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朝の騒動こそあったものの、その後何事もなく4時間が過ぎ、後はHRを残すのみとなった。
今日も一日、何とか無事終了か……。
俺は安堵しながら机に突っ伏す。見るからにダレた姿勢のまま、担任の言葉を話し半分に聞き流していた。
「……あ~、来週から期末テストなわけなんだが、それについてひとつ言っておきたい事がある」
小野先生はそう言うと、珍しく真剣な表情を浮かべる。何時もと違う雰囲気にざわめく教室を見渡した後、漸く彼は口を開いた。
「次のテスト…勝て」
「「「「「何に!?」」」」」
言い放たれた彼の言葉に、俺達は口を揃えて聞き返した。
先生…主語抜けてるから。全然、話通じてませんから。
皆が皆、同じ事を思ってたかどうかはさておき、困惑するクラスの有様を見た先生は、面倒と言わんばかりの表情を浮かべ、頭を掻きながらこう答えた。
「実はなぁ…A組の高島先生と賭けをしてなぁ。次のテストのクラス平均点、負けた方が一ヶ月飯を奢るって」
悪びれる事もなく語られたその言葉に、一同渋い表情を浮かべ黙り込んだ。
……え~っと、確かA組って進学組連中をスシ詰めにした、突出した成績の奴は居ないが、平均点は学年トップを保持する秀才クラスだったよな?
んでもって高島先生って言うのは、うちの数学を務める美人で有名な先生だ。肩にかからない程度で切り揃えたショートカットの、ボンッキュッボンッなホルスタイン体型で、カッターシャツにジーンズ、そして何故か白衣という出で立ちが、その容姿を包み隠すどころか一際目立たせていると言うか何と言うか…目に毒でそれゆえに男子に人気がある。小野先生とは学生時分からの腐れ縁と言う奴らしく、仲が悪いというわけではないが、何らかの行事がある度に今回みたいな勝負を行っていた。
まったくこの人達は…俺らをダシに何やってんだよ。
一言いってやりたい気持ちになったが、今は黙っている事にした。わざわざ俺が矢面に立つような事をしなくても、きっと誰かが異議を申し立てる筈だ。
案の定、委員長がその役を買って出る。彼女はバンッと両手で机を叩くと、勢いよく立ち上がった。
「ふざけないでください先生! 生徒の成績で賭け事だなんて、不謹慎も度が過ぎます!!」
いかにも優等生な反論が飛ばされる。まぁ怒るのも当然なのだが。先生もわざわざ俺らに言わなけりゃ、こんな反感も買わないで済んだってのに。
そう思いながら、俺は小野先生の様子を伺う。彼は委員長の言葉にまったく堪えた様子も見せず、何時もの口調でこう述べた。
「いいじゃないの? ちょっとぐらいさ。それにテストで高得点取れば、俺もお前らもシアワセってわけなんだから、怒らない怒らない」
「そういう問題じゃありません!」
ごもっとも。先生もそれじゃ火に油だよ……
「はっはっはっ、まぁいいんでないの? ちょっとぐらいお遊び入れるぐらいさ」
「小枝原君は黙ってて!」
「はいはいクミちゃん! 内申なんて目に見えないものより、具体的なご褒美欲しいで~す♪」
そう言って手を振っているのは相庭だ。小枝原の一言を切っ掛けに、場の雰囲気はかなり賑やかなものになってしまった。こうなると、もはや委員長だけでは、場を制するのは不可能だろう。
……何時ものパターンです。ご愁傷様。
さて先生だが、先程の相庭の質問に対し少し悩んで見せる。そして何か思いついたかのように手を打ち鳴らした。
「じゃ、ちょっとしたゲームをしよう。因みに景品はコレな」
そういうと、彼は懐から見慣れない鍵を取り出した。いや…今見慣れないとか言ったけど、何か見覚えがあるぞ?
俺がそう思うのとほぼ同時に、隣で静観していたいさみさんが立ち上がる。驚きで見開かれたその瞳は、先生の持つ金属片に集中していた。
「先生、その鍵は!?」
「天城ん家の玄関の鍵。今から言うルールでトップのヤツに、これプレゼントだ」
いさみさんの問いに、先生はおどけながら答えた。
見た事あると思ったら、やっぱり俺の家の鍵かよ! しかも『新しい方』の!!
