものしか知らなかった。


「ほら、早く。ワードローブにあなたのお洋服があるわ」


 両開きのワードローブの中にはリッタのサイズに合わせた洋服が並んでいた。ニニーナはその中から落ち着いた緑色のワンピースを手に取り、リッタへ押し付けた。


「これがお屋敷で着るお洋服よ。他にもお出かけ着とか、下着とか、儀式用のものもあるからチェックしておいてね」


 渡された服は深い森の色をしていて、フリルやレースが施されていた。胸元には生成りのリボンがあしらわれている。たしかにずっとネグリジェでいるのはだらしない感じがして、とりあえず服装だけは大人しくニニーナに従った。自分が着たわけでもないのに、ニニーナは目を輝かせてリッタの全身を眺める。


「かわいい……! やっぱりあなたって本当に素敵! さ、ごはんに行こ!」


「パンだけでいい。……ないなら、いらない」


「パンくらいあるわよ。でもそれだけじゃダメ、バランスよく食べなきゃ」


 バランス? 目玉と臓物と虫をしっかり摂取しましょう、みたいな? 考えるだけで吐き気がしたが、たしかにニニーナは「バランス」よく食べている健康体のようで、彼女に腕を引っ張られるまま抵抗する力もなかった。


 食堂は縦に長い造りをしていて、同じく縦に長いテーブルが存在感を放っていた。焦げ茶色でつやのあるテーブルにすみれ色の細長いクロスがかかっている。金色の糸が織り込まれているのか、クロスはちらちらと控えめな輝きで朝日を反射していた。テーブルと同じ色の椅子がずらりと並んでいて、椅子とテーブルの空間を仕切るように燭台が置かれている。庭に面した壁はガラス張りになっていて、外の庭で咲くすみれの花と館の門が見えた。


「リッタのお部屋から一番遠い階段を降りて、右に曲がると食堂だからね。毎日わたくしとごはんを食べましょ」


 ここが食事をするためだけに造られた部屋という事実に、リッタは圧巻された。村一番のお金持ちだったグラース一家ですら、こんなに広い部屋は持っていないのではないだろうか。

 奥の扉ではメイドがサービスワゴンを押しながら行き来している。扉の向こうがキッチンなのだろう。


 メイドたちは裾と袖の長いすみれ色のワンピースに、黒いエプロンをしている。それだけなら普通のメイドと大差ないのだが、彼女たちは顔に黒いヴェールを常に身につけていた。一言も話さない上に、表情もわからない。まるで機械人形のようだった。

席は指定されていないらしく、リッタとニニーナは入り口に一番近い手前側の椅子に並んで座った。日の光が当たって気持ちがいい。


「わたくしね、朝ごはんが一番好き! 『今日も一日頑張ろう!』って元気がでるじゃない?」


 ニニーナがどうでもよい話を次々に投げかける中、リッタは少し動揺していた。昨日彼女が言っていた「ペット」とやらはきっと、メイドのようなものに違いない。従うかどうかは別として、自分は奥のキッチンへ行くべきなのではないだろうか。


「どうしたの? キッチンが気になる?」


「あ、いや……。わたしがあんたのごはんを運ぶんじゃないの?」


 リッタの発言にいまいちピンとこないようで、ニニーナはきょとんとしながら首を傾げた。


「なぜ? リッタはメイドさんじゃないわ」


「でも『ペット』って……」


 ニニーナはリッタが遠回しに説明してもわからないらしい。目を丸くしたまま気まずい沈黙が流れて、リッタを奇妙な生き物でも見るかのように眉をぐっと寄せた。


「……もしかして、あなた自分の猫にごはんや身の回りの世話をさせていたの?」

「ち、違うけど……」


 猫を飼ったことはないが、ニニーナの意見を聞いて合点がいった。ここでいうペットというのは正真正銘、愛玩動物を指している。召使いでも、メイドでも、猟犬でもない、ただ可愛がるためだけの生き物。

