18
7月も既に暮れ。
朝早いというのにも関わらず、蝉の鳴き声が響き渡り、夏の暑さを助長させている。
そんな劣悪な環境のグラウンドにて、今学期の終業式は、つつがなく執り行われていた。
まずは進行役である、生活指導の防人先生のスピーチから始まり、続けて定番とも言える、校長の長くありがたい演説に、
「わしが柏木高校校長、小枝原嶺山である!」
……ならない。
うちの校長、どこぞの塾長かと言いたくなる程に、バッサリ挨拶だけで終わらせてくれるのだ。
その苗字から察する方も居るかもしれないが、この校長…小枝原の祖父である。奴に似た…いや、奴が似たが正しいのだろうが、竹を割った中身のような、実に快活な好々爺で、それ故に生徒のウケも実に良い。
校長は俺達の顔を見渡すと、満足と言わんばかりに二度頷き、威風堂々と姿を消した。
何時もの光景である。
まぁ、校長がアレなもんだから、続く教頭の説教は、必然的に長ったらしくなるわけで、この炎天下に、体調を崩す生徒もチラホラと現れる。具体的な例を挙げるなら、ただいま吉村が、保健室に運ばれて行きました。
何時もの光景である。
「──…よって諸君等には、柏木高校に通う者として、恥ずべき事なき節度ある行動を旨に、この休みを有意義に過ごす事を願うばかりであります」
……どうやら馬鹿な事を考えているうちに、話も終わったようだ。
見上げると、空は透き通る青に、白く入道雲が僅かにかかる。そして、焼き尽くさんかのように照らされる、眩しい…太陽。
──そう、正しく『夏』。
そう言わしめるかのような、実に良い天気だった。
*
「では、諸君等に改めて問う…夏と言えば?」
「海〜〜っ!♪」
「……山」
議長ヨロシクな感じで問い掛ける真柴兄に、意気揚々と答える相庭。ささやかな抵抗とばかりに呟いた俺の一言は、ガン無視スルーかそうですか……
泣くぞこん畜生。
そう思いつつ、俺は二人を睨みつける。しかし、真柴兄ならいざしらず、相庭がその程度で怯むわけがない。その証拠に、まったく平然とした態度で、いさみさんや委員長を捕まえ「明日にでも水着買いに行こう♪」と相談しはじめた。
「……言っておくぞ。俺は海には行かないからな?」
和気藹々と語る集団に向かって、俺はハッキリと決意を表明する。
大体、海イベントなら既に終了しているからな…最悪な形で。
すると、俺の発言に対し、相庭はピシャリと鞭打つように、すぐさま言葉を返してきた。
「ダメです。却下です。許されないよですよ、その意見は♪」
「そこまで否定的とか…いくらなんでも、そりゃないんじゃないか!?」
相手のペースに乗せられているとわかりつつも、俺はそう抗議する。すると、相庭は頬を膨らませ、その本心を吐露した。
「だって…ミッちゃんの水着姿、生で見たいんだもん!」
「相庭君の言う通りだ!」
彼女の言葉に同調して、叫ぶ馬鹿が一名…誰かは言わずもがな。
ふと見ると、そんな馬鹿げた姿を曝す実兄と級友に向かって、勝ち誇ったように微笑むいさみさんの姿が。それに気が付いた二人は、悔しそうに相手を睨みつけた。
だがそんなもの、まったく堪える筈はなく、
「本当に…残念ですわね、お二人共。あの扇情的ともいえる魅力は、生で見なければ伝わりませんもの……」
と、逆に優越感に満ちた慰めの言葉を、負け犬共に浴びせるのだった。
……扇情的とか、どう言う意味さ。
「というか、もう一度見たいです! 行きましょう、海!!」
そしてアンタも海派か!
