1、多重人格異能者
「多重人格異能者、だと?」
「そうだ。ハクは膨大な数の人格と、それに付属する異能を数多く保有している」
彼は、久遠リンネはそう言った。まるで、さも何でもない事のように。
リンネのその言葉に俺達は我が耳を疑った。それは、問い返した本人であるヤスミチさんとて同じらしく愕然とした表情をしていた。まあ、それも当然の話だろう。
一人の人間が数多くの人格とその一つ一つに別々の異能を宿しているという。そんな話、流石の僕でもおかしいと感じている。明らかに常軌を逸している。
何故なら、今まで見た異能者は一人に単一の異能しか宿していない。それは王とて同じだ。
それはつまり、一人に単一の異能が限界という事実を意味する。或いは、最初からそういう法則でも働いているのかもしれない。
にも関わらず例外が存在する。何か裏がありそうではある。決して白くはない、裏が。
「一人の人間が複数の異能を保有しているなんて、そんな話は聞いた事が無いぞ。ユキ、お前は何か聞いていないのか?或いは見た事があるとか?」
「いえ、私も知りません。そんな話、聞いた事も見た事もありませんよ」
ヤスミチさんの問いに、ユキは即座に答えた。
ユキの言葉にリンネも頷く。やはり、彼は何か知っているらしい。
「それはそうだ、彼女は対怪物の王の為の実験体なんだからな」
「実験体?」
実験体。その言葉に俺達は一斉に怪訝な顔をする。
流石の俺も聞き捨てならなかったのか問い返した。それは、ユキやヤスミチさんや他の皆も同じらしく全員が怪訝な顔をして彼を見ていた。中には明確に嫌悪感を示している者も居る。
しかし、それ等悪感情を一身に受けてもリンネは平然としていた。
いや、或いはそんな事すら気にならないぐらいに怒りに染まっているのか。或いは、
「そう、実験体。彼女は王に対抗する為に意図的に造られ調整された異能を保有している」
「っ、そんな事———‼」
ユキが激昂しかけた瞬間、それをリンネが冷たい視線で制した。それも、絶対零度の視線。
その視線にユキが思わず口を噤む。人間、こんな視線をする事が出来るのか。
まるで、其処から先を言う事を許さないかのような。それを言及する事を許さないような。
「お前がそれを言うのか?他でもない、お前自身が………」
「そ、それは………」
「お前がそれを言うのか。お前のような重罪人がそれを言うのか?」
「———っ‼?」
致命傷だった。
他でもないその言葉が、ユキの胸に深々と突き刺さったらしい。今にも泣きそうな顔だ。その言葉に疑問を感じたらしく、ヤスミチさんが怪訝な表情をした。
しかし、彼が何か言う前に俺が言う方がよほど速い。
「リンネ、流石にそれは言い過ぎだ」
しかし、俺の言葉にもリンネは動じない。しれっとした表情で応じた。
「俺が何か間違った事でも言ったか?」
「ああ、明らかに言い過ぎだ。それは流石に言うべきではない」
しばらく睨み合う俺とリンネ。いや、俺以外にもエリカやアキトがリンネを睨んでいた。
ツルギはただ黙ってそれを見ていた。ヤスミチさんは状況が呑み込めないのか、ただ呆然とそれを見ているだけしか出来ないでいる。
しばらく、険悪な空気が流れてゆく。しかし、意外にも先に折れたのはリンネだった。
「………分かったよ。言い過ぎだと言うなら謝るさ」
小さく溜息を吐きつつそう言った。しかし、それよりも重大なのがユキだ。
いや、或いは重傷か。
「ご、めんなさい………ごめんなさい。ごめんなさいっ………ご、めんな………」
「ユキ?ユキっ‼」
「っ、ごめんなさい!私の………私のせいで………っ」
まるで壊れたように同じ言葉を呟き続ける。壊れたラジオのように、同じ言葉を。
その異常なまでの怯えように、流石のヤスミチさんは理解が出来ない。しかし、俺達からすればそれどころではない状況だった。場が混乱する。
びくびくと何かに怯えるユキ。明らかに恐慌状態だ。心配する誰の言葉も聞こえず、代わりにありもしない何かの声が聞こえているようだ。恐らく、彼女のトラウマに触れたのか。
