3,堕ちる意思と救う想い
次の日、事態は急速に進んでゆく。
「お、おい!ちょっと待て‼待っ‼ニアっ‼」
クリファの焦るような声とともに、俺とユキの意識は覚醒した。どうやらクリファは電話の最中らしく電話機を片手に必死に相手と話している。
しかし、途中で電話が切れたらしく焦った様子と共に電話機を乱雑に投げ捨てた。そのまま慌てて外へ出ようとするクリファを、俺は止めた。
比較的落ち着いた声で、俺は問う。
「待て、何かあったのか?」
「放せ!このままじゃニアが、ニアがっ‼」
慌てて出ていこうとするクリファを、俺は黙って殴りつけた。
驚いた様子で俺を見るクリファ。そんな彼を、俺は比較的落ち着いた声音でもう一度問う。
その声は、俺自身驚く程に平坦で淡泊だった。
「良いから落ち着け。………何があった?」
「…………ニアが、個人的に行っている研究の結果全ての始まりを観測に成功した」
「……………………それで?」
「結果、どうやら自分の人生を含めた全てが茶番だと知って絶望したらしい。このままではニアが絶望のあまり自殺してしまうかもしれない。こうしている間も、もしかしたら‼」
「そうか。お前はそれについてどう思っている?」
「………?」
言っている意味が理解出来ないのか、怪訝な顔で首を傾げるクリファ。
だが、待っている時間はない。こうしている間も刻一刻と時間は過ぎ去っていく。だからこそ俺は先に聞いておくべき事をクリファに聞いた。
「お前は自分の人生が茶番だと思っているのか?全てが茶番だと、自分の想いや苦悩の全てが茶番だとそう感じているのか?答えろ」
「…………違、う」
クリファの口から、絞り出すような激しい怒りを抑えるような言葉が漏れ出た。
そんな彼の言葉の続きを、俺は待った。そして、クリファの感情はついに爆発した。
「違うっ‼俺の人生は茶番なんかじゃない‼俺の、俺のあいつへの想いは、俺があいつに抱いた全ては断じて茶番なんて言葉で括っていい物じゃないっ‼」
「………そうか、じゃあ行くぞ」
そう言って、俺はクリファの腕を黙って取った。再び怪訝な表情をする彼に、俺は言う。
「彼女を絶望から救うのは、お前以外に居ないだろう?俺なんかじゃ断じてない」
瞬間、俺達はその場から消失し。気付けば今まさに自殺する寸前のニアの前に居た。
・・・・・・・・・
「ニアっ‼」
「クリファ………君」
どうやら、今ようやく俺達の存在に気付いたらしい。ニアの表情は虚ろで、生気というものがまるで感じられない。まさに死人のような表情だった。
そんなニアにクリファは真っ先に飛び掛かり、自殺しようとしていた彼女を止めた。
勢い余ってクリファとニアは共に床に倒れる。しかし、相当精神的に参っているらしい。ニアの表情に全く苦痛の様子は見られない。むしろ、どこまでも虚ろで感情の起伏が見られない。
「っ、どうして!どうして自殺なんか!何故俺に相談の一つもしてくれなかった‼」
「クリファ君、放して………死なせて」
「っ⁉」
ニアは涙を流していた。無表情のまま、虚ろな瞳で涙を流していた。
その表情に、クリファは思わず絶句する。そんな彼に構わず、むしろ懇願するようにニアは虚ろな言葉をただ吐き出している。
「こんな、全て茶番でしかない世界はもうイヤ。私が抱いてきた想いも、情熱も、苦悩も、全て茶番でしかないなら死んだほうがよっぽどマシよ」
「…………っ」
血を吐くような、それでいて絶望に染まり切ったような言葉だった。
その絶望の言葉に、クリファは身体を震わせる。いや、これは………
クリファのその感情は………
「お願い、そうでなければ私を殺して。クリファ君に殺されるなら、私は………」
「っ、馬鹿野郎‼‼‼」
クリファは声の限り叫んだ。そして、握り締めた拳で床を思い切り殴りつけた。
