11、白蛇の怪物
まるで、地獄のような光景だった。地獄のような有様だった。
人を丸呑み出来る程の巨大な白蛇が暴れ回っている。白蛇が身じろぎする度、大地は巨大地震もかくやと揺れ動くのである。そして、それに挑む人々は皆、絶望をその顔に浮かべている。
先程までの巨大な揺れは、全て白蛇の暴れた余波だったのだ。言い返せば、余波だけで白蛇は巨大な地震を引き起こす事が出来るという事だ。それは、途方もない巨大な力の顕現だ。
それは、地獄のような光景だった。地獄としか言えなかった。そんな地獄の中で、俺はただ呆然と立ち尽くしていたのである。何だ、これは?
「………何だ、これは?」
思わず、思った事がそのまま言葉として漏れた。
何なんだ?これは一体何の冗談だ?俺は今、夢を見ているのか?
いや、解っている。これは夢ではない。これは現実だ。
神野エリカは瞬間移動を繰り返し、白蛇を翻弄している。神野アキトが腕を振るった瞬間、天から何かが降り注ぎ白蛇を打ち据える。神薙ツルギはマキナに命令を下し、縦横無尽に攻撃する。
ユキも無抵抗ではない。空気の刃を白蛇に向けて何度も撃っている。
それ等全てが、まるで大嵐の如く白蛇を打ち据える。
しかし、それ等怒涛の攻撃を白蛇は身じろぎ一つで薙ぎ払った。
白蛇にとって、それ等嵐のような怒涛の攻撃などその身一つで容易く薙ぎ払える。文字通りに格が違い過ぎるのだろう。白蛇は、その身じろぎ一つで嵐すらも振り払えるのだから。
文字通り、嵐のような怒涛の攻撃すら赤子がじゃれつくような物だ。
絶望が其処にはあった。しかし、誰も諦めない。いや、諦める訳にはいかないのだろう。諦めたら其処で滅びが確定するから。諦めたら、この近辺に住む人々は間違いなく壊滅するから。
だから、諦める訳にはいかない。それだけは、絶対にする訳にはいかないのだ。
俺の中に、徐々に訳の解らない感情が渦を巻き始めた。いや、解っている。これは怒りだ。
俺の中で、怒りが渦を巻き荒れ狂っている。重要なのは、その怒りの方向を見失わない事。
その怒りは何処から来ている?その怒りは誰に向けるべきだ?
『解っているな?』
俺の脳内にアインの声が響く。その声に、俺は心の中で頷いた。俺は決して、俺の中の怒りの方向を見失う事はしない。俺は、この怒りで理不尽を振りまく事はしない。
逆だ。俺は、この理不尽を己の怒りで打ち砕く。この理不尽を己の力で打ち砕くんだ。
この怒りを、己の力に変換する。意思を、己の力へと変換する。
そう決意した瞬間、俺の中で力がみなぎってきた。膨大な力が無尽蔵に湧き上がる。俺はその力を制御して正しく振るう必要がある。この力の方向を見失ってはならないから。
だから、俺は腰を低く落として刀の柄に手を掛け、
「ふっっ‼‼‼」
刀を構え、抜刀した瞬間俺は光と化した。刀身には灼熱の炎が渦を巻き、熱膨張により周囲を激しく雷鳴が轟いた。神速の抜刀により、白蛇の胴体にくっきりとした裂傷を刻み込む。
白蛇の胴体から、真っ赤な鮮血が噴き出した。大地を鮮血の赤が染め上げる。
「ぐ、あああああああああああああああああっっ‼?」
白蛇が絶叫を上げる。どうやら、人語を介するらしい。元より人に近い言語中枢を有していたのかも知れないけれど。それでも俺は一切容赦しない。
激しい怒りを、その白蛇へと向ける。
再び、抜刀の構えを取る。しかし、それを察した白蛇は大きく息を吸う動作を見せ。
瞬間、大きく顎を開いた。刹那、
「がああああああああああああああああああああああああああああああっっ‼‼‼」
その咆哮だけで、大地は抉れ周囲の建造物は軒並み吹き飛んだ。まさしく大嵐の如き咆哮。
極限に圧縮された音と空気が、俺を襲う。吹き飛ばされまいと、俺は踏み止まる。
その咆哮により、俺の足が一瞬だけ止まる。その隙を白蛇は決して見逃さない。そのまま俺に突撃して襲い掛かる。俺は、何とか体勢を整え刀を構えて迎え撃つ。
