3、怪魚バハムート
遠征初日———現在、近畿地方と中部地方を隔てる海峡を船で渡っている。
俺は海峡を渡る船の中、船室の中で日記を読んでいた。船室にページをめくる音が響く。
2XXX年×月×日(土)
俺とアオイとの間に子供が生まれた。生まれた子供にクロノと名付ける。
生まれてきた子供を見て、俺は感動に涙を流した。この日を一生忘れない。絶対忘れない。
しかし、気のせいだろうか?少しばかり弱々しい気がする………
2XXX年◇月□日(月)
クロノに潜性因子が発現していた。未だ知られていない、謎の遺伝子だ。何だこれは?
………調べた結果、どうやらその遺伝子によりクロノはかなり高い素養を持つ代わり、永くは生きられないようになっているらしい。一体何だ、この因子は?ふざけているのか?
俺の息子になんて事を‼
2XXX年□月□日(木)
更に調べた結果、クロノに発現した潜性因子は宿主に高い素養を与える代わり、三十代を山場にして死へと急速に向かうものらしい。或いは、それがこの潜性遺伝の持つ性質なのか?
もう一つ。どうやらその潜性因子は研究中の架空塩基とかなり相性が良いらしい。と、言うよりも架空塩基による意思の波動が潜性因子による死を大幅に遅らせる力があると知った。
………しかし、どうも気になる。何故、クロノに潜性因子が発現したのか?
それに、そもそもこの潜性因子は何だ?まるで、先祖の誰かに人外が居るみたいな。
分からない事だらけだ。しかし、諦める訳にはいかない。息子を助けるためだ。
……… ……… ………
「…………ふぅっ」
パタンと日記を閉じた。俺は目頭を軽く揉んで、身体をほぐすようにストレッチする。
日記を読んで、一体どれくらいの時間が過ぎただろうか?もうすぐ対岸に着くと思うが。
しかし、潜性因子か。そんな話、俺は聞いた事もなかったが。どうやら父さんと母さんは俺にこの話を隠していたらしい。それほど知られたくなかったか。
もしかしたら、両親は俺の潜性遺伝を治す為に架空塩基の開発を急いでいたのか?それは未だ分からないけれども、少なくとも理由の一つとしてそれもあるんだろう。
それに、他に気になる事もある。潜性遺伝は一体何処から来たのか?どうして、俺にそんなものが発現したというのか?まだ分からない事だらけだ。
それを知らなければいけないだろう。そう、俺は新たに意思を固めた。
………と、思考に没入していると外から俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「クロノ君!そろそろ対岸に着くよ‼」
その声に、俺は立ち上がり船室を出る。空は黒い積乱雲が。どうやら、一雨来そうだ。
事実、空からゴロゴロと雷鳴が鳴り響いている。
「………ずいぶんと天気が荒れているな。さっきまで晴れてなかったか?」
「うん、つい先程から天気が荒れてきて。少し妙だね………」
俺の言葉に、ユキが怪訝な顔で空を睨む。俺も空を睨んだ。
雷鳴が轟く空。どんよりと曇っている。
空には巨大な黒い積乱雲が。その僅かな隙間から、何か鈍色に輝くものが見えた。あれは一体何だろうかと僅かに目を細める。すると、その瞬間俺は背筋が凍る思いがした。
鈍色に輝くそれ。それは端的に説明すると怪物の肌だった。
「っ‼?」
「あ、あれは‼」
俺とユキの驚愕する声が重なる。それもその筈、積乱雲の中から巨大な瞳が覗いていた。その巨大な瞳は魚類のものだ。つまり、積乱雲の中にとてつもなく巨大な魚が泳いでいる事になる。
一体あれは何だ?新手の王か?そう思った時、ユキの愕然とした声が響く。
「天空魚、バハムート………。王に次ぐ強大な力を持つ怪物………」
………何だって?
