番外2,芽生える友情と葛藤
大兎と友達になって、そろそろ一週間が過ぎる頃。僕は奇妙な感覚を覚えていた。
「……………………」
「どうした?僕の顔に何か付いているのか?」
大兎は首を傾げ、僕の方を見てくる。いや、まあ僕が大兎を凝視していた訳だが。
うん、どうした事だ?何だかもやもやするような、或いは逆に安堵しているような不可思議な感覚が胸の奥を渦巻いている?流石に訳が分からず困惑してしまう。
だが、まあ………
「いや、何でもないよ。少し考え事をしていただけだ」
「そうか?何だか辛そうな顔をしていたけれど、何か悩みがあるんじゃ………」
「はははっ、別に悩みなんて無いさ」
とは言ったものの、流石に無いと言い切れる保証は何処にも無かった。
そもそも、自分でもこの感情の根源に何があるのか理解出来ていないのだから。流石にこれはマズイのではなかろうか?自分でも不安になってくる。
少し、一人になった時にでもゆっくり考える必要があるかもしれない。
「まあ、でもありがとう。友達に心配してもらえると悪くない気分だ」
「うん、僕も友達が出来て少しばかり舞い上がっているぞ?」
ちくり———
胸の奥に、何かが刺さるような感覚がする。いや、これは錯覚だ。そんな感覚などほんの少しもしてはいない筈なのに。その、筈なのに………
こんな………こんな………?
僕は、今何を考えようとしていたんだ?今、何を思考に掠めさせた?
分からない。分からない。何も分からない。
「………レン?やっぱり何か悩みを隠しているんじゃないか?」
「そんな事は、無いよ………?」
言っていて、自分でも疑問に思う。果たして僕はどうなってしまったのか?
この気持ちの悪い感覚はどういう事だ?まあ、ともかく………
「今日も中々楽しかったよ。うん、友達が出来るというのも悪くはないな」
「うん、僕もだ。また遊ぼう」
「おうっ」
そう言って、僕と大兎はその日別れた。
・・・・・・・・・
そうして、家に帰る途中。ふと考え込む。
「………まあ、少し相談する程度ならな」
ぽつりと誰にともなく呟いて寄り道する事にした。シンシアの家に。
「レン、どうしたの?」
「うん、少し相談があってね」
「相談?何かあったの?」
シンシアは、僅かに表情を険しくして聞いてきた。まあ、彼女は僕が大兎との交渉に行く時も心底から反対していたからなあ?少し思う所があるのだろう。
とりあえず、僕は彼女に最近の近況報告と共に自身に起きた不可思議な感覚を話した。彼女に話せば何かヒントくらいは分かるかもしれないし?
まあ、分からないかもしれないけどさ。其処は期待してはいない。
「……………………それ、って」
「うん?何か分かったのか?」
「いや、何でもないよ。うん、何でもない」
そう言って、シンシアは慌てて両手を振りながら否定した。何だか、微妙にはぐらかされたような気がしないでもないけれども。まあ良いか。
分からないなら自分で考えるだけだろう。そう思い、僕はシンシアに別れを告げて今度こそ自分の家に帰る事にしたのだった。
「……………………」
何故か、シンシアが僕を見送る視線が引っ掛かったけれど。今は気にしない。
………そう、思っていたのだが。
事件が起きたのは、その日の夜だった。
家でのんびり書類の作成をしていた頃、ドンドンとドアをノックする音が響いた。はて、こんな夜遅くに一体誰だろうか?のそりと立ち上がり、ドアへと歩み寄る。
ドアを開くと、其処にはシンシアの父親が焦った様子で立っていた。
「えっと、どうしました?何か用事でも?」
「それどころではない!シンシアが、娘が一人で大兎の許に向かったんだ!どうやらたった一人で大兎に立ち向かうつもりらしい!」
「っ⁉」
僕は、考えるより先に家を飛び出した。流石に放っておく事が出来ない。
家を飛び出し、街の外に出て、そして大兎の住処である小高い丘へと走っていく。やがて大兎とシンシアの姿をその視界に捉えた。どうやら、どちらも無事らしい。
ちくり、と胸が痛む感覚がする。やはり、何処か引っ掛かりを覚えている。本当に、一体この感覚は何だというのだろうか?僕は、一体何に痛みを覚えている?
「シンシア!大兎!」
「っ、レン⁉」
「ん?おお、レン‼」
シンシアと大兎が、同時に僕の方を見た。まだ、どちらも傷一つ負っていない。
どうやら僕は間に合ったらしい。真っ直ぐ、息を整えてシンシアを見据える。
「シンシア、どうしてこんな事を………」
「う、うぅっ………ううぅうっ…………」
問われて、彼女は泣き崩れた。その瞳から滂沱と涙を零して泣きじゃくる。
………え?
