番外3,怪竜ジャバウォック
瞬間、盛大な爆音と共に街から黒煙が上がった。
「「っ⁉」」
「なっ‼?」
僕とシンシア、そして大兎は同時に振り返る。其処には黒煙と共に火柱が上がっていた。それはまさしく現実化した地獄絵図だった。其処にはまさに地獄が広がっていたのだ。
そして、その地獄の中からのそりと一体のドラゴンが現れる。ひょろりと異様に細長い胴体に手足を付けた醜いドラゴン。その頭部は頬のこけたネズミのようにも見える。
全体的に見れば西洋のドラゴンに見えるが、その姿はあまりにも醜悪かつ悍ましい。女子供が見れば悲鳴を上げて卒倒するだろうまさしく怪物の理想像が其処にあった。
その醜悪に過ぎるその姿に、僕は絶望と共にその名を吐き出した。
「か、怪竜………ジャバウォック………。この世で最も危険な、準王級………」
「そうだ、我が名はジャバウォック。王に次ぐ権威と力を持つ上位種なり」
怪竜ジャバウォック。その危険度だけで王に次ぐとされている、準王級の中でも最上位に位置する危険生物にしてドラゴンの名を冠する希少種。
この世にたった二体しか存在しない、ドラゴンの一体。
其処に存在するだけで未曾有の地獄を生む、天空駆ける災厄。
「何故、こんな事を………?」
「何故だと?下らんな。貴様等下等な人類種など、我ら上位種に蹂躙されるのみよ。そも我ら上位種の思考が下等種たる人類に理解出来るのか?」
「……………………何だって?」
僕の問いに、ジャバウォックがそう答えた。最初から人類を下等生物と見下している。
そんな理由で、そんな理由で僕達の街は………
「そもそも、だ。貴様等人類種と末席とはいえ準王級としての力を持つ筈の貴様が仲良く友情などと笑わせてくれるものだ!実に滑稽極まりない!」
そう言い、ジャバウォックは大兎へと視線を向ける。視線を向けられた大兎は、牙を剥きだしにして激しい怒りを顕にする。それもその筈だ………
僕達の友情を、こいつは腹の底から馬鹿にしたのだ。許せる訳が無い。
気付けば、僕の足は自然と駆け出していた。
ジャバウォックからすれば、あくびが出る程に遅いだろう。しかし、それでも………
「ふざけるなっっ‼‼‼」
殴り掛かろうと拳を握り締める。例え、こいつに欠片ほども効かなくても。それでも一発殴らずにはいられないのである。こいつだけは許してはならない、絶対に。
それでも、ジャバウォックは笑う。哄笑を上げる。しかし、
「ぬ、ぐぅ………」
苦悶の声を上げたのは、意外にもジャバウォックの方だった。
それもその筈だ。ジャバウォックの腹部を、まるで弾丸のような勢いで突進した大兎の頭部が深くめり込んでいたからだ。ジャバウォックの体内で、何かが軋むような音がした。
僕の隣を、大兎が一瞬で追い抜いてジャバウォックへと突進したのである。
「貴様、たかが名無しの準王級風情で………」
「僕の友達を、馬鹿にするな………っ‼」
地獄の底から響くような声。そんな大兎の声を、僕は初めて聞いた。怒りに満ちた声だ。
ジャバウォックは後ろに数歩ほど後退する。かなり効いたのか、表情には苦悶の色が。
「良い………だろう。貴様がそのつもりなら、我が牙と爪で微塵に引き裂いてくれる‼」
「それは僕のセリフだっ‼」
こうして、準王級同士の激しい戦闘が幕を開いた。
・・・・・・・・・
とはいえ、戦いは終始ジャバウォックの優勢だった。同じ準王級同士であっても、それでもその力には大きな隔たりが存在する。
その危険度だけで最上位に君臨しているとはいえ、ジャバウォックは準王級でも上位の位置するだけの力を単独で保有している。例え、特殊な異能は持ち合わせていなくても単純な力だけで大陸全土を揺るがすだけの力は持ち合わせているのだ。
それに比べ、大兎は準王級でも単純な力関係で言えば最下級だろう。希少な異能こそ持ち合わせてはいるが戦闘ではほぼ役に立たない。せいぜい、意思の力を多少の強化に回せる程度だ。
その強化だって、王であるセイテンタイセイに比べれば微々たる力でしかない。
