2,気付き
そして、俺とユキはクリファの家に泊まる事になった。日も沈み、時刻は夜の07:30。
風呂を済ませ、衣服を着替えた俺はクリファが居る広間に上がっていた。ちなみに現在、ユキは俺と入れ替わりで入浴中だ。少しだけ覗こうかと邪念が湧いたのは絶対に秘密である。
まあ、その辺はユキには既にバレているらしく入れ替わり際にそっと注意された。うん、そこはかとなく心が痛むのは気のせいではないだろう。罪悪感かな?
いや、普通に良心の呵責が………
「風呂は済ませたか?」
「ああ、はい。ありがとうございます」
広間に上がった俺にクリファが問い掛けてきたので、俺は礼と共に頷いた。
そうか、と頷いたクリファ。しかし、用件はそれだけではないだろう。そもそも、クリファには俺達を泊めるだけの理由がない。そもそも、会ってまだ一日も経っていない俺達に其処までの情を抱くような理由がないだろう。
そして、彼がただの善意で俺達を家に泊めるような人物には到底見えない。恐らくだが、彼はそのような人物では断じてないだろう。故に、何か俺達を泊める目的がある筈だ。
俺は、単刀直入に問いを投げ掛けた。真っ直ぐと、クリファの目を見据えて。
「それで、俺達に何か用事があるんじゃないですか?俺達を泊めた理由か何かが」
「…………純粋な好意、じゃ駄目か?」
「初見での俺の印象で語るけど、クリファはそんな性格ではないと思う。それに会って間もない俺達に其処までの情を抱くような理由が見当たらない」
「……………………」
俺が断言するとクリファは黙り込んだ。自分でもその返答は苦しいと気付いていたのか。
ともかく、俺は少しだけ切り込んでみる。
「そもそも、俺達に聞きたい事があると言ったのはむしろクリファの方だろう?なら、それを話してくれてもいいんじゃないか?」
「………そう、だな。なら単刀直入に聞くが、お前達は一体何者だ?いや、お前は何だ?」
「……………………何、と来たか」
思わず苦笑を浮かべる。
何者ではなく、何か。それはつまり、俺という存在を一個の生物としての範疇を超えた異質な存在として見ているという何よりの証明だろう。
俺は遠藤クロノだ。端的に言えば、人間の両親から生まれた純粋培養の人間だ。
しかし、今の俺は?素直に人間だと首を縦に触れない理由が自身にはある。
少なくとも、今の俺は単純に平凡な人間なんて呼べないだろうから。
それに、今俺の正体がバレるのは流石にマズイ。特に、今のクリファにバレるのは。
何れバレるにしても、流石に今は時期尚早だろう。
俺は、俺の正体とは………
「少なくとも、俺の偏見で見るとお前達は異質だ。特にお前は単純に異質だと括れない何かに見えて仕方がないんだ。もう一度聞くが、お前は一体何だ?」
「俺、は………」
「私達は人間だよ。もちろん、クロノ君もただの人間だよ。其処は絶対に間違いない」
言葉に詰まる俺の背後で、僅かに怒りを孕んだような声が響く。ユキだ。
振り返ると、ユキが僅かに怒ったような表情でクリファを睨んでいた。
その表情に、思わず俺は息を呑んだ。彼女に、ユキにそんな表情が出来たのかと。失礼だがそんな事を思わず考えてしまう程に。俺は驚いていた。
「ユキ?」
「クロノ君は人間だよ。誰が何と言おうと、他の誰かに何を言われようと、絶対に人間だよ」
「…………」
「クロノ君の事を侮辱するなら、私が許さない」
ユキの怒りを受けて、クリファはしばらく何かを思案するように黙り込んでいた。が、やがて何かを理解したのか静かに頷いた後で口元に僅かに笑みを浮かべた。
そして、ユキに向き直ると素直に頭を下げた。
「済まない。そいつを侮辱した訳じゃないんだが、そう受け取られたなら謝罪しよう」
「私じゃなくて、謝って欲しいのはクロノ君の方なんだけど?」
「ああ、そうだな。済まない」
