2、白川ユキ
「私の名前は白川ユキ。貴方の名前は?」
しばらくして、俺達は互いに自己紹介する事になった。まず自分の名前を名乗る少女。どうやら彼女は白川ユキというらしい。俺は、脳内で何度も名前を反復する事でそれを刻み込んだ。
そして、どうやら今度は俺の番らしい。俺が名乗るのをユキはじっと待っていた。
「………俺の名前はクロノ。遠藤クロノだよ。よろしく」
「遠藤……クロ、ノ………?」
ぴくりとユキの片眉が僅かに動いた。それはほんの一瞬の事ではあったが、とても奇妙な反応のように俺は感じた。まるで、一瞬だけ何かを思い出したような。怪訝な表情だった。
そんな彼女に俺は僅かに違和感を感じる。しかし、今はそれは置いておく。その違和感の正体を俺は知る事が出来なかったからだ。だからこそ今はそれは置いておく。
「どうかしたか?ユキ……」
「ううん、何でもないよ。それより君は何処から来たの?この辺じゃ見かけない顔だけど」
「……………………」
俺は僅かに黙り込む。さて、其処はどういう返答をすれば良いのか?普通に話しても頭のおかしい変質者のように思われかねないし。けど、嘘を吐く理由も特にない。
考え込む俺。そんな俺を、今度は彼女が不審に思ったのか怪訝な顔をして俺を覗き込む。俺に対する印象が不審者に変わりつつあるらしい。これはいけない、のか?
ユキは怪訝そうな声で俺に問う。
「そういえば、その服装もここら辺では見かけないよね?クロノ君、貴方は一体……」
「…………はぁ、まあ良いか。あまり言いふらさないで欲しいんだが」
俺は観念して正直に答える事にした。初対面だが、不用意に言いふらしたりしないだろう。
多分、彼女はそんな人物ではないと思う。そんな性格はしていないだろう。
……そう信じたい。少なくとも、俺の第一印象では彼女はそういう人物だった。
「俺はつい最近まで眠っていたんだよ。コールドスリープって解るか?」
「コールドスリープって、人体を冷凍保存するあれ?」
彼女の言葉に俺は静かに頷いた。まあ、俺もその技術については詳しいわけでもない。しかし大体はその認識で正解だったはずだ。細かい技術までは俺も知らない。
そもそも、俺はこの時代の事だって詳しく知らない。この時代は俺の居た時代からどれくらい先の未来なんだろうか?一体、父さんと母さんはあれからどうなったのか?
少なくとも、都市が遺跡化する程には未来の筈だ。研究所内もある程度は古びていた。恐らくはかなりの時間が過ぎている筈だと俺は認識している。
俺は何も知らない。だから知らないといけない。生き残った者の義務として。
「そうだ、俺は多分崩壊した文明の生き残りなんだと思う。まだ目覚めたばかりで俺自身解らない事だらけだけれどもな」
そう言って俺は話を締めくくった。俺自身解らない事だらけだ。けど、解らないことを解らないまま放置しておくのは俺の性に合わない。少しずつ調べるとしよう。
そう思っていると、ユキは何かを考え込むようにぶつぶつと呟き思考に耽っていた。
「なるほど……確かに彼は。いや、でも……いや、だからこそ。でも……」
「えっと、ユキ?」
「っ、え?いや何でもないよ‼うん、何でもないから……」
慌てるユキの姿に、俺は軽く首を傾げる。ユキは更に慌てる。
何だろう?何か様子が変だ。しかし、だからと言って俺に彼女の事が解るわけがない。俺は別に彼女の事を深く知る訳ではないし。むしろ初対面だ。
それに、あまり深く詮索するのも無粋な気がする。そう結論を下した時……
彼女の腰にさげた無線機がけたたましく鳴り響いた。その音に、今度は俺が驚く。
「はい、白川です。何かありましたか?」
『何かありましたか?じゃねえ‼あれほど単独行動は控えるように言っただろうが‼』
無線機から男の声が響く。いかにも面倒そうな、それでいて呆れ果てた声音だ。ユキはたははと頬を掻きながら空笑いする。どうやら、彼女は命令違反をしていたらしい。
俺は呆れた視線をユキに向ける。少しだけバツが悪そうな顔をするが、しかしそれでも全く反省の色が見えないところ彼女は常習犯なのだろう。やれやれだ。
俺は僅かに苦笑を浮かべた。
『それで?そっちは何かあったか?』
「それなんですが、身元の知れない人物を一人保護しました」
『何だと?』
無線機から聞こえてくる声に、怪訝な色が籠もる。どうも不審に思っているらしい。
それを察したのか、ユキは補足説明を入れた。
「けど、かなりの戦闘能力を持っているのは確かですね。甲殻バジリスクの首を刀の一振りで断ち切るほどですから。我々の戦力に加えても良いのでは?」
「おい、ちょっと待て……」
俺は反論をしようとする。しかし、それはさらっと無視された。
何だろうか?いきなり何の話をしているのか?
『いや、けどの意味が解らねえ。しかし、あの甲殻バジリスクを一太刀か……』
「はい、きっと大戦力になると思いますよ?」
何だか、とんとん拍子に話が進んでいくような気がする。流石にこれは拙いのでは?