彼の王は強化という単純な異能だけで天空を引き裂き大陸を微塵に砕けるのだから。
意思の力だけで無制限に肉体を再生出来る大兎であっても、準王級で最上位に位置する暴威を前にして成す術などありはしない。純粋な力だけで、天と地ほどの隔たりがある。
文字通り、その差は歴然としているのである。歴然としてはいるが、
「ひゅー………ぜひゅー………っ」
大兎の瞳には未だ絶望の色も諦観の色も無い。大兎はまだ、諦めてはいない。息を切らして意思の力もそろそろ限界に近付いている。極限の集中状態に加え、その集中力の全てを常に再生能力へと回し続けていたのである。何時限界が来てもおかしくは無いだろう。
意思の力も無尽蔵ではない。極限の集中状態を維持し続ければ何れ尽きる。そして一度尽きた意思の力は再び回復するのにかなりの時間を要するのだ。
しかし、それでも大兎に絶望も諦観も無い。後退などありえないとばかりに敵を睨む。
その意思の力に、あまりの気迫に、ついにジャバウォックも後ずさった。その瞬間、
「っ、く………ぁ‼」
ジャバウォックの断末魔は、意外な程に静かだった。
ほんの一瞬だった。刹那の一瞬、大兎は自らの牙に残る力の全てを注ぎ込み跳んだ。
全力で強化されたその牙により、ジャバウォックは首を狩り落されたのである。決着にはほんの一瞬だけあれば良いだろう。ほんの刹那の間だけあれば、首を狩る事など造作もない。
その刹那ほどの隙を見逃さなかった、大兎の勝利である。
しかし………
「……………………」
ドスンっ、と大きな音を響かせ大兎は地面へと倒れ込んだ。大兎もまた、力の全てを使い果たして限界を迎えていたのだから。無理もない話である。
だが、僕達からすればそんな事は関係が無い。慌てて、大兎へと駆け寄る。
「っ、ウサギ‼‼‼」
駆け寄った僕の顔を見て、大兎は心底から安堵した———ような気がした。
僕達が友達になってから今まで短い時間だったけれど。それでも大兎との友情は本物だ。
そう、僕達の友情は決して偽りではなかった。それ故に、大兎が泣きそうな僕の顔を見て笑みを浮かべるのが僕自身には理解出来た。心底から安堵しているのが理解出来た。
僕には自分の表情は分からない。けど、自分が今酷い顔をしているのは理解出来る。理解出来るからこそ余計に泣きそうになる。くしゃりと歪んでいく。
「ふふっ、酷い………顔…………」
「ふざけるなよ。こんな、こんなことで………」
「泣か………ないでよ………。元々、僕達が友達で居られる時間は………限られ、て———」
「違うっ‼」
それは違う。断じて違う。
大兎の言葉を遮って僕は叫んだ。顔は、きっと涙でぐしゃぐしゃになっているだろう。けど僕は叫ばずにはいられなかった。そんな事はないと、叫びたかった。
「僕と大兎はずっと友達だ‼例え、話せる時間が限られていたとしても。それでも僕と大兎が友達である事実だけは絶対に変わらない。永遠にだ‼」
永遠に、その事実だけは変わらないし変えはしない。変わってたまるものか。
そう、渾身の力で叫ぶ僕に大兎は力の無い笑みで笑った。
「ふふっ………永遠なんて、嘘でも………言うものじゃない、よ………けど」
「……………………っ」
けど———
「け、ど………嬉しいな………うん、確かにそう………あって欲しい、な———」
「っ‼?」
言って、大兎はそのまま息絶えた。いや、息絶えた訳ではないだろう。限定的とはいえこの大兎は不滅の肉体を保有している。つまり、欠片でも肉体が残っていれば何れ復活するだろう。
けど、それでもやはり。それでもやはり、友達が息絶えるその姿を見るのは悲しい。
見ると、シンシアも止め処なく涙を流していた。涙を流し、泣いていた。
どうやら大兎の姿に思う所があったらしい。僕と彼女はしばらく抱き合い、涙した。
・・・・・・・・・
それから時が過ぎ、一年後———
僕とシンシアは周囲の人達から祝福を受ける中、結婚した。




