世界ガチャ 時代ガチャ
最近、『親ガチャ』とかいう言葉をよく耳にする。
要するに、親の身分によって子供の一生が決まってしまうということらしい。金持ちの家に生まれれば金持ちになり、貧乏人の家に生まれれば一生貧乏人、そんなことは、人間の歴史が始まってから、ずっとそうだ。
DVや虐待をするような親など論外だが、そうかといって、金持ちやエリートの家に生まれたとしても、それが本当に良かったのかどうか、考えものだと思える。
それこそ、エリートの家柄とかで、親が優秀すぎて、プライドが高いような親だと、親は優秀なのに子供は、などと言われるのがオチではないかと思われる。
英才教育についていけずに、劣等感を味わい、一族の落ちこぼれのレッテルを貼られることになってしまうと、想像してしまう。
考えようによっては、そこそこの身分でそこそこの考えの親の方がいいのかも、簡単に越えられるような親でもいいのでは、と思ったりもするが。
『親ガチャ』だけでなく、最近は『国ガチャ』という言葉もある。
生まれてくる国によって、国の境目が時には生死の境目になるということもある。
こんな国に生まれてきたばかりに、というのは、今も内戦が続く国などは、そうだろう。
世界には、まだ食べられるのに大量の食べ物を廃棄して『食品ロス』を生み出している国がある一方で、国民の多くが飢餓に苦しむ国もあるという。これこそ『国ガチャ』だ。
それなら、『世界ガチャ』『時代ガチャ』という言葉があってもいい。
自分の境遇が不幸であることを、世の中のせいにする、生まれてきた時代のせいにする、一昔前の世代は幸せだったのに、なんで俺たちの世代は、まともな就職もままならない、それに、部活の大会も俺たちの代は中止になってしまった、どんなに願っても、もう戻らないんだ、後輩たちの姿を横目で見るしかできない、それこそ、『世界ガチャ』『時代ガチャ』で選び直せればなあと思うが、はっきりいって、他人の同情なんて、1円にもなりゃしない。
『世界ガチャ』『時代ガチャ』で選び直したら、全く別の世界の別の時代の、もしかしたら、すっげえ人物になっているかもしれないと、そんなことを考えたことは、あるのではないか。
『世界ガチャ』で、生まれてくる世界を選ぶ、『時代ガチャ』で、生まれてくる時代を選ぶ、そんなことができたら、どの世界、どの時代に行きたいだろう。
なろう系の小説ではよく、現実には叶えられない願いを叶える、その一つとして、現実の自分とは違う自分に、異世界ではなれる、という話がよくある。
人生は一度きりなのに、その一度きりの人生が、こんなクソみたいな人生だった、という主人公が、異世界に行って人生やり直す、みたいな話はよくある。
今から書き始めたところで、PV数とか、キャラクターのスキル、レベルとか、異常なほどの数字になっているから、到底今からでは追い付けないだろうが、それでもなぜか執筆をし続けることはやめられない。
そんなわけで、今後も趣味程度で執筆は続けたい。