両腕を突き、身を乗り出して懇願するいさみさん。撓わな実りを強調するその仕種は、それこそ『扇情』の二文字が相応しく、目のやり場を失った。
「ホント『美少女』って感じだものね…女である事、自信無くしちゃうわ」
等と、俺達のやり取りの横で、苦笑いを浮かべる委員長。その手には、いつぞやの写メを表示した携帯が握られていた。
「……幼くも女性でもない事を、忘れないでください」
ため息を吐きながら携帯を見つめる委員長に、俺は肩を落して呟いた。
俺、来月18才になるんですよ?
そんな野郎をつかまえて、その形容詞は勘弁してください。
思わずため息を漏らす。そして、傍らで寛ぐ朋友に向かい、つい愚痴をこぼした。
「なぁ…ここってフランチャイズだよな? 何でこんなにアウェー感バリバリ漂ってるんだ?」
「知らん。大体、皆を上げた段階で、こうなる事はわかりきっていた筈だろう?」
俺の言葉に吉村は、呆れて見せながらそう答える。俺は改めて周りを見渡し、再び大きくため息を吐いた。
さて、改めてこの場を説明しよう。
今、皆して寛いでいるこの場所は、俺の家のリビングだ。
何故、皆が俺の家に来ているかというと、終業式の後、高校生最後の夏休みをどう過ごすかという話になり、
「それならもっと、落ち着いたところで計画を立てないか? 喫茶店とか、カラオケとか……」
と、何気に俺が呟いた、この一言が不味かった。
「はっはっはっ! 言っておくが、俺の財布は既に死んでるぜ!!」
「計画性も無く、無駄遣いするからでしょう? それに通学中、飲食店へ寄り道するのはどうかと思うわ」
大威張りで金欠を訴える小枝原に、委員長のテンプレ回答。それらを聞いた相庭が、我、妙案有りとしたり顔で、
「だったら、ミッちゃんちですればいいんじゃない? 言いだしっぺの法則~♪」
等と、小学生かと言いたくなる事を持ち出した。
その発言に、面白いぐらい食いついてきたのは真柴兄妹。
「それはいい! 是非ともそうしようではないか!!」
「皆様…それでよろしいでしょうか?」
「よろしくありま──」
「「「「異議なし」」」」
反論を言い切る前に、皆に押し切られてしまった。
と言うか吉村~、お前まで賛成するなよ……
「円滑に事を進めたいだけだ。それに、友人を招くぐらい、問題ないだろう? あの家なら」
「……確かにそうだけどさ」
吉村の言うとおり、うちならこの人数が押しかけてきても、何の問題もない。
なんせ親が残した一戸建てに、一人暮らししてるんだからな。数人なら、泊める事だってできるわけだし。
それなのに、渋って他の場所をと言い出すのは、無駄にしか思えないんだろう。吉村の顔は「見られて困るものは隠しておけばいいだろう?」と言いたげであった。
「……わかったよ」
俺は渋々承諾を述べる。それに対し、皆はそれぞれ喜びを表した。
小枝原と相庭なんて、ハイタッチかましてるし…なんか憎たらしい。
まぁ…許可したんだから、今更前言撤回なんてしないが。
男に二言は無いんだぜ!
等ど虚勢をはりながら、俺は皆を家へと案内した。
家に着いた時の皆の反応は、結構面白いものがあったな。
吉村やいさみさんは、今日が初めてじゃないからそうでもなかったが、相庭、小枝原、委員長は、俺の家を見てあからさまに驚いていた。
「うは~、でけぇな…うちのじっちゃん家ぐらいあるんじゃねぇか?」
小枝原は家を見上げながら、開口一番にそう呟く。
確かに俺の家は、この辺りでも大きい部類に入るだろう。
庭付き二階建て…その庭も、手入れにひと手間以上かかるぐらい広い。蔵と称してもいいような、大きな納屋があって尚、それだけのスペースがあるぐらいに。
家そのものも大きく、本畳十二畳はあるだろうリビングや、対面式システムキッチン、手足を十分伸ばして有り余るぐらい大きなシステムバスとか、かなり金のかかった代物ばかりだ。
「天城君のご両親って、どんな仕事をなさってたのかしら……」
素朴な疑問だったのだろう。委員長の口から、そんな言葉がこぼれる。だがすぐに、
「あっ…ごめんなさい……」
と、言葉を濁した。
俺の両親が他界しているのは、周知の事実だ。それに対して気を使ってくれたんだろう。
別に気にしていないんだがな。
「親父、考古学者ってやつだったんだよ」
俺は委員長の問いにそう答える。すると待っていたかのように、相庭がこんな質問をしてきた。
「考古学って、儲かるのかい?♪」
……こやつ、やはりアレの愛読者か?
