5
朝食も終え、時間は少し早かったが…俺は登校すべく支度を済ませ玄関へと向かう。そして到着してそうそう、俺は首をうなだれた。
……あぁ、本当に扉変えられてるし。
取り替えられたそれは、見慣れた新聞受けは無く、小さく付けられた覗き窓とドアノブ、チェーンロックがあるだけのシンプルな物だった。
俺はドアノブを掴みつつ、後ろを振り返り声をかける。
「それじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃいませ、天城様」
そこには既に八雲さんが居り、笑顔で返事を返してくれた。
……家に誰か居て、送り迎えの挨拶をしあえるって良いもんだな。
他愛のない事に感動を抱きつつ、俺はドアノブに力を込める。その時、不可解な音が響いている事に気がついた。
ガチャガチャという独特な金属音。誰かが外から鍵を開けようとしているようだ。
俺はドアノブから手を離し、一歩後ろへと下がる。すぐに開かれるかと思った扉はそうはならず、しばらく意味の無い沈黙に包まれた。
一体、誰が何をしてるんだ?
そんな疑問を抱き、ふと覗き窓の存在を思い出す。俺は絶妙な高さに取り付けられた穴に、顔を近づけ外の様子を窺った。
魚眼レンズで歪められた表の光景…その中央に向かい合うよう映されていたのは、不機嫌な表情を浮かべるいさみさんの姿だった。
彼女は忌々しそうに、手に持つ金具を睨みつけている。よく見るとそれは、俺の良く知る玄関の鍵だった。
……よもや人ん家の合鍵を、勝手に作りやがりましたか?
家主に無断で何してくれてんだ、この人は。…おそらく突然上がり込んで、ギャルゲ宜しくなサプライズをと考えてたのかもしれない。けど現実でやられたら引くよ? 現に今朝、執事さんにやられて引いたよ?
まったく非常識な…そういった部分は、やはり『あの兄』の妹だな。まさか執事さんの『要らぬ世話』に、感謝する事となろうとは思ってもみなかった…もし扉を換えてなかったら、どうなっていた事やら。
俺は施錠されていた扉を開け、表の相手に怪我をさせぬようゆっくりと押し開いた。「ぁ」と小さく言葉を漏らし、彼女は後ろ手に組み慌ててあとずさる。僅かばかり表情を強張らせながら、彼女は俺に向かって挨拶をした。
「おっおはようございます。羊一さん」
「おはよう。…朝早くから、何の御用で?」
極力棘を含まないように、俺は口調を和らげ問いかける。彼女は目を泳がせながら、少し思案した後……
「その…ご一緒に登校していただければと……そう思いまして」
と、当たり障りの無い返事を返した。
思いつきで口走ったのではなく、おそらく予定として組み込まれてはいたんだろう。玄関先には『例のリムジン』が停められている。ただ、先程行おうとしていた事が後ろめたいのか、言葉に歯切れがない。バツが悪くなるくらいなら、冒険なんかしなきゃいいのに。
悪さがばれないかと怯える子供のように、彼女はそわそわしながら俺の返事を待つ。俺は苦笑を面に出さないよう、耐えつつ彼女にこう答えた。
「いいよ。ただし、学校まで大した距離じゃないし、目立つから徒歩で行こう」
その条件でなら了承するという俺の申し出に、彼女は笑顔で答えた。
通学路を行く合間、会話無く歩くのはあまりにもと感じ、俺は当たり障りのない質問を相手に投げかけた。
「……で、あれからもう三日になるけど、学校の方はもう慣れた?」
「はい、おかげさまで。皆様にも良くして頂いております」
そう言い彼女は屈託の無い笑みを浮かべる。…まぁ彼女ぐらい可愛ければ、良くしない野郎なんて居ないだろう。それに何だかんだで、同姓からも好かれているらしく、少なくても俺の耳に悪い話は入ってこない。
これが上に立つ者の人徳ってやつなのかな?
