7
──快晴。
まだ日が沈むには早い夏の空を、ヘリは突き進んで行く。
俺達は今、真柴兄の言う『別宅』へと向かう為、彼が用意した輸送ヘリに乗って移動していた。
朝吹き飛ばされた物と同じ機種だ。一体、何台持ってるんだ?
そんなどうでもいい事が頭を過ぎる。しかしこの移動手段を、まさか自分が利用する事になるとは、正直思いもしなかった為、複雑な気持ちでいっぱいだった。
所在無く、俺は窓から外を覗き込む。眼下に広がる景色は、何時しか青々と茂る山間へとその姿を変えていた。
「うむ、見えてきたぞ」
前の席に座っていた真柴兄が、フロントガラスを覗き込みつつ俺達に声をかける。その言葉に従い前方を見みると、山間に小さく建物が確認できた。
どこの大使館かと思わせる真新しい洋館は、まだ到着するまで距離があるというのに、目視でわかるほどの大きなものだった。聞けば今回の転校の為に、わざわざ一帯の土地を買い取り建てたそうだ。
さすがは金持ち…庶民の俺ではまったく理解のできない行動だ。そこに痺れも憧れもしはしないが。
……ホントだぞ? 憧れたりなんかしてないからな!
などと無駄な考えを馳せている間に、洋館の上空へとたどり着く。建物の屋上にはヘリポートが設けられており、ヘリはそこへと降り立った。
*
「「「「「お帰りなさいませ、ご主人様」」」」」
俺達を待ち構えていたのは、ズラリと立ち並ぶメイドさんご一行。彼女達は足並みを揃えるように、深々と頭を下げ迎えてくれた。もっとも当の主二人は、それにまったくの無反応だが。
毎日こんなお出迎えをされているからなのだろうか? 慣れきって空気といった感じだ。
この状況に委員長は勿論の事、相庭や小枝原も引いてしまっている。吉村は何時も通りだが…あ、首筋に冷汗発見。内心では焦りまくっているようだ。
それにしても、まさか本物のメイドさんから、この台詞を聞ける日が訪れようとはな。実に感慨深い。
「……時々、貴様のその図太さが羨ましく思うよ」
吉村は俺だけに聞こえるよう、小声で呟き苦笑いを浮かべた。
また心を読まれたか…馬鹿な事を考えるのは、この辺にしておこう。
そう思いながら、俺は視線を屋内に続く扉へと向ける。そこに見覚えのある人物がいる事に気がついた。
真柴兄はゆっくりと、その人物の方へと歩いてゆく。俺達も続くように彼の後を追い、目の前の相手…執事さんに軽く挨拶した。
「お帰りなさいませ、勇様、いさみ様。そして…ようこそいらっしゃいました、ご学友の皆様方」
彼は俺達に一礼し、そして更に言葉を続けた。
「それでは皆様、まずはお部屋の方へとご案内させていただきます。こちらの者が案内いたしますので、その後をお続きください」
彼が語り終わると同時に、後に控えていた八雲さんが、俺達に向かって会釈する。どうやら彼女が案内してくれるようだ。
「それでは皆さん、また後程……」
「また後でな、ミッちゃん」
双子はそう言い、先に建物の中へと消えていく。俺達も八雲さんに案内され、屋敷の中へと足を踏み入れた。
中はそこかしこに高そうな調度品の置かれた、それでいて嫌味を感じさせない、清楚な感じを与える廊下が続いていた。そんな建物内を学生服姿でウロウロするのは、場違いに思えて仕方がない。ただクラスメートの家にお邪魔してるだけの筈なのに、何か後ろめたい事をしているような、そんな気まずさを感じた。
どうやら皆同じ思いらしく、落ち着きなくキョロキョロしている。それを見て安心してしまう辺り、大概小市民だなと、俺は思わず苦笑いを浮かべた。
そうこうしている内に、俺達はそれぞれ部屋を割り当てられ中に案内される。おそらく来客用の寝室なのだろう。高級そうな家具やベッド…照明なんてシャンデリアですよ。どんだけ贅沢なんだ。
皆が怖じけづき、部屋に入るのを躊躇っていると、委員長が戸惑いながら、八雲さんにこう言った。
「あの…申し訳ありませんが、私達遅くならないうちに家に帰らせていただくので、このような部屋を用意なさらなくても──」
多分「結構です」と続いていたであろうその言葉は、まったく予想外の方向からの返事に遮られてしまった。
「失礼ながら、今から学校へと戻るだけでも、それなりの時間となりましょう」
「うわぁっ!」
俺達は思わず飛びのく。振り返ると、いつの間にか俺達の真後ろに、執事さんが立っていた。
何でこの人は毎回毎回、前触れもなく現れるのかな!