真っ先にそんな疑惑が浮上するものの、ここはあえてスルーする。そして、聞かれた質問にこう答えた。
「知らん。まぁ、生活に困らないぐらいは稼げてたみたいだぞ?」
亡くなった今でも、十分な蓄えを残してくれている。だからこそ、今までと変わらない生活を送れているのだが。
「まぁ何だ。何時までも立ち話してないで、上がってくれ」
俺はそう言い、皆を玄関へと招く。開けられた入口には、八雲さんが既に控えていた。
「お帰りなさいませ、天城様。皆様、いらっしゃいませ」
一礼し、彼女は俺達を迎え入れる。
こうしていると、実に教育の行き届いた、メイドの鏡って感じなんだけどなぁ…日頃の行いで、見事に好感度相殺です。
等と馬鹿げた事を考えていた俺の横を、小枝原が勢いよく駆け抜ける。そして皆を先導する為か、力強くこう言い放った。
「よぉーっし、早速家捜しだ! 天城の部屋行って、エロ本探す──」
ゴキュンッ。
「ぞゥ!!」
振り向きざまにのたまう愚か者の首筋に、俺の回し蹴りが綺麗に突き刺さる。奴は断末魔とともに、その場に崩れ落ちた。
「まぁ、お約束だね♪」
「だな」
「全く、この馬鹿は……」
その様子を見て、そう吐き捨てる相庭と吉村。委員長はこめかみを抑え呆れてはいるものの、今のやり取りに全く動じてはいない。真柴兄妹も、苦笑いを浮かべるだけだった。
だって『小枝原』だから。
それが俺達の共通認識だ!
……実に酷い話である。
しかし、当の本人は堪えてないというか、全く気にしていない様だし…別に良いよね?
なんて失礼な事を考えていると、それまで無言のまま成り行きを見守っていた八雲さんが、小さく微笑み囁いた。
「そのような真似を為さらずとも、大丈夫でしたのに。天城様の秘蔵の裏本でしたら、皆様が来られる前に、ちゃんと隠しておきました。愛読されている巨乳ナース物辺りなど、特に厳重に」
……あぁ、そうですか。
「後、天城様がお作りになったテディーベア等も、片付けておきました」
それはまた、気が利いていますね…今ここで、ばらしさえしなければ!
何で言っちゃうかな! 何で言っちゃうかなぁっ!!
はっきり言って、皆に丸聞こえです! 俺の趣味、ばれちゃったじゃないか!
女の子だっているんだぞ? 寧ろ馬鹿が一人死んだ事で、女性の比率の方が高いっていうのに!
見ろっ! 皆、白い目で見てるじゃないか!!
少女趣味なエロ魔人とか、どう言うキャラ付けなんだよとか思ってるんだ、きっとっ!
ヤメテ~~~~ッ! そんな目で見ないでぇ~~~っ!!
俺は頭を抱え、皆の視線から逃れるように背を向ける。するとその俺の肩を、八雲さんが優しく叩いた。
「羞恥に悶える天城様も、素敵ですわ♪」
『キラッ♪』じゃねぇ!
ホント素敵に綺麗な歯並びですね…もし女性じゃなかったら、バッキバキに折ってますよホント!!