「……ま、うちのクラスの連中は、どこかお節介で変わった奴ばかりだからな」
これも事実だと自分で言いながらつくづく思う。他のクラスじゃうちほど、この環境の変化に順応できてはいないだろう。良いか悪いかは置いといて、そういった意味で彼女達は救われていると思った。
「ご学友をそのように言われるのは、どうかと思いますよ?」
俺の言葉を聞き、彼女はクスクスと笑いつつ窘める。けどその言葉に説得力はないですよ? 自分もそう思うところがあるって言ってるようなものだ。
「俺は事実を簡素に述べてるだけだけどねぇ……おっ?」
相手が共感を得ている事を良い事に、俺は更に言葉を続けて…ふと、目の前に見知った人物が歩いている事に気がついた。
どうやらいさみさんも気がついたらしい。どちらからと言わずその歩調を早め、前を行く相手に近づき声をかけた。
「よぅ、吉村」
「おはようございます。吉村さん」
「……天城に…真柴?」
振り返り俺達を見た彼は、驚いたように声を上げる。だがそれも一瞬の事。
「二人ともおはよう。…朝から彼女同伴とは、夏なのに春到来といった感じか?」
と、薄っぺらい笑みを顔に張り付け、俺らを冷やかした。
「今日はたまたまだ。からかうんじゃないやい」
「そんな釘宮似ボイスで否定しても、萌えるだけだぞ~?」
「萌えとか言うな…ってウワ!」
予想外の方向からの言葉に、俺は思わず飛びのいてしまう。振り返ると、そこには俺の有様を見て楽しそうに笑う、相庭の姿があった。
「ぐっも~にんぐ、みなのしゅ~♪」
「おはようございます、焔さん」
「お、おぅ」
「おはよう相庭。…珍しいな。貴様がこんな早い時間に姿を見せるなんて」
相変わらずの間延びした挨拶に、俺達は返事を返した。吉村に関しては、嫌味をたっぷりサービスして。
「爽やかにさりげなく、ひどいぞ~!」
「事実だろう?」
「そうだけどね♪」
アッサリ認めるし。そこって満面の笑みで返す所か?
「それよりも~、いさみん抜け駆け禁止なんだぞ~!♪」
そう言うや否や、相庭は俺といさみさんの間に割って入って来る。そしてこう言葉を付け足した。
「ミッちゃんは、みんなの共有財産なんだから♪」
「……ハァ? 何だよソレ」
そんな話、初耳だぞ?
今の相庭の言葉に怪訝な表情を浮かべる。それを見た相庭は、憐れむような何とも言えない目で俺を見つめ返した。
「……いろんな意味で、まったく残念だよ」
「何をぅ!」
「気にする天城。相庭はただ反応を面白がっているだけだ」
それが一番タチが悪いんですよ朋友。ってか吉村、その薄っぺらい笑いを止めてくれ。お前も面白がってるだろ!?
「なるほど、今世でも思わぬ障害があるようですね…しかし真柴に生を受けし者、如何なる困難に晒されようとも、ただ正道を以って勝利を掴むのみ」
いさみさんも、何を覚悟完了しちゃってるんですか? キャラ違っちゃってますよ? 横顔、男前過ぎます。惚れ惚れする程に。
俺をダシに、三人とも妙な意志疎通をしているようだけど…そこからモロ榧の外に追いやられているって感じで、物悲しいんですが。
まったく遺憾です。けどあえてその思いを口にはせず、その代わり顔に「俺、不満です」と書いてみる。
「まぁ、立ち話もこの辺にして、そろそろ行こうか」
いち早くそれに気付いた吉村が、そう言いこの話題を終わらせた。
学校へ向かう為、再び歩きだそうとした時、後に続く女子二人が、何か小声で語るのが聞こえてくる。
「……因みに、焔さんはどうなのですか?」
「アタシは中立だよ~♪ 昔も今も…ね」