一体どうやって手に入れたんだ? そう思いつつ、俺は先生に一言いう為立ち上がろうとする。だがそれよりも先に、真柴兄が行動を起こした。
「小野教諭。失礼ながら、まずはそれの真贋を問わせていただきたい」
真剣そのものの表情で、彼はそう問いかけた。
もうマジです。
その目は獲物を狩る猛禽類の目です。
「あぁコレな。今朝、業者から送られてきたんだよ。知ってる奴も居るかもしれないが、俺って一応、天城の保護者だから」
そう言い先生は、鍵につけられた輪に指を通し、無造作にクルクルと回して見せる。普段放任しまくってる癖に、こんな時だけ保護者面ってどうよ?
ふと、俺は教室を包む空気が一変した事に気づき、思わず身じろいでしまう。
何なんだこの異様な殺気は?
死んだ親父が好きだった、元祖メタルヒーローのアレな感じがするんですが…何とか空間とか何とか時空みたいな。そして3倍に増幅されたのは、クラス全員のテンションらしく、
「「「「「ルール提示を求む!」」」」」
声を揃えてなに言ってんの!?
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 何なんですかこの流れ……」
「それじゃ説明するぞー」
俺の意見はスルーですか!?
こちらの言葉をさえぎり、小野先生は黒板に簡単な説明を書きながら語り始めた。
「ルールは比較的簡単にいこう。まずは今回の評価対象は、俺が受け持つ『物理』の点数とする。天城が取得した得点を基点とし、より多くの点差を取った者が勝者だ」
そう言い、まず柱となるルールを縦書きに黒板に書き込んだ。このルールはおそらく、相庭や脳味噌筋肉な小枝原のような、成績の低い人間に対する処置なのだろう。ただ得点順に上位を決めるのでは、勝敗は既に見えているからな。
先生は少し行間を空け、新たに補足事項を書き加えていく。
「まぁ見ればわかるとおり、点数が低くても勝ちがあるってルールだが、わざと間違えるのは反則な。白紙提出はもちろんの事、前回の中間試験の得点以下の点数をとった場合、特例を除き失格とする。例えわからなかったとしても、問題は必ず全部埋める事」
黒板に書かれた最後の言葉を、赤のチョークで丸く囲み強調した。先生も皆も、日頃の授業より真剣そのものだ。それってどうかと思うぞ?
彼は手についたチョークの粉を叩き、再び俺達の方を振り返る。そして、俺に向かってこう言った。
「因みに天城は次のテスト、70点以上取れよ~。でないと罰ゲームだからな」
「何で俺だけデメリットばっかりなんですか!?」
「ゲームをより面白くする為だ。いいじゃない、頑張れば取れなくはない点数なんだし」
と、先生は軽く言ってくれるが、70点は少しきついぞ。普段頑張って60点台なんですけど、更に10点上乗せですかい。
「だが断る…って言っても、聞いてくれないんでしょ!?」
俺がそう問いかけると、彼はしたり顔でこう答えた。
「当然当然」
「……こんのクソ親父」
「こんな時だけ親呼ばわりされてもねぇ」
俺の呟きに、彼は苦笑いを浮かべた。
あぁ駄目だ…なんでこんな状況になってるんだ? 誰か助け舟を出してくれ。委員長は…何かぶつぶつ言いながら、教科書広げて復習し始めてるし。いの一番に反論してくれると思ってたのに、やる気満々ですか? そんなキャラだったっけ? …今朝もそんな事思ったような。何コレ、デジャブ?
