9、覚悟の有無
「……………………」
オロチの話を聞き終え、場には静寂が残る。
俺は今、何も言えずに絶句していた。恐らく、俺は何とも言えない顔をしていただろう。何故なら俺はこの時オロチに対し、どう声を掛ければ良いのか判断しかねていたからだ。
俺はどう声を掛ければよかったのか?どう反応を返せばよかったのか?今の話を聞き、俺はどのような言葉を掛けるのが正解だったのか?俺には分からなかった。何も分からなかった。
ただ、それでもオロチ達にはオロチ達の苦痛があり、ユキにはユキの苦しみがあったのだ。そう俺は理解したからこそ、迂闊な回答は出来ないのだろう。
そんな事、許されるものではないから。きっと、オロチ達には哀れみすら侮蔑になる。
そんな事は、すべきではない。許される事ではないだろう。
さて、俺は彼等にどう声を掛ければ良いのか?どうすれば良かったのか?何が正しいのか?
「……………………後悔したか?私の話を聞いて」
「………いや、少なくとも聞いて後悔したなんて事はない」
真っ直ぐ、オロチの顔を見てそう答える。それだけは、断言出来たから。
「…………ふむ、そうか。少なくともお前は私の言葉を信じるのだな」
そう言ったオロチの言葉に、俺は静かに頷いた。オロチの言葉は信じるに値する。少なくとも俺は今の話に一切の嘘や誇張を感じなかった。
だからこそ、俺は悩みつつも俺なりの回答をオロチに示す事にした。それが、果たして最善なのかは分からないけれど。それでも、俺なりの回答を示す。
きっと、それが今の俺にとっての最善なのだと信じて。俺はオロチに手を差し伸べる。
こいつはもう、俺にとっては断じて敵ではないから。そう、伝える為に。
「オロチ。そして王達に言おう………お前達にどうかこの手を取ってほしい」
「何だって?」
オロチは怪訝に顔を歪める。どうやら、今の話を理解出来なかったらしい。
いや、或いは理解したからこそその意味が理解出来なかったのか?分からないけど、それでも俺はもう王と呼ばれたこの者達を敵だなどと思えなかった。
きっと、彼等は最初から敵対すべき存在では無かったのだ。共に手を取り合い共に歩む、友であるべき存在であったのだろうと思う。そう思うから………
だからこそ、俺は手を差し伸べる。彼に、彼等に歩み寄る。俺の考えを示す。
俺の考えを理解してもらう為に、手を差し伸べる。
「俺はもう、お前達を敵だなどと思えない。もう、お前達とは敵対したくないんだ。俺の味方になれとは言わないけれど、せめてユキの味方として手伝ってほしいとは思う」
「…………」
「どうか、この手を取ってほしい」
そう言い、俺はオロチに手を差し伸べる。手を差し伸べ、笑みを向ける。
しばらく呆然としていたオロチだったが、それでもやがて何か思案するように考え込んだ。
そして、そのままそっと溜息を吐くように息を吐きだした。
「………お前の考えは理解した。いや、ようやくお前という人間の本質を理解した」
「…………」
「残念ながら、お前の手を取る事は出来ない。お前と我らは相容れない」
そう言い、オロチは俺を睨み付けてきた。
俺は、少なくともこの時落胆していたのだろう。僅かに、胸の奥で悲しい気持ちが押し寄せているのが自分でも理解出来た。理解出来たからこそ、落胆していた。
「勘違いしてほしくないが、私自身はお前の考えを否定する気はない。ただ、お前の考えはこの時代では甘すぎるのだ。だからこそ、お前の手を取る事は断じて出来ない」
「………そうか」
落胆する俺に、オロチは再度続けて言った。
恐らく、オロチなりに気遣ってはいるのだろう。この時代において、俺の考えは確かに甘すぎるのかもしれないから。だから、此処でその甘さを指摘しようとしているのかもしれない。
だから、か。
「お前の考えは理想ばかりで覚悟が足りない。その正義には覚悟が伴っていないのだ。そもそも誰かを救うという事は誰かを救わないという事だろう?お前はただ、救われない者を無理に救おうとしているだけなのではないのか?所詮全員は救えないのに、だ」
「……………………」
ああ、そうかも知れない。そう思った。なるほど?
