知り合いの男子を乙女ゲームの攻略対象にしたゲームを生み出して病死したらメインヒーローが来世で私と添い遂げる為攻略対象を皆殺しにした
里見愛は自らの死期を悟った。
「どんなに長くともーー3年。病状によっては、1年持たないかもしれません」
曖昧な死刑宣告を受けて悲しむ方が馬鹿らしい。愛は主治医からの宣告を受けて、悔いのないように生きようと決めたが、家族は簡単に娘の死を受け入れることはできないらしい。
どんなことをしてでも命を助けたい。がむしゃらになって働いて、お金を集めて。人一倍努力しても、神は娘に微笑みかけてはくださらなかった。
その虚無感は当事者である娘の愛には到底計り知ることのできない感情だ。目を合わせるだけで顔を覆って泣き叫ぶ母親と、それを慰める父親を見ていると、まるで愛が生まれたことすら否定されているようで、当事者の愛は気分が悪かった。
わたしはまだ生きてるよ。
言葉だって交わせる。
これから死ぬまでに、たくさん楽しい思い出を作っていけばいいんだよ。
悲しむのは、わたしが死んでからにしてほしいのにな。
心の中では考えていても口に出すことなど叶わない。生まれたときから病院と自宅を行ったり来たり。今では病院にいる時間の方が長いくらいの愛を12歳になるまで育てる為には、とにかくお金が必要だった。やっとの思いでここまで育てて、成人も夢ではないと希望を持ち始めた頃に梯子を外されたのだ。愛が望むような関係を紡ぐには時間がかかる。
「どっちが先に死ぬかって話。したことあったよね?」
「うん」
「あの話、わたしが勝つかも」
「…え。愛ちゃん、死んじゃうの」
「もって3年だって。絶対勇くんが先だと思ったのになあ」
「…ゲーム。愛ちゃんがプレイする?」
「いいよ。わたしは見てるのが好きだから」
「じゃあ、愛ちゃんが好きなキャラを攻略しよう。相模くんが好きだったよね?」
「春夏秋冬なら、相模くんかな。女の子取っ替え引っ替えしながら主人公の桃花には他の男に目を向けるなって忠告してくる所とか、イケメンだから許される仕草だなあって。キュンキュンしちゃう」
「愛ちゃんって変わってるよね…」
「乙女ゲームを顔色変えずプレイできる勇くんの方が変わってるよ」
わたしと俺の春夏秋冬、それがこのゲームのタイトルだ。男性主人公となって女性を攻略するギャルゲーパートと、女性主人公となって男性を攻略する乙女ゲームパート、1本で2粒楽しめるのに1万以下で購入可能な大盤振る舞いの大ボリューム恋愛シミュレーションゲームである。このゲームの原案は有名ピアニストの春告七海で、作中のBGMは彼女が監修しているらしく、勇の病室では春告七海の音楽が少量の音で流れていることが多い。
「春夏秋冬って、春告さんがキャラクター原案も担当してるんだよね」
「うん。インタビューに答えてた」
「ゲームの中の自分には、幸せになってほしかったーーだっけ。凄いよね。ゲームとして全世界に発売されるんだよ」
「いいなあ…」
春告七海は、男性主人公の妹キャラ、梅見深春の元となった人物だ。現実世界では叶わなかった恋を叶えるために無理をいって交友関係をゲームの中に取り入れて貰った、と公言している。このゲームには春告七海だけではなく、複数のスタッフが関わる現実世界の人物を二次元のキャラに落とし込んで登場させているらしい。その他のキャラクターについては誰がどのキャラなのかなどは憶測こそ飛び交うものの答え合わせをするつもりはないらしく、いちファンの愛達が知る由もない。
「ゲームの中に、自分が元となった人物が登場したら…私達が死んでからも、その子はゲームの中でも生き続けるってこと、だよね」
「それは…そう、かな」
「ねえ、勇くん!私達の生きた証、残せないかな!?春告七海みたいに!私達を題材にしたゲームを作ってもらおうよ!」
「ええっ!?春告七海は有名人だから…作ってもらっただけで…僕たちみたいな一般人がお願いしたって…難しいんじゃ…」
「私達は長くない。このまま何もしないで死ぬよりも、何かを成し遂げてから死にたいよ!勇くん、ゲーム会社の連絡先とか、わかる?」
「パッケージに記載はあるけど…小さな会社だから、住所しか…」
「じゃあ、お手紙送ろう!連名で!内容、一緒に考えてね!」
「う、うん…」
愛には有無を言わさぬ行動力があった。無理に決まってるよと後ろ向きな勇に「夢は必ず叶うんだよ!」と楽しそうにああでもないこうでもないとペンを持って紙と向かい合った愛を見て、ゲームの中だけでも、自分の元となった人物が愛と恋仲になる可能性があるのならば、愛と一緒に夢を叶える為声を上げるのも悪くないかもしれないと、口を挟んだ。
*
「あのね、ゲームを作ってもらおうと思うの!わたしが主役の乙女ゲーム!」
「…暑さで頭でもやられたのかよ」
何いってんだこいつ、と入院患者であるにもかかわらず中庭で堂々と煙草を吸っていた少年に突撃した愛は、漂う煙を勢いよく吸い込んでしまい、コホコホと咳をする。「身体に悪いのわかってんのに見境なく突っ込んでくんな」と吸い始めたばかりの煙草を足で踏みつけ消火した少年の思いやりに嬉しくなった愛は、少年の手を取りお礼を言いながら本題に入ることにしたようだ。
「ありがとう!柊くん!わたしが主役のゲームに、登場人物として出演して欲しいの!」
「登場人物ぅ?ゲームのキャラクターになるってことかよ」
「そうなの!柊くんは普通の人じゃ体験できない環境で育ってるから、とっても魅力的なキャラクターになると思うんだ!柊くんに迷惑かかると悪いから、柊くんそっくりではなくて、ちょっと性格を変えたりするから…」
「あんたさ、おれがどういう人間かちゃんと理解した上で言ってんだよな?」
