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いつか、どこかで  作者: 眠る人
86/86

82 かがり火

久々すぎる投稿です

 マホの家を抜け出した僕は、昼間通って来た道を戻り幕屋の方へ歩みを進める。


 すると、人影がこちらを背に焚き火の側で腰を降ろしているのが見えた。


 ・・・だが、隣にある何かもう一つの大きな影は何なのだろう?


 形からして、犬かな?




 いや?犬にしては、隣に座っているリアさんと比べてもやけに大きいように見える。


 という事は、まさかあの黒い影は・・・狼?


 もしかして、昼間幕屋を取り囲んでいた獣の内の一体なのか?


 だが、よくよく見てみると此処からでも薄らとだが赤茶けた体毛が確認出来るので、どうやら黒化はしていないか、していたとしても一部だけなのだろう。


 しかし、犬ならばまだしも、生きている狼が人間に付き従うだなんて、童話や物語でしか聞いた事が無い。


 尤も、犬も元を辿れば狼に行き着くらしいので、狼が人に懐くのもあり得なくは無いとは思うけれど・・・。


 目の前の光景が俄には信じられなくて、足を止め少し考えた後で慎重に人影へ近付いて行くと、大きな影は立ち上がりこちらへ向き低く唸り声を上げるのだが、すぐさま彼女は顎の辺りを撫でてそれを制止し、彼女に視線を向けた影へ何か合図をすると、狼と思しき影は静かに何処かへと立ち去った。


「・・・どうしたイーオ?寝れねぇのか?それとも、オレに何か用でもあんのか?」


 そうして影を見送りながら、彼女はこちらに振り向きもしないで僕に声を掛けてくる。


「よく、僕だって判ったね?それに、襲ってくるとは思わなかったの?」


「里の方からのんびり歩いて来るヤツが、急に襲ってなんてこねーだろ。第一、イーオ達ならもう分かるしな。」


「そうなの?」


「・・・まぁ、お前らじゃなくても近づいてきたら判るんだけどよ。」


 僕に気付いていた事はリアさんの反応からも明らかだったので、彼女の問い掛けに軽口混じりで返すと、彼女は漸くこちらに視線を向けながら少し戯けた様子で答えた。


「そう言えば、僕の気配は変だって確かに言ってたね。・・・でもその言い方だと、他の人でも分かるって事かな?」


 里に近付けば分かるとマーサさんが言っていた事からも、彼女は黒化の有無に関わらず、近くにいる人間を知覚出来るのは間違いないのだろう。


 だが、どうやって?


「ああ、こんぐらいまで分るようになったのは、此処一年程なんだけどな。・・・そういや、さっき二人を紹介しに行った時に気付いたんだが、サリーナ達もお前と似た感じがするのはなんでだ?おばさんだと結構近くまで来ないとわかんねぇのによ?」


 此処一年程という事は、それだけ侵食が進んだから得た知覚・・・という事か?


 もしそうだとしたら、侵食を止めてしまうと彼女の力が失われてしまう可能性があるのでは?


 となると、侵食を止めたらと機械達の機能が失われるかどうかを確かめてから動くのが正解か・・・?


 現状で、突然彼女の能力が無くなってしまうと困るのは里の人達や、彼女自身だ。


 侵食を止めるかどうかは、もう少し情報を集めてからでも遅くはない・・・か?


「・・・サリーナとアルが?僕と同じような感じがするの?」


 そこまで考えてから、ひとまずは彼女が聞いてきた事で気になる部分について問い掛ける事にした。


「ああ。あのガキは別として、あの二人もおばさんとか、此処にきた兵士達と違う感じがするんだよな。今までこんな事無かったから、少し気になっちまって・・・。あの二人は、イーオ程じゃねーんだけどさ。」


 あの二人に共通する事と言えば、〝認証〟をされている事ぐらいしか思い当たらない。


 どうやら、マナ同様にリアさんも〝認証〟されている事が判るようだ。


「・・・ごめん。僕には、リアさんが何を言っているのか分からないよ。」


 だけど、この力は誰にも知られる訳にはいかないから、心苦しいけれどしらを切るしかないな。


「・・・そうか。まぁ、お前の近くに居たから、匂いみたいなモンが移っちまったのかもな!突然変な事聞いて悪かった。・・・んで、何の用だこんな夜中に?」


 参ったな。


 彼女の黒化を止める事以外は余り考えて居なかったから、いざ面と向かって問われると返答に困る。


 今更、用は無いとは言えないし・・・。


 いや?


