5、この世界を生きる者
目を覚ませば、其処は知らない室内だった。俺は古びたベッドの上に寝ている。起き上がろうとしてすぐに気付いた。俺の腹部を枕に、もたれ掛かりながらユキが寝ていた。
すやすやと安らかな顔で眠るユキの姿に、俺は少しだけ気が緩んだ。うん、可愛い。
「……………………」
俺はしばらく考えた後、そのまま諦めてベッドに再度寝転がる。どうやら、ずっと彼女が傍に居続けてくれたらしいと。俺はそう理解した。
理解して、少しおかしくなり笑みを浮かべた。そのままユキの頭に手を置いて撫でる。
さらさらの髪。流れるような艶やかな髪は撫でただけで心地良い。
そのままずっと撫でていたくなるが、そうもいかないらしい。ユキの目が僅かに開いて。
「……………………?」
「起きたか?ユキ」
「………?………っ‼っっ⁉」
ユキはくわっと目を見開いた。見開いて、俺をじっと見た。僅かな混乱。
がばっと起き上がる。目を白黒させ、そのまま俺の顔をじっと見詰めるユキ。何だ何だと思い俺も目を見開いて彼女の顔を見詰め返した。互いに見詰め合う形……
それが一体どれくらい続いただろうか?しかし、やがてユキはその目から涙を流し始め、
「……へ?」
「良かった。うっ……本当に、もう目を覚まさないんじゃないかって………ひっぐ」
「ええっ⁉俺、そんな重傷だったのか‼」
こくりと頷くユキ。俺は自分の身体をあらためる。しかし、身体中に包帯が巻かれて若干血が染み付いている意外は何の異常もない。どう見ても健康体だ。
しかし、ユキが言うには俺はかなりの重傷を負っていたらしいのだが?少し、怖くはあるが一体どの程度の負傷だったのだろうか?聞いてみる事にした。
「えっと?聞いてみるけど、どの程度酷い怪我だったんだ?」
「えっと……身体中に甲殻バジリスクの牙や爪での傷がたくさん。それも、割と深くて何本か骨が折れていた上に内臓も多少傷付いていたらしいよ?」
………はい?
「……は?え、マジで?」
ユキは再び涙目になりながら頷く。どうやら本当らしい。
そっかー、と俺は呟き老朽化した天井を仰ぐ。本当、よく生きていたなと思いたくなる。
再度、俺は自身の身体をあらためる。俺の身体には特に異常といえるものは見られない。やはり血染めの包帯が巻かれているだけだ。痛む部分も特にない。
一体どうなっているんだ?不審に思うが、まあ良いと一度思考を切る。
その瞬間、そっとユキの手が俺の身体に触れる。優しい、羽毛が触れるような手つき。
「本当に大丈夫?何処も痛くない?」
心配そうにずいっと近寄りながら聞いてくる。すぐ目と鼻の先にユキの顔が。思わずドキリと鼓動が高まり、俺は視線を逸らしてしまう。何か勘違いをしたのか、ユキの表情がくしゃりと歪む。
泣きそうになるユキの顔に、俺は無様に慌てた。どうも気が狂う……
「ああ、大丈夫大丈夫。何処も痛くはないから。気にしないでくれ」
「…………本当に?」
「ああ、本当だって」
大丈夫‼と俺は拳で胸のあたりを思い切り叩いた。うん、少し痛い。強く叩き過ぎた。
ようやくユキも俺が元気である事を信じたのか、良かったと涙を拭い笑顔を見せる。その笑顔に俺は再度ドキリと鼓動が高まった。うん、何故だろう?ユキと話しているだけでドキドキする。
……顔が熱い。ユキの顔がまともに見られない?
と、その時。唐突にドアが開いて中に一人の男性が入ってくる。歳の頃は大体二十代後半くらいという所だろうか?無精髭を生やした、気だるげな白衣の男だ。
よれよれの白衣を着た、髭のおじさんといった所だろうか。うん、ずいぶんとまあ。
「……えっと?」
俺が何かを言おうとした時、男は俺の姿を見て驚いたように目を大きく見開いた。
一体何なのか?男は口を開き……
「お前、何でぴんぴんしているんだ?」
いきなり酷い事を言われた。何でって………
「何でって……」
「あれだけの重傷、この時代じゃあ治す為の機材すら無いってのに……」
そう言えば、と。俺は改めてこの時代の事を思い出した。
そうだ。この時代は文明が崩壊した後の世界だった。つまり、怪我を直すにしても手術をする為の機材すら無いのだった。何で俺は無事なんだ?
