1、悪夢への序曲
始まりは水槽の中だった。水槽の中の、培養液に浮かぶ。それが、私の世界全てだった。
私に許された世界。その全てが、その小さな水槽の中だった。
私の始まり。原初の記憶。全ての始まりの、その泡沫の夢だった。
・・・・・・・・・
「………っ⁉」
目を覚ます。其処は、宿舎の中にある私の部屋だった。いつもの光景、何も変わらない。静かに安堵の息を吐きながら、私はベッドから起き上がる。どうやら、夢見が悪かったらしい。服も寝汗のせいで濡れており、肌に張り付いている。
寝汗が気持ち悪い。かなりうなされていたようだ。汗にまみれた服を着替えるべく服を脱ぎタンスから新しい服を出した。綺麗なタオルで身体を拭いた後、新しい服に着替える。
………少しだけすっきりした。と、その時窓の外に一人の人影が歩いているのを見かけた。
その人影は、私の見知った人だった。まあこの近辺で私の知らない人は居ないけど。
それはまあ良い。
「………?あれは、クロノ君?」
それは、クロノ君だった。遠藤クロノ。永い時をコールドスリープしていた、眠り続けていた過去の文明の生き残り。過去の文明の生き証人。
滅びた文明から一人だけ未来へと飛ばされた。そんな境遇を持ちながら、彼は今まで暗い影など一切見せずに私達と過ごしている。それは、きっと彼の強さ故だろう。
彼は、きっと自分で思っているよりかなり強い。普通の人なら、きっと心が折れる筈だ。
けど、それでも折れずに比較的明るく過ごせるのは心根の強さ故だろう。
彼は、一体何を思って今を生きているのだろうか?以前、英雄になりたいと彼は言った。だからこそ彼はこの世界を救うと言っていた。私達を救うと言っていた。言ってくれた。
それは、きっと彼なりの覚悟の現れなんだろう。彼が見せた、覚悟の強さだ。
そんな彼の強さと優しさが、私は嬉しかった。思わず涙が出る程に。嬉しくて、悲しい。
そう、この時代では彼のような人間ですら覚悟を決める。覚悟を決めなければ、きっと生きてはいけないのだろうから。それが、悲しい。
「……………………」
少しだけ、彼と話したいと思った。軽く身だしなみを整え、部屋を出た。
・・・・・・・・・
外に出て夜風に当たっていた。外はまだ薄暗い。大体、六時前くらいだろうか?ともかく早朝の空気は少しだけ気持ちがよかった。なので、少しだけ気が緩んでいたんだと思う。
「クロノ君?」
「うおっ‼?」
唐突に、背後から声を掛けられた。思わずびくっと身を震わせる。本気で驚いた。
背後にはユキが居た。どうやら、彼女も起きたばかりらしい。着替えたばかりだろう薄着にほんの僅か俺の心臓が跳ねる。思わず、視線が彼女の胸元に………
その視線に気付いたのか、ユキは軽く笑いながら胸元を隠す。
「あはは!やっぱりクロノ君も男の子だね」
「ご、ごめん………気に障ったか?」
そっと視線を外す。けど、ユキは朗らかに笑いながら許してくれた。
「いや、クロノ君なら別に不快じゃないよ?信じてるからね」
むう、それはどういう事だろうか?俺も一応男なんだけど。まあ、でも信じてくれているだけありがたいのだろうけど。俺も、僅かに笑みを浮かべた。
そんな俺に、ユキも笑みを浮かべたまま静かに隣に立つ。そっと、肩が触れるか触れないかの微妙な距離感。それが今の俺達の距離なのだろう。
しかし、それが今の俺にとって心地よかった。心底安心出来る。それはきっと、俺が心の何処かでユキの事を信頼しているからなのだろう。俺が、彼女を信頼している証。
そう、俺はユキの事を心底から信頼している。彼女の事を心底から信じているのだと思う。
きっと、それはユキもそうなのだろう。だからこそ、この距離感なのだろう。
そう、俺は思う。
「で、どうしてこんな時間に?」
そう、ユキは俺に問い掛けてきた。何ともない、無防備な笑顔。その笑顔が、眩しい。
思わず、視線を逸らしながら返答する。質問に質問で返すのもどうかと思うけど。
「そういうユキこそ、こんな時間に起きているじゃないか」
「あははっ、夢見が悪くてね。こんな時間に起きちゃった」
「………そうか」
俺は、納得したように頷いた。どうやら、彼女も悪夢を見て半端な時間に目覚めたらしい。
そう俺が一人納得していると。ユキが俺をじっと見詰めてきた。
「で、クロノ君はどうしてこんな時間に?」
「………俺もそうだよ。夢見が悪くて、こんな半端な時間に目が覚めた」
「へぇ?それはとんだ偶然だね」
俺は黙って頷いた。そう、これはあくまで偶然。そんな事もきっとあるのだろう程度の。そんな些細な偶然の話でしかないのだろう。小さな小さな偶然の話。
しかし、その偶然がきっと幸運だったのだろう。だからこそ、俺はそれに気付く事が出来た。
そう。それは、ほんの些細な偶然の結果の幸運だった。結果、俺は些細な違和感に気付いた。
或いは、それは不幸なのかも知れないけれど。或いは、知らない方が………
それは、遠くから近付く白の群れ。土埃を上げながら、こちらへとやってくる。
「………?あれは、何だ?」
「あれ?」
俺とユキはそちらを凝視した。果たして、其処には………
巨大蛇の怪物、その大群がこちらへと押し寄せてきていた。
「「っ‼?」」
俺とユキは同時に息を呑む。それは、まさしく悪夢のような光景だっただろう。
そう、それはまさしく悪夢だ。悪夢というに相応しいだろう光景。或いはこの世の地獄だ。それはまさしくこの世の地獄であり、悪夢と呼ぶに相応しい。
そして、その巨大蛇の怪物達の前を行くのは。とりわけ巨大な白蛇の怪物。頭部に黒い双角を生やした巨大な純白の蛇。王者の威容を纏った巨大白蛇だった。
「っ、オロチ⁉怪物の王、オロチがついにその腰を上げたというの‼」
「オロチだって?」
「い、急いで避難命令をっ‼戦える者を早急に招集しないと‼」
慌てて駆けていくユキ。しかし、皆が目覚める頃には奴等はこの集落に到達している筈。
なら!
俺は、一人敵の進軍を食い止める為に怪物の群れへと突貫していった。
直後、集落全域に警鐘の音がけたたましく鳴り響く。それは、敵の襲撃を知らせる合図。
悪夢の始まりだった。
・・・・・・・・・
「む?貴様、何者だ?」
巨大白蛇の怪物。怪物の王、オロチが声を上げる。どうやら人語を介するらしい。
知能はそれなりに高いらしい。俺は、蛇の怪物達を眺めながら抜刀。刀身に灼熱の炎を纏わせながら刃を蛇へと向け、名乗りを上げた。
「俺の名はクロノ。遠藤クロノだ‼」
「そうか、では死ぬがよい‼」
巨大蛇の怪物達が俺へと殺到する。その数、いったいどれ程か?悍ましいまでに巨大で多い。
ともかく、数えきれない程の大規模な蛇の大群だ。しかし、俺は一切臆さない。そのまま蛇の群れへと突貫して突っ込んでゆく。灼熱の炎が、燃え盛る。
そして、俺と巨大蛇の群れが。蛇の牙と灼熱の刃が激突した。
その時、吹き上がった火柱は遠く離れた場所からでも観測出来る程に熱く。
そして巨大だったという。