「・・・リアさんの話を聞きたかった・・・ってのはどう?」


 マーサさんに聞いた事以上は知らないから、折角の機会だし色々彼女に聞いてみよう。


 もしかしたら、間者が誰なのかを判断する材料があるかもしれない。


「何だそりゃ?ホントに寝れねぇのかよ?まぁ・・・かまわねぇけどさ。んな事より、〝さん〟なんて付けるんじゃねぇ!さっきも付けてやがったしよ!むず痒いからやめろよな!」


 拒否をされなかった為、思考を一旦放棄して彼女の隣に腰を下ろすと一瞬リアは身体を震わせた後、訝しむような表情を隠そうともせずに僕を見る。


 突然話がしたいなどと言われたら、身構えられるのは当然だろう。


「あー、うん。善処するよ。・・・それで・・・リ、リアはいつ、この里に来たの?」


 興味本位かと誰かに問われればそうなのかもしれないが、彼女が何故此処に来たのかは聞いておかなければならない気がするんだ。


「ホントに話をしにきたのか・・・。しかも、唐突だな?」


「ダメだった?」


「いや・・・別にいいんだけどよ。んー・・・そうだな・・・十歳になったばかりの頃だから、もう少しで七年、だな。この身体になってからは八年以上経つ、か?」


「結構経つんだね。」


「・・・言われてみりゃ、結構経ってんな?」


「自分の事なのに・・・?」


「まー、そうなんだけどよ!必死だったから、んな事考える余裕なんて無かったんだって!」


「なるほど・・・。」


「ああ。・・・ん?ちょい待て、イーオ達は此処へ来る前に色々聞いてたんだろ?なら、オレの話なんてとっくに知ってるんじゃねーのか?」


「いや、僕達が聞いていたのは里がどういう状況かって事と、マホの事ぐらいだよ。だから、リアさ・・・リアの事は同じ年頃の人が居る程度にしか教えて貰ってないんだ。」


「そうなのか?」


「うん。マーサさんも余り詳しくはないみたいだったからね。知ってたら、もう少し怒らせないように出来たのかなって、思わなくはない・・・かな?」


「いやー、それはどうだろうな?下手に気を使われた方が、余計にイラついてたと思うぜ?寧ろ、オレとしてはおばさんに転がされてた気がしてるんだよな・・・。」


 ・・・マーサさんがあの場でこちらに都合のいい流れを作っていたのは、僕も薄々は感じていた事だ。


 ひょっとしたら、その為に彼女の性格を鑑みてワザと怒らせたり、その後のマホが現れた事まで織り込み済みだった可能性すらある。


 でも、どうやらリアは勘が鋭いようだから、余りこの話を続けるのは良くないかもしれない。


「・・・そう言えば、リアは此処に来るまで何処にいたの?」


 そう考え、なるべく不自然にならない様に話題を変えてみる事にした。


 彼女は研究施設から抜け出してきている訳だから、多少なりとも情報を持っている可能性もあるしね。


「あー生まれは此処らしいが、物心ついた時には別の貴族のトコで、お袋と一緒に親戚の家に居たな。・・・ま、その後どっかに連れてかれて、この身体になってから里に来たから、そういう意味で何処に居たのかって聞いたのなら、すまん・・・正直、わかんねぇ。」


 そうか・・・。


 何も、自分の領地だけから人を集める必要は無いって事らしい。


 その辺りの情報はきっちり隠しているようだから、もしかしたら行方不明扱いの人達を調べて貰う方が早いか?


