4,無価値なる意思
ゆっくりと、崩れ落ちるように魔物が倒れる。魔物と化したヨゾラが倒れる。
魔物の身体に亀裂が入り、さらさらと角砂糖のように崩れてゆく。まるで、無価値を象徴する彼自身を現わしているかのように。崩れて消え去ってゆく。
終わった、のだろうか?本当に?これで?
「…………此処まで、か」
「ああ、此処までだ。もう、お前もこれ以上戦う必要はない。これで全て終わりだ」
「そう、か…………」
ヨゾラは笑う。まるで、憑き物が落ちたかのような清々しい笑顔。だけど、それでもきっとまだ彼は救われてはいないのだろう。本当の意味で、彼は救われてなどいない。
何故なら、彼の本当の絶望は。彼が本当に絶望したのはもっと別の理由なのだから。
彼の絶望は、まだ晴れてはいない。
「………なあ、本当にこれで良いのか?お前が本当に絶望したのは、」
「言った筈だ。この世界に価値など無い。全てに価値など認めないと………」
「……………………」
思わず黙り込む。そんな俺に、ヨゾラは言った。まるで、世界を呪うかのような口調で。
「それは俺自身だって同じだ。お前らが滅びないなら、俺自身が滅びるまでだ」
それは、何処までも強固な意思の現れだった。何処までも強い、確固たる意思。それはどちらかが滅びるまで決して止まらないという強い覚悟の現れだろう。
つまり、世界が滅びないならば。世界を滅ぼせないならば自身が滅びるだけだという不退転の意思でもあるのだろう。結局、どちらかが滅びるまで止まる事が出来なかったのだと思う。
もう、どうしても。どうあっても、彼は止まる事が出来なかったのだろう。
「………俺は、嫌だぞ?そんな結末は。お前を排除して終わりなんて認めない」
「下らないな。甘ったれるなよ、小僧。俺は何処まで行こうとこの世界を認められない。俺は世界を滅ぼす魔物で良いんだよ。お前は、そんな俺を倒したんだ」
なら、お前はお前自身を誇れよ。そう言って、薄く皮肉げに笑みを零した。
「ふざけるな。ふざけるなよ。こんな、こんな終わりがあってたまるか。俺は………」
「……………………」
「俺は、ただお前と………彼女の父親として話したかっただけなのに」
ただ、それだけなのに。どうしてこんな事になったのか?
俺の零した言葉に、やはりヨゾラはふんっと鼻を鳴らした。心底つまらなそうに。まるで心底から面白くもない話を聞いたかのような表情で。
「それこそ、下らん。俺はあれを自身の娘と認識した覚えなど一度だってない」
そう言って、ヨゾラは静かにその目を閉じ———
ドクンッと、傍目からも分かるほどに巨大な胎動があった。
「ぐっ、ご………ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁっっ‼‼‼」
「っ‼?」
激しい嵐が、周囲一帯を吹き荒れる。それは、展開された仮想世界を引き剥がし現実世界にまで影響を及ぼしうるような無価値の意思だった。
文字通り、世界を無限に滅ぼし続けて尚おつりがくるであろう力の奔流。
全てを否定し、無価値へと堕とす。そんな力の奔流だ。
「クロノ君、これは?」
ユキが駆け寄ってくる。言っている間にも、鈍色の嵐は吹き荒れる。それは、まさしく無価値の意思そのものだろう。世界を全否定する意思の具現だ。
三千世界を駆け抜け、全てを否定し尽くす巨大な意思だ。それが今、ヨゾラの身体から吹き荒れ暴走を始めているのだろう。文字通り、世界を滅ぼす為に。
認めない。許さない。全て消し飛べ。消え失せろ。滅べ。
そんな、負の感情が鈍色の嵐から感じられる。それは恐らくこの男の根源。無価値の魔物としての意思の根源的存在なのだろう。
つまり、この鈍色の嵐こそ世界を滅ぼした真の元凶なのだと思う。
