5,始まりの終焉
架空大陸北西部———クラウン。
彼は架空大陸に生息する怪物種の群れを掃討する為、軍勢を率い戦闘行動を継続していた。
その戦闘の規模は他の第一陣や第二陣を上回り、熾烈を極めていた。しかし、それでも誰一人として諦める者は居ない。誰一人として希望を失わない。
それは偏に、代表であるクラウンに対する無条件の信頼による物だ。彼等は、彼女らは代表であるクラウンを信じて付いていく事で救われると本気で信じているのだ。
皆は信じているのだ、クラウンの言った公約を。皆を前に宣言した言葉を。
———必ず、この地獄を終わらせる。皆が笑い合える世界を創ってみせる。
———その為に皆の命を、どうか私に預けて欲しい。私は約束を必ず守ってみせる。
その言葉を信じ、全員がクラウンに付いてゆく事を誓ったのだ。そして、クラウンはその為に今まで全力を捧げてきた。己に宿った異能を、己の為にではなく皆の為に酷使する事で。
クラウンの異能は、己に忠誠を誓った者との間にある種のネットワークを構築する事。そして己の配下達に己を起点にして力を再分配する事だ。
力の再分配とは、即ち配下との絆の証。異能の収集と改変、そして再分配する力。
ネットワークを介し、配下の持つ異能を一度自身に向け徴収する。そして、それを主であるクラウンの意思で改変を施し再分配するのだ。
異能の改変には一定数の異能を収集し、異能の情報を集める必要がある。しかし、それによりクラウンの配下は一人一人が無双の強さを保有しているのだ。
故に、クラウンの異能は無双の軍団を作成する力と言えるだろう。
事実、クラウンが代表を務める西欧圏はクラウンが代表を務めて以来、怪物種を寄せ付けない圧倒的な強国へと変貌していた。
しかし、それは同時に弱点も明確であると言う事を差す。
それは、その軍勢がクラウンただ一人を起点としているという事。
即ち、クラウンの単独政権………事実上の独裁に他ならない。
故に、クラウンは考える。この地獄が本当の意味で終焉を迎え、世界が真に救われた後の時代では己は不要な存在になるだろうと。クラウンは勝利の後の事まで考えていたのだ。
ならばこそ、己は今己自身が成すべき事をやり遂げねばならない。そう考えていた。
………そして、その勝利はついに迎えた。誰も意図せぬ最悪のカタチで。
・・・・・・・・・
「どう、して…………?」
自分でも信じられないような、呻くような声が口から漏れ出た。信じられない、こんな状況など到底信じられない。許容不可能な衝撃が、俺の内を駆け巡る。
何故?どうして?理解出来ない。信じられない。そんな思いが、俺の内を渦を巻きながら駆け巡り俺を混乱へと陥れる。どうして、こんな事になったのか?
そんな俺を、腕の中で力なく横たわるユキが微笑みかけた。
力なく、自嘲気味に笑みを浮かべる。
「ごめん、ね?クロノ君………私のわがままに…………付き合わせ、て………」
「ユキっ!くそっ、今傷を治すから———」
今の自分なら、自身の異能を理解した今ならこの程度の傷を治せる筈。
そう思い、俺はユキの傷口へと手をかざす。しかし………
焦りながら傷を治そうとする俺を、ユキは拒否した。
首を左右に振り、苦笑気味に笑みを向ける。
「ごめん、それは………要らない………」
「っ、何で‼」
思わず怒鳴る俺に、ユキは苦笑しながら言う。
「私、は………文明を滅ぼした………罪を犯した、から………それ、を。それを………っ‼」
「っ、ユキ‼」
瞬間、ユキは血を吐き出した。どうやら肺も傷付けているらしい。呼吸すら辛そうだ。
けど、そんな状態でありながらユキは俺に笑い掛ける。笑みを向ける。それが、悲しい。
辛い。
「私、は………全ての罪を、清算する為に………クロノ君、に殺される………つも、っ」
「ユキ、駄目だ!これ以上喋るな!」
「ふ、ふふっ………本当、に………私は、何をしてきたんだろう?こん、な。こんなっ、馬鹿な事ばかりしてきて………本当、に。私、の人生は………馬鹿な事ばかり………」
「っ、本当だよ。こんな、こんな後悔するなら最初から………」
