9,救いのない世界に救済を
「桐生ハクと言ったな?お前、ツチグモに囚われていたんじゃなかったのか?」
ヤスミチさんがハクと名乗った少女に問い掛ける。それは当然の疑問を聞いたに過ぎない。しかしハクからすれば至極どうでもいい質問だったらしい。
まるで、何でもないような態度であっけらかんと答えた。
「ああ、別に私は囚われていた訳ではないよ?目的があってツチグモと交渉していただけ」
「交渉、だと?」
ヤスミチさんは僅かに目を細める。それは、まるで裏切りを疑う視線だ。
この時代において、怪物の王とは不倶戴天の敵だ。無論の事だが交渉などありえない。そんな事しようものならば一瞬で裏切り者扱いを免れないだろう。
しかし、対するハクはそんな彼に対して明確に落胆したような視線を向けた。所詮はその程度なのかとでも言わんばかりに、冷たい視線を向けている。
まるで、失望したとでも言わんばかりの視線だった。
「一つだけ聞きたいんだけど、貴方はどうやってこの世界を救う気なの?どうやって、この文明が崩壊した世界を救うというの?」
「………何を言っているんだ?」
「良いから答えて」
ハクの剣幕に、僅かにたじろぐヤスミチさん。しかし、少し考えて自らの答えを言う。
「まずは、全ての元凶である星のアバターを討つ。何をやるにしてもそれが第一だ」
「うん、それで?」
「次に、世界に蔓延する怪物種を討伐しつつ旧文明の遺物を発掘する」
「うん、それで?」
「っ、そして最終的にその遺物を解析してその仕組みを解き明かし、世界を復興していく。それしか他に道なんて無いだろう?違うのかよ」
「そう、なかなか手堅い手を取るのね?けど、残念だわ。所詮その程度だったのね」
「………なんだと?」
ヤスミチさんは、あんまりな酷評に不快そうに目を細める。
しかし、それでも彼女は一向に気にした様子がない。どころか更に視線が冷たく鋭い物へと変質していくのが傍目にも理解出来た。その視線は、明確に落胆を示している。
所詮はその程度なのか。失望したとでも言わんばかりの冷淡な視線。その視線に、流石のヤスミチさんも僅かにたじろいだ。まるで、彼女の独特な威圧感に圧倒されるかのように。
まるで、彼女の背後に言い知れぬ怪物でも見るかのように。
「………確かに、星のアバターは既に死ぬしかない状況にいる。彼女はもう死ぬしか道は残されていないのも確かな話です。けど、」
そう言って、ハクは何処までも冷淡に事実のみを告げる。
まるで、確定事項でも話すかのように。淡々と事実のみを話す。
「もう、この世界は貴方達の知っている地球では無いんだよ?」
「…………それは、どういう事だ?」
気付けば、俺が質問していた。聞かずにはいられなかった。
いや、或いは星のアバターが。ユキが既に死ぬしか道が残されていないというその言葉を聞いた時から既に聞かずにいられなかったのかもしれない。
そう、俺はどうしても納得出来なかったんだ。ユキを、彼女を諦める事が出来なかった。ただそれだけの話でしかなかったんだろう。
はっきり言って、女々しいと思う。たった一人の少女にこんなにも執着する。今までそんな事など経験した事が無かったというのに。それでも執着せずにいられなかった。
そんな俺に対し、いっそ哀れみとでも言うかのような視線を彼女は向けた。
まるで、かわいそうなモノでも見るような視線だ。
「そのままの意味だよ。例えば、今この地球の環境をどう思う?海は火の海に変わり、そして太平洋上に新たな大陸が誕生した。それを見て、貴方達は一体どう思う?」
「………どう、とは?」
「あれを、単純に新しい大陸が生まれて海水が炎へと変換されただけに見えるの?」
「………違う、のか?」
どうやら違うらしい。
