閑話、神とは似て非なる何か
さて、皆さんは一度くらいは考えた事があるだろうか?いや、ほんのひと欠片程度は、或いはほんの刹那くらいは考えた事があるだろうか?
何を?この世界を、巨大な一つの流れであると。
この世界そのものが、一つの巨大なシステムであると。
例えば、世界を巨大な水の流れと仮定義しよう。巨大な大河があり、支流があり、それ等を循環させる巨大なサイクルが存在する。そう仮定しよう。
我ら人類は———いや、この世界にあまねく存在する生命はその巨大な流れの欠片だ。故にその多くは大いなる流れに流されるがまま生きていると言えるだろう。
それは、自分で考えて生きているとか生きていないとか、そういうレベルの話ではない。
断じて、そんな次元の低い話ではないのだ。
要は、自身の意思で生きようと生きまいとその巨大な流れ自体は存在するという話だ。云わばほんの誤差程度のズレはあれど、大局的な差はほとんど無いという事実。
それを以って、巨大で流動するシステムが存在する事の証明とする。
では、一つだけ考えてみよう。その巨大な流れ、巨大なサイクルの根源には何があるのか?
即ち、世界という巨大なシステムの根幹を成す基本プログラム。
即ち、あらゆる世界法則を纏め上げる根本原理。
それ等を流れ出させる世界の根源。それは一体どのようなモノなのか?果たして、皆は一度でも考えた事があるだろうか?思考の片隅に掠らせた事があるだろうか?
世界の根本原理を源流と例えるなら、或いはそれを流れ出させる世界の根源を神と呼んでも差し支えがないかも知れない。あくまで、我ら人類の尺度で語るならだが。
しかし、しかしだ………
これは、世界の創造主たる神の実在がどうだという云わばレベルの低い話ではない。
神話や宗教で語られるような創造主の実在不在という話では断じてない。
そんな話など、一切してはいない。
あくまで、世界の根本原理を流れ出させる根源を、我ら人類に理解出来る尺度で神と形容しただけの話でしかないのだ。つまりは比喩表現上での神という訳だ。
しかし、もし本当に世界の根源と呼べるモノが存在するとしたら?それが、明確な自我を持つ何かであるとすれば?それは、本当に神などという人類に理解出来る概念で語れるのか?
いや、違う。そうではない………
それは、人類が理解出来る尺度に存在しているのか?疑問は尽きない。