「暴力団組長の息子さんなんだよね?派手な喧嘩で骨とか肋とかが何本も折れてて、全治数ヶ月の大怪我なのに、治りが異常に早いって先生も驚いてた!本人の許可取って取材に応じてくれるならいいよーって!スタッフさんは言ってくれたんだ!」
「信頼できんのかよ」
「スタッフさんが作ったゲーム、一緒にやる?あのね、入院仲間がゲーム大好きで、病室にいけばいつでもプレイできるんだ!」
「ゲームとか…興味ねえ。つーか、それって男か」
「うん。ゲームを一緒にプレイするのに、性別は関係ないよね?」
「はっ。売女が…」
言葉の意味がわからず首を傾げる愛に、少年ーー駒込柊はカマトト振りやがってと悪態をつく。
里見愛は病院暮らしが長いからか、人を殺さなければ生きていけなかった柊から見ると穢れを知らぬ天使のように映る。閉鎖された空間で眩い光を放つものに惹かれるのは当然のことだ。他の男だって黙っていない。ちやほやされてやることやってる他の女と変わらないのだと現実を突きつけられて、柊はどうして自分はこんなに醜いのだろうかと苛立ちを抑えられなかった。
愛に自分は相応しくない。屍の上に立つ柊には、本来は愛と話す資格すら存在しなかった。今こうして愛と柊が縁を結ぶことができたのは、通りすがりの親切な通行人が救急車を呼んで、駒込組の権力が及ばない一般病院に救急搬送されたからだ。年の近い柊が入院してきたことを知った愛が病室にやってきて「入院生活が楽しかったって胸を張って自慢できるような経験をさせてあげる!」と押し付けがましく病室に入り浸ったから、今では友人と呼べる関係になった。
柊が駒込組組長の息子であると知っても、愛は「非日常って憧れるなあ」と興味深そうにどんな生活をしているのかと聞くことはあっても、柊を加害することはけしてない。暴力団関係者がどういう人物であるかを知らないから、愛は無邪気に柊へ質問できるのだろう。愛でなかったら、柊も自身の体験を語る気にもなれない。ましてや、自身をイメージしたキャラクターをゲームに登場させるなど。冗談じゃなかった。
「柊くん?」
「ーーゲームの話。条件がある」
「いいよ!なんでも言って!」
「おれには、姉ちゃんがいる。生まれる前に死んだらしい。姉ちゃんが生きてたら、どんなやつだったのか…考えることがある。おれの姉だ。そりゃ傲慢で、気に食わないことがあるとすぐ癇癪起こして、他人を見下す最悪な姉に違いねえ」
「ふんふん、つまり悪役令嬢ってやつだね!」
「悪役…?そうじゃねーの?おれを出すなら、死んじまった姉ちゃんを出してほしい。おれの姉ちゃんのことを覚えてんのは、両親しかいねー。生きた証を残すなら、どうしようもないおれの人生を認めるほど…」
「わかった!じゃあ、スタッフさんに聞いて見るね!柊くん。お姉さんのお名前は…?」
「ノエル。駒込聖」
「聖さんと柊くん!クリスマスだね!柊くんに似て美人さんなんだろうな~」
聖がどんな女性なのか。柊が浮かべる姉像は酷いものだったが、愛はノートに柊が思い浮かべる駒込聖を書き留めると、「聖さんはわたしのライバルだね!」と笑った。
聖が生きていたら。愛と聖は、どんな会話をしたのだろう。姉と支え合い生きていけたのなら、柊は捻くれることなく生きていくことができたのだろうかーー
たらればの話なんかしたって仕方ねえ。愛が楽しそうにしている姿を見ることさえできれば、今はそれで。
「柊くん!お姉さんをゲームに登場させることができるように頑張るね!」
姉は死んだが、愛はまだ生きて、柊に笑顔を向けてくれる。柊ははじめて守りたいものを見つけた。
*
「里見」
「あっ!せんせー!」
「ゲームを作ってるんだって?」
「そうなの!わたしが主人公で、身近な人たちに登場して貰えませんかってオファーをかけてるんですよ!せんせーも出演します?」
「私は教師だから、出演する場所が…あるかい?」
「あのね、学園モノだからバッチリです!」
「それはよかった。元気そうだね」
「はい。今日もニコニコ!全力全開の愛ちゃんは、今日も元気です!」
縞吹滋賀は愛が本来登校するはずだった小学校の教師だ。小学1年生から6年生まで、同じ担任が担当した方が愛もなにかあったとき学校に通いやすいだろうとの配慮で、滋賀は愛の担当教師としてクラスでの出来事を面白おかしく、時にはクラスメイト達からのビデオレターを届けてくれる。
まともに登校できたことすら数えるほどしかない愛をこれほどまで気にかけてくれる滋賀の存在は愛にとってありがたくもあり、学校なんて通えるわけないのに、どうしてそこまで愛を学校に通わせようと必死になっているのだろうと疑問形に思うときもある。
滋賀は「教師として、いつでも里見の体調が良くなったときに生徒たちが里見を受け入れる環境を作ることは当然のことだ」と自信満々に言うが、勇に聞けば「僕は特別扱いなんてされたことないよ」と返ってきたし、「ロリコン教師かよ、引くわ」と柊はドン引きしていたので一般的な対応ではないのかもしれない。
「わたし、結局まともに登校できなくて…卒業したら、先生との縁も切れてしまいますね」
「確かに、卒業をしたら…一緒に教室で授業を受けることはできなくなるが、それで縁が切れるわけじゃない。中学生になっても、困ったことがあればいつでも相談に乗るよ。里見が先生の教え子であることは変わりないのだから」
「ありがとうございます。縞吹先生」
「学校に通えるほど体調が回復したら、いつでも連絡してくれ。里見ならいつでも大歓迎だ。マンツーマンでレッスンするのも悪くない」
「そう、ですね」
先生は両親から聞いていないのだろうか。愛が長くないこと。元気になって学校に通ってーー生徒と教師として教室で顔を合わせる場面など、訪れることはないことを。ゲームでなら、きっと滋賀が思い浮かべている状況下を再現できるだろう。愛が生身で体験することは、おそらく一生訪れない。
