6、生きる
必死に走った。必死に走り続けた。俺の中の焦りが、次第に大きく強くなってゆく。
しかし、そもそも此処が何処なのか解らない。一体何処に向かえば良いのか?そしてどれくらい走れば皆の許に辿り着くのか?全く解らない。解らないが、それでも走るしかない。
急がねば、ユキの呼吸が細く弱くなってゆく。もう時間がない。間に合わない。
『宿主、其処を右に曲がれ』
「っ⁉」
反射的に脳内から聞こえた声に従う。すると、その先にヤスミチさん達の姿が。どうやら、向こうも俺達の事を捜していたらしい。俺達に気付くと慌てて駆けてきた。
しかし、安堵する暇もない。何故なら、ユキが重傷を負っているからだ。彼女を助けられなければ俺はこれから大きな後悔を抱える事になるだろう。深い傷を、心に抱える事になるだろう。
そんなのは、俺は耐え切れない。どんな痛みに耐えても、それだけは耐え切れない。
俺は、彼女を失いたくはない。今、それを痛感した。
「クロノ、お前無事だったか‼」
「話している暇はない‼ユキが、ユキが俺を庇って‼」
ユキの状態を確認し、ヤスミチさん達は血相を変えた。どうやら、状況を理解したらしい。
ヤスミチさんの隣に居るエリカとアキトの二人が、歯を食い縛った。二人も悔しいらしい。
「くそっ、遅かったか!こっちだ!」
ヤスミチさんに連れられ、俺達は急いで集落へと帰還した。其処で待っていたツルギとマキナに瀕死のユキを渡した。後はもう、待っている事しか出来ない。出来ないが。
しかし、それでも彼女が心配なのか俺はちっとも落ち着けなかった。どうすれば良い?彼女の為に俺は何が出来るのか?俺に出来る事は無いのか?
それだけが、俺の思考を埋め尽くす。焦りばかりが、募ってゆく。
焦りが、徐々に怒りへと変わってゆく。イライラしてくる。
しばらく、俺は建物の前で焦りと怒りを隠す事すら出来ずに右往左往している。
ああ、分かっている。俺に出来る事など、今は無いと。でも。それでも………
………やがて、建物の中からツルギが出てきた。その表情は、硬い。
彼も、かなり焦っているらしい。その表情に、俺の焦りは増大する。
「ユキは?ユキの容態は?」
「駄目だ、血がどうしても足りない。輸血を受ける必要がある」
「なら———」
俺の言葉を遮り、ツルギが首を左右に振った。一体どうしたというのか?
ツルギの代弁をするように、隣に居たヤスミチさんが言った。
「血液型が合わない。彼女の血液型はrh-のAB型だ。合う血液型の奴が居ねえよ」
AB型。それもrh-のAB型はかなり希少な血液型だという。つまり、数が少ないという事だ。
数の少ない血液型。それの意味する事は明白だ。つまり、失った血液を供給しづらい。
供給する為の血液が圧倒的に不足しているという事。
「それに、かなり大量に血液を失っている。間違いなく致死量ギリギリを輸血する事になる」
そう告げた二人に、俺は声を荒げるように言った。自分でも驚く程の大声だ。
「っ、なら俺の血液を使ってくれ‼俺も彼女と同じ血液型だから‼」
「何だって⁉」
「っ、本気か⁉ギリギリまで血を抜く必要があるんだぞ‼」
驚愕するヤスミチさんと詰問するように問うツルギ。しかし、俺の決心は変わらない。ツルギを力強く睨み付けるよう真っ直ぐと見る。その視線に気おされたように、ツルギは後ずさる。
奇しくも、俺の血液型もrh-のAB型だ。彼女の身体に合わないとは思えない。
やがて、静かに溜息を吐いてツルギは言った。
「………来い、こっちだ」
「……………………」
黙って一緒に付いていく。建物の中に入り、奥の部屋に入る。室内中央にユキが居た。どうやら麻酔が効いているらしく、安らかに寝息を立てている。
しかし、顔色は相変わらず悪い。当然だ、血液がかなり不足しているのだから。だからこそ俺が足りない血液を彼女に提供する必要がある。今度は俺が、彼女を救うんだ。
そっと、彼女の頬に手を添える。胸が締め付けられるように痛んだ。
彼女に救われた命。此処できっちりと返す。
「頼む、早速輸血をしてくれ」
「ああ、もう一度聞くが良いんだな?」
「構わない」
そして、俺も隣に用意されたベッドに寝た。麻酔をかけられ、そのまますぐ眠気が襲う。
視界がぼやけ、やがて考える事すらままならなくなってゆく。
意識が薄れる中、俺は僅かに思考する。何故、俺はこうも彼女一人に必死になるのだろう?
