81 マナ
今回、後書き部分に幕間があります。
ゆっくり目を開けると、部屋にぼんやりとした灯りがつけられてはいるものの薄暗くなっており、ある程度時間が経っているのが窺い知れる。
僕は、一体どれくらいの時間寝ていたのだろうか?
いや、それよりも・・・僕は夢を見ていた筈なのだが、その内容についてまるで覚えてはいない。
何故だ?
最近の記憶に関する夢は明晰夢と呼べるようなモノばかりだったのに、何故今回は違ったのだろう?
尤も、夢をハッキリと覚えていた事こそが中々ある事では無い、とは思う・・・。
「・・・あっ!旦那様が起きたよ!さっきは旦那様が死んじゃったのかと思っちゃった!」
・・・けれど、何も覚えてはいない筈なのに目を覚ましてからずっと、自分の中に疼くような焦燥感があるのを感じてもいた。
「あの・・・、旦那様が目を覚ますまで見守るのは、わたしの役目なのですが・・・。」
直ぐにでも何かをしなければならないような、そんな焦りが心の奥底から湧き上がってきているのだ。
「じゃあ、今度からマナちゃんとマホの二人で見てようね!」
「マホは人でしょう?そんなに長く起きてはいられないと思いますけれど・・・。」
それに、これもどうしてだか判らないのだが・・・。
「それもそうだね!じゃあ、マホは昔みたいに旦那様と一緒に寝る!」
「幾ら貴方でも、それはダメです。」
マナを見ていると、無性に触れたくなってしまう自分がいる。
「えー!?マナちゃんのいじわる!」
「意地悪ではありません。貴方はまだ旦那様の婚約者ではありませんので、正式に認められるまでは同衾するのを控えるべきです。」
そして・・・この欲求は、時間を追うにつれ段々と激しくなってゆく。
僕は、夢で一体何を見たのだろう?
「なんでー!?マホ、旦那様と一緒に居たいだけなのにー!」
「わたしはサリーナにそう教えられたのです。故に、寝ている旦那様を見守るだけにしているのですよ?だから、貴女も我慢なさい。」
しかも、何故マホではなくマナなんだ?
判らない・・・が、この焦燥感自体には覚えがある。
いつも昔話を村の子供達に聞かせた後に夢を見た時、目覚めた後で同じような感覚に襲われた事が何度もあった。
でも、あの夢を見たのならば内容は兎も角として、どんな夢を見ていたかぐらいは解る筈なのだけれど・・・。
「じゃあ、マナちゃんとマホと、お姉様の三人で旦那様と寝る!それならいいでしょ?」
・・・ダメだ。
堪えなくちゃいけないのは分かっているのに、もうこれ以上はこの飢えにも似た欲求を抑える事が、出来そうに・・・無い。
「ですから、それは良くない事だと言っているではありませんか。それに、わたしや貴女は見た目がおさない・・・」
僕を覗き込んだ格好で続いていた二人の掛け合いを黙ったまま眺めながら、思考をする事で湧いてくる衝動になんとか抗っていたのだが、時間が経つにつれ段々とその抑えも利かなくなってしまい、マホへ視線を向け何かを言いかけたマナを、僕は無理やりに引き寄せてしまう。
「・・・あ、あの?旦那様・・・?と、突然、どう、なされたの、ですか・・・?」
急に抱き寄せられた事で、僕に覆いかぶさる格好のまま身動きのとれなくなったマナが、酷く狼狽えた声色で僕に問い掛けるものの、それでも満たされない想いに支配されていた僕は、上手く言葉を返す事も、マナを放す事も出来そうに無かった。
「旦那様、どうしたの?怖い夢でも見たのかな?なら、マホがヨシヨシってしてあげるね。」
すぐ側でそんな光景を見ていた筈なのに、慌てた様子のないマホの優しい声が頭上から響くと、髪を通して心地良い暖かさが伝わってはくるのだが、昂った感情は冷める事も無く、少しの時が流れる。
その間、様子のおかしい僕を気遣い二人は声を掛け続けてくれたのだけれども、応える事が出来なかった。
「夕飯を貰って来ましたけど、何を二人で騒いでいるんですか?イーオさんが起きちゃいます・・・って!マナ!貴方、何をしてるの!」
暫くして少しずつ僕が落ち着いてきた頃、部屋の中にサリーナの大きな声が響く。
いつの間にか夕飯の用意が出来ていたようで、どうやらそれを運んできてくれたらしい。
僕を起こさないよう静かにマホの家へと入り、声を抑えて話しかけてくれてもいたようだが、こんな光景は予想もしていなかったのだろうから、無理もない。
「あ、お姉様!旦那様が起きたよ!」
「サリーナこそ騒がないでください。漸く、わたしの望みが一つ叶ったのですよ?尤も、こんなに早く旦那様から抱きしめて頂けるとは、思いもよりませんでしたけれども。」