俺は理想を述べるばかりで覚悟が足りなかったか。生きていた時代が違うと言えば、確かにその通りなのだろうけれど、きっとそんな言葉で済ませて良い問題ではないだろう。
こいつの話は確かに理解出来る。理解出来るだけに、その言葉が胸に刺さる。端的に、俺は一体どうすれば良いのだろうか?俺は、こいつらに対して何をすれば良かったのだろうか?
オロチの話を聞き、それで尚敵対する事など俺にはどうしても出来ない。
そう、もう俺にはこいつを敵と認識する事が出来ないのだ。こいつ等を敵だなどと。
俺にはもう呼べないから。
俺は、一体どうすれば良いのか?それが分からない。
………まるで道化だ。そう、俺は思った。これでは英雄などではなく、道化ではないか。
俺はただ、救いたいものを救いたかっただけなのに。きっと、それは傲慢なのだろうけど。
「………お前に一つだけ、私から言葉を残しておく事にする。お前が本当に救いたいのは。救いたいと感じているのは一体誰だ?我らの母か?それとも我らか?いや、もしくは人類か?」
一体誰を救いたいのか?本当に救いたいと思っているのは、一体誰だ?
天秤に掛けねばならない。全てを救う事など不可能なのだから。許されないから。
全てを救って大団円など、それこそ空想でしかない。それこそおとぎ話だろう。
誰かを救うという事は、つまりは誰かを救わないという事でもある。誰かに手を差し伸べればつまりは誰かをないがしろにするという事だ。
そういう、事だから。
俺は、一体どちらを選べば良かったのか?どちらが正解だったのか?分からない。
もう、何も分からなかった。
「………此処では私から退く事にしよう。しかし、次は無いぞ?次に会ったら、その時こそはお前達人類の最後の時だと思え。もう、私は一切の容赦はしない」
次こそは、お前達人類を絶やして見せる。母を取り戻して見せると、そう言った。
そして、オロチは俺の前から去っていった。
「……………………」
分からない。もう、何も分からない。
俺には、もう何が正解なのか理解出来なかった。一体、何を選べば良かったのか?一体、何が正解だというのだろうか?それとも、このまま選べずに朽ちてゆくのが俺の最善なのか?
一体、俺はどうすれば良いのだろうか?
「…………分からねえよ、何も」
俺には、ただそれだけを呟くしか出来なかった。何も、分からなくなってしまった。
ただ、ただそれでも………
もし、それでも許されるのならば。きっと、俺は。
俺は、それでも全てを救う英雄になりたかった。おとぎ話の英雄になりたかった。
そう、思うから………
・・・・・・・・・
視界の利かない闇の中。其処でオロチに話しかける者が居た。
「あれが、最近母が気にかけているらしい小僧か?」
「………ああ、その通りだ」
闇の中には、複数の目が赤く輝いている。それは毒々しく、悍ましい輝きを放っている。
端的に言えば、オロチと会話しているのは巨大な蜘蛛だ。オロチと同等のサイズを誇る、巨大極まりない蜘蛛の怪物。怪物の王、蜘蛛王ツチグモという。
彼は牙を打ち鳴らし、複数の赤い目を闇の向こうへと向ける。
「ふむ。中々甘いというか………優しすぎる人物だな?俺は奴の事をどうも好きにはなれん」
「ああ、そうだろうよ」
蜘蛛王、ツチグモ。彼とクロノはきっと、性格的に何処までも合わないだろうと。そうオロチは正しく理解し評していた。だからこそ、オロチはクロノの考えを突っぱねたのだ。
そもそも、あの甘い考えでは全てを救えない。どうしても、相容れない者が出るだろう。
だからこそ、オロチはそれを指摘する為にあのような事を言ったのだ。
ああ、きっとそんな自身も甘いのだろう。そう、オロチは内心苦笑を漏らした。
そして、ツチグモはそんなオロチの考えを正しく理解していた。
理解し、彼の事も甘いと内心で評した。