しかし、今度の抜刀は姿勢が上手く整っていなかった為か白蛇の鱗を徹らなかった。再度構えて抜刀の体勢を整える。白蛇も、再び咆哮を上げる為に息を吸う。
しかし、決してそのような時間は与えない。再び白蛇が咆哮を上げようとした、その瞬間嵐の如き猛攻が白蛇を襲った。それは、味方からの援護射撃だ。
ユキの空気の刃が、そしてアキトの攻撃が、白蛇を打ち据える。
それにより、一瞬だけだが白蛇の意識が俺から逸れた。その一瞬だけで十分だ。
刀を構え、腰を低く落として、撃つ‼
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ‼‼‼」
再び、神速の抜刀が白蛇を襲撃した。気合一閃、白蛇の首は見事胴から分断され堕ちた。
「オロ、チ……様…………っ」
最後、白蛇は何事かを呟いてそのまま息絶えた。
俺達の勝利が確定した瞬間だった。
・・・・・・・・・
しかし、勝利に湧き上がる事が出来たのはほんの一時だけだった。沈黙が、痛い。
痛い程の沈黙が、場を満たしている。
「……………………」
「そんな………。こんな事って………」
ユキの愕然とした声が響く。其処には倒壊したログハウスがあった。そして、ログハウスの残骸からはみ出すように人の腕があった。其処は、先程まで俺が居た場所だ。
それは、確かに先程まで俺と話していた筈の人だった。
明影タツヤ。この旧日本において、ご意見番とも呼ばれた人物。オモイカネの長老。其処にはログハウスの残骸と共に、遺体があるのみだった。
俺は静かに思い出す。彼は、明影ははたしてこの状況を良しと出来るのだろうか?いや、それともこれこそが彼の望んだ死だとでも言うのだろうか?
こんな、無残な死こそが彼の望みだったのだろうか?
解らない。何もかも、解らなかった。解らないけれど、それでも理解はしたかった。
思い出す。彼の住処は、ほとんど何も無かった。彼が存在を許した物しか無かった。
逆を言えば、其処には彼が存在を許した物で満たされていたのでは無かったか?
あの空間は、彼の思い出がそのままの形で保存されていたのだろう。そして、その象徴こそがあの写真ではないのだろうか?女性の写った、一枚の写真。
恐らくあの写真こそ。いや、あの写真に写った女性こそが明影の日常の象徴だったのだ。
そして、その日常の象徴が失われたからこそ彼は………
いや、それ以上の考察は邪推でしかないだろう。俺は首を左右に振り、意識を切り替えた。
彼の遺体に手を合わせる。せめて、死後くらいは安らかでいられるよう祈る。
せめて、その死後は安らかであれるよう………
・・・・・・・・・
「ふんっ、死後の世界というのも中々に味気ない物だ」
ぼやける視界の中、タツヤはそう呟いた。暗い。何処までも暗い空間を歩いてゆく。
しかし、そんな彼の言葉に答える声が一つだけあった。
「そんな事もありませんよ?住めば都とも言うじゃありませんか」
ほがらかな声。その声に、タツヤは一瞬だけ驚いた顔で振り返る。其処には、写真に写っていた女性が写真に写してあったままの姿で立っていた。
その姿に、一瞬だけ呆然としていたタツヤだったが。しかし、それも一瞬の事。やがて不敵な笑みを浮かべた後でそれに応答する。
「住めば都、か。確かに、お前と一緒ならばどこだって良いさ。何処だって暮らしてゆける」
そう言い、そっとタツヤは手を差し伸べた。その手を、穏やかな表情で取る女性。
今度こそ、もうその手を放しはしない。その手を放すような事はしない。
「一緒に何処までも行こう。もう、二度とお前を放しはしない」
「ええ、何処までも。貴方と共に………」
そう言って、二人はその永い旅を終えた。いや、此処から新たな旅を始めるのだ。
より永い。永い旅を………新たな物語を。
終わりは始まり………