……とりあえず、これ以上何かされない為に、俺は小枝原と八雲さんを、その場でふん縛っておく事にした。
「とにかく、二階に上がるのは禁止! ただ話し合うだけなんだから、リビングで十分です!!」
「はいはい…元からそのつもりだから、そう怒るな」
興奮する俺を、吉村はそうあやす。勝手知ったるといった感じに、彼は皆をリビングへと案内していった。
──…でだ、リビングに集まった直後、冒頭に戻るってわけだ。
以上、回想終わり。
「現実逃避は済んだかね?♪」
今まで黙して俺の様子を窺っていた相庭が、茶請けのドラ焼きを頬張り問い掛けてくる。
なんで皆して、読心をデフォルトで習得してるのかと思いつつ、俺は「おかげさまで」と素っ気なく返した。
「では次の議題へと移る。今夏において、ミッちゃんの私服を如何にするか!」
先の決も定めぬまま、真柴兄は話を進めていく。
というか、何だその議題は! 俺が何着ようと勝手だろう!?
そう、俺が文句をつけるよりも早く、女性陣は口々に、意見を出しはじめた。
「ゴスロリ!♪」
「やはり、清楚な2ピースがよろしいかと」
「ポロシャツにジャンパースカートっていうのも、ありかもね」
──…何故女装?
「確かにそれらも実に良かろう…だが、近々行われるという花火大会。その時は浴衣! それは譲れん!!」
女性陣の意見の後に、そのような妄想をぶちまける真柴兄。
まあ確かに、祭に浴衣というのも良いだろう。当然、男物だが。
そんな周りの意見を求めておきながら、実に唯我独尊な奴の言葉に、委員長はこう呟いた。
「そういえば、8月の頭に隣町でやるんだったわね…花火大会」
彼女は携帯のスケジュール帳を開き、その日程を確認する。再来週の末に、それは行われると言葉を付け足した。
それを聞き、そういえば毎年この時期にやっていたなと思い出す。そして、久しくその祭に参加していないなとも。
最後に行ったのは、小4の頃だっただろうか?
隣町にある丘の、俺が特に気に入っている場所で花火を見ようとして…そうだ、そこで俺は、引越しして来て間もない、タカと出会ったんだっけ。
そんな、幼い頃の思い出を胸に、俺は幼なじみの方を見る。相変わらずの鉄面皮ではあったが、その胸中は同じの様だ。それぐらい、わからないような付き合いではない。
「……そうだな。良いかもしれないな」
俺は、花火大会へ参加する事に、肯定の意を述べる。それに対して一同、口を揃えてこう言った。
「「「「「振袖が?」」」」」
「黙れやソコ」
浴衣ですら無くなってるじゃないか! 誰が着るか!!