 いや、叔父上なら多分既にそういう調査は始めてるだろうから今度確認してみるとして、今は彼女との話に集中しないと。


「変な聞き方をしちゃったね。僕が聞きたかったのは何処で生まれ育ったのかって事だったんだ。その言い方だと・・・生まれはフランドル領って事?」


「ん?・・・ああ、そうだぜ。ま、今言った通り、オレは全く覚えてねーから、故郷がどうこうとか思った事はないけどな。」


「どうして別の貴族の所に?」


 どうやら、彼女も中々に複雑な事情があるようだ。


「んー・・・親父がなぁ、ここの騎士団にいたらしい・・・が、住んでたトコが戦争の最前線に近かったみたいでさ?それで、駆り出された親父も死んじまって、家が焼かれちまったってんで、赤ん坊のオレを抱えたお袋は、別の領地で行商をやってた親戚のとこに逃げるしかなかったんだとよ。」


「・・・ごめん。」


 興味本位で聞いていい話では無かったと思い謝罪を口にすると、彼女は複雑そうな表情で再び口を開く。


「いや、謝る必要はねーぞ?親父の顔もしらねぇから、今更だよ。それに、イーオだって本当の親の顔、しらねぇんだろ?育ててくれた親父さんも寝たまま起きないって、マーサおばさんからさっき聞いたしな?お前だって大変じゃねーか。」


 やっぱり、思った通りリアは優しい人なんだな。


 自分の話の途中なのに、僕の事まで気遣ってくれている。


「僕は色んな人に助けられているから、大丈夫。・・・それで、どうしてこの里に?」


 でも、これでは話が進まなくなっちゃうから、此処は続きを促そう。


「・・・連れてきて貰ったんだよ。元兵士だとかのオッさんにな。まぁ、そのオッさんも一年経たない間に死んじまったんだけどさ?」


「なるほど、ね・・・。」


 もう亡くなっているようだけど、その元兵士だという人物は十中八九間者だったのだろうな。


 勿論憶測ではあるが、話を聞く限りだと恐らく一人で彼女を連れて来たのだと推測出来るし、幾ら元兵士だとしても子供を連れたまま普通の手段で追跡を振り切れるとは思えない。


 故に、彼女にとっては安全が約束されている逃走劇だった訳だから、間者と一緒だった事は幸運だったと言えるかもしれない。


 けれど、今はそんな事より・・・


「此処じゃ良くある話だ。そんな顔しなくても、きっつい思いしたのはオレだけじゃねーよ。中には住むトコ追い出されて、男でも食う為に仕方なく身体を売ってたって人もいたぐらいだしな。」


 自分が恵まれすぎているのは、こういう話を聞かされるまでもなく頭では理解している。


 だが、そんな僕が・・・彼女にどう声を掛けたらいい?


 自分が彼女の立場なら、こんなにあっけらかんとしていられるだろうか?


「そう、なんだ。・・・そういえば、里を一人で守ってるって聞いたけど、どうやって戦う術を身に付けたの?」


「見張りはオレの役目だからともかく、守ってるのがオレ一人な訳ねーだろ!皆で守ってんだよ!何でそんな事聞くんだ?」


「いや、僕自身が剣を習っているから、少し興味があってさ。」


 本当はどう声を掛けていいかが分からなくて苦し紛れに話題を変えただけなんだけど、興味がある事自体は確かではある。


「・・・それなら、オレの話は参考にならねーと思うぜ?」


「どうして?」


「んー?だってよ?オレ、武器の扱い方はてんでダメらしいからよ?」


「え?」


 まさか、彼女自身は戦えないって事?


「実際、おばさんに女だからって護身用に短刀を貰っちゃいるが、狩り以外で使った事がねぇんだよ。手入れだってマホに任せちまってる。」


「じゃあ、どうやって?」


「あんまり、言いたくはねぇが・・・犬達に助けて貰ってるんだ。」


「犬?もしかして、さっき幕屋を囲んでた?僕が来た時にも、此処にいたよね?」


 助けてもらうって事は、彼らを操って戦ってる訳か。


 だとしたら、ますます黒化を止めるのは慎重にならないと。


「あー・・・アイツはちょっと特別だな・・・。それよりイーオ、お前囲まれてたのに気付いてたのか?」


 さっきの狼は違うとは?