「先生は…………」
「私がどうかした?」
「…先生は、ゲームをプレイしたことありますか?」
「もちろん。充分なプレイ時間が取れなくて、数分でプレイし終える対戦ゲームや音楽ゲームが主流だが…」
「わたしが主役のゲームは学園を舞台にした恋愛シミュレーションゲームなんです。わたし、学校のことはゲームや漫画でしか知らなくて…現役教師の先生なら、学校の校則とか、生活に詳しいですよね?いろんなことを教えてほしいんです!わたしが体験できなかったこと、ゲームの中のわたしには、体験させてあげたいから」
「…里見…」
ほら。またその表情だ。大人たちはみんな、愛が死期を悟っているような発言をすると悲しそうに目を伏せる。生きることを諦めないで欲しいと言いたいのに、どんなに願っても、必ずその時が訪れることがわかっているから、両親も愛を元気づけるような言葉は言わなくなった。それでいいと思うのだ。残された時間は、残されたものが愛と決別するための時間に使ってほしい。愛が思い残すことはなにもないと満足して死んでも、苦しむのは残された人間であることくらい、愛が1番理解している。けれど、誰かの命を犠牲にしてまで生きる気はない愛は、ごめんねと謝ることしかできないのだ。
「里見の病気は、いつか治る。移植の順番が来れば…」
「わたし、自分が長生きするために他人の死を願うくらいなら、誰かのパーツとして生きる方が幸せになれると思うんです」
「…そんな」
「わたしの周りの人達はみんな優しいから。何を犠牲にしてもわたしを救いたいって思ってくれてるんだって痛いほど自覚しています。海外にいけば、助かる確率は上がる。だけど、たくさんのお金と他人の命を犠牲にしてまで生きたところで延命はされても完治するかどうかは運任せ」
「それに、一生…誰かの命を貰った…なんて聞こえがいい言葉で誤魔化しても…。結局誰かの命で生かされた自分が、許せないと思うんです。わたしが死ねば助かる人がいる。わたしが生きるためには、誰かが死必要があるなら、わたしは死に抗うことなく、この生を終えたいんです」
「だが、それではご両親が」
「だから先生も、わたしが生きている間に、わたしが死ぬ現実を受け入れてほしいんです。わたしは、みんながわたしの死を受け入れてくださるのを、見守ってから、死にたい」
「…里見。私は…」
「わたしが毎日楽しく授業を受けて、学校生活を満喫している場面は、もうひとりのわたしに実現してもらいましょう!楽しみですね。せんせい!」
先生はわたしの死を受け入れることができるだろうか。まともに登校する機会すら数えるほどしかなかったわたしを6年間も、定期的に気にかけてくれていた先生にとって、わたしはそれなりに大きな存在となっているのかもしれないと思うことがあって、心配だ。彼ほどではないけれど。
ゲームの中に登場する里見愛の設定画では、高校の制服を着て微笑んでいる。愛が大人になったら、父似になるだろうと考慮して絵師が随分と美人に描いて貰った自慢の立ち絵を、今にも握り潰しそうなほど強く握りしめた滋賀は、瞳の奥に憎悪を潜ませ、愛が楽しそうに「ゲームの中で愛がどんな学校生活を送るのか」話すのをじっと見つめていた。
*
「お兄ちゃん!見て!キービジュアルが出揃ったの!!!」
「おー…」
「お兄ちゃん、反応薄い!」
高校生の鵜飼忍は愛の従兄妹だ。数年に1度顔を出す程度だったのに、愛が余命宣告をされたことを両親から聞いたのだろう。最近は2、3ヶ月に一度学校帰りに病室へ顔を出すようになった。1年に1回が、多いと1年に6回も会いに来るようになったのだ。めんどくさがりなあの忍が見せた変化に、愛は、人って変わるものだなあと思わずにはいられない。
「お兄ちゃんもめっちゃイケメンにしてもらえたんだよ!嬉しくないの!?」
「まー、利益出なきゃ出す意味ねーし…そりゃ、なあ?」
「お兄ちゃんってばお金のことばっかり!」
「そりゃそうだろ。素人の可哀想な女の子の妄想を商品化します、とか。病気盾にした炎上商法かよ。売る方も売る方だし、買う方も買う方だ」
「お兄ちゃん。あのね、原案が余命幾許もない女の子だってことは伏せてもらう約束なの。お金も気にしなくていいって言われてるし、売上の一部はここの小児病棟でも比較的症状が軽い子達の手術費に当ててもらう約束で」
「は?慈善活動のつもりなわけ?」
「違うよ。わたしはただ…」
「あのさ。愛は残されたみんなのためとか言って走り回ってるけど、全然周りにいる奴らの事考えてないよな。俺、この間いい所の坊っちゃんに喧嘩売られたんだけど。付き合ってもないのに年頃の娘さんの病室に入り浸るな、とか。大きなお世話。つーかさ。愛は何人の男誑かしてるわけ?やっぱ死期が近づくと子どもを残したいと思うんかね。よくわかんねーや」
「お兄ちゃん」
「俺を含めたら5人だよな?俺は別に、愛とどうこうなりたいとかねーけど。どいつもこいつも、ゲームの中だけでも添い遂げたいとかさ、キモすぎなんだよ。意味ねえだろ。妄想の中でなら、いくらでもやりたい放題できんのに。わざわざゲームにして全世界に売り捌くたって、死人への冒涜だろ」
忍は愛を元としたゲームの登場人物として出演することにそれほど興味はないらしく、今まで文句の一つも言うことなく静観していたが、ここに来て不満が爆発したらしい。
彼に恋人と勘違いされたことが忍の逆鱗に触れたのか、ここにきてゲームの発売を中止するべきだと怒りを露わにする忍に対して、男性関係についてはどう納得させればいいのか、愛には見当もつかない。「死人への冒涜」に関してだけは当事者である愛にしか向き合えないことなので、しっかりと訂正して納得させなければと声を上げる。