何を意味して言ったのかは知らないが、俺は深く考えず、その言葉を聞き流した。
歩きながら、俺達は新たに共有できる話題を持ち出し語り合う。
今日は土曜日…授業は午前中までだし、その後どうするのかというのから始まり、明日の予定は空いてるのか? とか、まぁ和気藹々と。だがその話題を吉村に振った際に、俺達は…正しくは俺と相庭の二人だけだが、知りたくも無い現実を叩きつけられた。
「遊び呆けるのも別にいいが、来週から期末だろ?」
「げっ……」
「忘レテタァ……」
ここ数日、あまりに目まぐるしかった為、学生の本分たる年間行事の存在を、完全に失念していた。
と言うか、朝からド忘れが酷すぎる…シッカリしろよ俺。
正直、俺の記憶力は良くも無く悪くも無くな筈だ。学校の成績も並ぐらい。いたって平凡。まぁだからこそ、試験前にテスト範囲を要領良く復習しておかないと、当日の結果に大きく反映されてしまう。
──こりゃ、この土日はテスト勉強で潰れるな。
塗り替えられた予定を頭で描き、俺は力無く肩を落とす。ふと横目で相庭の方を見ると、顔面蒼白にして固まっていた。
「ド~シヨウ、今度赤点とったら…お母さんに殺サレル……」
全身を震わせて涙目を見せる姿は、まるで天敵を前にした小動物のようだ。
「覚悟を決めるか悪足掻きするか…まぁ、テスト勉強を真面目にするって言うのであれば、今回は付き合ってやるよ」
相庭の姿にいたたまれなくなったのだろうか、吉村はため息を吐きそう言った。その途端、丸くなっていた相庭の背筋がビシッと伸びる。
今一瞬、ネコ耳がピンと立つ幻覚が見えた。…いや、有ったら可愛いかなぁとか思うけど。
「ホントに? ホントに!?」
大事な事らしく二度言いました。
「やる気があるならな」
「やったぁ~っ♪」
やれやれといった感じに眼鏡を正す吉村とは対照的に、飛び跳ね全身で喜びを表す相庭。そのやり取りを生暖かく見ていた俺だが、ふと思い吉村に問いかけた。
「……しかしまた珍しいな。お前が他人の勉強を見るなんて」
普段のこいつなら、「日頃怠けているからだ」と軽く突っぱねる筈だが、今回に限ってどういう風の吹き回しなのだろう?
「なに、今回は少し気を入れて挑もうと思ってな。他人に教えると言うのは、習うよりも身につく事が多い…だから引き受けると言っている」
そう俺に対し答えながら…しかしその視線は、俺ではなくいさみさんへと向けられていた。
なるほどね。確かにいさみさんも変態兄貴も、とてつもなく頭が良いからな。
「学年主席を張る吉村先生としては、意識しない方が無理って事か?」
俺は先程の仕返しと言わんばかりに、口の端を吊り上げからかってみる。しかし相手の反応はいたって淡白で、
「そんなものに執着はない…だが、簡単に譲るほどお人好しでもないのでね」
と、余裕の笑みを浮かべて答えた。
そのやり取りを今まで黙して聞いていたいさみさんだったが、不意に今まで見せた事もない、挑発的ともいえる笑みを浮かべこう呟いた。
「競い高め合うというなら望むところです。お互いに頑張りましょう」
この三日でわかった事だが、いさみさんって、物腰や口調は柔らかいが、意外と好戦的というか…負けず嫌いなところがあるみたいだ。そして何よりも、兄以外の同世代と、こうやって競い合う事を楽しんでる。もっとも、この双子に対抗できる生徒なんてそうそう居ない。うちのクラスだけであげるなら、学力方面では吉村と委員長、運動面では小枝原と相庭ぐらいだ。
えっ? 俺はどうかって?
