76 路の途中にて
「二人共止めてください!」
「サリーナ!止めないでくれ!」
「イーオ!サリーナの言う通りだよ!いい加減にしなさい!ワタシがいいって言ってるんだよ!?」
「納得できません!とにかく、アルは街に帰らせるべきです!」
「何でだよ!?マーサさんはいいって言ってるじゃねーか!」
「そんなの関係ないよ!連れて行けないって何度も言ってるだろ!どうして分かってくれないんだよ!」
「ちゃんと説明されなきゃわかる訳ねぇだろ!?」
「何が起きるか判らないんだぞ!?」
「だったら尚更だろうが!説明しろよ!」
「アルが帰れば済む話だろ!」
木々の隙間から覗く空が徐々に蒼くなっていくのを見つめながら、僕は夜中に馬車の上で交わされていたそんな感情のぶつけ合いを思い出す。
「マーサさん、目的地まで後どれぐらい時間がかかるんだ?」
そんな時、唐突にアルが御者台へ腰掛けながら前を向いたまま、隣に並んで座っているマーサさんにそう問いかける。
最初は夜の森を馬車で移動するなんて木が邪魔で危険なのではないかと僕は思っていたけれど、どうやらマーサさん曰くフランドル伯によって用意されていた地図のおかげもあってか、満月が近く月明かりもあるので人がゆっくり走る程度の速度でなら問題はないらしかった。
でも、地図・・・か。
一般的に地形情報については軍の進行に必要な情報の一つとなる為、通常であればおいそれと渡していいような類の物では無い。
特にこの大森林は三カ国に跨って存在するので、例えこの深い森で繋がっているのが友好国や同盟国であっても、馬車が通れるような道を記した地図は流出してはいけないモノだと言えるだろう。
だから、もしもの時は燃やす等して確実に処分しなくてはいけない。
これは恐らく、叔父上やマーサさんの信用もあるのだろが事前に根回しをしてくれたおかげでもあり、それだけフランドル伯も里の問題を解決したいと考えていたという証明でもある。
此処まで用意をしてもらったのだから、二人の期待に応えないといけないな。
・・・それはそれとして、あの時僕はどうしたら良かったのだろう?
「うーん・・・、何時もと違う道だからどれぐらい時間掛かるかは分からないね。アルド、どうかしたの?」
地図を睨みながら少し考える素振りを見せつつマーサさんが言葉を返すと、アルは気不味そうな表情でチラリとこちらを見た後、首を横に振った。
「いや・・・。」
その表情を見たマーサさんは、やれやれと言わんばかりの顔で荷台に座っている僕に視線を向けつつ口を開く。
「・・・いい加減仲直りしなさい。こっちまで気不味くなるでしょ。・・・イーオも、いつまでも不貞腐れてないの!」
マーサさんにそう言われてしまうのも無理はない。
昨晩僕とアルは、初めてとも言える大きな喧嘩をしてしまったんだ。
元々、里へアルを連れて行く予定は無かったし、事前の打ち合わせにすら参加していなかった。
だが、どうやらアルはその打ち合わせを盗み聞きしていたようで、詳しい事情も知らないままで町外れに用意されていた馬車の荷物に紛れ込み、身を隠して無理矢理付いてきたのだ。
「・・・僕は、別に。」
平台の馬車に積まれた荷物には里へ持って行く為の食料等の物資もあったのでそこそこの物量があったし、夜中で暗かったのも相まって走り出すまでは誰も気付かなかったのだけれど、森に入った辺りで眠る為に毛布を探していたサリーナにアルは見つかった。
そしてそこから、僕達は喧嘩をしたんだ。
正直サリーナやマーサさんに引き離されて止められ無ければ、殴り合いになっていたかもしれない。
でも、仕方ないじゃないか!
何が起こるか判らない所にアルを連れて行きたくはなかったんだ。本当はサリーナにだって、街に残って欲しかったのに!