 二人のやり取りを聞いていたのか、誰かがクスクスと笑う声が聞こえた。


「ふふふ。初めはびっくりしちゃうわよねえ」


 声の方へ視線を向けると、二人の女性が食堂へ入ってきたところだった。一人は黒いドレスを着ていて、もう一人は茶色のワンピースを身に纏っている。


「ダフネおばさま、ルイーゼさん。おはよう」

「おはよう。ニニーナ、リッタ」


 黒い服の女がニニーナに答え、二人はリッタたちの向かいの席に座った。すると、ニニーナとリッタの元へメイドが食事を運んできた。メイドがグラスに飲み物を注いでいる間に、黒い方がリッタに目を合わせる。


「ようこそ、ヴィオレッタ家の館へ。あたしはダフネリア・リゾルマ・ヴィオレッタ。あんたをここへ連れて来た魔女だよ」


 ダフネの艶のある声が、リッタにはひどく恐ろしく聞こえた。足の多い虫が背中を走るような、ぞわりとした感覚ともに体中の血液が凍りつく。


 今、なんて?

 小さくなりかけていた憎悪の感情が、再び燃え上がった。


「っ、お前が……!」


 がちゃん、と食器が音を立てた。リッタが勢いよく席を立ったからだ。しかし大きな食卓を挟んでいては、彼女の胸倉を掴むことさえできない。リッタはダフネをきつく睨むが、当の本人は余裕ありげに嗤っている。彼女の深い紫色の髪が怪しげに揺れていた。


「何を恨めしそうにしてるんだい、親の仇かのように。むしろ命の恩人なんだがね」


「恩人? どこが!」


 ニニーナはおろおろとリッタを窘めようとしていたが、リッタは無視した。


「お前のせいでこんなところに来たんだ! お前が、お前がいなければ……!」


「『いなければ』、何? 親子共々死んでいた方が良かったとでも?」


 言葉がつかえて、それ以上ダフネを罵ることができなかった。代わりに涙が上ってきそうだったが、プライドが邪魔をした。


「あたしはこれで良かったと思うけどね。もう気づいてるだろ? いかに自分が貧相な暮らしをしていたか」


「うるさい……」


 誰かが優しくリッタの背を撫でた。たぶん、ニニーナの手。魔女のくせに、人間のような温度がある。思わず膝の力が抜けて、とすんと椅子へ吸い込まれた。


「リッタちゃん、大丈夫よ。私もここで飼われて幸せだもの」


 張り詰めた空気を破ったのは、ダフネの隣にいる女性だった。初めに聞いた声と同じ音色をしていた。


「私はルイーゼ。ダフネの飼い人よ、五十番目の」

「五十番目……?」


 ええ、と彼女は優雅に頷いた。村にいた人と同じ、どこにでもいるような茶髪と茶目だったが、服装から身のこなしまでまるで違う。


「魔女はね、私たち人間よりもずっと長く生きるの。飼い人の方が先に死んでしまうから、たくさん飼い替えるのよ」

「わたくしはリッタが一人目!」


 リッタ以外の全員が、リッタを見て微笑んだ。奇妙な視線がまとわりつく。

 それってつまり、死ぬまでここにいろってこと?


「……牢獄」


 ニニーナにも聞こえないような声で、リッタは呟いた。しわくちゃの老婆になってからでは遅い、早くここを抜け出さなければ。そんな衝動に駆られた。


「さあ、冷めちゃう前に食べましょ」


 ルイーゼたちにも食事が来たようで、テーブルには四人分の朝食が並んでいた。


「リッタ、わたくしがごはんをいただくときのマナーを教えてあげるわ。グラスを持って、『祖なる大地』よ」


 リッタは見よう見まねで、グラスを手に取った。


「祖なる大地!」

「……祖なる大地」


 三人分の声と、一人分の呟き。リッタは従うふりをして、ここからの脱走を企てた。

 まずは、資金。それと、住む場所。あとは……。


「リッタちゃん、食べないの? 大丈夫よ、魔女と人間の食事はほとんど同じだから」


 ルイーズがにこやかにグラスを揺らした。グラスの中身は透明な液体で、スライスされた緑や黄色の柑橘類が浮いている。大きな声を出してしまったばかりに、リッタの喉は水分を欲していた。