問題外です。俺、凡人だし。
吉村といさみさんは、俺らの手の届かないところでその火花を散らす。まぁ何だ、どっちも頑張れ…と、無責任極まりない応援をしながら、俺達は校門をくぐった。
バラバラバラバラ……
あぁ何だろう。つい数日前にも聞いた覚えがあるな…この独特な空気を切り裂く音。
そう思いながら頭上を見上げると、そこには予想通り、こちらへと向かうヘリの姿があった。
「……急用があり遠出すると聞いていましたが、まさか出先からヘリを利用して来るだなんて」
兄の所業に苦笑いを浮かべるいさみさん。周りの動揺を引き起こしているのが、身内である事に嫌な物を感じているらしい。
うん、実に良い傾向だ。
「まったく…休まず登校するってのはいいと思うけど、周りの迷惑考えろよな……」
軽く上空を旋回した後、グラウンドに着陸を試みようとしているヘリの事を見上げながら、俺はため息を吐く。それに相庭が相槌を打ち、
「氏ねばいいのに♪」
と囁いた。
もちろん俺も同意だ。その胸を首を立てに頷く事で表す。
……それがまずかった。
「瀬葉須」
「はっ」
おもむろに、いさみさんは執事さんを呼び出す。何時もと変わらず突然現れる彼だが、今回その肩には見慣れぬ物を提げての登場だった。
全長70cm程の鉄製の長方体…彼はその物体の両先端に取り付けられていた蓋らしき物を開き、更に側面部分から何らかの部品を展開させる。そして開いた蓋の片方から見える取っ手を掴み、金属部品…四つの鈍い光を放つ円柱を引き出すと、軽々とそれを肩に担いだ。
なんかコレ、見覚えあるぞ? 映画とかゲームとか。
……………。
「『ヴァリアント M202A1 FLASH』!!」
「いや、正式名称はいいから! つまりベタなロケットランチャーだよなアレ!?」
俺がそう叫ぶと、相庭は「ピンポ~ン♪」と答える。俺達がそうこうしている内に、その金属の塊は、咆哮を上げ暴力を吐き出した。
ドグァッ!!
横腹に大きく風穴が開き、ヘリは力無く地面に叩きつけられる。映画のような派手な爆発ではないが、それは火を噴き燃え上がった。
……………。
「………燃えてる…な」
「あぁ、何処からどう見ても炎上しているな……」
呆然とする。その横に立つ吉村も、同じ気持ちと相槌を打つ。そんな俺らを余所にいさみさんは、平然と執事さんに指示を出した。
「では何時も通り、後始末を」
「畏まりました、いさみ様」
ちょっと、何時も通りって……
「アンタん家じゃ、日常茶飯事だってのか!? この騒ぎが!」
俺は思わず、いさみさんに向かってそう叫ぶ。すると彼女は疲れたように肩を落とし、
「えぇ…この程度では、いっこも懲りない人ですから……」
と、ため息混じりに呟いた。
「……いや、アレで生きてたら、既に人類と認めないぞ、俺は」
「失礼ながら、あれしきでどうなるような教育を、わたくしは行っておりません」
目の前の惨状を指差す俺に対し、彼女の代わりに執事さんが答える。
そうか、あんたがアレを育てたのか。正直言って色々間違えすぎてるだろ!
「大体、先日迫り来る白球に対して身を挺して守っていたくせに、こと自分が手を上げる時は手加減無用だな、アンタ」
「この度は徹甲弾を使用しております。ご安心くださいませ」
「そのセリフの何処で安心しろって言うんだよ!!」
彼の追い討ちをかけるような言葉に、俺は声を荒げ食って掛かる。その横で相庭が「本来、焼夷ロケット弾って言うのを使用すんだよ~。簡単に言えば、爆発する火炎放射器って感じ?♪」とか説明しているが、そんな無駄知識は要らねぇ。
そうやって俺が目くじらを立てているのを余所に、執事さんは懐から懐中時計を取り出し時間を確認する。そして俺らの方を向きなおし、頭を下げこう言った。
「思わぬ事に時間をとられ、予鈴まで残り僅かとなっております。…お早めに、教室へと向かわれるがよろしいかと」
「わかりました。…それでは皆さん、行きましょう」
執事さんの言葉に、いさみさんはそう答え歩き出す。俺達はどうするか思案するも…どうしようもないので、消火活動が行われている現場を横目に、校舎へと入っていった。
*
「やぁおはようミッちゃん。今日も実に快晴だ」
……俺が教室に姿を見せるや否や、奴は何事も無かったかのように、笑顔で俺を迎え入れた。