「あれで、王よりも下だって?」
「逆だよ。王がアレよりも上なんだって………」
瞬間、天地に轟く絶叫が響いた。それは、黒い積乱雲を纏った巨大怪魚だ。
雷雲を纏う、とほうもなく巨大な怪魚が空を悠々と泳いでいる。その姿に戦慄を覚える。
巨大怪魚、バハムートは幾千幾万もの稲妻を操り俺達を襲撃した。その攻撃には、より明確な俺達への害意を宿している。どうやら、戦うしかなさそうだ。
そう思い、俺は戦闘態勢に入る。しかし、それを慌てて止めるユキ。
「だ、駄目だよ!敵は空中高く飛んでいるんだよ?どうやって戦うの!」
「それは………じゃあ、どうやって戦うって言うんだよ!」
言い争う俺達。そんな中、静かな覚悟を宿した声が割り込んできた。
「其処は俺達に任せて貰う」
そう言って現れたのは、神薙ツルギとマキナの二人だ。マキナの背中には、巨大な銀翼のような追加装備が見られた。どうやら、あの翼で飛行するつもりらしい。
何だ、あれは?イカロスのつもりなのか?
「ツルギ、あれは何だ?」
「マキナの追加装備だ。モードイカロスという」
「マジか………」
本気でイカロスのつもりだったようだ。流石に俺も呆れ返る。
しかし、あれで飛ぶ事が本当に出来るのだろうか?若干不安になってくるのだが。
だが、マキナは本気で飛ぶつもりのようだ。俺達に向かって敬礼をするとそのまま飛ぶ体勢へと移行して身構えた。そして———‼
「マキナ、逝きます‼‼‼」
マキナが叫ぶ。
大丈夫だろうか?不安になるような声と共にイカロスと化したマキナが軽く大跳躍した。瞬間マキナの有機素材で出来たボディは空中を見事に滑空し飛行した。
どうやら、飛行自体は成功したようだ。しかし、その後が問題だ。
全くバハムートへダメージを与えられていないのである。どころか、終始マキナの劣勢だ。
マキナはエネルギー弾幕でバハムートに応戦するが、そもそも敵のサイズが違い過ぎる。
その圧倒的にすぎるサイズの違いは戦闘力の差にも繋がる。簡単に言うと、中々ダメージが通らずに手傷一つ負わせる事が出来ないでいる。逆に、マキナは幾千幾万もの稲妻を常に避ける。
稲妻を回避しなければ、マキナは一撃で落とされるだろう。しかし、対するバハムートは並の攻撃では傷一つ負わせる事が出来ない。あまりにもサイズが違いすぎるのである。
あ、危ない!今のはギリギリだった………
しかし、ギリギリで稲妻を避けた影響で何らかの悪影響があったらしい。動きが格段に鈍くなり回避するのも辛くなってきている。もう、余裕などないだろう。
どうする?どうすればバハムートにダメージを与える事が出来るのか?
せめて、俺に飛行能力でもあれば。僅かでも空を飛ぶ事が出来たならば。
そう、歯噛みしていると。ツルギがマキナに一つの命令を下した。
「マキナ、ドラゴンブレスの使用を許可する!殲滅しろ!」
「了解しました、マイマスター‼」
ツルギの命令と共に、マキナは爆発的なエネルギーを放出する。いや、違う。
瞬間、マキナの掌に収束する彼女の全エネルギー。そう、文字通り彼女は内包する全てを掌部へと収束させ圧縮しているのだろう。大気を伝わり熱を感じる程の極熱が。
これには流石にまずいと思ったのか、バハムートが稲妻の数を一気に増やす。
しかし、もうマキナは避ける事をしない。そんな事、もう意味が無いからだ。
そして、次の瞬間———‼‼‼
巨大な光の柱がバハムートを撃ち抜く。苦悶の絶叫が響き、その後ボロボロとバハムートの身体が崩れ落ちてゆくのが見えた。どうやら、バハムートを倒したらしい。
そして、同時にマキナも全エネルギーを消費して落下してゆく。やがて、盛大な水柱を上げてマキナが海中に落下した。それを見て、僅かに溜息を吐くツルギ。
「………マキナの回収をしないとな。それと、大部分の修理も必要か」
そう言うツルギの目は少しだけ陰鬱そうだった。