「あー!もう!アンタら二人共男でしょ!今更アルドを送り返す訳にもいかないの!ワタシが連れてくって判断したのが、そんなに気に食わないの!?」
「いえ、そんな事は・・・。」
マーサさんの言葉にそう返しはしたものの、内心は全く違う。
アルが自分の意思で此処にいる事は理解しているし、マーサさんも許可をしていたけれど、それでも僕は納得出来ない。
実際、昨晩の打ち合わせの際に隊長であるジーナさんやシャロンさんは居たのだが、その場にアルは居なかった。
友達とはいえ、扱いとしては護衛なのだから当然だろう。
打ち合わせでは、ジーナさんにも詳しい事情を知らせないまま別行動を取る事を伝え、僕達の影武者の件や、その彼らと共に鉱山都市へ向かうようにとシャロンさんからジーナさんへ説明して貰った所、当然護衛隊長としては看過出来なかったようで、せめて誰か一人でもと食い下がったんだ。
そこでマーサさんは、少なくともサリーナぐらいは鉱石が使えないと連れてはいけないとジーナさんを説得し、渋々ながらも彼女は引き下がった。
だが、どうやらそれを盗み聞きしていたアルが打ち合わせの後で、ジーナさんに僕達に付いていく許可を貰いに行ったらしい。
そうしてジーナさんもアルならばと、いつぞやの籠手と幾らかの鉱石を持たせたようで、その後アルは僕達が深夜の出発まで休んでいる間に馬車へと先回りをし、身を隠して無理矢理付いてきたという訳だ。
確かに、アルの力ならばマーサさんの言った条件を満たしてはいるけれど、だからと言って巻き込む事を納得なんて出来やしない。
そんな不満を自分では上手く誤魔化して返事をしたつもりだったけれど、どうやら態度にハッキリと出てしまっていたらしく、マーサさんは少し苛立った様子で僕を睨みつける。
「だったら、不服そうな顔しない!なんでそんなトコまでキースに似るのかな!まったくっ!」
「まぁまぁマーサさん、落ち着いてください。」
「アルドもアルドだよ!大体ね、他にもやり方はあったでしょ!イーオが怒るのも当然・・・」
何時の間にか起きていたらしいサリーナがマーサさんに声を掛けるのだが、それでも機嫌を損ねてしまったマーサさんは収まらないらしく、今度は隣に腰掛けるアルに説教を始めた。
実のところ、アルにはまだ詳しい事情を話せてはいない。
喧嘩をしてしまった所為もあるのだけれど、マーサさんから説明してもらうのも何か違う気がする。
それに、今も説教はしているがそれ以上に何も言わない所を見ると、多分僕から話せという事なのだとも思う。
でも、事情を話してしまっても本当にいいのか?
まだアルだけなら引き返せるんじゃないか?
「・・・アルさんは、きっとイーオさんから聞きたいんだと思いますよ。」
「うん・・・。」
そんな風にアルを見つめながら思い悩んでいる僕の横顔にサリーナの独り言似た呟きが届き、やはり話すべきなのだと考え至る。
このままは確かに良くない。
今更アルが引くとも思えないから、どれだけの危険があるかをアルに伝えないままに連れていくのも嫌だ。
まだ納得をしてはいないけれど、サリーナの言う通り話し合う必要があるとは思ってもいるし、アルが何故そんな事をしたのかもちゃんと聞かなくてはいけない。
そう考えてはいるのだけれども、ただ感情を剥き出しにして言い争いをしてしまった気不味さの所為か、中々自分からアルに話しかける事が出来ないまま時間だけが流れていった。
「さて、そろそろお昼にしよっか。」
日が大分高くなり始めた頃に川沿いの少し開けた場所に出た辺りで、馬車を止めつつマーサさんが昼食の提案をしてきた。
此処までは休憩も無しに来ていたのだが、川の近くに来た辺りで彼女の表情が少し和らいだので、恐らくこの場所が地図に記された目印になっていて、大凡の目処が付いたからなのかもしれない。
さっきも使った事が無い道だと言っていたから、やはりマーサさんでも緊張していたのだろう。
「イーオ、アルド。ちょっと二人で川の水汲んできてくれない?サリーナはワタシと準備しよっか。」
御者台から降りたマーサさんが腰を伸ばしながらサリーナを見つつ告げると、サリーナは短く答え荷台にある食料の入った袋を広げ始める。
その様子を眺めながら、僕は不思議に思った事を思わず呟いた。
「あれ?水は確か沢山用意されていたような・・・?」
この辺りは天候が変わりやすいようで道中で手に入れられない可能性もあったらしく、複数人でもかなり余裕がある量の水が用意されていたのだが、何故わざわざ川から汲んで来る必要があるのだろう?