「え?イーオさん・・・から?マホちゃんじゃなくて、マナを?」
マナは煽るような口調でサリーナへ返しながら、自分からも僕に抱きつくような仕草をするが、サリーナはそんなマナの行動より他に気になった事があるらしく、神妙な面持ちになりつつこちらの様子を伺うように覗き込む。
「お姉様!マナちゃんは悪くないの!旦那様が怖い夢でも見ちゃったんじゃないかな?」
「イーオさん今度は、何を・・・見たんですか?」
マホの言葉でサリーナは、こうなった原因が夢を見たからだと理解したらしく、少し眉を顰めながらも僕に問い掛けた。
「ごめん、何も・・・覚えてはいないんだ・・・。でも、マナを見ていたら、居ても立っても居られなくなって・・・。」
目が覚めてから暫く経って落ち着きを大分取り戻していたので、サリーナに返事を返しつつマナを離す。
「あっ・・・。」
解放した事で、マナが僕の耳元で名残惜しそうに小さく零したのだけれども、このままでは落ち着いて話をする事が出来ない為、僕は気が付かなかったフリをしながらマナを隣に座らせつつ、身体を起こした。
「そう・・・ですか・・・。」
すると、サリーナもまた残念そうに呟きながらマホへと視線を向ける。
この様子だと、彼女は僕にマホとの思い出を取り戻して欲しいと考えていたようだ。
最近は都合が良すぎる程に記憶に関する夢を見ていた事を考えれば、今回夢の内容を覚えていなかったのを少しもどかしく感じてしまうのは、僕でなくとも仕方のない事なのかもしれない。
「寝ぼけてノアちゃんと間違えちゃったのかな?マホも、最初マナちゃんにびっくりしちゃったもん。」
そんな僕達の思いを他所に、当のマホは少し戯けた口振りで今のやり取りを気にした様子もなくそう告げた。
「そうかも、ね・・・。」
これは多分、僕とサリーナが明らかにガッカリとしていた為に、場を和ませようとしてくれたのだろう。
しかし、ノアと間違えた・・・か。
それ自体はあながち間違っていない気がするけれど、夢の内容を覚えてはいないのだから、これ以上この事について考えても仕方ないだろう。
夢に関しては焦ってもどうにもならない訳だし、マホにまで気を遣わせてしまうのも良くはない。
「わたしとしては、余り嬉しくはないお話ですね。」
そう考えてなるべく笑顔でマホへ返したのだが、マナは今のやり取りが気に食わなかったようで、今度はマナが不満そうに口を開く。
・・・確かに、幾らなんでも人違いで抱きついたなんて言われれば、誰だって面白くは無いか。
これは流石に、僕達の都合でノアと同様の姿になって貰っているマナに対して、失礼すぎたな。
「ごめんね、マナ。」
「・・・でしたら、もう一度・・・もう一度だけ、抱きしめては頂けませんか?」
きちんと謝意を示す為にマナへと身体を向け謝罪の言葉を口にすると、マナはまだ不満気な表情をしつつも、僕の腕にしがみつきながら懇願するようにそう告げた。
その様子からは、普段のやり取りで見せる余裕や、さっきサリーナを煽った時のような悪戯心が全く感じられなかった為に、少し違和感を覚える。
急にどうしたのだろうか?
先程までは、そんな素振りを全く見せてはいなかったのに・・・。
「ダメ!それに、いつまでくっついてるの!?いい加減離れなさい!」
しかし、サリーナはまだマナの異変には気付いてはいないようで、いつもの戯れ合いのつもりらしく、やや乱暴にマナを僕から引き剥がそうとした。
だが、それでもマナは僕から離れまいと、必死の形相でしがみ付き続ける。
「イヤですっ!離してください!わたしはっ!あの不思議な感覚をまた感じたいのです!」
・・・やはり、何処かマナの様子がおかしい。
マナは僕の側に来る事は多いが、自ら積極的に触れるような事までは余りしないし、そうしたとしてもサリーナを揶揄う為に行う場合が殆どだったので、サリーナが抱え上げようとしても此処まで抵抗する事なんて今までは一度だって無かった。
「お姉様!マナちゃんが本気で嫌がってるよ!?可哀想だよ!離してあげて!」
それに、不思議な感覚って何だ?
僕に抱きしめられたから、そんな感覚をマナが覚えたって事?
・・・まさか、さっきマナを離した時に何処か名残り惜しそうにしていたのは、その感覚とやらが原因?
これは、マナに聞いてみるべきなのか?
「えっ?」
だが・・・今聞いたとしても、マナは答えられないだろう。
本人が理解していない感覚を、言語化しろと言っているようなものだぞ?