あまりにも強く殴りつけたのか、その拳から血が流れ出ている。それでも、クリファはニアを睨み付けるその瞳を逸らさない。その瞳は、何処までも真っ直ぐニアを見ている。
何処までも強く、怒りに染まった瞳でニアを睨み付ける。
「………クリファ、君?」
「そんな事、例えどんな事があろうと口にするな。ニアが死んだら俺が死ぬ」
「っ‼」
何処までも強い瞳で、クリファはニアを睨み付ける。しかし、クリファの表情は今にも泣きそうでそれを堪えるのに必死なのが理解出来る。
しかし、それでも彼はニアを睨み付ける。涙を堪え、泣きそうになるのを堪えて。
瞳だけは強く、ニアを真っ直ぐと睨み付ける。
「………ニア、俺はお前が好きだ。お前だけが俺にとっての唯一絶対なんだ」
「それ、は………」
「お前がいなきゃ、この世界に価値なんて無いんだよ。お前を死なせたら、俺は無価値な凡愚に成り果ててしまうんだよ。だから、お前が死んだら俺は死ぬ。お前の居ない世界に価値はない」
ニアの居ない世界に、価値などありはしない。
真っ直ぐニアを睨みながら、クリファは断言した。
そんなクリファの言葉に、ニアは目を見開いて黙り込む。
「全て茶番なんかじゃない。少なくとも、俺のお前への気持ちは断じて偽りじゃない。俺はお前の事が他の何よりも大好きだ。決して、それだけは茶番だなんて言わせない」
「そ、れは………」
「お前はどうなんだ?こんな俺の事なんか、嫌か?」
真っ直ぐ見据え、クリファはニアに問い掛けた。その言葉に、ニアの瞳が揺らぐ。
しばらく視線をさまよわせた後、ニアはようやく口を開いた。
「私、だって………私だってクリファ君の事が大好きよ。決して、偽りなんかじゃない」
「だったら、断じて茶番じゃないだろう?………少なくとも、それだけの価値がある」
その優しい言葉に、ニアはこらえ切れずに涙を流した。
そう、決して偽りではない。断じてその涙に嘘なんて欠片もありはしない。断じてこの世界は茶番ではない何よりの証明が其処にはあった。
ニアとクリファは、しばらく互いに抱き合いながら涙を流していた。その涙は、何処までも暖かくて優しいものだと俺には思えた。
少なくとも、俺にはそれだけの価値を感じた。
・・・・・・・・・
「そう、だったんだ………クロノ君も同じだったんだね?」
互いに抱き合い、涙を流し合うクリファとニア。その二人を見詰めながらユキは涙を流す。
まるで、彼等を通して何かを深く理解したかのように。まるで、彼等と誰かを重ねるようにしてユキは滂沱の涙を流している。まるで、ユキの心の中で何かが解けたかのように。
まるで、ユキの心の中の闇がようやく晴れ上がったかのように。ユキは暖かで優しい涙をその瞳から流し続けている。止め処なく、溢れさせている。
そして、そのまま俺に視線を向けないまま声を掛けた。
「私が死を選んだ時。クロノ君に殺されて死のうと思った時も、クロノ君は彼と同じ気持ちを抱いて同じ絶望を感じていたんだね?それでも、クロノ君は私を諦めはしなかったんだね?」
「………ああ、そうだよ」
俺は端的にそうとだけ答えた。その返答に、ユキは再び涙を流した。
まるで、千年もの永い間ユキの心を凍り付かせていた氷がようやく溶けたように。ユキの頬を次から次へと涙が伝い落ちる。ユキ自身、それを止める事が出来ないようだった。
そんなユキの肩を、俺は黙って抱き寄せた。今は、それだけで十分だと思ったから。
ただ、黙って俺はユキの肩を抱き締める。それだけだった。
「ごめん。ごめんなさい。クロノ君………」
「大丈夫だよ、何があろうと俺はユキの味方だ。決してユキを諦めない」
そして、俺は変わらず全てを背負う。そう決めたから。だから………
俺は決して最後まで諦めたりなんかしない。絶対にだ。