「死人への冒涜じゃないよ。わたしがそうやって望んだんだ。一人でも多くの人に、わたしが生きた証を残したいって」
「だったら!他にもっと方法があったろ!?なんで恋愛シミュレーションゲームなんだよ!なんでゲームの中でも、愛が他の男とイチャイチャしてる所を見せつけられなきゃなんねーの?」
「…イチャイチャ?それは仕方ないよ。そういうゲームだもん」
「ゲームだったら何しても許されんだ」
「ゲームだからね」
「なら、俺との話は俺が1から全部考える」
「それは…どうなんだろう?スタッフさんと相談しないとーー」
「他の奴らをあっと驚かせる仕掛けとインパクト残してケチョンケチョンにしてやんねーと気がすまないんだよ!俺はずっと逃げてばっかで、愛に顔向けできなかった。やっと、逃げてばっかじゃ後悔するって気づいて…行動したって、愛にとって俺はいつまで経ってもお兄ちゃんのままだもんな。恋愛対象じゃない。やってられるか。絶対潰す。特にあの喧嘩売ってきたクソガキだけは絶対許さん」
「お兄ちゃん…?」
なんだかよくわからないけどゲーム制作について意欲を見せたお兄ちゃんは、その場でスタッフに連絡を取り、いかに彼との差を見せつけるかについてを力説してスタッフをドン引きさせていた。
ゲームの制作は順調だ。
愛の病状もまた、急速に悪くなることはなくとも緩やかに進行している。
ゲームが完成するまではどうにか持ってほしい。いや、完成を見届けるまでは死んだりしない。協力してくれたみんなの為にも。
*
愛は体調の悪い時も笑顔を絶やさず、人前では元気いっぱいのふりをするのがすっかり板についていたが、1人になると無理した分だけ反動が来る。痛くて苦しくても、必要以上の治療は受けないと決めた以上、愛は耐えることしかできないのだ。声を押し殺し、激痛に耐え忍ぶ。死にたいと口に出したら、ポッキリと心が折れてしまう気がして、必死に飲み込んでいても、死にたいと考えることからは抜け出せなくてーー
「愛ちゃん!」
彼の声を聞いて、あれほど痛くて死にたくてどうしようなかった想いが弾けて消えた。
笑顔を作れ。明るく勤めろ。
やっぱり生きていて欲しいと、こんなに苦しそうなんだから助けなければと思わせてはいけない。誰かの命を犠牲にしてまで生きたくないと決めたなら、最後まで突き通せ。そうでなければ、ただの構ってちゃんで、迷惑なだけだ。生きる気があるなら最初からそう言えばよかったのになんて言われたくない。
愛は誰かに同情されたいから死を受け入れたのではないのだ。だから、もう一度。
「無理しなくていいんだよ」
「輝跡、くん」
「痛いよね。苦しいよね。ずっと我慢してたのかい?だめだよ。痛いときは痛いって口に出さないと。身体よりも先に心が壊れてしまうよ。お医者を呼ぼう」
「い、いいの!薬には、頼りたくない!わたし、だいじょうぶ、だから。あれ?ほんとに、ほんと、だいじょうぶなんだよ…?」
うまく笑顔が作れず、頬を伝ってポタポタと涙が流れる。輝跡は鞄を備え付けられたパイプ椅子の上に置くと、安心させるように愛の背中をゆっくり撫でた。
瀬尾輝跡は中学2年生。愛の2つ年上だ。3年前までは愛と同じ小児病棟の病室に入院していたが、完治して現在は有名私立大学の付属中学校に通っている。
同じ病棟の入院患者でなければまず出会うことのなかった少年だ。輝跡は頭もよく気が利いて、愛は輝跡にだけは本音を打ち明けることができた。勇とゲームを作ろうと決めてからも、定期的にメールや電話で連絡を取り合い、ゲームにも登場人物として参考にする許可を得ている。本人は時間が許すことなら毎日のように顔を出したいとボヤいているが、自宅から病院までは電車で1時間ほどの距離がある。せっかく退院したのに病院通いなんてと父親に難色を示されていることもあり、輝跡は週に一度だけ習い事のついでに顔を見せていたから、油断していた。
「輝跡くん…今日は習い事の日じゃないよね?」
「胸騒ぎがして…。来てよかったよ。急に寒くなったから、身体が追いつかないのかな。ほら、布団掛けて」
「輝跡くんがせっかく来てくれたのに…」
「僕のことよりも愛ちゃんの身体の方が大切だよ。僕はまた時間を作ればいい。愛ちゃんに何かあったら、それで終わりだ」
「…うん…」
「ーーまだ、誰にも言ってないのかい?」
「ゲームが完成するまでは…元気でいなきゃって…頑張ってたつもりなんだけどな…」
「僕だけだったらよかったんだけど。気づいてる人はいるよ。みんな、愛ちゃんが頑張ってるのを知っているから何も言わない。僕は…頑張ってる愛ちゃんを見てみぬふりをする気はないんだ。同じ病気を抱え、完治したものとして。愛ちゃんだって、僕と同じように。完治を目指すことができるんだって証明したい」
ーーそれは無理だよ。輝跡くんにはお金や人脈があったから病気を乗り越えることができた。でも、わたしにはお金もなければコネもない。手術に耐えうる体力も…。
大丈夫だよと元気づけてくれるたびに、愛がどんな気持ちでいるのかーー同じ病気を抱えていた一番の理解者であるからこそ、輝跡は残酷な現実を愛に突き付ける。愛さえ諦めなければ、誰かの命を犠牲にすれば、愛はこれ以上苦しむことなく輝跡やみんなと、生きていけるのだと。みんなも愛に生きてほしいと願っているのに、愛だけが死にたがっている。
「僕は愛ちゃんがいたから生きているんだ。愛ちゃんがいなければ、生きている意味なんてない」
苦しくて辛くて死にたくないと思うほどの痛みに苛まれながら、愛がそれでも運命に抗うことなく自らの死期を受け入れたのは、輝跡の態度が気がかりであるからだった。
輝跡は愛に依存している。
