4、アイン=ソフ=オウル
……暗い。暗い。何処までも暗い意識の海を漂っていた。
何も考えられない。俺はただ、意識と無意識の境界線を漂い続ける。まるで、海を漂うような不安定であやふやな感覚が俺を包み込む。それはある種の心地良ささえあり。
このまま、意識と無意識の境界線を漂っていく。そのまま何も思考する事もなく、ただあやふやな感覚のまま俺は意識を埋没させて……
瞬間、俺の意識を力強く引き上げる者が居た。ぐんぐんと意識は引き上げられ、
『おい、いい加減起きないか?宿主よ』
……そう、声を掛けてくる者が居た。宿主?
その声に意識が急速に浮上してゆく。そして、俺は気付けば光り輝く場所に居た。
其処は眩いばかりの光に満ちていた。光に満ち溢れていた。
光り輝く空間。其処はそう例えるしかない場所だ。周囲には光に満ちている。余す事なく周囲を光が満ちている。それでいて、それは決して眩しくない。
暖かで、柔らかい光に満ちている。静かで暖かい空間だ。何故か其処に居るだけで心地良い安心感に包まれる気がした。そして、それは決して気のせいではないだろう。
少なくとも、俺はそう確信していた。
「此処、は……?」
『此処は、お前の精神世界。云わば心象世界とでも言おうか』
声は周囲一帯から余す事なく聞こえてきた。いや、これは周囲に満ちている光そのものが声を発しているのだろう。この心象世界全てに満ちた光が、声の主なのだろうと思う。
俺が目覚めたのを確認すると、やがて光が収束してゆき俺と同じサイズにまで縮小した。それは俺と同じ姿形をしているものの、まるであの日最後に見た両親と似た表情をしていた。
それは、まるで真の英雄のような。俺の理想像をそのまま具現化したような。
そんな見た目だった。その姿に、俺はしばし呆然とする。
「お前は、一体誰だ……?」
『誰とは心外だな。俺はお前の中にある英雄像を依り代にして生まれた異能だ』
「俺の中の、英雄像?俺の異能………?」
『うむ』
そうだ、とその者は頷いた。力強い、確かなエネルギーを感じる応答だ。それだけで彼の意思の強さがうかがえるだろう。そう、それはまさしく俺の中の英雄。その理想像に違いない。
こいつは俺の中の英雄そのものなのだろう。そう俺は理解した。
俺はすぐさま納得した。確かにそうであると納得させられた。それには、俺を納得させるだけの意思と力強さが感じられたからだ。そして、同時に疑問に感じた。
それは、俺の異能という一点だ。
「………俺の異能とは一体何の事だ?一体、何時の間にそんな能力が?」
『お前がこの時代に目覚める直前だ。俺は、確かにお前に話しかけただろう?宿主』
そう言い、俺は考える。僅かに考えて俺はすぐ思い至った。
それは、この時代で目を覚ます直前。俺の脳内に響いた声。
……そうだ。俺は確かに俺を呼び覚ます声を聞いた。そして、あの甲殻バジリスクと戦う時にもその声を聞いた筈だ。この声が俺に力を与えてくれた。俺を奮い立たせてくれた。
その声を聞いて、俺は力が急速に湧いてきた。あふれ出るように、底知れず湧いてきた。
一体、あの力は何だったのか?それに、一体どうして俺にそんな力が宿ったのだろう?
「俺の異能とは厳密に何だ?どうして、俺にお前が宿ったんだ?」
『俺は、より厳密に言えば滅びた文明の産物だよ。お前も見ただろう?この時代のいたる所に怪物と化した新生物が生息しているのを。あの甲殻バジリスクというのも……』
「………………」
俺は思考の中にあの怪物を思い出す。甲殻バジリスク、この時代に現れた怪物。巨大蜥蜴。
厚くて強靭な皮膚を持つ、蜥蜴の怪物。鎧のような皮膚を纏った巨大な蜥蜴。
その生物が一体どうしたというのだろうか?