「おっ脅かさないでくださいよ、瀬葉須さん!」
俺は執事さんに抗議した。
頼むから、もっとまともに登場してください。
だが彼は小さく頭を下げ、
「これは…失礼しました」
と返すのみで終わる。
あ~、これは全然改める気ありませんね?
……いい性格してるよ、この人。
俺がそう思い呆れていると、横で様子を伺っていた委員長が、執事さんに懇願した。
「そんなに遅くなると言うのでしたら、今すぐ帰らせて貰えませんか? 家族に心配をかけるわけにもいかないですし」
そう言い彼女は目を伏せる。
確かに家へ連絡ぐらい、入れておいた方がいいかもしれない。もっとも、俺は一人暮らしだから関係ないけど。
しかし執事さんが返した返事は、俺らの予想の斜め上を行くものだった。
「ご自宅へはわたくしどもの方から、既に連絡を入れさせていただきました。外泊の許可も、既に取り次いでおります。ですので、本日はごゆるりとお寛ぎくださいませ」
そりゃまた…用意周到ですね。
最初から、拘束する気、満々だったわけですか。
言い回しはデスマス口調で、礼儀正しく聞こえるが最悪だ。
「退路は既に断たれた後ってわけね……」
俺が苦笑いを浮かべそう呟くと、委員長は黙り込んでしまった。
「はっはっはっ! まぁいいじゃねえか。折角だし、リゾート気分を満喫しようぜ!!」
「あ、それイイッ! 賛成♪」
腹の底から笑いそう提案をする小枝原に、相庭が同意だと手を上げる。場の雰囲気に畏縮していた二人だが、ようやく本調子に戻ってきたようだ。
そんな浮かれている二人に対し、吉村が釘を刺す。
「遊びにきたんじゃないんだぞ? 泊まり込む以上、寝付くまでコッテリ絞り上げてやるから、覚悟するんだな」
そう言い微笑む吉村の顔は、実に爽やかで逆に怖かった。俺ですらそう感じたんだから、矛先を向けられた二人はたまったもんじゃないだろう…二人は恐怖に震え上がっていた。
「……タカ、やり過ぎ」
圧倒的暴力的な笑顔を振り撒く幼なじみに、俺は小声で嗜めた。
*
「ヒャッホ~ィッ!♪」
奇声が上がった直後、目の前に広がる水面に水飛沫が立ち上る。俺は顔に降り注ぐそれを片手で遮りながら、声の主へと言葉をかけた。
「危ないだろ相庭。急に飛び込むなよ」
「大丈夫たよ~♪ それよりも、冷たくて気持ちいいよ~? ミッちゃんも一緒に泳ごうよ~♪」
そう言って、相庭は俺を手招きする。先程の吉村の脅しは、まったく効果なかったようだ。
俺達は今、屋敷の一角に設けられた、屋内プールへと来ていた。プールの広さは、学校の体育館が軽く二つは入るほどある。照明は煌々と照り、外の夕闇を退け、空調もよく効いており、山の中とは到底思えなかった。むしろ汗ばむぐらいだ。
そんな娯楽施設としか言えない場所に、俺達は集まりテーブルを囲んだわけだが…やはり目の前の誘惑に勝てなかったか、相庭はそうそうにプールへと飛び込んだ。
大体、ピンクのワンピース型の水着に、ビーチボールを抱えて登場した段階から、既に遊ぶ気だったのだろう。小枝原も似たようなもので、アロハシャツに短パン、何処から仕入れたのか、ウクレレなんかを手にしている。本来持って来なくてはいけない物は、何一つ持っていなかった。
「……あなた達ねぇ。せめてノートと筆記用具ぐらい持って来なさいよ!」
やる気の無さこれみよがしな二人に、とうとう委員長がキレてしまう。その彼女に向かって小枝原は、
「あ~無理。全部教室の机ん中だし」
と、いけしゃあしゃあと答えた。
……お前、何しに来たんだ?