「本当に、ね………。ごめん、ね?こんな…………辛い、思いを…………させ…………」
「………こんな後悔するなら、最初から…………最初からっ」
それ以上言う事が出来なかった。俺には其処から先を言えなかった。馬鹿な事をした。こんな後悔するくらいなら最初からしなければ良かった。けど、それを言うのはあまりに残酷過ぎた。
それは、あまりにも残酷な言葉だった。今までその後悔に対し、それを償う為だけに生きて来た彼女に対してそれはあまりに残酷な言葉だ。
けど、それでもユキは笑っている。まるで、俺の腕の中で死ねて心底安堵したかのように。
心底、幸福であるかのように………
そんな彼女に、俺は胸の奥で言い知れぬ感情が湧いてきた。
「何だよ………何で、何でこんな…………っ」
「本当に、ごめんね?私のわがまま、に………付き合わせて………」
「本当に、何で………」
「本当に………馬鹿な事、ばか…………り………。本当、に…………」
もう、息をするのも辛いのかユキの呼吸が荒くなってきた。
もう残り僅かしか命は無いだろう。
「クロノ、君………最後………に、一つだけ………わが、ままを…………」
「っ、何だ?」
俺に対し、ユキは僅かに微笑みながら言った。
まるで、幼い少女のように純粋で綺麗な笑みで。
「キス、してくれない………かな…………?」
「………分かった」
俺は、涙を腕で拭い取り頷いた。そっと、ユキを改めて抱き寄せる。
もうユキの身体はだいぶ冷たくなっている。もう、残り時間も僅かだろう。もう、彼女に時間は残されていないと理解出来る。それが、余計に俺の胸中を抉る。
けど、俺はそんな痛みを振り払いそっとユキを抱き寄せ———
そっと静かにキスをした。
「んっ………ふふっ………ありがと、う…………大好き、だよ…………」
そう言って、ユキはその生命活動を終えた。もう、その身体には温もりは無い。もう、白川ユキという少女は其処に居ない。何処にも居ない。
もう、彼女は何処にも居ない。此処に居るのは、抜け殻の死体だけだ。それを理解した瞬間俺の中で例えようもない喪失感が襲い掛かった。
何もかもを失ったような、そんな感覚が俺を襲った。
もう彼女は何処にも居ない。白川ユキは何処にも居ない。
「クロノ………」
気付けば、俺の傍にヤスミチさんが立っていた。どうやら、少し前から此処に居たらしい。
他の皆も、来ている。エリカはユキの変わり果てた姿を見て泣いている。そんな彼女を、弟のアキトが抱き締めていた。ツルギは、俯いたまま身体を震わせている。
しばらく何も言わなかったヤスミチさんだったけど。それでも意を決したのか口を開く。
「あー、とりあえずまあ何だ?星のアバターは倒したんだ。それで良いんじゃないか?」
その言葉に、俺の中にある何かが音を立てて崩れた気がした。
「………ける、な」
「クロノ?」
「…………ふ、ざけるな………ふざ、けるな」
俺は、もう自分の中にある感情を抑える事が出来なかった。俺の中を渦巻く感情を………
何もかもを、
「ふざけるなあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁっっ‼‼‼」
俺の絶叫が、俺の悲しみが、心からの叫びが周囲に響き渡る。絶望が、俺を満たす。
ふざけるな。これの何が、これの何が英雄だ。こんな、こんな………
「何が英雄だ!何が救世主だ!ふざけるなっ!ふざけるなあああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁっっ‼‼‼」
こんな、こんなたった一人の女の子すら救えない。こんなたった一人すら取りこぼして。
一体それの何が英雄だ。何が救世主だ。そんなものが、そんなものが俺のずっと憧れていた理想だとでも言うのか?そんなものが、俺の望んだ英雄像だとでも?
ふざけるな。そんなもの、俺の望んだものじゃない。
そんなモノになりたかった訳じゃない。俺は、俺は………
………俺はその日、何より大切な存在を失った。




