3,色あせた追憶1
それは、ある平凡な男の追憶。平凡だった筈の男の記憶。
平凡だった筈の男が、たった一つの絶望で怪物に成り果てる物語だ。
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その男の名はクリファ=ジークス。普通に喜び、悩み、苦悩した、至って平凡な男だ。知能も体力も其処まで高くはなく、働いている会社内でも業績は平凡。上司からの評価も至って普通。
そんな何処までいっても普通で平凡な男だった。そして、平凡だったからこそそんな自分が何処まで行こうと特別な人間にはなれないと悟っていた。
そう、悟ってしまっていた。
彼が生きていたのは太陽系とはまた異なる銀河にあるとある惑星。
文明がかなり発達しており、結果として自身の住む銀河全域を支配するに至った超文明。
常温核融合炉が一般的に普及し、星の全エネルギーを余す事無く運用し、精神というより高次元領域のエネルギーを運用するに至った。超高度に発達した文明を築いていた。
そして、何よりも観測技術の飛躍的な向上により魂という物質界に全く囚われない精神世界の観測にも成功している。科学により、魂の存在すら証明された世界。
結果、その文明は栄華を極めていた。何れ、複数の銀河を掌握し宇宙全域すら支配せんと息巻いていた程にその文明は規模を拡大していたという。
しかし、そんな中で彼は何処までいこうと平凡だった。素朴といっても過言ではない。
故に、きっとそのまま何も残せず無価値なままその生を終えるだろうと思っていた。
そんな自分こそが、無価値で無意味な存在なのだろうと断じていた。
………一人の女性に出会うまでは。
「初めまして、今日からこの部署で働く事になりましたニア=セフィラです」
「………えっと?どうも、クリファ=ジークスです?」
彼女は底抜けに明るかった。広くあまねく世界を照らす太陽のよう。そう、思わず詩的な感想すら抱いてしまう程度には明るかったという。
そして、クリファの人間性とニアは全くの正反対だった。対極といってもいいだろう。
平凡な自分を自覚していたが故に卑屈だったクリファに対し、ニアは何時も底抜けに明るく楽しそうに笑いながら接してきたという。何時も、クリファの傍に楽しそうについてきた。
何処までも楽しそうに。さも嬉しそうに。底抜けに明るく笑っていたという。
そして、そんな彼女に引っ張られながらやがてクリファも悪くないと思い始めた。
少しずつ、少しずつ、彼の中に甘く暖かい何かが満ちていくのが理解出来た。
果たしてそれがどのような感情なのか、この時はその名前すら理解出来ない。けど、不思議とそれが心地よく何時までも味わっていたいと思えてしまう。
そんな、自身の感情に戸惑ってすらいた。戸惑いながらも、悪くはなかった。
しかし、同時に不思議でもあった。何故、彼女がこんなにも自分に構ってくるのか?何故彼女がこんなに平凡で素朴な自分に笑い掛けてくれるのか?それが不思議だった。
だから、ある時彼女に思い切って訊ねた。何故、こんなにも自分に構うのか?何故こんなに平凡な自分に笑い掛けてくれるのかと。
そんな問いに、彼女は最初きょとんっと不思議そうな顔をした。
その後、問いの内容を理解したのか苦笑を浮かべてその問いに答えた。
「別に、特別な理由がある訳じゃないよ?初めて貴方と出会ったあの日、クリファがあまりにも平凡で素朴な人間だったから。だからこそ私は傍に居る事を選んだんだよ」
「………?どういう事だ?」
「だからね?クリファが平凡な人間だったからこそ、その傍に居る事が一番安心出来た。答えてみればただそれだけの単純な話だよ。何も特別な話じゃないから」
そう言って、ニアは再び明るく笑った。底抜けに明るい、太陽のような笑顔。
そう、考えてみれば至って単純な話だったのだ。
ニアはクリファの平凡さに安心を覚えていたのだ。それ故に、ずっと傍に居ただけ。ただ本当にそれだけの話なのだから。
故に、これは何も特別な話じゃない。至って平凡な、何処までもありふれているただの人間関係の話でしかないのだろう。
クリファがニアの明るさに惹かれたように………
ニアもクリファの平凡さに惹かれていただけの話なのだから………
そして、だからこそクリファはこの時になってようやく気付いた。
自分がニアという女性に対し、ほのかな恋心を抱いていたという事実を。ニアという一人の女性の事を心から愛していたという事実を。ようやく認めたのだ。
「………ああ、そうか。そういう事だったのか」
「……?クリファ?」
自分の感情の、その名前を理解して。クリファはようやくすっきりとした気分になった。
そうだ。そうだったのだ。自分はそんな彼女に惹かれたのだとようやく理解して。だからこそ彼女の傍に居続けたいとそう思った。ずっと、彼女の傍に居続けたいと思った。
それを理解して、もう自分を止める事なんて出来なかった。自分を抑えられなかった。
「………ニア、君に伝えたい事があるんだ」
「うん、何?」
クリファの言葉に、きょとんっとニアは小首を傾げた。その姿が、また愛らしい。
しかし構わない。もう、自分の感情を抑える事が出来ないから。だからこそ、クリファは彼女に自身の想いを告げる。その、想いの丈を。
「ニア、君の事が好きだ。愛してる。だから、どうか俺と付き合って下さい!」
「……………………」
「………………………………」
「………………………………」
「……………………ニア?」
「………っ、え?私の、ええ?」
ニアは分かりやすく混乱していた。顔を真っ赤に染めて、それでいてちらちらと何度もクリファの顔を見ては熟れたトマトのように真っ赤な顔を俯けていた。
そんな彼女に、クリファはもう一度自身の想いを告げる。気分はもうやけっぱちだ。
当たって砕け散る精神で臨んでいる。
「大好きだ、ニア。君の事を愛してる」
「………そ、そんなに言わなくても分かってるよ。ぅうっ」
そう言って、ニアは改めてクリファの顔を真っ直ぐと見た。上目遣いで、真っ赤に染まった少し涙目の顔だけれども。それでもニアはクリファを真っ直ぐと見詰めた。
真っ直ぐと、クリファという一個人と向き合った。
そして、ニアは自身の想いをクリファに告げる。
「………わ、私も。クリファの事が、好き………です?」
「なんで疑問形なんだ?」
「………いじわる」
「俺だって恥ずかしいんだ。けど、君の素直な気持ちが知りたいと思っている」
「……………………っ」
真っ直ぐ見詰め合う二人。やがて、ニアは根負けしたように唸りながら言う。
「う~~~っ、わ、私もクリファの事が好きです。大好きです」
「………ありがとう、ニア。愛してる」
そう言って、クリファはニアをそっと抱き締めた。強く強く、抱き締めた。
ニアも、そんなクリファにそっと抱き付く。互いに、穏やかな笑顔で抱き締め合う。
やがて、二人はどちらからともなくそっと顔を近付け合い………キスをした。