呆れて言葉が出ない。
どうやら委員長や吉村も同じだったらしい。すると奴は反論がないのをいい事に、更にこう言葉を続けた。
「それに根を詰めても、逆効果って言うじゃないか。ちょっとぐらい息抜きしようぜ?」
ブチッ。
俺の耳に幻聴が聞こえる。その直後、委員長のヤクザキックが、見事小枝原の腹に叩き込まれた。
小枝原は呻きを上げ、何も出来ぬままプールへと突き落とされる。水柱が上がり暫くして、奴は慌てて水面に顔を出した。
「……ブハァッ! 岸辺お前、殺す気かっ!?」
「ウルサイ。…大体息抜き以前に、まだ始めてもいないでしょうが!!」
蹴り落とされた事に文句をたれる小枝原を、委員長は仁王立ちで見下ろし叱り付けた。
「何だよ…いいじゃねえか。せっかく真柴ん家のメイドさんが、水着用意してくれたってのに」
「そ~だ、そ~だ! それにハッちゃんだって水着きてるじゃない。人の事言えないんだぞ~♪」
不満を口にする小枝原に、相庭も同調し抗議した。
彼女の言うとおり、委員長も制服から、黒のホルタービキニにパンツのツーピースへと着替えていた。それに合わせて髪形も、背にかかる髪をただ無造作に縛っているだけの何時もとは違い、水着と同色のリボンでポニーテールにしている。
何か色っぽいな…うなじとか、うなじとか、うなじとか。
「そ、それは…場所が室内プールだと聞いてたし、制服を濡らすような事になったらいけないと思ったからよ」
相庭に服装を指摘された委員長は、恥じらいを見せつつ言葉を返した。言葉の最後に「ちょっと着てみたかったし」と小声で呟いていたが、どうもそっちが本音らしい。
それにしても委員長って、着やせするタイプだったのか。
露出度の上がったその格好により、彼女の恵まれたプロポーションが露となっている。胸はDはあるな。纏った薄布では隠す事のできない、張りのある豊満な果実に、俺は目を奪われた。
が、その視線に気づいた委員長に睨まれ、俺は慌てて目を反らす。今彼女に逆らうような事をすれば、小枝原の二の舞だ。こっちは着替えなんかせず制服で来てるから、突き落とされたらたまったもんじゃない。
……まぁ俺も一応、部屋で八雲さんに水着を勧められてはいたんだけどね。
しかし、彼女が手にしたソレは男物ではなく、レースをあしらった白いチューブトップビキニだった。「下はサポーターにパレオで隠せば大丈夫です!」と、目を血走らせ迫られた時はどうしようかと…身の危険とかそんな生易しいレベルじゃなかったぞ、本当に。
朝の彼女が洩らした呟きを聞いた時から、嫌な予感がしていたが…どうも彼女は『男の娘』『女装少年』もしくはそれ以上にヤバイ嗜好の持ち主らしい。
逃げ惑いながらその事を問いただしてみたら、「わたくし、ロリショタOKですから♪」とかほざく始末。
17の健全な男子捉まえてショタとか言うな! ロリは以ての外じゃ!!
──…教訓、『真柴家にまともな人間は居ない』。
結局、禅問答みたいなやり取りを繰り返し、何とか彼女を説き伏せた俺は、そのままの恰好でここに居る。
因みに吉村も制服のままだ。彼の性格を考えれば当然と言うか、もしかしたら俺が制服のまま来るとわかっていて、それに合わせてくれたのかも知れない。
……どうも話が逸脱し過ぎたな。
そう思い思考を切り替えようとした時、派手な水音が響く。どうやら委員長が、相庭と小枝原の手によって、プールに引きずり込まれたようだ。
「ちょっ! 何するのよ、小枝原君!!」
「否、今の俺は妖怪『小豆とぎ』なり!」
「いぐない~、いぐない~♪」
暴れる委員長を余所に、小枝原はそう言い豪快に笑う。後で調べて知ったのだが、小豆とぎには、小豆を洗う音につられて近寄ってきた人間を、川底へ引きずり込むという伝承があるらしい。河童でなくそっちをあげるとはまたマニアックな。
それと相庭、お前が口ずさんでるソレってヤバイから止めなさい。
まったく…二人ともそんな無駄知識、何処から仕入れてきたんだか。
水中で騒ぐ三人を呆れながら見つめていた俺は、傍にある椅子に腰を掛けため息を吐いた。
「……どうしたもんかな? この状況」
「知らん。しばらく好きなようにさせておけ。……なぁに、夜はまだまだ長いからな」
俺の言葉に吉村はそう答え、口の端を吊り上げた。どうやら夜通しどうこう言っていたのを実行する気のようだ。そう言えば、俺以外に言った事は必ず実行に移す奴だったな。例えどれだけ無茶な事でも。
そう思い、俺は相庭と小枝原の方を見る。
うん、一時の幸せを堪能したまえ…この後の地獄を今は忘れてな。
「まぁ、あっちはしばらく岸辺に任せておこう。それより双子も来たみたいだし、先に始めようか」
そう言って吉村は、顎で部屋の入り口を指す。見ると丁度、真柴兄妹が姿を現したところだった。
兄は黒のシャツにトランクス、薄手のパーカーを羽織ったラフな服装で、いさみさんの方は袖のない白のツーピースドレスと、場に合わせたらしく実に軽装だ。
「遅くなってすまないな」
真柴兄は俺のすぐ横に座り、遅れて来た事を謝罪する。それを見たいさみさんが、負けじと空いている反対の席に腰を下ろした。
……俺、ここでも両挟みにされるんですか?