 まぁ、それは追々聞くとしても、気付いたのは僕では無い事は言っておかなければ。


 変に警戒されても困るし。


「う、うん。最初に気付いたのは僕じゃなくて、マナ・・・だけど。」


「やっぱあのガキ、ただモンじゃねーんだな。嫌われちまったのは、マズかったか?」


 考えすぎだったか。


 というか、やっぱりマナに嫌われたの気にしてたのね。


「多分それは大丈夫だよ。マナもさっきの態度を反省してたみたいだからね。」


「そうなのか?」


「うん。でも、ああいう危ない真似はもう無しにしてほしいかな?」


「んなもん、言われなくても判ってるよ。・・・でも、そうか。・・・また、イーオに迷惑かけちまったな。」


 マナに完全に嫌われた訳ではないと伝えると、少しホッとしたような表情になった後、彼女は頭を下げた。


「僕は何もしてないよ。・・・で、その犬を操ってるって事?」


「・・・んな大層な事でもないさ。オレが危ないって感じたり、攻撃しろって考えたりすると、アイツらが勝手にやってくれるんだよ。」


「見張りも?」


「うーん・・・そっちはどうやってるか、ちょっと説明しづれぇな。・・・例えばだけど、この近くに誰か来たら教えろってな事を考えると、その通りになった時に何となく伝わってくる・・・ってな感じなんだが・・・。」


「漠然としすぎてて良くわかんないよ?」


「仕方ねぇだろ!オレにだって、何でそんな事が出来るのかわかんねぇんだよ!気付いたら出来てたんだしよ!」


「そ、そうなんだ?・・・ねぇ、ちょっと気になったんだけどその犬ってさ、どうやって・・・」


「それは・・・すまん。言いたく、ない・・・。」


「・・・そっか。」


 僕の問いかけにリアさんは眉を寄せつつ言葉を返すと、俯いて黙り込む。


 恐らく、生きている狼を捕らえてから無理矢理って事なのだろうな。


「オレだって・・・オレだって本当はこんな事・・・したくねぇんだよ・・・。オレがあいつらにひでぇ事してんのも、分かってる。でも、戦えないオレが守る為にはそれしか・・・。すまねぇけど、これ以上は無理だ。違う話にしてくれねぇか?」


 表情から罪悪感や後悔を滲ませながらもリアが呟いた言葉に、僕は意を汲んで話題を変える事にした。


「・・・わかった。それで・・・さ、他にも嫌な事、聞いてもいいかな?」


「嫌な事?・・・まぁ、借りもあるからな。構わねぇよ。だが、今みたいに答えるかどうかは気分次第だぜ?」


 もののついでという訳では無いけれど、彼女と二人きりになれる機会は早々無いように思え、敢えて踏み込んだ質問をしたいと伝えると、少し悩んだ素振りの後でリアは頷く。


「うん、任せるよ。聞きたいのは・・・どんな経緯で、石を埋め込まれたかって事、なんだけど・・・。」


「・・・聞いてもつまんねぇと思うぞ?」


「つまらなくなんてないよ。それに、僕は知らなくちゃいけない。知る為にこの里に来たんだよ。」


「何を知りたいんだよ?」


 事情そのものはまだ話せないが、彼女には素直な思いを話すべきだな。


「こんな事をしている奴らの事を、だね。」


「どうしてだ?」


「僕は、こんな事をしている連中を止めたいんだ。だから、そいつらがどうやって人を集めているかを、知りたい。勿論、話したくないなら無理にとは言わないよ。」


 これは貴族の責任とかの話じゃない。


 僕自身がそうしたいという、ただそれだけの話だ。


「・・・お前、バカだろ?相手は貴族だぞ。・・・あー、そういやイーオも貴族だったか。」


「形だけで、僕には何の力もないよ。・・・でも、悪事を暴く事が出来たなら、こんな事をしている連中を止められるんじゃないかな?僕に貴族としての生き方を教えてくれた人達は、誰かの為、領民の為に動く事が出来る人達だったからね・・・。」


「そいつらの力を、借りるって事か?」


「・・・うん。本当は、僕自身がそれを出来ればいいんだけど。」


 これらの言葉には嘘も偽りも無い。


 だから、僕はここに居る。


 そんな僕の思いが伝わったのか、リアは僕の言葉の後で腕を組んで瞑目した後、再び目を見開くと僕をまっすぐに見つめ口を開く。


「・・・人攫いと、人買いだ。それと、孤児院から連れてこられたってガキも、見た事がある。後は、オレを此処に連れて来てくれたオッさんみたいに、戦争で怪我して働けなくなったヤツも居たらしい。他にも色々、だな。ちなみに、オレの時は・・・人買い、だった。」