ハクは、首を左右に振った。他の皆も、怪訝そうに首を傾げている。
そんな俺達に、ハクは事実のみを端的に告げた。
「そもそも、あの規模で地上の水分が炎に変換されたら地上の生物は秒を跨がずに死ぬ筈。勿論それだけでは断じて無いよ?あれだけの炎が燃えてたら、陸地なんてとっくの昔にマグマへと変質している筈だけれど違うの?」
「それ、は………」
確かにそうだ。思わず、俺は納得してしまった。
確かに、この規模で炎が燃え盛っていれば陸地は全てドロドロのマグマに変わるだろう。
冷えてガラス化する暇も無い。ずっと、灼熱の火山地帯へと惑星規模で変質する筈だ。
「簡単に言えば、あれは単純な物理法則下の炎ではないの。現在、地球上の物理法則は致命的なレベルで変質をしている。いや、あの文明の大崩壊の時点で既に地球は死んでいたんだよ」
そう、あの大崩壊の時点で世界は。地球は既に死んでいた。既に母なる星は限界だった。
青い星は、文字通り死の星へと変貌している筈だったのだ。それなのに………
それなのに、ユキの異能で無理矢理延命措置を続けていたに過ぎない。物理法則ごと地球環境を変質させる事により無理矢理存続させていたんだ。
無理矢理、限界を超えて地球を生かし続けていたのだ。
「そ、そんな…………」
俺だけではない。ヤスミチさんや、エリカもアキトもツルギも絶望した表情をしている。
これではあまりにも救いがない。あまりにも救いが無さすぎる。絶望しかない。
だが、ただ一人大統領だけがとても冷静な表情をしていた。むしろ、何かに納得すらしているようですらある表情だった。
「なるほど?ようやく得心がいった」
「どういう事だ?」
ヤスミチさんの問いに、大統領は端的に答える。
「よく考えてみろ。星のアバターを除く全ての王は大陸を一撃で破壊可能だ。アバターなど惑星規模の力を単独で保有しているではないか?」
「う、うむ………」
「そして、地球上に蔓延る怪物種は最弱でもシェルターを破壊可能だと言われている。それは人類種からしても同様の筈だろう?準王級など現時点で十体以上は確認されているらしい」
「……………………」
しかし、だ。そう言って、大統領は話を続けた。
まるで、その言葉そのものに力が籠もっているかのように俺達は引き寄せられる。
「しかし、そんな怪物が地上に跋扈していたら地球は一瞬だって保たない筈だろう?それにも関わらず文明の崩壊より現在まで、約千年もの間地上で人類は存続し続けた。今も尚、地球上では多くの生命が繁栄を続けているという」
「っ⁉まさか………」
何かに気付いたように、ヤスミチさんは息を呑む。それは俺達だってそうだ。
何かに気付いたような。気付かされたような。恐ろしい事実に気付いてしまったような。
いや、或いはもう既に気付いてはいたのかもしれない。しかし、無意識にそれを考えないように意識に上らないよう考えないようにしていたのかもしれない。
でなければ、とっくの昔に気が狂ってしまっているだろうから。
けど、ついに目を背けていたその事実に気付いてしまった。
「そう、きっと千年間ずっと。これまでの間ずっと、一切の休息無く星のアバターが地球の環境を管理し続けていたのだろう。文字通り、地球は限界を超えて稼働を続けていたんだ」
「そんな………」
そう、地球は。この世界は既に救いが無い。あらゆる意味でもう、救いなんて無いのだ。
しかし、それでもハクは。桐生ハクという少女には一切の絶望がない。まるで、それでも諦めてなんていないかのような。そんな表情で。
「だからこそ、この時代に救いなんて一切無い。星のアバターはもう、死ぬしかないの」
「けど———」
「だからこそ、世界を救うには。全てを救うには時を越えるしかない」
俺の言葉を遮って、桐生ハクはそう力強く宣言した。