そう思ったが、俺はすぐに理由に思い至った。そうだ、俺は今普通の人間じゃなかったんだ。
俺はコールドスリープの装置に入っている間に、架空塩基という人造の因子を遺伝子の中に組み込まれたんだった。恐らく、俺の覚醒した異能が何らかの作用をしたのだろう。
思い出す。アインは確か、俺の意思の強さに比例して力を与えると言っていたか?それはつまり俺の意思の強さにより力は増大していくという事だろう。
問題はその力の内容が何なのかだ。しかし、今はそれは置いておいて男の質問に答える。
「えっと……とりあえず気合?」
「いや、気合でどうにかなる負傷じゃねえ‼」
思わず叫ぶ男。しかし、俺自身理由がいまいち解っていないのだから良いじゃないか?
そう思うが、男にはいまいち納得出来ないらしい。納得の出来ない表情で唸る。
「ぐぬぬ………まあ良い。良くはないが、まあ良い。それよりも俺はお前に話があったんだ」
「はぁ……」
話、ねぇ……?
俺は気のない返事を返す。しかし、有無を言わさない声音で男は言った。
「とりあえず、先に名乗っておこう。俺の名は川上ヤスミチだ」
「遠藤クロノです」
「じゃあクロノ。単刀直入に言う、お前は何者だ?」
そう言い、ヤスミチは俺を睨み付ける。それは一切の嘘偽りを許さないという強い意思の現れでもあるのだろう。少しでも嘘を言おうものなら、此処から叩き出すと。
事実、文明が滅びた世界に生きる者の覚悟をこの男は持っていた。故に、俺はじっくりと考え込んでから俺なりの答えを返した。返す事にした。
「俺は、ヤスミチさん達から見てかつて滅びた文明の遺物なんだろう。俺はずっと装置の中で眠り続けていた事になる。俺からしたら、つい最近になってようやく目覚めたところだ」
「……………………」
沈黙。
唖然とした表情で、ヤスミチさんは俺を見る。何だよ?
とりあえず、俺もヤスミチさんの顔をじっと見る。はたから見たら俺達は睨み合っているように見えるのだろうか?まあ、それは良い。
やがて正気に戻ったのかヤスミチさんは首を左右に振った。そして、訝しげに問う。
「……それは、本当の話なのか?」
「ああ、本当の話だ。それと出来ればこの話はあまり言いふらさないで貰いたい」
「あ、ああ。解った……じゃあ、最後の質問だ」
そう言って、ヤスミチさんは表情を元に戻して俺に問う。
「お前はこの時代で何をしたいんだ?お前はこの世界で何をしようと思っている?」
その質問に、俺はゆっくりと考えを巡らせた。
この時代で何をしたいか、か。さて、どう答えた物かな?正直目覚めたばかりの俺にはこの時代で何をしたいかなど明確な目的がない。しかし……
俺はやがて思考を切ると俺の考えを答えた。
「しばらく俺は文明の崩壊の原因を調べたいと思っている。どうして、あの大災厄は起きたのかを俺は知りたいと思う。それが生き残った俺の責任だと思うから……」
「…………」
「……………………」
この回答には、ヤスミチさんだけではなくユキも黙り込んだ。沈黙が室内を満たす。
しかし、その沈黙はヤスミチさんによって破られた。
「……ぷっ、あはははははははははははははははっ‼そうか、責任か。なるほど?確かに生き残りであるお前にはそれを知る責任があるのかも知れないな。ははははははははははははっ‼」
何だか含みのある言い方である。それと、先程からユキがずっと黙り込んだまま真剣な表情で俺を見ているのは何故だろうか?どうも、何かを考え込んでいるような?
しかし、それを聞く前にヤスミチさんがバンバンと俺の肩を叩いてきた。少し痛い。
「俺はお前の事が気に入った。良いぞ?今日からお前は俺達の仲間だ」
「は、はぁ………」
俺は、そんな風に曖昧に返答する事しか出来なかった。




