7、闇と罪
そして、深夜一時になってようやく俺は解放された。………つ、疲れた。
流石に延々とあの姉弟のノロケ話を聞かされるのは精神的に疲れる。心なしか重い身体を引きずりながら俺はプレハブ式の建物の階段を上り、屋根の上に登ってゆく。
屋根の上には小さな展望デッキがあった。
展望デッキには古びた天体望遠鏡が置かれている。この劣化具合から推測して、恐らくこれも遺跡から発掘された遺物なのだろう。屋根の周囲には落下防止の為の簡易的な柵があった。
そっと、俺は展望デッキの床の上に腰掛けた。夜空には満天の星空が。その星空を眺めて俺は素直に綺麗だと思った。地上の光に遮られない星空は、こんなにも綺麗だったのか。
そう思い、俺はやがて寂しいような悲しいような不可解な気持ちに襲われた。
文明が滅びて一体どれほどの時が過ぎたのか?恐らく十年や二十年ではあるまい。何十年、或いは何百年と過ぎたのかもしれない。それだけの年月を人は必死に生きてきたのだろう。
必死に生きて。そして死んでいった。
俺は僅かに眉間に皺を寄せる。そう、必死に生きて死んでいったのだろう。
「兵どもが夢の跡、か………」
一体、どれほどの人がかつての文明に想いを馳せていたのだろうか。恐らく、こんな世の中で何も思わずに過ごした人など一人として居まい。きっと、ただの一人として居ないだろう。
皆、必死に生きている。必死に生きて、そしてその中で死んでいったのだろうから。
それは、一体どれほどの———
「こんな所で一体何をしているの?」
そう言って背後から近付いてくる人が居た。ユキだ。
振り返るとユキが穏やかな笑顔で立っていた。一体、何時から其処に立っていたのか?
全く近付いてくる気配を感じなかった。
「………そういうお前は何時から其処に居たんだ?」
「来たのはたった今だよ?」
不思議そうな顔でユキはそう答えた。そうか、と俺は視線を戻す。そんな俺の隣に、ユキは静かに腰を掛け俺に笑みを向ける。思わずドキリとしそうな笑顔だ。
そんな俺に、ユキはもう一度同じ質問をした。
「で、こんな所で何をしているの?」
「星を眺めていた」
「……それだけ?」
「……それと、この世界の人達の事を考えていた」
この世界の人達の事。文明が滅びた世界で生きる人達。必死に生きて、そして死んでゆく。
悩み、苦しみ、それでも必死に生きていく。
此処では、一体どれほどの人達がどれほどの想いを抱いて生きてきたのだろう。そして、どれほどの想いを抱いて死んでいったのだろうか?俺はそれを知らない。
きっと、何も考えていない事などあるまい。何も思う事もなく生きる事など、この世界では恐らくありえないのだろう。きっとだれもが何かを思い、必死に生きている。
必死に生きて、生きて、そして死んでいく。きっと、そんな世界では俺は異分子なんだ。
異分子で、異端なんだろう。イレギュラーなのだろう。
そう考えていたら。ふいにそっとユキが俺を抱き締めてきた。
「大丈夫だよ」
「…………?」
ふいに掛けられた言葉に、俺はユキの方を見る。ユキは穏やかな笑顔で俺を見ていた。
その笑顔に胸が高鳴る。素直に美しいと思った。綺麗だと思った。
「大丈夫、クロノ君は決して異分子なんかじゃないよ。この世界にきっと必要だよ」
「それ、は………」
「クロノ君はきっと希望なんだと思う。だから、この時代に来たんだよ」
そう言い、ユキは俺の頭を優しく撫でる。何故か、俺は胸の奥が熱くなってきた。目の奥がじんと熱くなるような思いだった。そっと、それをごまかすように視線を逸らす。
そして、俺は今の気持ちをごまかすように聞いた。
「ユキは、一体何を思って今の時代を生きているんだ?」
だから、こんな事を思わず聞いてしまった。
ああ、本当はこんな事は聞くべきではなかったんだろう。こんな事、本当は口が裂けても絶対に聞くべきではないだろう。それなのに………
それなのに、俺は思わず聞いてしまった。後に激しく後悔するとも知らずに。
「……………………」
「ユキ?」
何処か、悲しげな気配を感じた。思わず俺はユキの方を見る。
ユキは、今にも泣きそうな悲しげな表情だった。悲しげな表情で呟くように言った。
或いは、それは絞り出すような声だったのかもしれない。
「…………私には。私には、罪があるんだよ」
「罪?」
問い返す俺に、ユキは頷いた。それは、今にも泣きだしそうな顔だった。今にも押しつぶされそうな苦痛に耐えているような、辛い表情だ。
それを見て俺は一体何を思ったのだろうか?