「人身売買だって!?法で禁止されてる筈じゃ・・・!それに誘拐って・・・」


 この国では、人は皆平等に母と呼ばれる神様の子供とされているので、階級そのものはあれど人権自体には差が無いとされている。


 故に、奴隷や人身売買は下手をすれば貴族であっても極刑にすらなり得るのだが、まさか実験自体にも別の国が絡んでいるのか?


「らしいな。その時は良くわかって無かったから貴族にはそんなクソみてぇな特権もあんのかと思ってたが、違うんだって事は此処に来る時に聞いたよ。・・・だが、んなもん後生大事に守ってるヤツらが、こんな事すると思うか?」


「確かに。後ろ暗い実験なら非合法な手段で集めないと、足がつく・・・って事か。」


 その辺りは多分、叔父上達も気付いて調査はしているとは思うが、僕達をこうして派遣した辺り、恐らく尻尾を掴めてはいないのだろう。


「そういうこった。まぁ、それだけならまだいいぜ?石を埋め込まれた後のオレがどんな目にあったか、聞くか?此処に居るオレ達が、どういう扱いを受けてきたと思う?」


 しかし、薄々は気付いていた事だけど、やはりそう・・・なのか。


 マナが黒化させられたと彼女が考えた時、恐らくマナにも拷問に近い実験が行われたのだと思った理由・・・それは、彼女自身が同様の経験をしたからに他ならない。


 ・・・だが、僕はそんな彼女にどう返したらいい?


「まともじゃない連中だぜ?実験だ、なんだとか言って連れてかれた挙句、腕や足を切り落とされて帰ってきたヤツらをオレは何度も見た事がある。・・・毎日毎日、どっかから誰かの悲鳴が聴こえてくるんだよ。夜が来るたび、明日は自分の番かと震えちまう程にな。」


 こういう事を平気で出来る連中なのだという事は、人の道にもとる実験を行っている事からも容易に想像は出来る。


 故に、こんな話を聞かされている僕は生まれてから感じた事の無い程の怒りを今、感じていた。


 だが、この感情を僕はどうしたらいいんだ?


「・・・なぁ、この右腕を見ろよ。何をされたと思う?」


 そう言いながら、彼女は徐に右腕に何重にも巻かれた包帯を外し、僕の眼前に突き出す。


 すると、今まで見てきた獣同様に、明かりに照らされても尚漆黒と形容する他にない腕が露わになった。


「えっと・・・?」


 彼女が何を言わんとしているのか判らなかったので、真意を確かめるつもりで彼女に顔を向けたのだが、僕の問いかけに彼女は無言で僕の手を掴み、自らの右腕に触れさせる。


「えっ!?・・・あれ?これは?」


 そこには、視認する事は難しいが触れれば直ぐに分かる程の何かに抉られたような凸凹や、一部が切り取られたと思われる傷痕が存在しているのが確認出来た。


「こんな傷だらけでデカい腕なんて、気持ち悪いだろ?いや、まぁ・・・こんな色してるだけで、充分気色悪りぃんだけどよ。・・・ま、こんな事だけなら、まだ良かったんだけどな・・・」


 彼女は僕に痛みの象徴たる腕を触れさせながら、自らが受けた屈辱や拷問にも似た凄惨な体験を語り続ける。


 筆舌に尽くしがたいとは、正にこの事だろう。


 やはり、こんな実験をしている連中は何とかして止めなければならない。


 ・・・のだが、今はそれよりも・・・そんな彼女の恐怖の記憶を掘り返すような真似をしておきながら、何が彼女を知りたいだ!


 自分の短慮に、嫌気すら覚える。


 酷く歪な薄ら笑いを浮かべつつ自らが受けた体験を話す彼女の横顔を眺めながら、強い憤りを覚えるのと同時に僕は、自分の浅はかさを呪わずにはいられなかった。


「・・・リア、そこまでにしときなさい。じゃないと、キミがおかしくなっちゃうよ。」


「マーサさん・・・?」


「イーオがこっちに向かうのを見てたんだけど、中々戻って来ないから気になっちゃって・・・ね。」


 もしかして、これまでの会話を全部聞かれていた?