滋賀の執着と忍の独り占めしたいと思う気持ちよりももっとずっとたちが悪いものだ。愛は自らが死ぬことによって、輝跡が他のなにかに目を向けることを何よりも望んでいる。だから、ゲームにも輝跡のルートは存在しない。メインヒーロー思わせておいて、攻略対象ではないのだ。「詐欺と騒ぎになるけど、本当にいいの?」とスタッフに問われたが、それだけは絶対に守ってくれと強引にお願いしたのは、このまま輝跡が愛一筋の人生を送った所で幸せになれるとは限らないことを、愛がいなくなった後、ゲームを通じて知ってほしかったからだった。
輝跡は愛が独り占めするにはもったいないほどの才能と、容姿。気前の良さがある。愛がいなくなっても、きっと立派な人になるだろう。
「わたしがいなくなっても、輝跡くんは生きなきゃだめだよ。ドナーさんに提供してもらった命を、たった3年で亡くすなんてもったいない」
「ーーどうして愛ちゃんじゃなくて僕だったんだろう。僕なんかより、愛ちゃんが助かるべきだったのに」
「それは違うよ。輝跡くんが社会に必要とされた才能を持ってるから、輝跡くんはこうして生きてるんだ。輝跡くんは、私がいなくなっても、私達みたいな生まれつき身体の弱い子ども達を救うお医者さんか薬剤師さんになって。夢を叶えてね」
「愛ちゃん…」
「約束だよ、輝跡くん。絶対に、忘れちゃだめだから…」
ーー輝跡くんは優しいから、わたしの強引に取り付けた約束を守ってくれるはずだ。
満足そうに呟いた愛がゆっくりと目を瞑る。愛になにかあったのではと顔色を変えた輝跡は、愛の吐息と脈拍を確認してから備え付けの椅子に深く座り息を吐き出した。
*
ーー俺には愛ちゃんしかいないのに。
未成年の子どもができることなど多くない。愛の両親は金策に必死で、寄付金を集める話も本人に治療意思なしと判断され、大々的に募ることができず仕事に明け暮れている。本人に生きる気力がないのだから仕方ないと言えば仕方はないと諦めるのは簡単だが、諦めきれないからこそこうして輝跡は愛の様子を見に来ている。
愛の年齢が、自分の年齢が。もう少し大人であったのなら。
輝跡にとって愛は同じ病気を抱えるものであり、赤の他人だ。既に完治し退院した輝跡では、愛の死が間近に迫ったとしても気づくことなどできないだろう。どうして愛と自分は赤の他人なのだろうか。恋人になれたら一番だが、せめて血の繋がりさえあればと思うと、あの男が憎たらしい。
愛ちゃんと血の繋がりがあるにもかかわらず、愛のことを放ったらかして他の女に夢中だったあの男ーー
愛に群がる害虫の中でも、輝跡は人一倍忍のことが嫌いだった。血の繋がりがあるからこそ、愛に何かあった際、真っ先に連絡がいくであろうあの男は、「お兄ちゃん」と慕う愛に恋愛感情を抱いていることにひどい罪悪感を感じ、あろうことか愛との関係を断ち切ったのだ。都合のいい時だけ「お兄ちゃん」と呼ばれることに満足して、取り返しがつかないことになると予期した途端に擦り寄ってきた。このまま一生疎遠であればよかったのに。本当に邪魔しかしない男だ。愛に何かあったなら、真っ先にあいつから始末してやる。
「色男が。ひでー顔してんじゃん」
「鵜飼…」
「呼び捨てかよ。一応年上なんだけど。マナーのなってないガキはこれだから」
噂をすればなんとやら。愛の従兄妹である鵜飼忍と顔を合わせるのは二度目だ。一度目は愛に群がる害虫を一通り調べ上げた報告書を見たときから不誠実な男である印象が強く、「恋人でもないくせに女性の病室に入り浸るのはよくないですよ」と喧嘩を売ってやったが、忍はその場で反論することなく舌打ちだけして去っていった。愛に用事があるのなら出直せと存在を無視して愛の青白い顔を眺めていれば、肩を叩かれる。
「ちょっと面貸せや。寝てる愛のこと起こしたくねえだろ?」
なんで愛はこんな男と血の繋がりがあるんだと思わずにはいられない柄の悪さで誘いを受け、渋々病室を出る。鞄を病室においたままなのは必ず戻るという意思だ。忍へのマウントとも捉えることができるが。
「お前、愛の作ってるゲームで専用ルートが存在しないんだって?」
「専用ルート…?」
「はっ!知らねーのにマウント取ってたのかよ?とんだお笑い草だな!愛はお前のこと恋愛対象だって見てねえってことだよ!残念だったな!」
ーー愛ちゃんが僕を恋愛対象として見ていない?
そんなの嘘だ。小さな頃からずっと、同じ病気を抱える仲間として一緒に過ごしてきた。「2人とも病気が完治したら、結婚しようね」と約束したのを、愛は覚えていなのだろうか?それとも、近すぎる距離が、恋愛対象外にまで押しやったのか…。
ーー愛ちゃんに「僕のことが嫌い?」と問いかけて。嫌いだと言われたら。お友達のままがいいなんて言われて、愛ちゃんが死んだら。
考えるだけでも気が狂いそうだ。自分より下だと見下していた相手が…自分よりも上の位置にいたかもしれない事実が。輝跡の狂気を覚醒させる。
「彼氏面して満足してんのはどっちだよ。ムカついたから愛が一番好きな要素を俺のルートに詰め込んでやった!ゲームの中でも現実でも。愛を満足させてやれんのは俺だけだってことーー」
「…さない…」
「は?」
「ぽっと出の、他の女に現抜かしてた奴に愛ちゃんを渡すもんか。愛ちゃんは僕のものだ。愛ちゃんが僕のものにならなかったその時は…」
「その時は?」
「ーー全員殺す」
「はは!殺害予告かよ。狂っていやがる。お前、愛と同じ病気だったくせに、大金積んで一人だけ助かったんだろ?愛が死んで真っ先にやることが関わった人間を全員殺すことか!くだんねー。真に受けた俺が馬鹿だった」
「せいぜい、その時が来たらあの世で後悔するといいよ。僕は一度結んだ約束は違えない。僕は必ずそれを証明する」
「やってみろ。やれるもんなら」
ーーああ。もちろん。やり遂げてみせるよ。あんた達だって、愛ちゃんの死んだ世界でなんか生きる理由もないだろう?
