10、オモイカネの長老
次の日———朝、起きた頃にはユキは比較的落ち着いた様子を見せていた。
「………本当に大丈夫か?」
「うん、昨夜は本当にごめん。恥ずかしい所を見せて………」
ユキは心底恥ずかしそうに頭を掻いて照れ笑いする。落ち着いて良かったと思う反面、あの時の彼女の姿に僅かな違和感を覚える。一体、あの時の彼女は何だったのか?
あの時、ユキは異常に怯えていた。それも、”アバター”と呼ばれる存在の話をした瞬間。彼女がその存在と何らかの関係があるのは間違いが無いだろう。しかし、その関係とは?
以前、ユキは自分には償いきれない罪があると言っていた。その罪を償う為生きていると。
そして、人類文明を滅ぼし全人類にとって不倶戴天の敵である”星のアバター”。
其処には、何らかの因果関係が?いや、或いは……
………いや、其処まで考えるのは時期尚早だ。まだ判断材料が足りない。
そもそも、その”星のアバター”に関する事だって俺は何も解っていない。アバターとは一体何者で白川ユキとはどのような関係なのか?何故、アバターは文明を一掃したのか?
その目的は?理由は?正体は?俺は何も解っていない。解っていないからこそ、俺はそれを知る必要があるのだろう。俺は、それを知りたい。知らなければならない。
この世界で生きる理由が増えた。
・・・・・・・・・
「おお、二人とも其処に居たか。探したぞ」
「ヤスミチさん?」
外を歩いていたらヤスミチさんに声を掛けられた。どうやら俺達を探していたらしい。
何の用かと思っていたら、何故か唐突に頭を下げてきた。一体何なのか?
いや、頭を下げた相手はユキか?
「ユキ、昨夜はすまなかった。俺も少し配慮が足りなかった」
「い、いえ………こちらこそ急に取り乱してすいません」
そう言い、二人ともに頭を下げた。どうやら昨夜の事を謝罪する気になったようだ。うん、二人が無事仲直り出来て良かった。そう、心から思う。
しかし、どうやらヤスミチさんの用事はこれだけではないようだ。謝罪が終わった後、俺の方に向き直りそのまま用件を告げた。
「それと、クロノ。お前に会って欲しい人物が居る」
「会って欲しい人物?」
ヤスミチさんは静かに頷いた。その表情は真剣そのもの。
どうやらユキはその人物に心当たりがあるらしく、納得したように頷いた。しかし、俺にはその人物に心当たりがない。だから、素直に聞く事にした。
「えっと、その人物とは一体誰ですか?」
「明影タツヤ。此処、旧日本におけるご意見番でオモイカネと呼ばれる御仁だよ」
「通称オモイカネの長老。既に81歳になるけど、全く歳を感じさせない元気な人だよ?」
いや、結局誰なんだよ。そう思う俺だけど、とりあえず黙ってその長老だの御意見番だのの許に行く事になるのだった。まあ、会えば解るか………
・・・・・・・・・
その人物が居るのは、プレハブの小屋が並び建つ集落から少し離れた場所だった。其処に一軒の木造小屋というかログハウスが建っていた。どうやら、其処に一人住んでいるらしい。
小屋のすぐ隣には、巨大な冷蔵庫があり、他にもトイレや風呂場も外に建ててあった。この時点で僅かに違和感を覚える。違和感を覚えたけど、今は良いと忘却した。
とにかく、俺は小屋のドアに近付き数回ノックする。
「あー?誰じゃ」
「えっと、最近この近くに住む事になりました。遠藤クロノと言います」
俺が名を名乗ると、ドアの向こうに居る人物はしばらく黙り込んだ。
俺が何かを言おうとした、その瞬間再び声が掛かった。かなり低い、ドスの利いた声。
「………入ってこい。ただしユキ、お前は入るな。小僧と二人だけで話をしたい」
………えっと?