「なんだ、おばさんも居たのかよ・・・。まぁ、マホはオレと違うトコに居たみたいだし、それに小さすぎたから、オレみたいな事はされてないと思うぜ?良かったな。」


 良い訳がない!


 マホが考えるのも悍しい目にあっていなかったのだとしても、リアさんはそんな目にあっていたって事なんだろう!?


 それに、他の人だって!


 巫山戯るな!


 そんなの、到底許せるものなんかじゃない!


 絶対に・・・絶対に、そんな連中を野放しになんてしておけるものか!


「マホの場合、あの子の本当のお母さんが守ってた・・・みたい。それでも、あの子も実験台にはされちゃったんだけどね・・・。」


「そうなのか?男が出来たからって、オレを金で売ったお袋とはえらい違いだな。・・・オレはもしお袋に次会ったら、絶対に殺すって決めてんだよ。」


「・・・復讐なんて、やめときなさい。成し遂げた後で、何一つとして取り戻す事が出来ないんだって、そう気付かされた時、ただただ虚しかっただけだから・・・ね。」


「おばさんは誰かに、復讐した事が・・・あんのか?」


「・・・年長者としての、忠告だよ。」


「・・・そっか。・・・まぁ、どの道出来そうにはねーし、やらねぇよ。・・・つまんねー話したら眠くなったな。・・・ほれ、さっさとマホんとこ帰れよ。オレは寝るからさ。」


 マーサさんに話を聞かれていたと知ったからか、彼女はこちらに背を向けて早口で捲し立てるように告げてから、天幕へと入ろうとして足を止め、こちらへ振り向く。


「・・・イーオ、お前結構いいヤツなんだな。でも、そんな顔をマホには見せるなよ?さっきからすっげぇ怒ってる顔してるぜ?逆に、オレが毒気抜かれちまうぐらいによ。」


「い、いや・・・ごめん。」


 よく言われるけど、僕って感情がそんなに表情に出るのかな?


「いや、別に悪い気はしないから気にすんな。それより、なんかお前の気配が強く・・・?だからおばさんに気づかなかったのか。・・・まぁ、それはいいや。・・・じゃあ、また、明日、な?」


 はにかんだような笑みを浮かべてからそう言うと、彼女はそそくさと天幕へと入ってしまった為、天幕へ向けて一言おやすみと告げてから僕はマーサさんと二人里へと戻る事にした。




「リアの事も、守ってあげてね。あの子が、昔のワタシと違ってまともなままこうしていられてる事は、奇跡に近いと思うの。」


 彼女の天幕を後にして帰り道を歩いていると、酒盛りをしているにしては顔を赤らめた様子も、お酒の臭いもしないマーサさんが、突然僕にそう語りかけてくる。


「・・・やっぱり、聞いてたんですね。」


「途中から、だけどね。・・・でも、リアに気付かれてなかったのは意外だったよ。だから、あんなに話してたんだろうけど・・・。」


「・・・僕には、何も・・・出来ません。本当に、僕は無力なんです。彼女の話を聞かされていた時だって、何も・・・言えませんでした。」


 実験施設で行われた事を語るリアの横顔は、寒気がする程の狂気に満ちていた。


 確かに、マーサさんが言うようにそんな体験をしているにも関わらず、彼女が優しさを失くしていないのは、稀な事なのかもしれない。


 でも、そんな彼女に何が出来る?


