8、黒き過去と色あせない希望
始まりは巨大な水槽の中だった。後に王と呼ばれる我らは皆、等しく水槽の中で生まれた。
我らは皆、人工因子たる架空塩基を一度母たるアバターの体内で培養し投与された。つまり我らは水槽の中のモルモットでしかなかったという事だ。そして、同時にアバターの子ともいう。
何故、我らは生み出されたのか?そもそも、誰が何の為に我らを生み出したのかだと?
それは明白だ。簡単に言えば、世界を滅ぼす為の駒。人類の生み出した業としてだ。我らは皆等しく架空塩基という人類の生み出した結晶を批判する為の業として生み出されたのだ。
我らは等しく業である。人類が生み出し、人類を滅ぼす業であると。奴は言っていた。
奴、影倉ヨゾラが………
何故だと?何故そんな回りくどい事をするのかだと?それも明白、奴がそういう者だから。
即ち、奴の考えをそのまま述べるならば世界など滅びるべき時に滅びれば良いという事だ。
奴は架空塩基などというモノを使ってまで人類が生き延びる世界を。ましてや滅びるべき時に滅びずに人類が生き延びる事を良しとしなかった。生き汚いとすらののしっていたものだ。
奴にとってこの世界は、この世界に存在する全ては平等に無価値だった。人類が架空塩基の力を借りてまで存続する事を良しとしなかった。どころか不自然にすら感じていただろう。
何故人類は滅びないのか?何故、世界は滅びるべき時に滅びないのか?
何故こうも人類は生き汚い?全て滅びれば良い。こんな世界など、等しく価値が無いと。
奴はそう常々言っていたさ。
………解らないだと?何故、そのような考えに至ったのかだと?そんな事、文字通りそういう男だからというより他にあるまい?それ以外に答えなどない。全くないのだ。
そういう男なのだ。奴は、影倉ヨゾラという男は。
生まれた時から、奴は破綻者だったという。世界の全てが不自然だったと。
そう奴は常々漏らしていた。世界の全てに価値を感じなかったと。意味など無いのだ。
それ故、そんな世界など滅びるべき時に滅びるべきだと言っていた。滅びてしかるべきと。
解らないか?お前からすれば、理由なき破綻など容認出来ないと?けど奴はそういう人物なのだとしか言いようがないのだ。事実、奴には破綻した理由が存在しないのだから。
奴は、始まりからしてヒトを逸脱していた。神父の子として生まれた奴は、その始まりから致命的な破綻を抱え親からすら悪魔と呼ばれていたらしい。
そもそも、悪魔と呼ばれた事を喜んですらいたのだから救いが無いのだ。
奴は始まりから破綻していた。壊れていたとすら言えるだろう。
だからなのか?奴は平然と言っていたよ。この世全てに価値など無いと。この世全てに価値があるなら俺のような悪魔が生まれる事は無かったと。歪んだ笑みを浮かべてそう言っていた。
私こそ、知りたいものだ。もし神などと呼ぶべき存在が居るのなら、何故このような悪魔を生み出したりしたのかと。そう詰問したい所だ。詰問して、批判したい。
奴は生まれるべきではなかった。奴が生まれなければ、そもそも母は無用な罪を背負わずにいられたのだろうと思う。いや、そもそも生まれる事も無かったのか?
少なくとも、今のように深い絶望の中で無限に苦しみ続ける事は無かっただろう。
何故、奴のような外道が生まれたのか。何故、我らは奴によって生み出されたのか。
何故、母は奴の娘として生まれたのか?何故、母の親が奴だったのか?せめて、母の親が奴でなければ恐らくは母はこんなにも苦しみはしなかったのだろうに。
何故なのか?
