6,イデアの世界
瞬間———世界は遠藤クロノの慟哭と共に容易く砕け散った。
・・・・・・・・・
「何故、どうしてこうなった?分からない………何も」
ただ、分からないと呆けたように呟くことしか出来ない。どうしてこうなったのか?何故こんなことになるのか?なってしまったのか?何も分からない。分かる気がしない。
ただ、一つだけ分かるのは自分が致命的な失敗をしてしまった事だけだ。もう、取り返しがつかないレベルで俺が失敗したという厳然たる事実。それが、俺を苛んだ。
分からない。分からない。もう、何も分かりたくない。
もう、俺自身どうすれば良いのか理解が出来ない。もう、何も………
何、も………
「………ずいぶんとまあ、情けない姿だな?遠藤クロノ」
「…………?」
聞こえた声に、俺は力なく垂れていた頭を上げる。
其処には俺がよく知る人物が居た。光り輝く空間に立つ、俺とよく似た風貌の男。
いや、その男には恐らく風貌など大した意味が無いのだろう。まるで陽炎のように身体全体が小さく揺らめいていた。そう、彼にとって恐らく見た目など仮初でしかない。
文字通り、彼は誰でもあり誰でもないのだろう。
「アイン?いや、違う。お前は………」
「アインで良いぞ?それとも、イデアとでも呼ぶか?」
「イデア?」
「ギリシャのある哲学者が俺をそう呼んだんだよ。まあ、今はどうでも良いか?」
そう、全てはもうどうでも良い。もう、何もかもがどうでも良い。ユキはもう居ない。彼女はもう何処にも存在しないのだから。もう、何処にも………
どうして、こんな事になったのか?
「くそっ!どうしてこんな事に———」
「本当に、お前はそれでいいのか?そんな情けない姿で本当に良いのか?」
「けど、俺は失敗したんだよ!救いたかった人はもう何処にも居ない!」
この世界の、何処にも。ユキはもう居ない。
けど、アインはそれでも首を左右に振った。まだ、何も終わっていないと。
「お前はまだ何も失敗してはいない。それに、まだ取り返しは付く」
「それ、は………」
「お前は、もうその方法を知っているだろう?全てを失う事なく全てを取り戻す方法を」
「……………………」
そう、俺は知っている。その方法を………
「全てはお前の中にある。お前が真に英雄の道を選ぶなら、あまねく全ての命や世界そのものすらその背に負う覚悟を決める事だ」
「…………この背に、負う」
「そうだ。救いたい者が居るなら、その命くらい背負わないとな」
そう言って、アインは笑った。
そうだ。そもそも、俺が望んだ英雄像とは最初からそういうモノでは無かったか?
ありとあらゆる存在をその背に負う者。その背に全てを背負い、人々を絶望から救う。最初から俺が望んだ英雄とはそういう存在ではなかったか?
なら、まだやりようはあるだろう。まだ、取り戻す手はある。いや、そもそも俺はまだ何も無くしてはいないのだろう。文字通り、何も。
全ての命は、この背に負っている。世界そのものすら。皆、俺と共にある………
俺の中に、もう絶望は無かった。気付けば俺はしっかりと立ち上がっていた。
そうだ、俺は………
「俺は、英雄になるんだ」
英雄になりたいのではなく、英雄になるんだ。
全てを救うのだ。今度こそ、全てを………
「………そうだ、それで良い」
その空間から脱出しようとして、気付く。
「そう言えば、お前は一体何が目的だったんだ?別に、お前は俺の中の異能では無いだろ?」
俺にも、それくらいは分かる。本来、アインは俺の中にある異能とは別の存在だ。
ずっと、俺の異能のふりをしつつ俺の中に潜んでいた存在。
「お前は、この世界の根源そのものなんだろう?世界の根源、つまりは始まりの零だ」
全ての宇宙はアインの思考から生まれている。アインの思考が物質化した結果、宇宙が創造されたんだろうと俺は推測した。
つまり、この宇宙の真の創造主だ。
「俺の目的、か………」
アインはぽつりと呟いた。その表情は、陽炎のように揺らめいて分かりづらい。
果たして、この時彼は何を思っていたのか?