それは僕からすると当然の疑問だったのだが、どうも聞こえてしまったらしくマーサさんは朝よりも苛々とした様子で僕を睨む。
「どれぐらい時間かかるかわからないんだから、水は節約しなくちゃいけないでしょ!いいからさっさと行きなさい!」
そこまで言われて漸く、マーサさんが本当に言いたい事に気付く。
これは恐らく、さっさと仲直りをしろと言われているのだろう。
仲直りの切っ掛けを作って貰うなんて、幾ら何でもちょっと情け無さすぎるよな・・・。
「お母様、わたしはどうしたら良いのですか?」
「・・・じゃあ、マナは枯れ木を集めてきてくれるかな?」
僕が自分の不甲斐なさに恥ずかしさすら感じていると、マナは自分の名前が呼ばれなかったからか小首を傾げながら自らを指差しつつ、マーサさんに問いかける。
それを見たマーサさんは少し思案した後マナに燃料を集めてくるように言付けたのだが、その答えにマナはやや不満そうに口を開く。
「旦那様と一緒がよかったのですが、わかりました。」
「だったら俺が・・・」
マナが言い終わらない内にアルがそう言いかけると、直ぐ様マーサさんが物凄い形相でアルを睨みつける。
すると、流石にアルも何を言いたいのかを察したらしく、言葉を続けようとはしなかった。
「アル、行くよ。」
「あ、ああ・・・。」
多分、アルも気不味くてマナの代わりに行こうしたのだと思う。
まだ半日ぐらいしか経っていないからその気持ちはわからなくはないけれど、いつまでもこのままはイヤだった僕は、荷台にあった桶を持ち上げつつアルに声を掛け、二人で川へと歩き出した。
「・・・なぁ、聞きたい事があるんだが・・・、いいか?」
そうして、二人並んで川へと近づきながらどう切り出すかを考えていた所でアルが立ち止まり、まだ気不味さが残っているような口調でそう切り出してくる。
・・・本当に、情け無いな僕は。
「・・・うん。僕も、アルに伝えなくちゃいけない事かある。でも、その前に・・・」
最初に何の説明もせずに怒鳴ったのは自分だったので、僕の方から言わなくてはいけないと思っていた矢先に親友から話を切り出されてしまったのだから、せめてこの言葉だけは僕から伝えなくてはいけない。
「ごめん。」
「・・・俺こそ、すまん。」
結果的に巻き込んだ事についてや、その後の態度への謝罪を口にすると、アルはバツが悪そうな表情で同様の言葉を返す。
多分、僕も似たような表情をしていると思う。
でも、ろくに状況の説明をしていないのだから多分僕が何について謝ったのかは伝わってはいないのだろうけれど、アルが何に対して謝ったのかについては理解出来た。
この様子だと少なくともアルの身を案じて連れて行きたくなかった事だけは、喧嘩の際のやり取りからも伝わってはいたらしい。
だったら、ちゃんと説明すれば何故何も話さなかったのかも解ってくれるだろう。
そう考えた僕は、意を決して話を始める。
「本当はね、サリーナにも残っていて欲しいくらいなんだよ。此処から先、何が起きるか全く判らないからさ・・・。」
「どういう事だ?ただの視察じゃない事だけは、流石の俺にも解るが・・・。」
「うん。アルも気付いた通り、視察は表向きの話なんだ。実は・・・」
そうしてアルに何処へ向かっているのかや、何をしようとしているのか、そして何故危険な状況になる可能性があるのかを伝える。
勿論その過程でマーサさんから頼まれた事や、マーサさんの娘であるマホがほぼ確実に昔の僕の側に居た頃の記憶を持っている事、それに僕が想像していた以上に非人道的な行いをしている連中が絡んでいる事や里の人達が実験体にされている事も含めて、僕が知っている限りを話した。
前世の記憶の事はアルにも以前伝えてはいたので質問されたりはしなかったのだが、僕の話を聞いていく内にアルの表情は徐々に険しくなる。
そして、かなりの時間が掛かったが話を粗方聞き終えた後で、アルは真っ直ぐ僕を見つめながら静かに感情を抑えた様な口調で呟いた。
「・・・何故、今まで話さなかかった?」
知っている事はきちんと全部伝えた筈なのに、まだそんな事を言われるとは思わず、僕は少しだけ焦りを覚える。
「だから!それは巻き込みたくなかったからで・・・」
もしかして、伝え方が悪かったのだろうか?