そう思っていると、無線機の声が俺に向く。
『おい、その大戦力とやらは其処に居るか?居るなら返事をしろ』
「………はい、何でしょうか?」
『お前、ユキに何かしたんじゃないだろうな?厳密にはいかがわしい事とか?』
「「はい?」」
突然の言葉に、俺とユキの言葉が被る。純粋な疑問符だ。
しかし、無線機の向こうの男は胡散臭そうに話すばかりだ。若干疑わしげでもある。
『いや、だってユキだぞ?あのユキが早々に相手を其処まで深く信用する筈が……』
「あの、私は怒ってもいいですよね?ヤスミチさん?」
みしいっと、ユキが握る無線機が悲鳴を上げる。
ユキの声音に僅かな怒気が混ざる。表情こそ笑っているが、どうやら怒っているらしい。これは恐らく怒らせてはいけないタイプなんだろうな。そう、俺は内心で判断した。
そして、無線の相手であるヤスミチもそれは重々理解しているらしい。心底面倒そうにしながらもユキに対して謝罪の意思を見せた。声には相変わらず反省の色が見えなかったが。
『わりいわりい、別に其処まで怒らせる気はないんだよ。ただ俺だって気になるんだ』
「…………」
胡散臭そうに半眼を虚空に向けるユキ。しかし、流石に俺も黙っている訳にはいかない。流石に少女相手に何かをするような輩と誤解されるのも純粋に嫌だ。
……というか、俺は一体どういう印象を受けているのだろうか?少しだけ気になる所だ。
なので、此処で俺は無理矢理話に割り込む事にする。
「あー、別に俺はユキを相手に何もしてませんよ?いかがわしい事も全くしていません」
『む、そうか?それにしては随分と信頼を受けているようだが………』
………本当に、随分と疑われたものだ。少しこの男の脳内を覗いてみたい気分になった。
しかし、それは黙っておく。それは言わぬが花だ。男を怒らせる趣味は俺にはないので。
「そこまで信頼されるような覚えはありませんがね、俺も。ただ、俺は彼女がその甲殻バジリスクに襲われているのを見て咄嗟に助けただけで………」
ん?と、其処で無線の奥から疑問の声が漏れる。ぎくっとユキが僅かに怯えの色を……
『……ちょっと待て、甲殻バジリスクに襲われていた?』
急に雰囲気が怪しくなった。ユキはびくりと肩を震わせる。
何かあったのか?と、少し怪訝に思う俺だが。既に後の祭りだった。無線の向こうから雷が落ちたような激しい罵声が飛ぶ。その声に俺とユキは同時に怯んだ。
『馬鹿野郎っ‼あれほど油断するなと言っただろうが‼‼‼』
「っ⁉」
『お前、以前もオオムカデに襲われたばかりだろう‼なのにまた襲われるとは一体何事だ‼』
「す、すみません……」
『すみませんじゃねえっ‼‼』
こんこんと説教が続く。完全に涙目のユキ。どうやら、以前も怪物に襲われたらしい。一体何回怪物に襲われるのだろうか?彼女は……
完全にヒートアップするヤスミチ。流石の俺も放ってはおけなかった。というか、単純に見ている事が出来ないだけかもしれないけれど。黙っている事が出来なかった。
無理矢理話に割り込むように俺は間に入った。
「あー、とりあえず其処まででいいですか?」
『む?』
「クロノ君……」
怪訝な声を上げるヤスミチと、救世主を見るような目を向けるユキ。
………まあ良い。俺はそのまま続きを言った。
「その話は後ですればいいじゃないですか。今はもっと他にする話がある筈でしょう?」
『……そうだな、その話はあとでじっくりする事にしよう』
ほっと胸を撫で下ろすユキ。其処まで安心する事なのか?とりあえず、ユキにとっては安心する事なのだろうと俺は納得した。少し苦笑する。まあ、後でじっくりと絞られるのだろうが。
そして、そのままヤスミチの矛先は俺に向く。
『で、だ………今は特に何も言わない。しかしお前が身元不明である事に変わりはない。だからこれからお前には直接俺の許に来て話を聞かせて欲しいと思う』
「話を……?」
ああ、とヤスミチは同意した。同意して、鋭く射貫くような声音を俺に向ける。
『とりあえず、お前の身元は其処でしっかりと話してもらう。くれぐれも嘘やごまかしは言わないよう気を付ける事だな……正体不明』
直後、無線機は切れた。どうやら話は終わったらしい。
しかし、正体不明ね。本当に随分とまあ剣呑な世界になったようだ。まあ、文明が崩壊して怪物がそこら中に闊歩するようになったのだから当然なのだろうけど。俺はそっと溜息を吐く。
ユキは苦笑を浮かべながら俺に手を合わせてきた。何か、謝るようなしぐさだ。
「……えっと、何だ?」
「今の内に謝っておくよ。ごめんなさい」
いや、何が?とは言えなかった。それを言う前にユキは続きを話す。
「多分、ヤスミチさんにはかなり警戒されたと思うから。これから気をつけてね?」
「ああ、うん………」
少し気分が重くなる気がした俺だった。全く、やれやれだ。僅かに苦笑を漏らした。