そんな事、どれだけ言葉が達者でも不可能に近くないか?
それに幾らマナとはいえ、そこまで深く聞いていいモノだとも思えない。
「・・・マナ、貴女どうかしたの?何かあったのなら、あたしに言って?」
僕がマナに言葉の意味を問うべきかを逡巡していると、サリーナもマホに言われた事で漸くマナの様子がおかしいと気付き、彼女を離した後で視線を合わせつつ心配そうに言葉を掛ける。
「わたしはっ・・・いえ、何でも・・・ありません。」
しかし、マナはそんなサリーナに視線すらも向けず、やや俯きがちに何かを言いかけてからゆっくりと僕の腕を離し、それっきり口を噤んだ。
とてもではないが何でもないようには見えないけれど、これまでに見た事が無い戸惑いにも似たマナの昏い表情に、僕だけでなくサリーナやマホまでもがそれ以上何かを尋ねるのが憚られたのか、重い沈黙が訪れる。
「取りに来ないから残りのヤツのメシ持ってきたけど、オマエら何騒いでたんだ?メシ作ってるオッちゃんのとこまで響いてたぞ?どうかしたのか?」
それから程なくして、誰かが玄関を開ける音が聞こえたかと思えば、リアさんが両手に料理を抱えながら器用に足で引き戸を開けつつ現れた。
想像していた以上に、僕達の声は里の中に響いていたらしい。
この様子では、内容まで筒抜けにはなっていないのだろうが、今後は話す時に気をつける必要もありそうだ。
「持ってきて頂いてありがとうございます。少し、はしゃぎすぎてしまっ・・・」
「貴方には関係ありません。話しかけないでください。」
内容が内容だけに、リアさんには詳しく話せないと思ったらしいサリーナが、お礼を言いつつ運ばれてきた食事を受け取ろうと立ち上がった直後、マナが敵意を剥き出しにしながらリアさんにそう吐き捨てる。
「そ、そうか・・・。」
そんなマナの態度に、リアさんは困ったような表情を浮かべながら、部屋の中に踏み入れようとしていた足を止めた。
昼間の一件は、マナにとって余程腹に据えかねたのだろう。
でも・・・幾ら何でも、その言い草は良くないな。
マナが余りにも冷たく言い放ったものだから、サリーナやマホまでもが驚いたような表情で二人を交互に見ているし、此処は僕が諌めるしかない。
「マナ?そんな言い方をしちゃダメだよ?リアさんは僕達を心配して、わざわざ来てくれたんだから。」
「ですが・・・。」
なるべく穏やかな口調で諭すようにマナに語りかけたのだが、マナは不機嫌な様子を隠そうともせずに言葉を返してくる。
先程の表情も気にはなるけれど、今のリアさんに対する態度も見過ごす訳にはいかないのだが、どうマナに話すべきなのだろうか?
「・・・いいんだよイーオ。昼間のは、間違いなくオレが悪かったんだからさ。何を言われても仕方ねぇんだよ。」
しかし、そんな僕の言葉にリアさんは、少し眉を寄せながらもマナは悪くないのだと言った。
「でも・・・。」
だとしても、どんな態度を取ってもいいという事にはならないと思う。
あの一件は、ただの行き違いなんだ。
だから、お互いをもっと知る為にも、僕達は言葉を交わさなければならない。
「それより・・・メシ、此処に置いとくな!今日のは、オマエらが持ってきてくれた物のおかげで結構豪華だから、ちゃんと食えよ!」
そう口にしたかったのだが、彼女の後悔を滲ませた表情を見た為に僕が言い淀んでいると、リアさんは両手に抱えていた夕食を床へと置き、僕達に背を向けたかと思えば足早に玄関へと向かう。
「・・・あっ!リアちゃん待って!マナちゃんの分は・・・」
そんな彼女の背中にマホがハッとした様子で声を掛けたのだけれども、リアさんは振り返る事もなく手早く履き物を履いて出て行ってしまった。
「って、行っちゃった・・・。マナちゃんご飯食べれないのになー・・・。」
「マホちゃん、リアさんや皆さんには説明しづらいから、マナの分は貰っておいた方がいいよ。」
確かにサリーナの言う通り、何故食べる事が出来ないのかはマナの正体にも関わる事だから、現時点で説明するべきではないだろう。
「そっかぁ・・・。じゃあ、旦那様がマナちゃんの分も食べてー!マホ、昔みたいに沢山は食べれないの!」
「うん、分かったよ。」
・・・だが今はそれよりも他に、話さないといけない事がある。
「・・・ねぇ、マナ?ああいう言い方は良くないと思うよ?」
「旦那様は・・・もう、彼女を許したのですか?」
「許すって・・・リアさんを?」
「はい。」
先程同様に問い詰めるのでは無くなるべく穏やかに語り掛けると、マナは言葉少なく疑問を口にした。
やはり時間が経っても尚、マナの中のリアさんに対しての怒りは、まだまだ燻り続けているらしい。
「・・・許すも何も、アレはただの誤解なんだ。彼女は里を守ろうとただ必死なだけなんだよ。だから、もう少し僕達が気をつける必要があったんじゃないかな?」
僕だって内心を言えば、サリーナやアルにまで危害を加えようとした事は、到底許せる事なんかじゃない。
・・・でも、だからと言ってマナ同様に僕までが意固地になってしまうと、折角リアさんがこちらに歩み寄ろうとしてくれているのに、拗れてしまう事になるだろう。
それに、僕達が来た本当の目的も未だ話す訳にいかないのだから、どちらかと言えば全てを晒していないのはこちらなのだ。
「そう言うもの、なのでしょうか?・・・ですが、旦那様がそう仰られたとしても、旦那様だけでなくサリーナ達も危険に晒そうとした彼女を、わたしは許す事が出来そうにもありません。」
しかし、僕が幾ら誤解だと説いた所で、マナはどうにも納得が出来ないらしい。
無理もない・・・のかな?