力無く俺はその目を吉村の方へ向ける。彼は彼で「こうなってはもう何をしても無駄」と言いたげに、肩を竦めてため息を吐いていた。
「さて、質問が無ければ以上だ。HRを終了する。決戦は来週、各自万全を期して当日に挑め! …以上、解散!!」
「「「「「サー! イエッサー!!」」」」」
先生の言葉に、皆は足並みをそろえ立ち上がる。そのまま、委員長の号令によって挨拶をし、HRは終了した。
……何の冗談だよ、この展開は。
俺は自分に突きつけられた、今の状況に頭を抱える。随分前から、うちのクラスは普通ではないなと思っていたが…今日のコレは今までの比ではなかった。
「……大体、俺ん家の鍵なんか貰ったって、嬉しくは無い筈だろ」
「さぁな。その辺りは各々の価値観によるものだから、何とも言えんが」
俺が思わず漏らした愚痴に、傍まで来ていた吉村が言葉を返す。不貞腐れながら顔だけを上げる俺に対して、彼は苦笑しこう続けた。
「どんな形にせよ、皆お前と親睦を深めたいと思っていたんだろう。普段目立たなくあろうとするあまり、周りに近寄りがたい雰囲気を与えていたからな」
「そうかなぁ? そんなつもりは俺には無いけれど」
確かに色々と詮索されたりするのは嫌だから、特別仲良くとかはあまりしていないのは確かだけど、それでもごく普通には、友達付き合いをしているつもりだ。別に他の皆を突き放している気はさらさら無いのだが。
「お前がそう思っていても、周りはそうじゃないんだろうな。それにお前はどう頑張っていても、結局目立つからな」
彼は最後の言葉を、特に強調してそう言った。
……俺が悪目立ちするのイヤだって知ってるくせに。
「……『どこかお節介で変わった方ばかり』。確かに今朝、羊一さんが言ったとおりですね」
隣の席で話を聞いていたいさみさんが、そう言い楽しそうに笑っている。自分でも確かにそう思う…だがこの状況をお節介の一言で片付けられたくは無かった。
俺は深くため息を吐く。そんな俺のすぐ横に、真柴兄は立ち俺に問いかけた。
「それよりミッちゃん。この後予定はあるかい?」
「だからその呼び名はやめてくれ…まぁ、帰って勉強をする以外、特に予定は無いけど」
「それならばどうだろう? 今から我が別宅で、勉強会を開くというのは」
彼の口から出た言葉は、予想外にもまともな提案だった。
「なに…わからない所があれば、私が手取り足取り教えてあげよう。私の実力は、既に知るところであろう?」
「抜け駆けは許しませんよ、兄上」
少し怪しい雰囲気を漂わせながら擦り寄ってくる兄に対し、いさみさんはそう言って立ち上がる。
「勉強会をというのであれば、わたくしも参加させていただきます。よろしいですね?」
「……駄目だといっても聞かんだろうに。折角二人きりになれると思ったのだがな」
渋々と言った感じに承諾を述べる真柴兄。その言葉に、彼女は「当然です」と言い微笑んだ。
「あ~♪ それならアタシも参加する~! ねぇ、いいでしょユウちゃん、いさみん?」
話を聞いていたらしく、相庭はそう言うと慌てて駆け寄ってくる。その後を続いて小枝原も歩いてきた。
「どうせやるなら皆でやった方が楽しいだろ?」
「小枝原殿の言い分もごもっともだ。お二人とも、ご招待しょう」
「やったぁ♪」
真柴兄がそう言うと、相庭は嬉しそうに飛び跳ねた。小枝原はガッツポーズをとり、首だけを前列の席にいる委員長の方に向け声をかけた。
「で、岸辺はどうする?」
「貴方が聞く事じゃないでしょう?」
「え~? ハッちゃん来ないのぉ?」
「行かないなんて言わないわよ。二人がハメをはずさないよう監視しなきゃならないし…真柴さん、ご迷惑でなければよろしいかしら?」
先程机の上に広げていた教材を片付け、委員長は席を立ち問いかける。双子は彼女に対し「もちろん」と快く承諾を返した。
「では以上の7名で勉強会を開く…それで異存は無いな?」
「……待て。それには既に俺も頭数に入っているのか?」
真柴兄の言葉に、今まで黙っていた吉村が問いかける。彼の言葉に俺を含む全員が振り返った。
……え、来てくれないの?
来てよ…タカが一緒に来てくれないと、少し不安の残るメンバーなんだから!
俺は席に座っまま、上目使いで相手を見つめた。彼は引きつった表情を浮かべ…暫くして諦めたかのようにため息を吐き、
「……わかったわかった。そんな目で見るな」
と言って肩を落とした。