愛との残り僅かな時間を楽しみながら、その裏で全員殺害する計画を企てていると知ったら、愛は輝跡を嫌いになるかもしれない。それでも構わなかった。輝跡はもう、今世には何も期待はしていない。来世で、また愛と巡り合い。今度こそ、愛を自分だけのものにする。そのために輝跡は、持てる力を持ってして運命に抗うと決めたのだ。
「お願いがあるんです。僕のーー瀬尾輝跡の隠しルートを用意してもらえませんか。愛ちゃんには知らせずに。サプライズで。愛ちゃんに喜んで貰いたいんです」
たとえその行いが、誰かの死の上に成り立った貴重な命を無駄にする行いだとしてもーー
*
「BGMに要望はある?」
「オールディーズ…ええと、70年前に流行った音楽を使いたくて。具体的に言うと、ジャズとか…ボサノバ?」
「…うーん、こういうの?」
「そうです。そんな感じの!」
「ムーディーな曲だね」
「むーでー?」
「ロマンチックな曲って言うのかな。バーとかで流れてそうな曲」
「なるほど!大人ですね!スタッフさんは、バーって行ったことありますか?」
「仕事の付き合いでね」
「どうでした!?」
「僕はお酒が苦手だから。楽しいとかはなかったよ」
「そうですか…」
露骨に悲しんだせいで、楽しい体験談を話せずにごめんねと謝罪される。悪いのはスタッフではなく愛の方だ。愛との連絡係を任命されているスタッフーー北見は、子どもの扱いに慣れているようで、愛の要望をうまくゲームに落とし込むのが得意らしい。本業はシナリオライターなのだが、人手不足も相まって今では愛の要望を受けて各地のスタッフに指示を飛ばす監督のような役割までこなしているのだから、凄い大人もいたものだと感心するしかない。
「絵師も有名な人を使ったし、前作の評判がかなり良かったから。初報の時点で最低生産ラインの予約は受けてるんだ。あとは、どれだけ口コミで伸びるか…これは僕たち制作会社の宣伝能力と、購入してくれたお客さんたちの感想次第かな」
「最低ライン超えたんですね!よかった~!シナリオと絵は書き終わってて、あとは声とBGMを当てたら、ゲームに組み込むだけですね!楽しみ…っ」
最近、うまく声が出せなくなっているようで、ケホケホと咳込み口元を抑えれば、手に血が付着していることに気づく。そろそろ元気なふりをするのは限界かもしれない。ゲームの完成まで、あと数ヶ月。余命宣告から、1年2ヶ月後のことだった。
「里見さん?無理しなくていいんだよ」
「だ、大丈夫、です。あと少し…ですから…。わたし、最後まで。完成したゲームをプレイし終えるまでは、どんなに苦しくたって、耐えてみせますから」
だから大丈夫だ。まだ。もう少しだけ。そうして自分の身体を誤魔化して、さらに数ヶ月の時が経つ。
ゲーム発売が間近に迫った日。
病院を退院することになった。
終末医療を拒否し続けた愛が今まで病院に入院し続けることができたのは病室に余裕があり、両親達が少しでも可能性があるならと治療を受けさせたがっていたからだ。病室に余裕がなくなり、両親の覚悟が決まったのなら、愛が病院で暮らし続ける必要はない。
愛の容態がいつ変化してもいいように両親は仕事を辞めると言い出して、愛は必死に止めた。愛が死んだあとも2人は生活していかなければならないのだ。愛のことは気にせず、2人には仕事をしていてほしい。
従兄妹の忍は大学受験をしなかった。日中暇しているからと理由をつけて里見家に住み始めた忍は、愛に変わった症状が出ていないか面倒を見ながら食事の用意など甲斐甲斐しく面倒を見てくれて、夜になると両親達と入れ替わりでバイトに向かっているようだった。いつ寝ているのか、不安になるくらいのタイムスケジュールで、忍の負担になっていることが申し訳ない。
ーーゲームを作りたいなんて言わずにさっさと死んでたら、お兄ちゃんは大学受験してたのかな。
「ごめんね。お兄ちゃん」
「なんで謝るんだよ。俺が好きでやっていることだ。ほら。ゲーム。ちゃんと店頭に並んでたぞ。ちゃんとCMも流れてた。すげーよな。愛が…二次元絵だけどさ。全国に流れてるんだぜ?」
「うん。すっごく…うれしい…」
「よかったな」
「うん」
起きている時間より寝ている時間の方が長くなって、忍にゲーム画面の操作をお願いしながらゲームを進めていく。忍に力説されて彼のルートから始めたが、確かに愛が大好きな要素がこれでもかと詰め込まれた王道ルートで、元気があればたくさん語りたいことがあった。今では何を語ればいいのかわからないほど曖昧で、ふわふわと宙に漂うような感覚が時折訪れては、気づいたら意識を失っていた、なんてことの方が多くなっている。
「愛…。あんま言いたくねえんだけど…お前の作ったゲーム、炎上してんぞ」
「………」
「なあ。どうしてあいつ…あの坊っちゃんルートは作んなかったんだ?あの隠しルートは…愛が望んだことなのか?」
ーー隠しルート?一体なんの話だろう。炎上してる、坊っちゃん。
輝跡のルートを作った理由を聞かれていることを認識した愛は、か細い声で理由を告げる。誰にも告げるつもりはなかった。輝跡のルートを作らなかった理由を。
「……わたし…きせき、くんに………ふさわしく、ない……………」
「きせき、くんは……………すごい、ひと…………。つり、あわない……よ、ね…。わたしが、びょうきじゃ、なかった、ら………」
「ゆめ、でも…ゆめを、みれなかった……」
輝跡が愛に向ける依存を目にしたら。愛と輝跡が同じ病気を持たずして生まれ、高校生として健康な身体を持って生まれ、恋仲になる。たとえ夢でもその可能性を具現化する勇気が愛にはなかった。
「暴力団関係者との恋愛は思い浮かべても、金持ちの坊っちゃんとの関係性は妄想できんのかよ。変わってんなー。ほんと。愛は、」