 リアが出会ったばかりの僕に、何かを望んでいるとは考えにくいし・・・。


「ううん。何かをする必要なんて無いよ。ただ・・・そうだね、話し相手になってあげてほしいんだ。それだけで、充分なんだよ。」


「話し相手・・・ですか?」


「あの子がされた事は、とてもじゃないけど一人で抱えきれるものじゃないの。だから、一人じゃないって、味方がちゃんといるんだって、思わせてあげて欲しいんだよ。」


「それを、僕が?」


「うん。イーオはワタシが知ってる中でも一番優しくて、一番・・・強いから。キミなら出来るよ。」


「僕より同性のサリーナの方が適任だと思いますよ?それに、マーサさんだって・・・」


「ワタシじゃ歳が離れすぎてるから、さっきみたいに説教臭くなっちゃうよ。・・・サリーナは良くも悪くもイーオが一番だから、多分リアとは気が合わないね。」


「そうでしょうか?」


 二人とも気が強いところとか、結構似てる気がするんだけどな。


「うん。ワタシが見た所、既にお互い苦手意識を持ってるみたいだから、これから打ち解けるにしても時間が掛かると思うよ。」


「だから僕、だと?」


「そう。多分だけど、イーオが親を知らないって言った事が、何処かで共感する要因になったのかもね。リアの話だと親に捨てられたみたいな事を言ってたし、マホと仲がいいのもあるからさ。」


「ですが、マホと仲がいいのであれば、サリーナも同様だと思いますよ?」


 それに、サリーナだって幼くして母親を亡くしている。


 共感を示すなら、僕よりサリーナの方が・・・って、リアはそんな事知る由もないし、サリーナがわざわざリアにそんな事を話すとも思えない。


 ・・・我ながら、馬鹿な事を考えてしまっていた。


「サリーナは、気を許している相手以外じゃ態度や表情がかなり違うからね。多分、それがリアを無意識に警戒させてる原因だと思うよ。リアは表裏が無いからさ。」


「確かに、彼女は隠し事とかも苦手そうですよね。」


 こんな事本人に言ったら、怒りそうだけどね。


「まぁ、だから信用出来るんだけどね。それに・・・」


「それに?」


「・・・ワタシは、あの子があんなに自分のことを話してるとこ初めて見たんだ。だから、イーオしかいないんだよ、きっと。」


 そう呟いたっきりマーサさんは黙り込んでしまい、釣られて僕も無言で歩き続けた後、酒盛りに戻るらしい彼女を見送ってから僕は、マホの家には戻らず集会所へと行き、床で眠る事にした。






 ーーーひょっとして、そこに誰かいるのかい?


 誰?


 ーーーもし、僕のこの声が聞こえているなら、お願いがある。


 お願い?


 ーーー僕を見つけて、止めてくれ。


 止めるって、何の事・・・?


「オイ!コラ!イーオ!テメェ、いつまで寝てやがる!寝ぼけてないで、さっさと起きやがれ!」


 誰かの声に返事を返していると突然、頭上からリアさんの怒声が響き僕は慌てて飛び起きる。


「リアちゃん!ダメだよ!旦那様は疲れてるんだよ!?」


「もしかして、またですか?」


 呆れたようなマナの声が聞こえるが、そんなマナの呟きは届かない程に、朝から彼女は興奮しているようだ。


「マホは黙ってろ!・・・お前、もうマホを襲ったらしいな!?」


「え?襲う?・・・あ!」


 昨日、マホを抱き寄せた時の事か!?


「身に覚えがあるみたいだな!」


「だから!リアちゃん聞いてってば!」


「まったく、これだから男は・・・」


「・・・いい加減に・・・マホのお話を聞きなさいっ!!!!」


 どうやら、我慢の限界を迎えたらしいマホの怒号が飛び、それと同時に僕を指指していたリアさんは盛大に宙を舞い、誰もいない床へと叩きつけられた。


 それはそれは、おそろしく見事なまでの放物線を描く一本背負いだったので、僕とマナは思わず顔を見合わせる。


 僕だけでなくマナも目を丸くしている事から、相当驚いているようだ。


「リアちゃんが悪いんだからね!マホのお話、ちゃんと聞かないから!」


 突然床に叩きつけられた事で、受け身も取れず痛みにのたうち回るリアさんを尻目に、マホは頬を膨らませながら告げる。


 以前思いっきりアルを投げた事のある僕が言うのもなんだけど怪我、してないよな・・・?