「俺の目的、それは遠藤クロノを俺の後継に据える事だった………」
「だった?」
アインはゆっくりと、しかし確かに頷いた。
「お前は知らないかもしれないが、本来精神生命へと至れるような存在は稀だ。そして、その先に存在する俺へと至れるのはそれ以上に困難。いや、いっそ不可能と言っても良いだろう」
「………そうなのか?いや、そうかもな」
何故なら、アインと世界の関係を。いや、アインと人類の関係を考えれば理解出来る。
そして、再びアインは頷く。
「全ての宇宙は俺の思考が流れ出した結果生まれた。そして、その宇宙に住まう全ての命は俺の思考から切り離された小さな欠片だ。簡単に言えば、大河の流れに対する水の粒子か」
「全ての命は、お前から切り離された欠片であると。だからこそ、小さな欠片である俺達には大元であるお前には絶対に辿り着けないと?」
「そう、その筈だった………」
「また、だったか………」
しかし、そう。だったのだろう。
つまり、所詮はごくごく小さな欠片である筈の俺には大元であるアインには到達できないし理解すら出来ない筈だったのだろう。
しかし、それが出来た。辿り着いてしまった。
「俺という名の大元から切り離され独立した小さな欠片。所詮はその程度だった筈の遠藤クロノはところが俺へと到達しうる要因を幾つも持ち合わせていた」
「アインへ到達しうる要因だって?」
「そう、一つは潜性遺伝子。これは通常の潜性遺伝ではなく、文字通り俺の意思の波長をより濃く受け継いだ証だろうな。云わば、俺の後継たる証だ」
「…………」
「そして、二つ目に架空塩基の存在だ。全ての文明は到達点として架空塩基へ至る。しかし、それが偶然か必然なのかお前の両親が完成させる事となった」
架空塩基とは、元を正せばアインの遺伝子構造を真似たものだ。要するに、遺伝子の構造を可能な限りアインへと近付けた結果生まれた人造遺伝子こそが架空塩基だ。
偶然か必然か、それを俺の両親が完成させる結果となったという訳だ。
それに、とアインは続けた。
「まさか架空塩基と潜性遺伝子が相互作用を引き起こし、俺へと至る為の異能を発現するとは流石に予想が付かないだろうさ」
「俺の、異能………」
そう、それこそが第三の要因。
俺の異能………つまり、反エントロピーの生成と完全制御による局所的な時間逆行。
その異能の本質は、始まりの座標へと至る為の穴を開ける力。
「それ程までに都合よく俺へと至る要因が揃っていた。それはつまり、お前という人間に俺へと至る為の何かがあるとしか思えないだろう。才能や資質以前の何かが」
「何か、ね?それはお前ですら感知していないのか?」
「全くな」
そう言って、アインは静かに溜息を吐いた。
「本当は、俺は最初それを見て自身の後継に据えるつもりだった」
「けど、気が変わったと?」
「ああ、俺はお前という人間を見ている内にその魂が放つ輝きに魅せられたんだよ」
魂、ね?或いはそれは、アインの意思の欠片とも呼べるものかもしれない。
けど、所詮は欠片でしかなかった筈のその中から俺のような存在が生まれた。
恐らく、俺はイレギュラーだったのだろう。本来、ありえない筈の存在だった。ありえない筈なのに生まれてきてしまった、世界の異物。それが、俺か。
遠藤クロノという人間か………
「………そう、か」
そうか、と。俺は言い静かに息を吐いた。もう、これ以上話をする事もない。
俺は、自身の腕を横に構え何かを握り込む。
俺はある物を手元に引き寄せ握り締めた。それは、一振りの剣だ。気付けば、俺の手元には純白の輝きを放つ日本刀が握られていた。ヴォーパルソードだ。
そう言えば、俺はコレを手にしてから一度も使っていないな?そう、ふと思った。
しかし、これで俺はようやく救う事が出来る。彼女を救える。
今度こそ。今度こそ俺は彼女を救う。白川ユキを救いだして見せる。罪も罰も関係ない、俺は彼女のことこそを救いたいと思ったから。だからこそ、
「今度こそ、お前の事を救ってみせるからな………ユキ」
そう言い、渾身の意思を籠めてその白刃を振るう。
結果、全ての始まりであるその空間は両断された。
全ての始まりである原初の時を引き裂き、俺はこの時を以って新生を果たした。
それは、新時代の到来を告げる英雄の産声だったのかも知れない。