僕やマーサさんは元より、サリーナにもかなり懐いているし、此処へ向かう道すがらアルとだって時々、楽しそうに会話をしている姿を見掛けた事がある。
彼女にとっても、サリーナ達は大切な存在となったのだろう。
「マナ、あたし達が危険だったって、どういう事ですか・・・?」
マナの発言を聞き、サリーナは訝しむような表情でマナに言葉の真意を訊ねる。
しまった。
そう言えば、マナは僕にだけ外の様子を伝えていた為に、サリーナやアルは自分達がどういう状況に置かれていたのかを、正確に把握してはいない。
あの方法は、現状僕以外には出来ないらしいから、リアさんを刺激しない為にも言葉に出さなかったのは仕方がなかったとは思うが、後から危険だったのだと教えられれば、サリーナ達だって黙ってはいられないだろう。
・・・これは、あまり良くない流れかもしれないな。
「あの時、あの場所の周りは、彼女の操る獣に囲まれていたのですよ。故に、わたしは彼女の行いが許せないのです。」
サリーナの問い掛けに、マナは表情を険しくしながら何が起きていたのかを短く説明する。
これはどうするべきなのだろう?
・・・いや、このまま様子を伺うだけではダメだ。
目的の為には僕達全員の協力が必要だろうから、これ以上話が拗れてしまうのは非常に不味い。
今は、何とかしてサリーナの心象を悪くする事だけは避けなければ。
「そうだったのね・・・。だからマナはあんなに・・・。あたし達の為、だったんだ・・・。」
そう考え、リアさんが何故そのような行動に出たのかを僕の推察込みではあるが二人に伝えようと口を開きかけた時、サリーナがマナへと視線を向けながら少し嬉しそうな表情で呟く。
どうやら、サリーナの中ではリアさんに対する怒りよりも、マナが自分達を心配して怒った事の方が、よっぽど重要だったらしい。
「べ、別に貴女の為だった訳では、ありませんよ?旦那様をお守りする・・・ついで、です。」
このサリーナの反応は僕も正直意外だった為に思わず呆然としていると、マナは少し慌てたような様子でサリーナへ言葉を返す。
いや、どちらかと言えば焦っているというよりは照れ隠しの様に見えなくも無いが・・・。
「はいはい、そういう事にしておきますね。」
そんなマナの様子を見て益々嬉しそうな表情をしながら、サリーナはマナの頭へと手を伸ばし撫で始める。
この様子ならば話が拗れるような事は無いだろうから、一安心だ。
「そう仰るのならば何故、貴女はそんなに嬉しそうな顔をしているのですか!?別に、貴女の為ではないと言っているではありませんか!」
「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ?マナが優しい子だって、あたしはちゃんとわかってますから。」
伸ばされたサリーナの手を払い除けながらマナは抗議するように声を上げるものの、サリーナはまるで子供を宥め賺すかの如く、再びマナの頭へと手を伸ばす。
僕を含めても一番マナと接する事が多いのは恐らくサリーナだろうから、マナが自分の為に怒ったのだと知れば、嬉しく思うのも当然だろう。
「何故そうなるのですか!?それに、撫でようとするのもやめてください!貴女に撫でられても嬉しくはありません!」
・・・しかし、これではマナに聞かせたかった話が出来るような雰囲気ではないな。
「マナちゃんかわいい!マホも!」
「マホ!?貴女まで!やめてください!」
・・・うーん?
本当に拗れなくて、よかった・・・のか?