「羊一さん、何か飲み物でも用意させましょうか?」
「えっと…そうだな……」
いさみさんに聞かれ、俺は少し思案する。
確かにここの空調は効き過ぎている。少し喉が渇いたところだったし、とりあえず何か頼んでみるか。
「……苺ミルクとかある? なんて──」
「お待たせいたしました」
俺がオーダーを述べると同時に、背後から執事さんが現れる。何となく予想はついていたが、心臓に悪いから止めて欲しい。
彼は片手に持つトレイから、漫才師の小道具のような、無駄にでかいグラスを取ると、俺の目の前に静かに置いた。そこに並々と注がれているのは、赤や白の果実酒ではなく、ピンクの不透明な液体で…その見た目の異様さに、俺は思わず仰け反ってしまった。
……紙パックで来ると思ってたのに、どう反応したらいいんだ?
お約束的に「ルネッサ~ンス♪」とか言って乾杯しろとでも言うのだろうか?
それはそれで、場が冷え暖房と相殺されて丁度いいかもしれないが、そんな役を任されるのだけは勘弁して欲しい。
俺は少し躊躇し、そして何事も無かったかのようにグラスに手を伸ばした。ここはクールに、華麗に、スルーするのが一番の選択だろう。
だが、俺の伸ばしたその手は、次の瞬間に固まってしまう。
その無駄に大きなグラスに両脇から、それぞれ二本ずつストローが差し込まれたからだ。
俺は冷汗を流し左右を確認する。俺を挟むように座っていた二人は、お互いを睨みつけ牽制しあっていた。
「……兄上、これはわたくしが羊一さんの為にと用意した物なのですよ?」
いさみさんは『自分が』という部分を、あえて強調して兄に言う。だが相手はそれを意に介さず言葉を返した。
「些細な事を気にするな。それよりもミッちゃん…早速一口、共に味わおうじゃないか」
驚きの白さを放つその歯を輝かせ、彼は一緒に飲もうと催促した。
……冗談じゃない。誰が好き好んで、野郎と同じグラスで牛乳飲まなきゃいけないんだ!
「だが断る。…ってか、欲しいなら自分のを用意しろよ!」
俺がそう言うと、いさみさんも身を乗り出してこう言った。
「羊一さんの言うとおりです、兄上! …さぁ羊一さん、兄など放って置いてご一緒に──」
「いや、いさみさんもですから」
俺は片手で彼女を制止した。
少し嬉しい提案ではあるが、さすがに小恥ずかしいから止めてくれ。
行動を制され戸惑う彼女を横目に、俺はストローを全て取り去り、特大グラスに口をつけた。
……お願いだから二人とも、物悲しそうにこっち見ないでください。
おかげで折角の飲み物も、全然堪能できません。
「……なぁ、それよりもいい加減、本題に入らないか?」
俺は疲弊した心を何とか奮い立たせ、今回の言いだしっぺに問いかける。すると彼は、
「そうだな…それでは!」
と言うや否や、着ていた上着を脱ぎ棄てプールサイドに立つ。そして振り返り、満面の笑みを浮かべ俺に手を差し伸べた。
「泳ごうか、ミッちゃん♪」
ブチッ。
またも幻聴が響く。
俺の放ったヤクザキックは、見事真柴兄の腹に叩き込まれた。