「…………いや、まあ俺は別に良いんですが」
ただ、そう答えるしか俺には出来なかった。それ程の気迫が今の彼女にはあった。
思わず、呆然とした表情でユキを見る。まさか、俺の為にユキがこうも怒りを見せてくれるとは考えてもみなかった。それも、割と本気で怒るとは思ってもみなかった。
素直に嬉しいとも思うけど。それ以上に以外ですらあった。俺の中では、ユキは平然と振る舞うように見えて精神的に不安定だったイメージがあったから。
少なくとも、あの世界でのユキはずっと何かに怯えていたから。それだけの理由が、あの時のユキにはあったのだろうけど。それでも………
きっと、俺は無意識下でユキはそういう人間なのだと決めつけていたのだろう。
呆然としている俺の傍に、ユキはそっと寄り添うように立つ。弱さなど微塵もない表情で。
それが何故だか嬉しくて、俺は呟くようにそっと言った。
「ありがとう」
今の俺の表情は、きっと満ち足りた穏やかな顔をしていた事だろう。
それくらいに、今の俺は晴れやかな気分だった。きっと、胸の奥にあるつっかえがようやく取れたような気分なのだろう。少なくとも、今の俺はそういう気分だった。
もう、きっとユキは大丈夫だ。そう心から思えた。
・・・・・・・・・
そして、その頃———場所は変わってニア=セフィラの家。
カランッと、床に金属製のコップが落ちた。コップに入っていたコーヒーが床に散った。
彼女の家には個人の研究室が設けられている。以外と潤沢な研究資金を保有している彼女の研究室には一通りの資材が揃っている。
それこそ、専門的な機材も多少なら融通が利くくらいだ。文字通り、個人で所持するには潤沢に過ぎる程度には設備が整っているだろう。
そんな彼女の研究室で、ニアは愕然とした表情で硬直していた。いっそ恐怖と呼んでも構わないようなそんな恐ろしげな表情でやがて、わなわなと震え出した。
膝から崩れ落ちそうになるのを、何とか机に手を着く事で防いだ。
何だこれは?何なんだ?一体これはどういう事だ?
今の彼女の心境を代弁するなら、つまりそういう事だろう。それ程の衝撃を受けていた。
「そんな、まさか………」
震える声が、その口から漏れ出た。震える声が漏れ出るのを防げなかった。
観測技術が発達した結果、この時代において魂の存在が証明されていた。
そして、彼女はその魂を通じて生命の根源を探る研究を進めていたのである。人間の意思の研究の結果として魂の存在が証明されたというべきだろうか?
ともかく、人間の意思の波長を研究する結果として魂の存在が証明されたのだ。
ニアはその魂の系譜を観測技術を通して辿る事で生命の根源を探る研究を進めていた。観測技術の発達により魂の存在が証明されたというのなら、その魂の系譜を辿れば何れ根源に至れる。
少なくともニアはそう結論を下していた。まあ、その研究は芳しくなかったが。
しかし、ニアはその結論を間違いだと思わなかった。そして、この研究により生命の根源を知ればそこから芋づる式にこの宇宙の根源を知れる。そう考えていた。
もしそれが正しければ、きっと全ての答えが分かると信じていた。
人類は果たして何処から来たのか?そして、何処へ向かうのか?その答えが。
だが、問題は其処ではない。其処は問題にすらならなかった。
その研究のさなか、奇妙で異質な二人に出会った。奇しくも、その二人が切っ掛けとしてその研究が一足飛びに進んだのだが。その結果にニアは愕然とする。
ニアは一つの事実に気付いた。そして、其処から恐ろしい結論へと至ったのである。
「そんな、そんな………そんな事って、そんな馬鹿な事って」
只管に似たような事を呟き、やがてニアは恐怖に歪んだ表情で結論を呟いた。
「それでは、それでは私達の全てが茶番だったなんて」
此処から、全ては一気に転がり落ちてゆく。もう、二度と後戻りは出来ない。