幾度も転生を繰り返し、その度に世界を滅ぼしリセットした。精神生命と呼ぶべき者。
世界を滅ぼす、無価値の魔物。無価値なる意思。
「………クロノ」
「クロノ君」
オロチを始めとした、五体の王たちが前へと進み出る。ユキも頷く。恐らく、手伝うとか共に戦うとかそういう意味で進み出たのだろう。しかし、俺は首を左右に振った。
驚くオロチたちに、ユキに、俺は言った。
「必要ない。此処は俺に任せて欲しい」
「クロノ、お前………」
オロチが何かを言う前に、俺はソレと向かい合った。鈍色の大嵐。それは、世界を無限に滅ぼしてそれでもおつりがくるであろう巨大な力の渦だ。
俺は、それへと臆する事なく腕を伸ばす。そっと、それに触れる。
「来いよ。お前の気持ち、俺が全て受け止めるから………」
———なら、受け止めてみろよ。俺の絶望を全て。
瞬間、俺の中へと殺到するように鈍色の大嵐が押し寄せてきた。
押し寄せ、俺の中へと入り込んでくる。絶望が、俺の中へと押し寄せてくる。
「っ、クロノ君‼」
「大丈夫だ!俺は、大丈夫………」
そう言って、俺はユキの方へ振り返る。大丈夫だと、安心させるように笑みを向ける。
きっと、今の俺の笑みはかなりぎこちない事だろう。当然だ、俺の中には魔物の絶望が奔流となり吹き荒れているからだ。文字通り、荒れ狂うような絶望の渦だ。
しかし、俺はそれを真っ直ぐと受け止める。絶望の根源を、真っ直ぐと受け止める。
そして、やがて鈍色の大嵐が全て俺の中へと入った瞬間。
仮想世界の崩壊と共に俺の意識が暗転した。
・・・・・・・・・
暗い。暗い。底の知れない闇の中。俺は立っていた。
全てを否定する嵐が俺の目前に吹き荒れていた。全てが無価値だと、全てに価値など無いとその大嵐の奥にある意思が告げていた。故に、滅びてしまえと。
しかし、それでも俺は欠片も恐怖を抱かなかった。恐れは無かった。それはきっと、その意思の奥底に悲しいまでに悲痛な感情が混じっているのが理解できたからだろう。
だから、俺は一歩進み出る。歩み出す。
全てを滅ぼし尽くさんばかりの意思の奔流。その中へ、俺は臆する事なく踏み出す。
その中へと………
………その男は当たり前のように挫折し、当たり前のように思い悩んだ。
………その男は至って普通に怒り、喜び、悲しみ、そして恋をした。
………実に平凡な人生。実に平凡だったその男。
………しかし、ある時その男に一つの転機が訪れた。
………男の目前で、一人の女性が死んだ。自殺だった。彼女は男の恋人だった。
………当たり前のように挫折し、当たり前のように思い悩んだ。それでも立ち上がってこられたのは偏に彼女の存在があったからだ。彼女が居なければ、立ち上がれなかっただろう。
………駄目だ。これは、駄目だ。これだけは絶対に駄目なんだ。
………男は知った。彼女の絶望の根源を。彼女が死んだ、本当の理由を。
………故に、男は決意した。全てに対する復讐を。彼女を絶望させ、死に至らしめたその元凶全てに対する報復行為を。男は決意した。
………彼女の居ない世界など、彼女を絶望させる世界など、無価値でしかない。
………そんな世界に価値など認めない。故に、滅びろ。
……… ……… ………
「なるほど?それが、お前の絶望の根源か………」
俺はそう呟いた。それだけで、鈍色の大嵐に亀裂が入る。亀裂から底の無い悲しみが漏れ出て止め処なく溢れ出してくる。それは、まるで彼自身の涙のようで………
だから、俺は自然とその言葉を口にしていた。
「安心しろ。お前のその絶望を、俺は必ず晴らしてやる。お前を必ず救い出してやる」
だから、どうか安らかに。そう、俺は告げた。
その瞬間、世界を滅ぼさんばかりに吹き荒れていた鈍色の大嵐が霧散し———
———その後には綺麗な花々が咲き乱れていた。花々へと、日の光が降り注ぐ。




