4.認知症
我が星野家は、少し変わった家系だ。
『三世帯家族』で私、お母さん、そしておばあちゃんの三人暮らし。
三人仲良く楽しく、『幸せ』に暮らしていた。
私の名前は星野七瀬。
中学を出て『就職の道を』選んだ、十六歳の『フリーター』だ。
ショッピングモール内にあるカフェのアルバイトを軸に、夜は居酒屋で働いたりもしている。
まあでも体が持たないから、居酒屋のバイトは週に二、三回程度だけど。
最近は全然入れていないし・・・・。
小学生と中学生時代は友達は少なく、どちらかと言うと『静かな子供』だった。
周りからは『大人っぽく落ち着いている』と、何度言われただろうか。
小柄で童顔なんだけど、その雰囲気のせいか、何度か『大学生』に間違えられたことがあるし。
あんまり気にしていないから、どっちでもいいんだけど・・・・。
そんな私は、リビングの食卓でお母さんが用意してくれた晩ご飯を食べていた。
今日は『オムライス』のようだ。
お母さんが作ってくれた、とっても美味しいオムライス。
おばあちゃん同様に、お母さんも料理がすごく上手だ。
・・・・でも、少し味が濃いかな。
いつもはそんなことはないはずなのに。
お母さんが『料理の味付け』にミスがあるなんて珍しい。
それとも、私の舌が肥えたのだろうか?
お母さんの料理はどれも美味しいから、小中学校の給食に『お母さんの料理の方が美味しい』って、心の中で何度も呟いていた私だし・・・。
そのお母さんは、『疲れた表情』で私同様に食卓に座っていた。
お母さんも晩ご飯なのか、お母さんの片手には缶ビール。
・・・・ああ、『缶ビール』と言っても『発泡酒』だ。
発泡酒の中でも一番安い物。
未成年の私にはよくわからないけど、ビールに似た安いお酒。
ちなみにお母さんの晩ご飯は、私同様のオムライスではなく、『キャベツともやしを炒めた野菜炒め』だけ。
・・・・これだけで大丈夫なんだろうか?
それにその野菜炒め、前にお母さんに内緒でこっそり食べたけど、全然味が付いていなかった。
『塩胡椒』すらしていないみたい。
まあでも、お母さんは『薄味』が好きみたいだから、あまり気にはしていないけど。
おばあちゃんはさっきと変わらず、ソファーに座っていた。
晩ご飯は済ましているみたい。
・・・・そんな空気の中、私は問い掛ける。
そしてそれは、『今日の私への着信の意味』を表す。
「今日はどこに行ってたの?」
お母さんは発泡酒を一気に飲み干すと、答えてくれる。
「公園。
涌井さんが教えてくれた」
「・・・・そう。
近くでよかったね」
「うん。
ホント、目を離すとすぐに何処かに行ってしまうんだから」
「・・・・・・」
言葉を返さなかった私は、コップに注がれた麦茶を一口飲んだ。
会話に詰まると、いつもしてしまう私の癖だ。
動揺して、『無意識の行動』が走ってしまう。
喉が乾いてるわけでもないのに。
『アルツハイマー病』と言ったら、伝わるだろうか?
それとも、『認知症』と言えば、伝わるだろうか?
私が中学二年生になった時の話だ。
おばあちゃんの『古傷』である膝の手術が行われた。
『走れるような回復』は求めていないけど、その頃のおばあちゃんの口癖は『膝が痛い』が一番だった。
日に日に増していく痛みに、おばあちゃんは『手術』を決意。
そして手術は成功した。
おばあちゃんのも満足したのか、『いつもの笑顔』を見せるおばあちゃんに戻っていた。
私もすごく嬉しかった。
おばあちゃんの『悩み』が解決して、私もおばあちゃんと一緒に喜んでいた。
・・・・のに。
おばあちゃんの『アルツハイマー病』が、膝の術後から始まった・・・・。
『膝の手術がアルツハイマーと関係あるのか?』と疑問に思った私と母さんだけど、おばあちゃんを診てくれた医師は、それを否定した。
過去に事例はないみたいだから、『偶然が重なった』としか、私達は思うことしかしか出来なかった。
・・・・だから突然の『おばあちゃんの異変』に、みんなが戸惑った。
最初はまだマシだった。
私の名前も、お母さんの名前も覚えているし、『顔』だってまだ忘れていなかった。
私が学校帰って来たら、おばあちゃんはすぐに『七瀬、おかえり』って言って、『笑顔』を見せてくれた。
・・・・でも『記憶』と『思考』は曖昧になっていた。
『表』ではわからないおばあちゃんの『変化』に、私は頭を抱えるようになってしまった。
例えば日付の話。
私がおばあちゃんに『今日は何日?』って聞くと、おばあちゃんはカレンダーを見ながらだけど、『今日の日付』を答えてくれた。
私を安心させようと気を使ってくれたのか、今の『時間』も答えてくれた。
『何時何分』って。
そのおばあちゃんの答えに、私は安心した。
でもついでに『西暦』を聞いたときは、私は耳を疑った。
だっておばあちゃん、『今から約五十年前の西暦』を言ってくれるんだもん。
『一九七六年の五月六日』ってね・・・・。
あのときは正直言って、何が何だかわからなかった。
お母さんも私同様に、『理解できない顔』を浮かべていたし・・・・・。
それからおばあちゃんの『アルツハイマー病』の進行は、どんどん増して行った。
おばあちゃんが『アルツハイマー病』と分かって数ヶ月後には、私やお母さんの名前なんて、もう忘れられていた。
毎朝私やお母さんを見て、『はじめまして、どなたさんですか?』って、声をかけれるようになった。
・・・・最初は『おばあちゃん、ふざけているのかな?』って、ほんの少しだけ思ったりもした。