「うん、償いきれない。とても重たい罪。それを償う為に、私は今の時代を生きているの」
それを聞いて、俺は一体何を思ったのだろうか?少なくとも罪を背負いその罪に圧殺されようとしている彼女に対して、俺は何が出来るのだろうか?何がしたいのだろうか?
解らない。解らないけれど、それでもきっと俺は何かしたいと思ったのだろう。だから俺は彼女に対してこう聞いたのだろうと思うから。
「…………君の罪を、俺に言う事は出来るか?」
「………え?」
「ユキの罪を俺にも教えて欲しい。君の罪を知りたいんだ」
———だから、君の事を教えて欲しい。君の苦しみを知りたいんだ。
「…………っ」
その言葉に、ユキは泣きそうな顔になった。泣きそうな、悲痛な顔だ。
しかし、それでもその目に涙をたたえ笑顔で首を横に振った。悲痛な、胸を引き裂くようなとても悲しい笑顔で彼女は首を横に振った。首を横に振って、言った。
泣き笑うような、そんな悲痛な顔で。
「………ううん、それは駄目だよ。クロノ君にこの罪は背負わせられない」
「それは、何故………?」
「この罪は、何時までも私が背負うべき十字架だから」
そう断言したユキに、俺は何も返す事が出来なかった。何も返す事が出来なかったけど、それでも俺は何かをしたいと思ったから。だから………
俺は、気付けばユキを抱き締めていた。強く、強く、抱き締めていた。
「…………っ‼」
「え、あの………えっと。クロノ………君?」
ユキは顔を真っ赤に染めて慌てている。けど、俺はそれを汲んでいられる状態じゃない。
俺はユキに何もしてやれない自分自身がふがいなかった。本当は何かをしたかった。けどそれを恐らくユキは拒むのだろう。それが、歯がゆくて仕方がない。
だから、きっと今の俺を満たしている感情はきっと怒りだ。今、俺は怒っているんだ。
「……………………っ」
「………っ!ご、ごめんっ‼」
ついに耐え切れなくなったのかユキが俺を突き飛ばした。そして、そのままユキはそそくさと逃げ出すようにその場を離れていった。俺は彼女を止める事も追いかける事もしなかった。
黙って、その場に倒れ込んだまま呟くように一言言った。
「何をやっているんだろう、俺」
それに答えてくれる人は、此処には居なかった。
・・・・・・・・・
しばらく走った後、私は高鳴る胸を押さえて唸る。
「う、ぅうっ………」
どうしてこうなったのだろうか?解らない。けど、それでも私の胸が激しく鼓動を打っているのは事実なのだろうと思う。この胸の鼓動は一体なんなのか?
どうしてこんなにも顔が熱いのだろうか?どうして先程の彼を思い浮かべて強くドキドキしているのだろうか?どうして、解らない。何も解らなかった。
「あんな事を言われたのは、初めて………」
知らず呟いた言葉に、私はようやくそれに思い至った。そして、同時に恐怖した。
ああ、そうか。私に対してあんな事を言ってくれる人は初めてだったんだ。
私の罪を知った人は、誰もが私から逃げ出すか激怒した。誰もが、私の秘密を知った瞬間には私に向かい刃を向けてきたから。だから………
ああ、だからこそ私に其処まで言ってくれる人は初めてだった。そして、其処まで言ってくれるような人に私は嫌われたくないんだ。
それに気付き、私はその場に膝を着いて涙を流した。涙を流し、声を上げて泣いた。