「・・・と、兎に角!わたしは旦那様が何を仰られても、あの人を許す事が出来そうにありません。」
散々二人に頭を撫でまわされた後、マナは改めて話を戻す事にしたようで、僕に視線を向けつつ口を開く。
「マナちゃんは悪くないよ?リアちゃんはすぐ人の話を聞かなくなっちゃうんだもん。マナちゃんが怒るのは当然だよ!」
つい先程までマホもサリーナと一緒にマナの頭を嬉しそうに撫でていた筈なのだが、マナが話を戻した途端に少し頬を膨らませつつマナに同意する。
・・・ま、まぁ?マホの言う通り、僕もマナが悪いだなんて思ってはいない。
しかし、リアさんだけが悪いとも僕には到底思えない。
これをマナにどう伝えたらいいのだろうか?
「・・・うん。無理に僕の話を受け入れろって言っている訳じゃないよ。でも、里の人達は貴族に酷い目に遭わされて、此処にやってきたんだ。だから、貴族というだけで話を聞いて貰えないなんて、起こって当たり前の事態なんだよ。」
相手の立場に立って物を考えるというのは言葉にすると簡単だけれど、実際にはとてつもなく難しい事なのだと思う。
僕だってマナに偉そうに言いはしたものの、そこまで深く考えられている訳じゃない。
でも・・・それでも、ほんの少しぐらいならば、何故リアさんが怒ったのかをマナに伝える事は出来る。
「ですが、それは旦那様がなされた事では・・・。」
「そうだね。確かに、僕がやった事じゃ無い。でもね?幾ら僕が関わっていない事だとしても里の人達からすると、関係の無い話なんだ。此処の人達から見れば、味方をしようとする僕も、自分達を追いやった連中と同じ・・・貴族なんだよ。」
それに、リアさんはこちらの話を聞いてくれた。
最初は激昂してしまったけれど最後には貴族に対しての悪感情を抑えて、マーサさんの話をきちんと聞いてくれたんだ。
ならばせめて、リアさんに対するマナの誤解は解かなくちゃいけない。
それに、今回の出来事が何故起きたのかを知る事は、マナにとって必要な事だとも思う。
彼女がこれからも僕達と共にありたいと願うのであれば、特に。
「そう、かも・・・しれませんが・・・。」
「旦那様!マナちゃんは悪くないよ!」
何よりも、出会った頃と大分印象の変わってきた今のマナにならば、これから伝えたい事だってきちんと伝わると信じているから。
「大丈夫だよマホ。マナを責めている訳じゃないんだ。勿論、マホの言う通りマナがそう感じてしまうのは無理もない事だと思う。僕だって、何も思わなかった訳じゃないからね。・・・でも、それと同じようにリアさんにも、怒るだけの理由があったんじゃないかな?」
「理由、ですか・・・?」
恐らくだけど、リアさんが怒ったのは僕が貴族だから、という事だけではない。
きっと、本当の理由は・・・。
「・・・うん。リアちゃんはね、あんなだからマナちゃんを勘違いさせちゃったかもしれないけど、普段はスっごく優しいんだよ?だからきっと、マナちゃんが酷い目に遭わされたんだって、そう思っちゃったからリアちゃんは怒ったんだと、マホは思うの。」
マナの問い掛けに僕が答えようと口を開きかけた時、マホが微笑みながらマナへとそう語りかける。
マホはあの時遅れてやってきた為、リアさんが誰にその怒りの矛先を向けたのかは知らない筈だ。
だが、その後の状況や今の会話の流れと、彼女の性格を良く知っている事もあってか、マホは僕の言いたい事と似たような結論に辿り着いたらしい。
「そうだね。彼女は多分、貴族である僕がマナを連れていたから、僕や僕に近しい人達がマナを黒化させたのだろうと考えたんじゃないかな?だから僕もマホと同じで、あの時リアさんが怒ったのは・・・マナの為だったんだと思うよ。」
あの時のリアさんにもっと酷い誤解をされていたのは、まず間違い無い。
でなければ・・・他人を思いやれる人でなければ、あそこまで激怒する事は中々ないだろう。
しかし、今は敢えてそこには触れないでおく。
これぐらいの表現でも、リアさんが何に憤慨していたのかを伝えるのには、事足りるからだ。
「・・・わたしは、人ではないのですから・・・余計なお世話、ですね。」
僕やマホの言葉を聞きマナは少し眉を顰めながら呟いたけれど、その表情からは先程リアさんに吐き捨てた時や、幕屋の中で見せた敵意などは感じられず、どちらかというと冷たくあしらった為に居心地が悪いような印象すら受ける。
良かった。どうやら僕が伝えたかった事は、ちゃんと届いたらしい。
余計なお世話だと言ったのは恐らく、彼女が自らの意思で現在の身体を手に入れた為だろう。
「大丈夫、マナが何であんな態度をとったのか、リアさんもちゃんとわかってるよ。だから、そんな顔しなくていいんだ。彼女もきっと、そんな顔をされる方が困っちゃうと思うよ。」
こういう出来事の積み重ねは、マナが人を理解するのに必要だと思う。
そして、似たような事は今後も恐らく起きる。
「・・・はい。」
でも、マナならその都度話をすれば、きっと今回のように理解してくれるだろう。
まだ少し飲み込み切れていない様子ではあるが、僕の言葉に素直に頷いた姿を見て、僕はそんな風に確信する事が出来た。
「・・・マホもね、さっきお姉様からマナちゃんの事を聞いたの。でもマホはね、マナちゃんは人間だったんじゃないかなって思うよ?」
伝えたかった事をマナに伝える事が出来た為に、僕が少し胸を撫で下ろした直後、不意にマホがやや眉を寄せながらマナへと視線を向けつつ口を開く。
「・・・え?マナが?」
マナが、人間・・・?