思えば、会って間もない筈の彼女に対し俺はかなり深入りしようとしていた。彼女が抱える罪や罰を深く知りもせずに、俺は彼女の罪を一緒に背負おうとした。
何故?
俺は、英雄になりたかった。物語の中の英雄に憧れていた。しかし、本当にそれだけか?
本当に、それだけの理由で俺は彼女に深入りしようとしたのか?
俺の英雄願望は、それが異能にまで発展する程に強い。俺の英雄願望の強さは、俺自身が誰よりも理解している筈だ。だが、本当にそれだけが理由なのか?
思えば、彼女とはもっと前に一度会っている気がする。彼女と、昔話している気がする。
何か、何かを忘れている気がする。重要な、けど大切な記憶を。俺は忘れてしまって———
………そして、そのまま俺は意識を暗転させて。
・・・・・・・・・
「………んっ。此処、は?」
目を覚ますと、私は一面が真っ白な部屋に居た。どうやら、ベッドに寝ているらしい。
どうやら、此処は集落に唯一ある医療用施設のようだ。何故、此処に居るのか?
意識がはっきりとしてきた。そして、やがて思い出してくる。意識を失う前の記憶を。
そうだ、私はオロチの攻撃からクロノ君を庇って………
「っ⁉クロノ君‼」
「よう、起きたか?」
がばっと起きた瞬間、隣から聞こえてきた声。その方向を見ると、其処にはクロノ君が。隣に並べていたもう一つのベッドに寝ていたらしい。その顔は、僅かに青白い。
其処で、私は気付いた。私はオロチからクロノ君を庇い深手を負った筈だ。その時、大量の血を失いそのまま意識を失った筈。きっと、手術をしたとしても血が足りないだろう。
そして、私の血液はかなり希少なタイプだった筈だ。同じ血液型の人がそう居る筈もない。
なら、その血は何処から持ってきたのか?
「えっと、クロノ君………もしかして?」
問い掛けるが、クロノ君は青白い顔で笑みを向けるのみ。
引き攣ったような、辛そうな笑みだったけど。それでも私に笑みを向けていた。
しかし、私は察した。どうやら、クロノ君は私に血を提供したらしい。それも、恐らくは大量の血を提供したのだろう。彼の顔が未だ青白いのは、大量の血を失ったからだろう。
何故?そう聞こうとしたが、それをクロノ君に止められた。彼の手が、私の声を遮る。
「何故なんて、そんな事は聞かないでくれ。俺がそうしたかったからそうしただけだ。これは俺自身のわがままなんだよ」
「っ、でも………」
「俺からすれば、お前を失いたくはなかったんだ。もう、これ以上俺の周りで大切なモノを失うのは二度とごめんなんだよ。だから、これは俺のわがままだ。だからさ、もう良いんだ」
「…………」
その言葉に、私の胸が締め付けられる。彼は知らない。知らないからこそ、今の言葉が私の胸を抉るように的確に痛めつける。胸が締め付けられるように、痛い。
しかし、同時にこれは私が甘んじて受けるべき痛みだろう。そうとも思う。
何故なら、彼の大切なモノを奪ったのは他でもない私自身だから。
彼の大切なモノを壊したのは、他でもない私だから。
思い出す、かつての記憶。かつての残影。
炎に包まれ、崩壊してゆく街で。私の前に立った彼らの姿を。そして、彼らが死の間際に残した最後の笑顔と後悔を。最後の言葉を。
彼らは言った。どうか息子を頼むと。息子の事を守って欲しいと。
私は、永遠に忘れない。あの時、彼らの言葉を聞いたからこそ………
私は、永遠に罪を償い続ける決心をしたのだから。