そんな事、我らが知りたい。我らは、ただ母のみの子として生まれたかった。純粋に、あの優しい母の笑みを見ていたいとそう願っていたのだ。祈っていたのだ。
なのに………
それなのに、だ………
それを、奴は全て奪い去ったのだ。せめて、母が奴の娘でなかったなら。母の親がもっとまともな人間であれたならば。そもそもこんな絶望の中に居なかっただろうに。
何故だ‼何故世界はこうも無常なのだ‼何故、我らは、母は、怪物なのだ‼
解らない。何も解りはしない。解りたくもないよ………
………しかし、そんな我らにも希望はあった。そんな我らにも、心の拠り所はあった。
それこそが母の存在だ。星のアバター。今は白川ユキと名乗っている。彼女の存在こそ、我らの不変にして不滅の希望なのだ。何時までも色あせる事のない、輝く希望なのだ。
彼女が居てくれたからこそ、我らは希望を持てた。母の存在があったからこそ、我らは何時までも勇気を持つ事が出来たのだろう。母の存在こそが、我らにとっての救いなのだ。希望なのだ。
なのに、人類はそんな母に絶望を植え付けた。人類が居たからこそ………
母は自ら絶望の道を選んだのだ。全ては、あの日に始まっていたのだ。
あの日、人類文明が一掃された大災厄の日に。
全てが終わり、そして始まったあの日。人類が大災厄と呼んだあの日の事。母は奴が望んだ通りに人類文明を一掃した。あの日、世界は文字通りに滅びる筈だったのだ。
人類はあの日、残らず滅びる筈だった。しかし、そうはならなかった。何故か?
きっと、母の中に彼等の存在が。あの時母の前に現れた夫婦の存在があったからだろう。
二人の人間が、遠藤と名乗る一組の夫婦が母の前に現れてから運命は狂ったのだ。
遠藤と名乗った二人は、世界を滅ぼそうとする母に言った。世界を滅ぼさないでくれと。
世界には価値はある。それでも、世界は希望に満ちているのだと。救いはあるのだと。
そして、母を前に優しく手を差し伸べた。そんな事より、一緒に世界を楽しもうと。世界を滅ぼそうとした母を相手に、そんな母を前にしてまで二人は笑っていた。
何故、彼等は世界を滅ぼそうとした母を前にしてそんな事を言えたのか?それは我らにも全く理解の外でしかないけれど、それでも彼等は母に手を差し伸べた。
少なくとも、彼等は母に手を差し伸べた。笑い掛けた。
少なくとも、母はそんな二人の言葉に僅かに耳を傾けようとした。ほんの僅かにでも興味を持とうとしていたのだ。我らは、そんな状況を離れた場所から見ているだけだった。
まだ小さく、弱々しかった我ら。我らはただ見ているだけだった。
そんな時だった。状況が一変したのは。全てが台無しになったのは。
手を差し伸べた二人の人間。彼等は共に倒れた。何故?
背後から奴が、影倉ヨゾラが発砲したからだ。血を噴き出し倒れる二人。そんな彼等を前にして母は目を見開いて驚いていた。我らも、目を疑っていたと思う。
我らの位置からは、奴の顔は見えなかった。しかし、奴が壊れたような笑い声を上げているのは理解していただろう。その声だけは、混乱の中良く響いて聞こえていたから。
奴は言った。全ては滅びれば良いと。こんな世界など、無価値でしかないと。
壊れたような笑い声を上げながら、そう叫んでいた。きっと、奴は壊れていたのだろう。
いや、やはり最初から破綻していたのか。後になって考えてみてもそうとしか思えない。
そして、奴は既に瀕死の彼等を踏みにじり母に命令を下した。さっさと世界を滅ぼせと。
こんな世界など、さっさと壊してしまえと。
しかし、母はそれに従わなかった。あるいは、既に母の中で何か答えを得ていたのか。それとも何か思う事でもあったのか。それは我らには解らない。ついぞ理解出来なかった。
解らないが、それでもきっと母はあの男を裏切ったのだ。初めて、奴を明確に裏切った。
母は父と呼んでいた奴を殺し、そのまま死に体の二人に向き合った。
果たして、母は彼等と何を語り合ったか?それは、離れた場所に居た我らには解らない。解らないがそれでも母はその僅かな会話できっと決意したのだろう。己の人生を贖罪に費やす覚悟を。
この時に決めたのだろうと思う。
それが、母の起源。我らの始まりだ。
深い絶望の記憶の中、それでも色あせる事のない輝く希望………