「ごめんなさい………ごめん、なさい………」
「っ、ユキ‼」
そんな彼女を見ていられず、俺は彼女を抱き締めた。
恐慌状態で暴れるユキ。そんな彼女を、ただ俺は抱き締め続ける。強く強く、彼女が落ち着くまでただ抱き締め続ける。それしか出来ない自分にふがいなさを感じながら………
そんな俺を、ユキは恐慌状態のまま暴れ続ける。しかし、俺は決して離さない。
やがてユキは疲労の為か或いは精神的に限界に達したのか意識が落ちた。がっくりと力尽きるように俺に倒れ掛かるユキ。場は沈黙に包まれる。
俺の腕の中で、涙を流しながら眠り続ける。そんな彼女に悲しい気持ちになった。
「………すいません。少し、この場を離れさせてもらいます」
「クロノ君、傷が………」
「この程度、全然平気だから………」
エリカの言葉に、俺はそう答える。実際、ユキに比べればこの程度大した事はない。
そのまま俺はユキを抱えてこの場を離れた。
・・・・・・・・・
江ノ島の展望台付近に建てられた仮設テントに俺はユキを寝かせていた。
そっと、彼女の目尻に手を伸ばした。
彼女の目尻から流れ落ちる涙をそっと拭う。その口から僅かに零れるのは、謝罪の言葉。ただごめんなさいと繰り返し呟くのみだ。それが、悲しい。俺の胸を締め付けるように痛めつける。
彼女はきっと悪夢にうなされているのだろう。悪夢にうなされ、目を覚ましてもずっと罪の意識にさいなまれ続けるのだろう。それが俺には悲しいと思う。辛いと思う。
「俺こそごめん。君を罪から救ってやれなくて」
何が英雄なのか。俺の何が英雄なのか。
こんな、たった一人の少女すら救い出す事が出来ない。そんな俺の何が。
そう思っていると、テントの外から声が聞こえてきた。その声に、俺は視線を向ける。
「おい、入っても良いか?」
「………っ⁉」
聞こえてきたのは、久遠リンネの声だった。一体何の用なのか?
そう思ったが、しかし今はぐっと怒りを呑み込んだ。呑み込んで、外へ出た。
今は、そんな場合ではない。
「一体何の用だよ?」
「そう怒るなよ。俺はお前に用があって来たんだから」
そう言って、彼は小さく肩を竦めた。しかし、相変わらずその目は笑っていない。視線は鋭く怒りに満ちているのが理解出来る。きっと、それほどまでにリンネは怒りに満ちているのだろう。
しかし、そんな事は俺には関係ない。そんな事、ユキには関係が無い筈だ。
彼の怒りの矛先は恐らく、幼馴染を捉えたツチグモに向けられている筈だから。
しかし、そんな事などそれこそ関係が無いかのような顔をリンネはしていた。或いは、彼からすればユキも同じと思っているのか。それともその元凶としてユキを責めているのか。
けど、そんな事。そんな事………
「だから、何の用だよ一体?」
「お前には、どうか俺の味方で居て欲しいんだよ。他の誰かじゃない、お前にはな」
そう言うリンネは初めて口元を笑みで歪めた。相変わらず、その瞳には笑みなど無い。無いが彼なりに笑みを浮かべているのだろう。或いは、それを作る意味があるのか。
だからこそ、俺には分からない。
「何故、俺なんだ?明影さんも言っていたが俺に何を期待しているんだよ」
そんな俺に対し、リンネはふんっと鼻を鳴らした。
まるで、そんな些細な事に興味はないかのようだ。
「別に、今のオマエには期待してはいないさ。しかし、何れお前はこの世界を救う。この世界を真に救いうるだけの力がお前にはあるんだよ。お前にのみな」
「…………」
俺は、自分の異能を思い浮かべる。アイン=ソフ=オウル、俺の中の英雄願望の異能。
しかし、こいつの言っている事はまるでそれだけではないかのよう。
しかし、聞き返すような時間を彼は俺に与えてはくれない。
「明日、早朝五時過ぎに敵へ攻勢に出る。答えはその時に聞こう」
そう言って、リンネはその場を去った。俺は何も言えなかった。
分からない。何も分かる気がしなかった。
「…………ちくしょう」
ただ、そう毒づくしか出来なかった。そんな自分がふがいなかった。
悔しい。そんな気分が俺の内に渦巻いていた。