そんな感じに、俺が皆にからかわれていた…ちょうどその時である。
「……お〜い、楽しんでるところ何だけど、そろそろ下ろしてくれ〜〜っ」
間抜けな悲鳴が耳に届いた。
俺達はその言葉に、いっせいに振り返る。開け放たれた雨戸の先には庭があり、そこに植えられた木に逆さ吊りにされた、小枝原と八雲さんの姿があった。
……いや、吊したの俺だけどね。
ロープの提供、相庭でお贈りいたします。
足首だけをガッチリ縛った状態な為、小枝原はともかく、八雲さんはかなり辛そうだ…スカート的な意味で。めくれないようにと必死に、両手で押さえている姿を見て、Mでも人並みに羞恥心があるのだなと、俺は妙な所で感心を抱いた。
なんて事を思いながら、俺は庭に出て不埒者共の傍へと歩み寄る。俺が鼻先まで来ると、彼等は口々に訴えてきた。
「ちょっとした冗談だろ〜? もう許してくれよ〜…」
「そろそろ押さえている手の血の気が引いて…キツイです……」
本当に懲りたといった感じの小枝原に、何処となく嬉しそうな八雲さん。どうも彼女の方は、変なスイッチが入ってしまってるようだ。
そんな相手に向かって、俺はわざとらしく首を横に振り、
「ダーメ。もう暫く、そのままで反省してろ」
と言った後、八雲さんを一瞥して呟いた。
「それにしても、咄嗟にスカートをシッカリと押さえるとか…そういった恥じらい、あったんですね」
およそ失礼の極みとも言える、そんな俺の独り言。だが、彼女はそれを聞き逃す事なく、真剣な面持ちで返事した。
「穿いてませんので」
前言撤回。
「穿いてください」
「お断りいたします」
キリッと真顔で否定されました。
ダメだ…もう色々と駄目だこの人。
俺はその場で立ちくらみを起こした。
*
その後、渋々ながら、俺は二人を解放する。かなり長い時間、逆さ吊りにされていた二人は、足元覚束ずといった感じに、フラフラとリビングに上がって来た。
俺はそんな小枝原を捕まえ、
「ところで、お前は夏休み、皆と何処行きたいとか要望は?」
と、始めに為されていた議題を問い掛ける。すると奴は、実に爽やかな笑顔でこう答えた。
「そりゃお前、山に決まってんじゃないか」
おぉっ!?
ここに来て、漸く同意見の人間が現れやがりましたよ!
小枝原の言葉に気を良くする俺。しかし、次に聞かされた言葉に、その思いは複雑な物へと変えられてしまった。
「なんせ一ヶ月も休みが有るんだからな! これはもう、修行するしかあるまい!!」
うん、まぁ…それで山『篭もり』ってわけですね。
て言うか、ついこの間も、似たような事聞いた気がします。
……こんの脳筋がっ!!
頭の先から尻尾のギリギリまで、バッチリ詰まりやがってからに…もし鯛焼きに生まれてたら、喜ばれてたかも知れないな!
いや、ミッチリ皮で具がひとつまみかも?
寧ろそっちの方がありえる…どの道、最低だ。
「……お前なんかに聞いた俺が馬鹿だった」
意気消沈。
そんな俺の姿に「何か変な事言ったか?」と、首を傾げる小枝原。そして、そんな俺らと、吉村を除いた他のメンバーは、夏休みの計画という名の俺弄りを再開し始めた。その輪には、八雲さんもちゃっかり混ざっている。それこそ水を得た魚と言った感じに、俺の女装云々に対して、意欲的に発言を述べていた。
もう勝手にしてくれ……
もはや止める気力も無くなった俺は、傍にあった一人掛けのソファーに身を投げ出す。そして無造作にテレビをつけ、スクリーンの先へと現実逃避した。
それから暫くして、見ていた番組がエンドロールを流しはじめた頃、珍しく家の固定電話が、けたたましく鳴り響く。一体誰からの電話かと、俺は疑問を抱きながら立ち上がり…しかし、そんな俺よりも先に、真柴兄が受話器を取った。
「私だ」
スパァンッ!