どういう事だ?俺は入っていいけど、ユキは入ってくるなと?俺は僅かに困惑したけど、ユキは全て承知しているのかそのままその場を去っていった。
よく解らないが、とりあえず俺は中に入る事にする。ドアを開いて中に入る。其処は、必要最低限な物しか存在しない空間だった。異様に殺風景な、生活空間以外の要素を感じさせない空間。
ただ一つ、部屋の奥に飾ってある1枚の写真だけが存在を主張している。
一人の女性を映した写真。恐らく遺影だろう。その写真だけが、その空間でただ一つだけ自己を主張している状態だ。それ以外、一切存在を主張する物がない。
衣類を仕舞う為のタンスや食器を仕舞う棚。机や椅子、ベッドがあるのみ。
食材を仕舞う為の冷蔵庫すら小屋の外にある。それ以外は、何一つとして存在しない。
此処は、あくまで生活する上で最低限以上のモノではないのだろう。或いは、それ以外の存在を一切許していないのか。その両方か。
そう思い知らされた。それを、まざまざと知らされた。
「よく来たな。わしの名は明影タツヤ。他の奴等はオモイカネなどと呼びおる」
「………俺の名は遠藤クロノです」
目の前には一人の老人が居た。老人、とは言っても一切の老いを感じさせない。鋭い眼光と極限まで引き絞られた肉体を持つ人物だった。老いを一切感じさせない威厳に満ちた姿だ。
しかし、色の抜け落ちた白髪に白髭。顔に深く刻まれた皺の数々が唯一老いを感じさせる。
彼こそ、オモイカネこと明影タツヤ本人に違いない。俺はそう理解した。
明影は僅かに口の端を歪め、笑みを浮かべる。
「さて、この小屋を、わしの家をお前はどう見る。お前にはこの小屋の中はどう映る?お前の率直な意見を教えて欲しいのだ」
「……………………」
率直な意見、か。俺はしばらく考え込んで、やがて口を開き答えた。
「………殺風景?いや、自分の許したもの意外を許さない場所。ですかね?」
「ほう?」
「此処には、貴方が存在を許したもの意外は一切存在しない。それ以外は存在すら許さない。まるで此処は貴方の心の壁の内側だ。或いは、心の中そのものか」
だからこそ、俺を小屋の中に入れてもユキは入れようとはしなかった。其処は、譲れない何かがあるのかも知れないけど。彼なりに線引きがあったのだろう。
では、その線引きとは何か?
「………では、お前を此処に招き入れた理由はなんじゃ?わしは何故、お前を中に入れた?」
「…………俺は入っても良いと認めたから?」
「その線引きは何処にある?お前とユキの違いは何だ?お前とそれ以外との違いは何だ?」
「それは………」
それが、俺には解らなかった。俺だけが特別に許された、その理由は何だ?違いは何処に?
俺には、それが解らなかった。解る気がしなかった。
黙り込んだ俺に、やがて明影は回答を示した。
「………お前は、この世界にとっての希望なのじゃよ。或いはわしにとっての希望、か」
「希望………?」
「うむ、お前はこの滅びた世界で救世主になりえる。要するに、英雄の素質があるのじゃ」
英雄。或いは救世主。その言葉の意味は解らないが、それでも彼が俺に対して期待のようなものを抱いているのは理解出来た。俺に希望を見ているのは理解出来た。
それは、もしかしたら俺の中の異能が関わっているのかも知れないけれど。アイン、俺の中の英雄願望から生まれた第二人格。俺に力を与える存在。
いや、それにしても何故俺なんだ?俺が希望になりえたその理由は?
「何故、俺がこの世界の英雄に?」
「お前だから、じゃよ。お前だからこそ希望になりえるのだ」
その意味が理解出来ず、俺はそれを聞こうとした。しかし、そんな時間は無かった。
いや、そんな時間は奪われてしまった。
「っ⁉」
突然、轟音と共に小屋が倒壊しかねない程に強力な揺れが襲った。その揺れに、俺は思わず片膝を着き視線を明影に向ける。彼は大丈夫か?
しかし、明影は無事だった。片膝すら着いていない。どころか微動だにしていない。その姿に俺は思わず瞠目した。しかし、そんな暇は無かったらしい。
再び、大きな揺れが襲う。今度もかなり大きい。
「どうやら王の配下が動いたらしい。或いは、王から直接命令されたか?随分と本気を」
「王、だって?」
「聞いている暇など無いぞ?さっさと行かねば被害は大きくなる」
「っ‼」
その言葉に、俺は急いで小屋を飛び出した。
・・・・・・・・・
小屋を飛び出していったクロノ。その姿を見て、明影タツヤは笑みを浮かべる。
「そうだ、だからこそお前は英雄の素質があるのだ」
そう言う彼の表情は、不敵そのもの。老いを一切感じさせない、強い笑みだった。
そして、部屋の奥にある写真を見て。或いはその写真の女性を見て、その笑みを和らげた。
「すまんな、ユキ。わしにはお前を認める事が出来なかった。わしには、どうしてもお前を許す事だけは出来ないのだ。それだけは、どうあってもな」
写真の女性は、若き日の明影タツヤの妻だ。その妻も、若くして亡くなった。
王との戦いに巻き込まれ、その命を散らしたのだ。
しかし、
「彼には、クロノになら任せる事が出来る。全てを、わしら人類の希望を………」
その瞬間、ひと際大きい揺れが小屋を襲い。倒壊した小屋に呑まれて………