思っても見なかったマホの言葉に、僕は驚きを隠す事も出来ず、つい疑問を口にしてしまう。
確かにマナにも感情はあるし、出会った頃よりも表情が豊かにはなったけれど、僕の記憶の通りなら方舟たるノアにだって、感情はあった筈だ。
「うん!だって、好きな人が傷つけられるのがイヤだって思うのは、誰だってそうだよ!マナちゃんは旦那様だけじゃなくてお姉様達も大事にしてるんだなってマホは感じたから、マホ達とマナちゃんはおんなじだよ。だから、人じゃないなんて悲しい事、言わないで欲しいな?」
そんな僕を尻目に、マホは少し悲しそうな表情でこちらをチラリと見た後、マナに視線を向けながらそう告げる。
これは、マホ達にとってノアは姉妹にも等しいのだから、そのノアと似た存在であるマナが人で無いのであれば、ノアもまた人とは違う存在だと認める事になってしまう・・・という事だろうか?
・・・いや?マホのこの言い方だと、ノアを引き合いに出しているとは考えにくい。
「わたしが・・・人、ですか?」
もっとこう・・・何をもって人とするかという、根本的な部分の話・・・なのか?
「そうですね。マホちゃんの言う通り、マナはあたし達と何も変わりませんよ。それこそ出会った頃のマナは、方舟で暮らし始めた頃のあたしに似ているって、そう感じたぐらいですし。」
「・・・サリーナ?貴女まで、わたしが人だと仰るのですか?」
どうやら、そういう話とも違うらしい。
「どういう事?」
二人が何を言いたいのかがよく分からなかった為に、その言葉の真意を尋ねると、少し悩む素振りを見せながらマホがマナへ視線を向け口を開く。
「うーん・・・?マナちゃんはねー・・・なんて言うか、小さな子供・・・みたいな感じがするの。お姉様の言い付けをきちんと守ったりしてたから、かな?」
すると、マホの言葉を聞いていたサリーナも頷きながら彼女の後に続けた。
「ええ。あたしも最初にマナを見た時、イーオさんの側以外には居場所が無く、他の人に心を開く事が出来ない子供の様に見えました。だから、あたしがこの子の居場所にならなきゃって、何故かそう感じたんです。」
そう言えば、マナと出会ってからすぐにサリーナは一緒に料理を作るなどして、彼女を一己の人間のように扱っていた様に思える。
考えてみれば、何時もマナに何かを尋ねるばかりだった僕は、サリーナ程にマナと深く接してはいない。
その事に気付いた瞬間、僕は漸く彼女が変わってきた訳が解った気がした。
サリーナのマナに対する接し方が、最もマナに影響を与えてきたのだ。
「・・・今なら、そう感じてしまった理由も・・・解りますけどね。」
マナへ向けていた視線を不意に落とし、酷く寂しそうな声色でサリーナはそう呟く。
理由、か。
恐らく、彼女自身が取り戻した記憶に関係しているのだとは思うが・・・。
僕が記憶をいつか取り戻せたのなら、サリーナの言うその理由とやらも、解るのだろうか?
