2、解放される怪物女王
うっすらと、ユキの目が開いた。その瞳は虚ろで、まだ完全に目覚めた訳ではなさそう。
しかし、徐々に意識がはっきりとしてくたらしい。その瞳が俺の方を向いた。
「………クロノ、くん?」
「目が覚めたか?ユキ」
そして、ユキは周囲をきょろきょろと見回して此処が仮設テントの中だと理解する。そして自分が今どのような状況なのか、はっきりと思い出してきたらしい。
直後、羞恥の為なのかユキはその顔を赤く染めた。
「………えっと、ごめん。見苦しい所を見せて」
「…………見苦しいなんて。俺こそごめん、ユキの事を救ってやれなくて」
「救う?」
俺の言葉の意味が理解出来ないのか、ユキは不思議そうに問い返す。
きょとんと、俺の方を見て僅かに首を傾げる。そんな彼女に、俺は真っ直ぐと視線を合わせ正面から向き合うように見詰める。そんな俺に、彼女も俺を真っ直ぐと見る。
俺は、真っ直ぐユキを見ながら言った。俺の、俺なりの覚悟と想いを伝えるように。
「ユキ、正直君にとっては迷惑かもしれない。要らないお世話かもしれない。けど、それでも俺はお前の事をきちんと救いたいんだ。君を縛る罪から救ってやりたいと思う」
「クロノ君………」
「本当は、世界を滅ぼそうとしたユキの事を許してはいけないのかもしれない。世界中の人達がユキの事を恨んで敵視しているのが正しいのかもしれない。けど、」
「…………」
「けど、それでも………それでも、俺は…………」
俺は、ユキと真正面から向き合いながら俺自身の正直な気持ちを伝えた。
真っ直ぐ、俺の気持ちを伝える為に。
「たった一人の女の子をその苦しみから救えないで、それでも英雄なんて名乗りたくない」
「………っ⁉」
「俺は、そんな俺の事を英雄だなんて呼びたくはない」
真の英雄とは、救われない者に救いの手を差し伸べる優しさと勇気を持つ者の事。どのような苦難であれどそれでも笑いながら全てを救い出す者の事。
少なくとも、俺はそう思っている。俺の中の英雄とはそういう存在だ。
例え、オロチが言ったように覚悟が足りないとしても。例え、甘いと断じられても。それでも俺は泣いている女の子を前にしてそれを無視する事なんて出来ないから。
だから………
ユキの目がこれでもかと大きく見開かれた。まるで、驚愕すべきものを見ているかのようなそんな表情で俺の事をじっと見詰めている。じっと見詰め、数秒ほど硬直し。
そして、やがてその表情はくしゃりと歪んで………
「そう、か………」
「ユキ?」
「ああ、そうか。これが、遠藤クロノという人の英雄性なのか………」
そう言って、直後———
俺の視界が、真っ赤に染まった。俺の胸元を灼熱の感触が駆け抜ける。
激痛すら凌駕して、身体の中をマグマが駆け抜けるような灼熱を感じる。
「………っ、あ」
俺の胸を、ユキの手刀が貫いていた。いや、それだけではない。彼女の手刀を通じ、俺の中から何かが抜け落ちてゆくような感覚が。その何かを理解したその瞬間、立っていられなくなり。
俺の身体を急激な脱力が襲った。その場に倒れ込む俺を、滂沱の涙を流しながらそれでも心底救われたような表情でユキは見詰めている。それは、今まで見た事もない彼女の姿。涙に濡れながらも晴れやかで心底嬉しそうな顔をして。
まるで、全てを許された罪人のように晴れやかな表情をしており。
「………ああ、ありがとうクロノ君。おかげで私にもやるべき事が見つかった。クロノ君、私は貴方にこそ殺されたいと思う。貴方の腕の中でその命を終えたい。それでこそ、」
「ユ、キ………っ?」
「それでこそ、私の罪は終止符を打たれるから。私は、ようやく罪を清算出来る」
「それ、は………」
駄目だ。そう言おうとするが、身体に力が入らない。
それも当然だ。俺の身体から、俺の中からアインが奪われた。即ち、俺の中から異能の根幹を成す人格が引き抜かれたのである。そのせいで、俺の身体に力が入らない。俺から抜け落ちてゆく全てに俺自身がどうする事も出来ないでいる。
そんな俺に、そっと膝を着いて近寄るユキ。そして………
俺の頬にそっと口付けた。
やめろ。そんな目で俺を見るな。そんな全てを諦めたような目で、笑うな。まだ、俺はまだお前を救えてなんかいないから。もっと、お前をきちんと救いたいから。
お前の事が大好きだから。愛してるから。
だから———
「大好きだよクロノ君。ありがとう、さようなら………」
そう言って、ユキはその場を去ってゆく。そして、直後———
急激な脱力から一転、俺の身体を焼き尽くすような灼熱が襲い掛かる。まるで、暴走するような業火の灼熱が俺の中を駆け抜けるような。そんな熱さだ。
死ぬよりも苦しい灼熱の中。それでも彼女を諦めきれない地獄のような後悔が渦巻く。
「ぐっ、ああ…………ぁぁぁあああああぁぁああああああっあああぁぁぁぁぁぁぁっ‼‼‼」
絶叫する。しかし、もう此処には彼女は居ない。白川ユキはもう居ない。しかし、それでも俺は叫ばずには居られない。ただ、絶叫を上げ続ける。
俺の身体から発せられる灼熱を感じ取ったのか、誰かが近付いてくる。しかし、誰が近付いているのかは今の俺には知るよしもない。それでも、俺は叫び続ける。
もう此処には居ない彼女を追いすがるように叫び続ける。そして………
やがて、俺の意識は灼熱の闇の中へと消えていった。