だけど『子供のような緩んだ無邪気なおばあちゃんの笑顔』を見て、また私は何が何だかわからなくなった。
ホント、あの頃は何を信じたらいいのか、わからなくなった。
・・・・そしておばあちゃんの行動は、どんどん『暴走』していった。
おばあちゃんが私の名前を忘れてすぐのことだった。
私が中学校から下校している最中に、近所に住む人が私の元まで走ってやってきた。
そして『星野さんのおばあちゃん、豪雨の中なのに家を出ている』って、顔を真っ青に染めながら、私にそう告げた。
最初は何を言っているのか、私は理解出来なかった。
『この人、何を言っているんだろう』って、ただそれだけを私は思った。
・・・・でも『嫌な予感』だけは漂っていた。
だから私は急いで家に帰った。
現状をあまり理解していなかった当時の私だけど、『不安な気持ち』でいっぱいだった。
私が走って家に帰ったら、『びしょ濡れになっていたおばあちゃんの姿』があった。
まるで『家を出て行きたい』と駄々をこねる、子供のようなおばあちゃん。
・・・・そして、同じようにびしょ濡れになったお母さんが、暴れるおばあちゃんを必死になって止めていた。
おばあちゃんを背後から抱きしめるように、お母さんは、おばあちゃんの動きを止めていた。
後からお母さんに話を聞くと、おばあちゃんは突然『仕事に行く』と言い出したようだ。
おばあちゃんは元理容師。
きっと『かつての職場』に行こうとしたみたい。
こんな雨の中、傘も差さずにね・・・。
ホント、その話を聞いた時は、意味がわからなかった。
と言うか、おばあちゃんの職場であった『理容室』は、おばあちゃんが職を離れたと同時に『店仕舞い』をしたらしいのに。
おばあちゃん自身が『膝が限界だ』って言って、自ら店を閉めたはずなのに・・・・。
・・・・この日は激しい雨の日。傘をさしても濡れてしまうような天候だ。
実際に中学校から帰る私は『傘を刺していた』にも関わらず、肩はびしょびしょ。
靴下だって濡れてしまっている。
水溜りを踏んだわけでもないのに・・・・。
そして『こんな酷い雨の中でのおばあちゃんの行動』に、私は『雷に打たれたような気分』になった・・・・・。
・・・・だから今の食卓での私とお母さんの会話は、『認知症になってしまったおばあちゃんの会話』だ。
今日もあの時みたいに、『仕事に行く』と言って、家を飛び出そうとしたみたいだ。
最近は『ほぼ毎日』家を飛び出しているみたいだけど・・・・・。
家が荒れているのは、それが原因。
家を出ようするおばあちゃんの行動を、必死になってお母さんが止めていたから。
おばあちゃんも抵抗するから、こんな有り様。
玄関は荒れて、リビングも酷い状態。
よく見たら、『台所』だって荒れているし。
前まではたくさんあった食器だって、もう今はほとんど残されていないし。
・・・・本当に、『言葉が出てこない日々』だと、感じる毎日。
私とお母さんの話に戻る。
「今日ね、七瀬が仕事に行っている間に、おばあちゃんを預かってくれそうな『施設』に相談した。
でも、どこもいっぱいみたい」
施設。
おそらく『介護施設』のことだろう。
最近お母さんの口から『介護施設』って言葉をよく聞くし。
確かに今は、『おばあちゃんがずっと家にいる状態』だから、お母さんは仕事を辞めて、去年からずっとおばあちゃんに付きっきりで『介護』をしてくれている。
ちなみに今のお母さんに収入はない。
もちろんおばあちゃんも。
一応おばあちゃんの『国民年金』はあるみたいだけど、それだけじゃ『私達三人』は生きていけないし・・・・。
・・・だから私は、高校には行かずに『仕事』をして、『我が星野家を養うお金』を作っている。
私が提案したから、別に『悔い』はない。
私は言葉を返す・・・・。
「認知症患者、増えているらしいもんね。
将来的には、『国民の九人に一人は認知症になるかも』って言われているし。
将来は今よりもっと、『認知症患者が増える』って言われているし」
「そうね。お母さんもいずれはなるだろうし」
「・・・・・・」
「今日は仕事はどうだったの?
七瀬、最近時給が上がってんでしょ?」
急に『仕事の話』か・・・・。
お母さん、相変わらず『話の切り替え』が下手だ。
って、私が言える立場じゃないけど。
と言うかその気遣い、すっごく嬉しいし。
「・・・・夏休み期間だから、アルバイトの大学生がいっぱい増えた。
『年上なのに後輩』って、ちょっと変な気分。
何よりやりずらいかも」
「仕方ないよ。
って、お母さんの口からこんなこと言いたくないけど・・・・・。
七瀬は高校にも行かずに、頑張って働いてくれているんだから」
「・・・・お母さんのせいじゃないよ。
私が『高校には行かない』って決めたんだもん。
お母さんがおばあちゃんを診てくれているんだったら、私が頑張らないと」
「そう言ってくれるだけで、お母さん嬉しいな」
「・・・・・・」
・・・また言葉に詰まった。
お母さんも『返事を返しやすい言葉を選んで欲しい』って言うか・・・・。
何も答えない私を見て、お母さんは席を立つ。
どうやらお母さんの『晩ご飯の時間』は終わりらしい。
「お母さん、先に片付け始めるわね。
ゆっくりご飯食べなよ」
「うん」
お母さんは自分が使った食器を洗って片付けると、散らかった玄関へ向かった。
私も早く食べて、お母さんを手伝おう。
・・・・と言うか、いつまで『この生活』が続くんだろう。
星野家に『光』はあるのだろうか・・・・?
私には、何ひとつ『先』が見えない。