「だから、マナちゃんもマホ達とおんなじなんだよ!」
「人として生きた記憶など、わたしにはありませんよ?」
・・・気にはなるけれど、今はその事を考えるのは止そう。
マホやサリーナの言葉に、マナは少し困惑の色を浮かべながら返すのだが、マホは微笑みを浮かべながらそんなマナの手を取りつつ口を開く。
「それなら、これからマホ達と一緒に沢山思い出つくろ?そうしたら、もっと楽しくなるよ!だから、マホともお友達になろ!此処に居る間は、マホといっぱいおしゃべりしよ!」
「マホ・・・。」
・・・どうやら、僕は酷い思い違いをしていたようだ。
二人の言葉で、その事に気付かされてしまった。
「あたしは、友達というより新しい妹が出来たみたいに思っていましたよ。」
「じゃあ!マナちゃんがマホの妹ね!」
「・・・マホの方が、話し方が幼い気がしますよ?わたしがお姉さんでは?」
こうしてマナがサリーナと話しているのを、今までに幾度となく見てきた筈なのに・・・。
本当に、度し難い。
「えぇ〜?そんな事ないよ〜?それに、マホの方がずっと前からお姉様の妹だもん!だから、マナちゃんが妹なの!」
「確かに。それでは仕方ないですね。わたしが妹という事で、妥協致しましょう。」
戯けたマホへ冗談粧しながらマナが返すと、三人は顔を見合わせクスクスと笑い合う。
「妥協って!マナちゃんひどいよぉ!」
「あたしはどちらが妹でも構いませんよ?」
「お姉様まで!」
尚も、笑いながらじゃれ合いのような会話を続ける三人を眺めていると、ふと自分では見た事が無い筈なのに、遠い昔に何時か何処かで見た様な・・・、何故か涙が溢れ出そうになるような、そんな感覚に囚われる。
これが、郷愁というものなのだろうか?
もしかしたら違うのかもしれないが、その答えを今の僕は持ち合わせてはいなかった。
「・・・しかし、わたしが人・・・ですか・・・。その様に言われるのは、悪い気がしませんね。」
ひとしきり三人は笑い合った後、穏やかな表情でマナがそう零す。
・・・きっと、間違い無いのだろうな。
これまで見せた彼女の表情が、全てを物語っている。
「そっか・・・。」
正直、マナの正体については未だに分からないと言えば分からないのだけれども、こうしてサリーナやマホと言葉を交わしているマナを改めて見ていると、確かに僕達と何も変わらないのだ。
なら、感情を押さえられなくなるのも当然・・・か。
だとしたら・・・。
「なら、尚更だね。きっとマナもリアさんと分かり合えると思うよ。」
認識を変えなければならないのは、僕だ。
出会った当初から流暢に会話が出来た為に、マナが幼い子供だなどと考えた事は一度たりとて無かった。
それに今日までずっと、人の姿をしていなかったのを最初に見てしまった所為なのかもしれないが、あの時に抱いた自分とは違う存在だという印象を、気付かぬうちに引きずってもいたらしい。
だから、彼女が怒りを露わにした時に驚いてしまったりもした。
「・・・わたしには、彼女とわかり合う必要性が感じられませんけれど、旦那様がそう仰られるのであれば、もう少し彼女と話してみるのも・・・悪くはないのかもしれませんね。」
だけど、情緒面は未だ未熟な子供なのだとしたら、マナのこれまでの行動の色々な部分が腑に落ちる。
・・・彼女に報いるとかそんな上から物を見るような事を考えるよりも先に、僕はマナをきちんと一人の人間として扱わなければならなかったのだ。
誰かと共に生きていくなんて、人なら至極当たり前の事なのだから。
「うん。ありがとうね。」
そして、今まで・・・ごめん。
言葉とは裏腹に柔らかい表情のマナへ僕は感謝を伝えながら、そっと手を伸ばし、不思議と懐かしくもある感触を感じながら、心の中で謝罪をしつつなるべく優しく彼女の頭を撫でる。
なんとなくだけど、そうする事が自然なように感じたからなのだが、そんな僕の行動にマナは一瞬驚いた表情でこちらを見上げたかと思うと、すぐに安心しきった子供の様な表情で微笑んだ。
「また、ひとつ・・・わたしの願いが、叶いました。」
僕に撫でられながら、マナは更に目を細め呟く。
思えば、彼女のこんな表情も初めて見るかもしれない。
・・・マナが本当に求めているモノは、もしかしたら言葉通りの物では無いのではないだろうか?
屈託の無い笑顔をこちらに向けるマナを見ていて、ふとそんな疑問が頭に浮ぶ。
なら、今の僕に出来る事は・・・。
「・・・やっぱり、旦那様は・・・何も変わらないんだね。」
漸く自らの過ちを自覚した僕は、初めて感情のままに振る舞ってしまった後で嗜められ自らの行動を省みたマナに、肯定する意味も込めて先程よりも優しく撫でていると、その光景を黙って見ていたマホが唐突に小さく何かを呟く。
「マホ?どうかした?」
マナに触れた感触が心地よくて、つい夢中になってしまった為によく聞き取れなかったが、気付けばマホだけでなくサリーナも似たような柔らかい表情でこちらを見ている。
僕は何か、おかしな事でもしてしまったのだろうか?
「ううん!なんでもないよ!ちょっと・・・嬉しかっただけ!」
「何の事?」
嬉しかった?
マナを撫でた事が?
何となく違う気はするけれど・・・何を言いたいのかよく分からないな。
「ないしょー!ね?お姉様?」
「そうですね。イーオさんには内緒です。・・・それでは、夕飯にしましょうか。折角作って頂いたのに、早く食べないと冷めちゃいますし。」
うーん・・・?