「えっと、シンシア?」
「全部、全部この大兎が悪いんだからっ!全て、レンが苦しんでいるのは………っ」
「…………どういう、事だ?」
僕の問いに、彼女はぽつりぽつりと話し始めた。
「レンは、ずっと私と一緒に過ごしてきたの。けど、代わりに他の人達とは一定の距離を保ちあんまり関わり合おうとすらしなかった」
「……………………」
確かに。僕はシンシア以外の人とは一定の距離を保ってずっと生きてきた。別に人間の事が嫌いな訳では断じて無いのだけれど。他の人とは一定以上近寄らないようにしてきた。
けど、それは………
別に誰のせいでもない。全て、僕が原因だ。
「別に、レンが悪い訳ではないよ。ただ、私にずっと合わせてくれていただけ」
「それは、どういう事?」
大兎がシンシアに問う。しかし、シンシアの方は一瞬、大兎を睨み付けた。
まるで、親の仇でも見るような鋭い視線だった。
「けど、レンに初めて友達が出来た。人間以外だけど、怪物種だったけれど。きっとそんな事はほんの些細な事でしかないんだろうと思う。重要なのは、レンにとって初めての友達だった事」
そして、その友達が兵器として利用する為に最後は別れる事が確定している事。そうシンシアは血を吐くような呪詛を吐くような声で告げた。
そう、僕にとって初めての友達だった。人生で初めて友達が出来た。
きっと、それが全てだったのだろう。僕の中で、棘がようやく抜け落ちた気分だ。
ああ、そう言う事か。だから、ずっと僕の中に引っ掛かり続けていたのか。
安堵の理由が理解出来た。同時に、もやもやしていた理由も理解出来た。
そう、これは———
「レンは、大兎に対して。怪物種に対して本気で友情を抱いていた。だからこそその友情に対して戸惑い悩み続けていたの‼何れ兵器にしてしまう事に申し訳なさを感じていたのよ‼」
「それ、は………」
大兎は、僕に確認するように視線を向けた。僕はゆっくりと頷いた。
そうだ。僕は大兎に対して友情を感じていた。だからこそ、彼を何れ兵器として変えてしまうその事実に対して申し訳なさを感じていたんだ。
ああ、そうか。それを理解したからこそ、シンシアは。彼女はその責任の所在を大兎へと向けたんだろうと僕は推察した。しかし、何故?
「全部、貴方のせいよ。貴方さえいなければ、レンが思い悩む事もなかったのに。レンがこんなに苦しむ事も無い筈だったのに。全部、全部………っ」
「何故、そんなにシンシアが?」
僕の事で怒るのか?何故、シンシアが僕の事でそんなに思い悩むのか?
その疑問に対し、シンシアは簡潔に答えた。要は至って簡単な理屈だ。
「………ずっと、レンの事が好きだった。レンの事を愛していた。貴方一人が居れば、レン一人が居ればそれだけで満足な筈なのに。その、筈だったのに………っ」
ああ、そうか………
思わず納得した。これも、つまり僕が原因だったという訳だ。全部全部、僕が原因だ。
つまり、シンシアはずっと不安だったのだろう。僕がシンシアから離れてしまう事を。
シンシアから離れて、大兎との友情を取る事を不安に思い恐れていたのだろう。
だからこそ、僕が大兎との友情で戸惑い悩んでいるその責任を大兎へと向け、弾劾する事で僕を取り戻そうとした訳だ。
すとんと、心の奥底でずっと引っ掛かっていた物が落ちたような感覚がした。
「それは違うよ。シンシア」
「………え?」
「僕は、本当は嬉しかったんだ。本当に嬉しかったんだ。だからこそ、その友達を失う事を心の底から恐れていたんだと思う。ただ、それだけの事だったんだ」
「それ、は………」
けど、と僕は続けて言った。
「けど、その友情の為に愛する人と友達が相争うような事は断じて許容出来ない。それは、僕の望むような状況ではないんだよ」
「っ⁉」
驚いた表情で僕を見るシンシア。
今度こそ、僕は彼女に本音を語る。ずっと、僕が彼女に黙っていた本音を。
「ずっと、シンシアの事が大好きだった。愛していたんだ。だからこそ、それ以外何も要らないし必要が無いと思っていたんだ。ずっと、思っていたんだ」
けど、
「それでも、僕に友達が出来た。無二の親友が出来た。かけがえのない友情を知った」
「…………」
きっと、僕は優柔不断なのだろう。
どちらかを選ぶ事の出来ない、わがままの過ぎる子供なのだろうと思う。
けど、それでも………
「僕は、その友達が出来た事を何よりも喜んでいる。そして、シンシアの素直な気持ちを知れて本当に嬉しいと思っているんだよ」
「………っ」
「シンシアは、そんな僕を情けない。優柔不断だと怒るか?」
問い掛ける。僕の問いに、彼女は首を左右に振った。
しばらく考え込む仕種をした後、真っ直ぐと僕の目を見て薄い笑みと共に言った。
「ずるいよ。そんな質問、本当にずるい………」
「かも知れないな。ごめん」
「うん、私の方こそごめんなさい。少し混乱していたよ」
そして、僕は大兎の方へと視線を向ける。
「大兎も、ごめん。君を何れ兵器へと変えてしまう事になってしまうけど。そんな自分自身をふがいなく思うけれども、それでも僕の事をまだ友達だと思ってくれるか?」
「ああ、勿論だよ」
そう言って、僕達は笑い合った。しかし、それはまだ嵐の前のほんの些細なこじれでしかないと知るのはもう少し後の話だった。
そう、本当の嵐はもう少し後の話だ。