「……仕方ない」


 恐る恐る飲むと、ライムのような爽やかさが枯れた喉を潤した。冷たい水を浴びたような清々しい味わい。リッタがドリンクに口をつけたのを見て、ニニーナが満足げに微笑む。


「味のついたお水よ。朝はいつもこれなの! 材料は確か、ライムとレモンと……」

「ローズマリー」

「え?」


 懐かしさを感じる、爽やかな味わい。間違いなくローズマリーだった。塞いでいたふたが開けられるように、リッタは記憶を駆け巡った。


「しかもこれはたぶん、生のローズマリー。あと、レモングラスも。それとペパーミント。……もしかして、別のミントも入ってるのかな」


 リッタはハッとした。思わず一人で喋ってしまっていた。グラスとにらめっこしていたリッタを、他の三人が唖然とした表情で見つめていた。


「……すごいわ、リッタ! 飲んだだけで材料がわかっちゃうのね!」


 ニニーナが目を輝かせた。すみれ色の瞳が宝石のように煌めく。ずいっと彼女の顔が目前に迫り、リッタは思わず目を逸らした。


「いや、大したことじゃ……」

「大したことあるね。その知識はどこから持ってきたんだい」


 ダフネが好奇の目でこちらに視線を向けた。知識といっても、特に勉強したわけではない。


「……お母さんが、薬屋だったから」


 村にいた頃のリッタは薬草のみならずたくさんの植物に囲まれて過ごしていて、日常に緑が絶えなかった。家にある本も――といっても、古い紙の集合体でしかなかったが、植物のことしか書かれていなかった。

 そんな日々が一転して、闇の象徴ともいえる魔女なんていうものの世界に迷い込んでしまった。黒と、すみれ色、たまにくすんだ金色。太陽や植物とはかけ離れた色ばかり。

ただ意外だったのが、今まさに目の前にある食事。

 緑色のパンケーキに、目玉焼きが乗っている。付け合わせには焼いた茄子と生トマト。リッタにとって、この屋敷には似つかわしくない彩りだった。


「ちなみに、パンケーキに入ってる野菜は何かわかる?」


 ルイーゼがフォークにトマトを刺しながらリッタに問うた。ぱっと見ただけでは、この緑色が何かはわからない。不意に褒められて調子が狂ったのか、リッタはルイーゼに促されるままパンケーキを頬張った。

 まろやかな風味の奥にある、ほのかな甘みと苦み。ふんわりとした生地と抜群に相性がいい。


「えっと……ほうれん草、かな……」


 リッタの答えに、ダフネが目を見開いた。


「合ってる……」


「リッタ、すごい、すごい! ごはんはメイドさんが作るから、わたくしたちですら食材をよくわかっていないのよ! リッタのいた町はお野菜が豊富だったのかしら」


 ニニーナの問いに、リッタは首を振った。彼女の村を訪れたことのあるダフネも怪訝な顔をしていた。


「いや、この子のいたとこはむしろ野菜なんてろくになかったね。海沿いだから塩が土の邪魔をするのさ。魚とか、ほんの少しの穀物しかないはず。新鮮な野菜なんて滅多にお目にかかれなかっただろ?」

「うん。野菜の本も家にあったからかな、なんとなく分かっただけ」


 ただのまぐれだよ、とリッタは茄子を口に運んだ。しかし、周りの様子はより一層そわそわし始めた。


「ド田舎出身なのに識字まで? ルイーゼ、本で見ただけで味まで読めるのが人間なのかい?」

「まさか! そんなのむしろ魔法の領分でしょう」

「ダフネおばさま、わたくし……!」

「あんたが言いたいことはわかるよ、ニニーナ。……やっぱりあたしは見る目がある」


 話が未だ読めずにいるリッタを置いてけぼりにしたまま、何かの話が進んでいる。ダフネがおもむろに立ち上がり、高らかに声を上げた。


「ニニーナ、リッタ! 出かけるよ、早くごはんを済ませてしまいな」

製品版は11月11日の文学フリマ東京37で頒布予定です。

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