「はーい!今日のご飯は何かなー?」
二人の言いたい事が解らず頭を捻るものの、すぐに昔を思い出しているのだという事に思い至る。
何処か釈然としないモノも感じるが、二人が嬉しそうだから・・・まぁ、いいか。
その後、みんなで食べた夕食は少し冷めてしまっていたけれど、何故か今までに無い程に美味しく感じた。
何を食べるかではなく、誰と食べ何を語らうかが一番重要だと何処かで聞いた事があるけれど、初めて・・・僕はその言葉の意味を実感した気がする。
夕食を終え、僕は料理のお礼と挨拶を兼ねてサリーナと二人で食器を返しに行った際、幕屋へも足を運んでリアさんの姿を探したけれど、彼女を見つける事は出来なかった。
話したい事があったのだが、こればかりは仕方がない。
それから夜も更け、サリーナと僕、それにマナはマホの家でそのまま休む事になる。
アルはどうやら、集会所のような場所で寝床を用意して貰ったらしい。
勿論、幾らサリーナが婚約者と言えど未だ未婚である事には変わりなく、そればかりかマホも自分の家なのだから当然居る為、他で眠れる場所があるならばと僕もアル同様に集会所へ移ろうとしたのだが、かなり強引にマホに引き止められたので、仕方なく寝所を共にする事となった。
・・・だが、やはり落ち着かない。
ちなみにサリーナが言うには、マーサさんも後からマホの家に来る予定だったそうなのだが、里の人達と話す事があるのだとかで、まだマホの家には来ていない。
尤もマホ曰く、マーサさんがお酒を持ってくると、いつもの事なのだそうだ。
僕の記憶通りならばそんなモノ、馬車の荷物の目録には無かったような気もするのだが・・・?
もしかして、道中で水を補給しなくてはいけなかったのも・・・その所為?
・・・いや、深く詮索するのはよそう。
マーサさんの事だし、恐らく何か理由があるのかもしれないから。
それより、つい先程まで寝ていた為眠れそうにない上に、すぐ側でマホやサリーナが寝息をたてている事もあり、気を休める事すらも出来そうには無いので、マナに散歩をしてくるとだけ伝え、僕は一人でマホの家を抜けだした。
無論、行く場所は既に決めている・・・と言うより、他に知っている場所が余り無いというのもあるけれど、昼間見た時に幕屋の前に焚き火の跡があったので、恐らく彼女は夜に見張りをしているのだと推測出来る。
故に、恐らくだけど今ならばまだ起きている筈だ。
父さんの時と同様に侵食を止めるには触れる必要があるのかはわからないが、やれるだけはやってみよう。
幕間
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「ねぇねぇ、ところでマナちゃん?」
「何でしょう?」
「さっき言ってた不思議な感覚って、何のこと?」
「・・・それは、もういいのです。」
「どうして?旦那様に抱きしめて貰いたかったんじゃないの?」
「いえ、似たような感覚を旦那様からだけでなく、サリーナや貴女からも沢山頂きましたので、もう・・・大丈夫なのです。」
「そうなの?」
「えぇ。」
「そっかー。よくわかんないけど、それならよかったぁ。」
「わたしこそ貴女達に出会えて、本当に・・・。」
「ん?マナちゃん、何か言った?」
「いえ、何でもありません。それより、このままでは旦那様はこちらでお休みにはなられないと思うのですが、貴女はそれで宜しいのですか?」
「そうだよねぇ・・・。旦那様だもんねー・・・。」
「わたしは、旦那様が何処に参られても付き従うつもりです。今も旦那様がどちらにおられるか把握しておりますし。」
「マナちゃんずるい!」
「いえ、サリーナやお母様から頼まれているのですよ。」
「お母様って・・・マホのママの事?」
「はい。暗殺の危険があるので、旦那様を守って欲しい・・・と。」
「・・・えぇ!?」
「食事もわたしが毒物の有無を調べておりますよ。とはいえ、お母様に教えて頂いた物以外が使われてしまいますと、わたしでは対処が難しいと思われますけれど。」
「・・・旦那様、そんなに危ないの?」
「そのようです。今すぐにという訳ではないそうですが、今回の旅で一番危険なのは目的の方よりも寧ろ旦那様だと、お母様は仰っておられました。」
「どうして?」
「世に疎いわたしには、分かり兼ねますね・・・。」
「うーん・・・?ママは秘密が多いみたいだから、マホもわかんないや・・・。んー・・・じゃあ、マホも旦那様を守るよ!」
「え?」
「マホ、戦えるもん!」
「そうなのですか?」
「うん!ママにも教えて貰ってるからね!」
「それは頼もしいですね。」
「任せてよ!」
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