「マ、マホ?」


「あっ!?・・・えへへ。」


 一連の流れに僕は呆然としながらもマホへ問い掛けると、マホは恥ずかしそうに頭を掻く。


 もしかしなくても、これって・・・。


「マホね、ママから色々教えてもらってるの。戦える様に、って。それに、実はお母さんにも教えてもらってたんだよ!練習もちゃんとしてるよ!」


「そ・・・そう、なんだ?」


 危険な場所に居るのだから、マーサさんが教えていない筈は無いだろうけれど、まさかマホがマーサさん同様に此処まで人を綺麗に投げられるとは・・・。


 それにリアの腕を取った瞬間、何も無い場所を判断し器用に身体の向きを変えながら投げていたようにも見えたので、本人が言うようにきちんと訓練もしているのだろう。


「うん!・・・それより、リアちゃん?旦那様に何か言う事があるんじゃないの!?」


「だってよ!」


 良かった。どうやら怪我はしていないらしい。


 マホも流石に手加減をしていたようだ。


「マホは旦那様に抱きしめられて、嬉しかったんだって言ったよね?」


 ・・・ん?今、何を誰に言ったって?


「・・・マ、マホ・・・さん?」


 この様子では間違い無く、昨日僕がマホにしてしまった事をリアに話していたらしい。


「ほら!やっぱり!もう手を出してるんじゃねぇか!」


「確かに、それは・・・否定のしようも無いんだけど・・・」


 昨日の出来事を知っているとなれば、リアさんの反応が人として正しい。


 幾ら歳がそこまで離れていないとはいえ、マホはまだ成人すらしていないし、婚約だってしてはいない。


 それなのに、僕は・・・見境なさすぎだ。


「マホはイヤじゃないもん!昔から旦那様といっぱいちゅーだってしてるもん!」


 僕は寧ろ、幾らマホをサリーナと同様に想ってはいても、成人すらしていない相手に昨日自分が感情のまましてしまった事を、恥ずかしくすら思っているのだが・・・。


 しかも、その昔というのもリアには伝わらないが、今の僕との話では無い。


「なんだと!?」


「リアちゃんには関係無いでしょ!それに、マホはずっと前から旦那様ともっと沢山色んな事だってしてるんだもん!さっきもお姉様と一緒に、寝てる旦那様におはようのちゅーしたんだもん!」


 関係無いのならば何故彼女に話したのだろうかと考えた直後、想像もしていなかったマホの発言に僕は思わず吹き出してしまいそうになる。


 ちょっと待て?


 寝てる間に?


 しかも、サリーナもだって?


 思わずマナへ視線を向けると、マナは複雑そうな表情で僕を見ていた。


 この様子では、間違いなく問題の行為は行われていたようだ。


 イヤと言う訳では無いけれど、僕はアルと共に此処で寝ていたのだから、下手をすれば色々な人に見られていた可能性すらも・・・


「・・・はあっ!?」


 ・・・って、あれ?


 そう言えば、いつの間にマナは集会所に来たんだ?


 僕は此処に居ると教えていないし、マーサさんも再び酒盛りをするとかでマホの家には行っていない筈なのに?


「・・・イーオ!?テメェ!ガキの頃からなのか!?」


 ・・・もしかして、マナはリアと同様の事が出来る?


 冷静に考えると幕屋での出来事の際に、見えていない筈の外の状況を正確に把握していたのはリアの証言からも間違い無いし、他にもリアが初めて姿を現した時に、僕の真後ろにマナが居たのだって、彼女の存在を事前に教えようとしていたから・・・ではないだろうか?


 これは、確かめておいた方が良さそうだ。


「違うもん!マホは最初から旦那様のだから、もっと前からだもん!」


「意味わかんねぇ事言ってんじゃねぇ!人が誰かの物な訳があるか!」


 ・・・しかし、今はそんな現実逃避をするより、まずこの状況を何とかする方が先決だな。


「いやいや・・・。ちょっと、二人共落ち着いて、ね?」


「うるせぇ!イーオは黙ってろ!」

「旦那様は黙ってて!!」


 そう思い二人を宥めようと声を掛けるのだが、何故か二人から怒鳴られてしまう。


「それにマホもマホだろ!普段はいい子ぶってるくせに!」


「リアちゃんこそ!いつもは男の子に近寄るなって言ってるのに!旦那様が気になってるからって!」


「ちげぇよ!」


「違わないもん!」


 ・・・えっと?


 さっきまで怒られてたの・・・僕、だよね?

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