愛が5人の中で恋愛感情を抱いていたのは、輝跡だったから。
「ーー愛?」
ーー輝跡くん。
わたし達、同じ病気を持って生まれてなかったら、きっと出会うことなんてなかったよね。最後に見る顔が輝跡くんでなくてよかった。輝跡くんが最後を看取ったら、きっと願ってしまう。来世、健康な体に生まれて。巡り合ったその時はーー
「愛!」
忍の声が聞こえない。愛は目の前にいる忍ではなく、1年半前。自分の顔を優しく覗き込む瀬尾輝跡の顔を思い浮かべーー里見愛としての生を終えた。
*
愛が原案として参加し発売された乙女ゲーム「溺愛ネクストデイズ」は前作「わたしと俺の春夏秋冬」の原案が有名ピアニスト春告七海であったこと、今回の原案者satomeも聞いたことのない名前だが有名人の別名義であることを期待されて、数万単位で売上があったらしい。レビューサイトを見る限り評判はそこそこ。主人公里見愛のファンアートが掲載されているのを見て、気分良く用意した凶器の手入れをする。
ーー2月22日14時22分。願いを抱いて死に至れば、どんな願いでも叶う。
そんな噂が若者を中心に大流行したのは、3ヶ月ほど前の年の瀬だった。噂を耳にした輝跡が噂の真意を確かめるべく金に物を言わせて探偵を雇った所、噂を流した張本人がやってきて、輝跡に向かって言ったのだ。
「貴方の狂気は、いわば強い願いの裏返し。それほど強く叶えたいと願ったのなら、来世で貴方の望みは必ず叶うことでしょう」
わざわざ顔を晒してまで、輝跡の願いが叶うと宣言した男は、輝跡の狂気を受け入れた上で、「取引をしませんか」と促した。「2月22日14時22分きっかりに、大規模なテロを起こすので、貴方も参加しませんか」とんでもない誘いだ。大規模テロの参加者として人を殺して、自らの願いを叶えるために自身もまた死に至る。自身が死ぬタイミングさえ間違えなければ、どんなことをしても構わない。その日は全国各地でテロが起きるので、警察に捕まる心配もないという。輝跡は計画通り順番に人を殺せる上、時間さえ守れば叶えられなかった夢を叶えることができるのだ。話に乗らない手はない。
悪魔と契約した輝跡は、着々と準備を勧めては、溺愛オールデイズの感想を漁っていた。
『キセキルートってないの?』
『パッケージ詐欺じゃん』
『メインヒーローかと思ったのに』
パッケージの中央にいるキセキを攻略するべくゲームを購入した人々から悲しみの声を聞きながら、早く仕掛けが露呈する日が来ないかと毎日寝る前に確認しては、ガックリと肩を落とす。例の日の前日、2月21日まで誰も隠しルートを発見できなければ、輝跡自ら攻略方法を記載しようと考えていた瞬間のことだった。
『キセキの隠しルート見つけたんだけど、攻略対象全員惨殺エンドと監禁エンドだったんだけど、これってボツシナリオ?』
『訃報のお知らせ
かねてより闘病しておりました「溺愛オールデイズ」の原案者であるsatome様が、息を引き取りました。葬儀は親族のみで執り行い、後日ファンの方に向けたお別れ会を開催致します』
2月20日。例の日から遡ること2日前。
アマユリと名乗るファンからキセキの隠しルートを見つけたと報告があったとほぼ同時刻にHPが更新され、里見愛が亡くなったと公表された。
愛は公表を望んでいなかったはずだが、一体誰がゲーム会社に訃報を掲載するように言ったのだろう。両親なら構わないが、鵜飼ならば思うことがある。
『愛が死んだ。お別れ会に出れるメンタルなら来い。2月22日14時。メモリアルホール○×』
愛のメールアドレスから「告別式と葬儀は既に終えたので、お別れ会に来れるメンタルなら来い」と大きなお世話とも取れる一文が書かれたメールを確認する。輝跡は関係者ではなくファンと同程度の扱いで充分だと判断されたらしい。鵜飼は例の噂を知らないのだろうか。知っていればこの日にお別れ会を行うはずもないだろう。あのメンバーの中に輝跡と同じことを考えている可能性も無きしもあらずだが、首謀者の男は誰よりも強い願いを持つものを探していると言うのだから、その可能性はほぼないと言ってもいい。輝跡は予定した通り順番に、お別れ会に向かう道すがら、憎悪の少ない人間から順番から処刑していけばいい。
「おかしいな…愛ちゃんが死んだって聞いたら…。涙の一つくらい流れると思ったのに…」
「僕はむしろ、愛ちゃんが死んでくれて嬉しいんだ。この世界では、僕の願いは永遠に叶うことがないけれど。来世でなら、僕は愛ちゃんと添い遂げることができるーー」
「邪魔な奴らの命を捧げて。愛ちゃんを僕のものにするため、全員殺してきたんだよって言ったら、愛ちゃんは悲しむかな?喜んでくれるかな?」
「僕にはもう…」
何が正しくて、何が正しくないのか。正常な判断などできるはずもなく。凶器を手に持った輝跡は粛々と邪魔者を排除していく。
「てめえ!駒込組に喧嘩売ってタダで済むと思ってんのか!?」
「君達の権力は所詮ハリボテ。終わる世界を前にしてタダで済むと思うか?なんて問いかけられても無意味だよね」
「殺す!」
「飛び道具持った人間に素手で立ち向かうとかさあ、もっと頭を使った方がいいよ」
愛の入院していた病院で敵対暴力団、米津組と抗争を繰り広げていた駒込柊を道すがら拾った拳銃で銃殺し、小児病棟のある部屋に向けて歩く。いたる所に血がこびりついていて、まるでホラー映画の撮影所みたいな有様だ。この狂気的な空間を生み出している要因の一人が自分であると思うと、気分が高揚するのを感じる。
「輝跡兄さん!?どうして…っ!血が!」
「ああ、これは返り血なんだ。心配してくれる所悪いんだけど…邪魔だから、死んでくれる?」
「…!?」