俺は履いていたスリッパで、間髪入れずに真柴兄の頭を叩く。受話器を奪い、前蹴りをもって相手を撤去した後、俺は平然を装い電話を受けた。
「……もしもし、天城です。どちらさまでしょうか?」
すると受話器の向こうから、聞き慣れぬ女性の声でこう返ってきた。
『あ、一未ちゃん? 私だけど』
……『一未』? 誰ですかソレ。
その固有名詞に、思わず首を傾げる。だが、すぐにそれが俺の事であり、唯一その名で呼ぶ人物…真宮菖さんが、電話の相手であると理解した。
「えっと…真宮さんですか?」
『御明答♪ いきなり『私だ』言われるし、出たと思ったら黙り込むし…一瞬、掛け間違えたかと思っちゃったわ』
そう言い苦笑する真宮さん。電話越しでも、はにかんでいるのが理解できる。しかし、そういう真宮さんも、『私だ』で済まそうとしたし、ここはお互い様だと俺は思った。
まあ、それは置いといて。
「一体どういうご用件でしょうか? それに何で、家の電話を──」
『電話番号は久美君から聞いたのよ』
俺が最後まで言い切る前に、相手から返事が返ってきた。
なるほど、小野先生から教わったのか。
別に教える事自体は構わないのだが、一言こちらに断りを入れて欲しかったな。その辺り、配慮が足りないよな、あの人は……
『で、用件なんだけど…今いけるかしら?』
「あ、はい。何でしょう」
俺はそう答え、聞く姿勢を正す。すると真宮さんは、要件のみを簡素に纏めてこう語った。
「この間のバイトなんだけど、また頼めないかしら」
「……えっ、何で?」
突然の申し出に、俺は思わずそう呟く。すると彼女は、そのわけを話してくれた。
「実は明後日から一週間、本業の方で出張になっちゃてね…それで代理を立てたんだけど、流石にその子一人に任せるのは心配でさ。そこで、一未ちゃんとお絹ちゃんに、助っ人を頼みたいってわけ」
軽い調子で事を説明する真宮さん。今度は最初から、八雲さんを頭数に入れているんですね。ちゃっかりしているというか何て言うか…なんにせよ、俺はそれを聞き、どうすべきかと思案した。
彼女の頼み事…それに応えると言う事は、またあの水着姿になり、動物園のパンダよろしくな状態で、働かないといけないわけで…しかしそう思いながらも、引き受ける事自体、吝かでないと考えていたり。
何故かって?
……まぁ、それはだな…『女性物の水着』なら、余所様の目を気にせず泳げるじゃない? とか思ったわけで。
結局この間は、色々あって海に入れなかったからな…その事が心残りだったんだよ。
因みに、そんなの何時でもできるとか言うなよ?
誰が好き好んで、プライベートに女装するってんだ。
あくまで仕事の一環だからこそ、あんな恰好できるわけで、そうでなければ願い下げなんだからな!
そんな、言い訳がましい事を内心で思っていると、決断を迫るように、
『それで、引き受けてくれるかな? どうなのかな〜?』
と、軽い口調で問い掛けられた。
さて、どうする?
どうしよう。
どうしたいのかな…俺。
俺は唸りながら、一体どう返事を返すべきかを考える。漫画なんかで良く使われる描写だが、今俺の頭の中では、羞恥心と海水浴の魅力とが天秤にかけられ、軋みを上げながら攻めぎあっていた。
そこへ、
『今回は接客じゃなくてもいいからさ、お願い♪』
と、止めの一言。
均衡を保っていた筈の天秤は勢いよく傾き、皿に乗っていた羞恥心を、遥か彼方へと吹き飛ばしてしまった。
「そういう事でしたら…良いですよ。お引き受けします」
「言質録った!♪」
何時からそこに居たのだろうか。俺の傍で、相庭がボイスレコーダーを片手にそう呟く。そんな奴を放置するのは、非常にまずい気はするが…電話中という事もあって、今は手出ししない事にした。
『助かるわ。…それじゃ向こうにも連絡入れておくから、当日に直接、店の方に来てちょうだいね』
「わかりました。それじゃ……」
会話はそこで終了する。
最後に『よろしく♪』とかけられた言葉に、引き受けてよかったなと、俺は素直に思った。
だが、それも束の間の事。
「では、諸君等に改めて問う…夏と言えば?」
「海〜〜っ!♪」
……等と、先と同じ馬鹿をやっている二人の姿を見て、早計だったかと後悔の念に駆られたり。
もうヤダ、こいつら……
俺は再びソファーへと、その身を深く沈めた。
そんな俺を吉村が、子供を慰めるように頭を撫でる。
くすぐったいし、皆が見てるからやめてほしかったが、その行為を咎める気力すら、今の俺には残っていなかった。