『あの生物も云わば俺の同類だよ。というより、根源が同じというべきか?』
「……どういう事だ?」
怪訝な顔をして、俺は問う。嫌な予感がした。しかし、問わない訳にはいかない。
俺は逃げる訳にはいかないから。
そんな俺に、それは答えた。
『滅びた文明の遺物という事さ。宿主の父母も携わっていた研究、それが架空塩基だよ』
……架空……塩基?
「架空塩基だって?それがあの怪物達と関係があるというのか?それに、俺の父さんや母さんが関係しているとはどういう事だ?一体何を言っている?」
『そのままの意味だ。架空塩基とは、人類を次のステージに進化させる為の因子だよ。お前の父母はその架空塩基を開発していたと。まあ、あの怪物達が生まれたのはイレギュラーだが』
その言葉に、俺は少なからずショックを受けていた。それはつまり、俺の両親は文明の崩壊の引き金を引いた大罪人という事になるからだ。そんな事、思いたくなかった。
俺の心が、信じていたものが、歪んでいく気がした。歪んで、軋んでゆく。壊れてゆく。
しかし、それを否定するかのようにそいつは言う。
『違うぞ?お前の父母にとって、この事態は本当にイレギュラーだった。それに本来架空塩基はそのような使われ方をされなかった筈なんだ』
「……それは、どういう?」
『何者か、悪意ある者の意思が関わっている。そう俺は推測する。少なくともお前の父母はある程度事情を理解していた筈だ。だからこそあの時覚悟を決めたのだろう?』
言われて気付く。
そうだ。俺の両親はあの時、覚悟を決めたような顔をしていた。覚悟を決めていた筈だ。
何かやるべき事があると言っていた筈だ。それはきっと、この文明を滅ぼそうとした何者かに立ち向かう為ではないのだろうか?そして、俺をその存在から守る為に俺をこの時代へと?
いや、待て待て。それは流石に飛躍しすぎている気がする。
しかし、いやだが……
「俺は、何の為に。父さんや母さんは一体何を知っていた?どうして文明は?」
『さあな。しかし、その為にお前の父母はお前の中に俺を植え付けたのだろう?あの装置に架空塩基を投与する機能を拡張したのは、少なくともお前の父母だよ』
あのコールドスリープ装置にそんな機能が?だとすると、俺は眠っている間に密かに架空塩基を投与されていたという事なのか。人造的な異能の因子を。
しかし、そう考えれば色々とつじつまは合う。両親が俺をコールドスリープ装置へと押し込めたその本当の理由も、俺に異能が宿った理由も、全て納得出来る。
そして、俺を守り抜こうと最後まで抗った両親の想いを。その愛情の深さを。
俺との別れの痛みを。悲しみを。
「……………………」
『俺はお前の英雄像だ。お前の意思や想いの強さに比例して、お前に力を与える者』
そう言ってそいつは笑った。力強い笑みだ。強い意思を感じさせる、強い笑み。
「……つまり、俺の意思と想い次第で俺に力を貸してくれると?」
『無論、俺の力はお前の力。相応の意思の輝きを見せるのならば、お前に無限の力を貸す事もやぶさかではないとも。当然その覚悟はあるのだろう?』
「ああ、勿論だ」
そう言って、俺はそいつに手を差し出す。そいつも、力強い笑みで手を握った。
俺に力が湧き上がってくる。俺の中に力が流れ込んでくる。これは、意思の力だ。
「これからよろしくな。アイン」
『む、アイン?』
初めて、そいつの表情に疑問が浮かんだ。その表情に俺は笑みを浮かべて言った。
「お前にも名前が必要だろう?確かな自我を宿しているんだから、名無しではつまらない。だからこれからお前の名前はアインだ。アイン=ソフ=オウルだ」
『……ふむ、無限光か。面白い。ならば俺の名前はこれからアイン=ソフ=オウルだ』
そう言って、俺とアインは再び手を握り合った。急速に意識が浮上してゆく感覚がある。
恐らく、もう目覚めの時なのだろう。俺はそのまま浮上する意識に身を任せた。
そして、俺の意識は目覚めを迎えた。