来るはずのない知り合いを見つけて飛びついてきたかわいい弟分である鈴木勇を思う存分滅多刺しにして、ナイフを投げ捨てる。ずっとずっと羨ましかった。同じ趣味の話題で盛り上がることができた勇のことが。愛に乙女ゲームと言うジャンルを勧めてくれた勇には感謝しているが、弟として本気で可愛がっていたことなど一度もない。愛が喜ぶから優しくしてやっただけで。愛と同じ趣味を持っているからなんてくだらない理由だけでベタベタと愛に近づく勇のことが輝跡は大嫌いだったのだ。スッキリとした気持ちで病室を後にし、ボストンバッグの中から着替えを取り出す。手早く着替えて、脱いだ服をゴミ箱に捨てた輝跡足早に病院を後にする。
始末するべき相手はあと2人。大人相手は骨が折れるが後回しにしていても仕方がない。
「こんにちは。縞吹滋賀さんですよね?」
「ああ、そうだが…」
「はじめまして。僕は瀬尾輝跡。愛ちゃんと同じ病気で入院していた者です」
「里見の?それは…」
「突然なんですけどーー死んでください」
死んでくれと突然問われ、馬鹿正直に死んでくれる馬鹿はいない。咄嗟に首を守った滋賀に、輝跡は急所を蹴りつけながら腹にスタンガンを突き付ける。痙攣した滋賀が動かなくなったことを確認して、首元をロープで縛って力一杯引っ張った。
「キャー!」
それから何食わぬ顔でお別れの会に出席すれば、外から一際大きな悲鳴が聞こえる。滋賀の死体は重すぎて運べなかったので道端に放置したものが見つかったのだろう。「なんでこんな所で死んでるの」「あの噂は本当だったんだ」「私も巻き込まれるかも」と恐怖で引き攣る女性ファンたちに、「少なくとも僕は殺さないけどね」と考えながら、一切動じずその場を動くことなく座り続け、お別れ会とやらが始まるのを待っていた。
「よお、来たかボンボン」
ーーついにきた。最後の一人が。
おそらくあちらも同じことを考えているだろう。鵜飼忍は愛の両親に「2人で話したいことがある」と断ってから輝跡を人気のない場所まで連れ出した。
「ブラフじゃなかったのかよ」
「なんのことかな」
「滋賀センセ。殺したのお前だろ」
「僕のことが嫌いでも冤罪を疑うなんて…愛に顔向けできないんじゃないかな」
「顔向けできねーのはてめーだボケが。大枚叩いて命が助かったってのに、なんで愛が死んだあとにやるんだよ。愛のために殺せんなら、臓器適合者を見つけて殺してきた方がよっぽどマシだったろ!?」
「ーー愛は助かるけど、それじゃあ愛が僕を選んではくれないじゃないか」
「はあ…?」
心から信じられない。そんな態度だった。忍は真面目な顔をして遠くを見つめる輝跡に対してこれでもかと目を見開いて固まっている。言葉が出てこないようなので、物わかりの悪い忍の代わりに説明してやることにした。
「愛はたくさんの男に囲まれて嬉しそうだった。僕が臓器適合者を殺して手術を成功させた所で、愛が健康な身体を得たら、僕なんかを選んではくれないだろう。みんな異なる魅力のある男だ。愛は僕以外の男の魅力に惹かれるはずさ。愛に捨てられたら、僕は生きていけないんだよ。だから、やり直すんだ。今度は、2人共健康な身体で生まれてーー」
「幼馴染が一番いいかな。小さな頃からずっと一緒に育って、おばあちゃんになるまで一緒にいるんだ。君たちはそのための代償だよ。僕が願いを叶えるために、死んでくれるよね?」
「ばっ!バカかてめえは!!!こんなことしなくたってなあ!愛は最初から決めてたんだよ!」
「だから?」
「俺を殺したって、殺さなくたって未来は変わらねーんだよ!愛は…!」
「命乞いの仕方が美しくないな。君に愛ちゃんの何がわかるんだい?」
「俺は愛の最後を看取った!愛は最後、お前の…!!!」
「あ、そう。やっぱり君だったんだ。ムカつくなあ。あんまり時間はないんだけど、ちょっと苦しんでもらおうかな」
「ぐ…っ!」
躊躇なく発砲した銃弾が太ももと腹部を掠める。心臓を狙わなかったのは、苦しんでもらいたいからだ。忍には恨みがある。この男だけは気に食わない。輝跡よりも大人で、血の繋がりがあり、愛の一番近くにいる権利を得た男。愛の最後を看取った唯一の男。
「愛ちゃん、僕について何か言い残したことがあったのかな?何を言ったのかは気になるけれど、僕は愛ちゃんの口から聞きたいんだ。君の口からじゃない」
「あ…い…はっ!なあ!」
「二度と顔も見たくないんだけど、やっぱり君は僕の前に立ちはだかるんだろうな。君には明確な血の繋がりがあるわけだし。来世では仲良くできるといいね。ほら、僕が愛ちゃんと結婚したら、君とは親戚になるわけだし」
「誰が…!」
「残念」
発砲。3発目は心臓を貫通したようで、大きな音を立てて忍の身体が崩れ落ちる。立て続けに発砲したせいで、何事かと様子を見に来た愛の父親が腰を抜かしてへたり込む姿が見えた。
「ああ、愛ちゃんのお父さん。お騒がせしてます」
「輝跡くん…!?どうして、忍をっ」
「邪魔だったので。仕方ないことなんですよ。来世で僕が愛ちゃんと添い遂げるためには、必要なことだったんです」
「ば、馬鹿な真似は辞めるんだ!」
「安心してください。14時22分にこの世界は終わりを迎える。僕が死んでも、誰にも迷惑はかけません」
「瀬尾さんに連絡しろ!」
「は、はい…!」
愛の母親が携帯電話を取り出して輝跡の両親に連絡を取ろうとするが、大規模な電波障害を行うと事前に情報が入って来ている。携帯電話は圏外だ。連絡できるはずもない。14時21分。輝跡は愛のことだけを考えながらカウントダウンを行う。
ーー愛ちゃん。今度こそ、僕と一緒に幸せを掴むんだ。
4人の屍を生贄にして。輝跡は14時22分に来世で愛と添い遂げる願いを胸に抱きながら、自身の頭部に向けた銃口の引き金を引き、命を落とした。
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