でも、それ以外の理由は無い。これは本心からだ。
それに、この事は昨晩の喧嘩の際にもハッキリと伝えている。
・・・まぁ、かなり頭に血が昇ってはいたけれど。
だが、そんな僕の発言を遮りながらアルは更に険しい表情で口を開く。
「それはわかる!俺でもそうするとは思う!だけど、違うだろ!?」
「何がどう違うのさ!?」
冷静を装う事が出来なくなったらしくかなり怒気の篭もったアルの口調に、思わず僕も語気を強めながら言い返してしまうと、アルは目を閉じ少し間を置いてから再び真っ直ぐにこちらを見つめた。
「・・・お前が俺の立場なら、ほっとけるか?心配、するだろ?」
アルの不器用だけど真剣な物言いに、僕は思わず言葉が出なくなる。
もし、アルが沢山の厄介事を抱えていたとしたら、恐らく僕も同じ様に放っておくなんて出来ないだろうから。
そこまで言われて漸く、この不器用な親友も只々僕の事が心配で見過ごせなかっただけなんだと、今になって気付いた。
「上手く言えねぇけど、危なっかしいんだよ・・・お前は。」
「アル・・・。」
「昨日だってそうだ。昼間に難しい顔してたから、何かあったのか聞こうと宿を探したら、この宿に泊まってないとジーナ隊長に言われるしさ・・・。馬車はあるのにだぞ?」
「うん。」
確かに昨日僕達が滞在していた宿は町の入り口付近の宿で、家紋が入った馬車はアル達護衛やシャロンさん達と共に町の中心の繁華街に近い宿にあった。
「これはおかしいと思ってさ、出かけると言った隊長と御令嬢を付けてみれば、あんな話をしてるだろ?聞いても答えないだろうから、俺にはああするしか無かったんだよ。」
人の出入りが激しい場所ならば、あの馬車は目立つだろうからと僕達の居場所を誤魔化す為にそうしたのだろうが、それがかえってアルに疑問を抱かせる原因となったようだ。
「それで、か・・・。」
「ああ。」
言われてみれば確かに、何かあると考えるのは無理もないだろう。
何故昨晩盗み聞きをしていたのかや、どうして馬車に潜り込んだのかが漸く理解出来た僕は思わず独り言を零すと、言いたい事を言い終えて少しスッキリとした表情のアルが短く返す。
それを見てつい可笑しくなってしまった僕は、いつものように軽口を叩いた。
「僕は、そんなに危なっかしいかな?」
「当然だ。貴族として生きて行くと言ってたとはいえそんな生き方をしてこなかったお前が、突然自分から他の貴族の所へ視察に行くと言い出したなんて話を聞かされたら、普通何かあるなと考えるだろ?」
どうやら、親友から見ても僕はかなり危なっかしいようだ。
似たような事を叔父上にも言われたような気もする。
きっと村を出て此処半年ぐらいに起きた様々な出来事が積もり積もったから、アルをこんな所にまで連れて来てしまったのだろう。
だったら、僕も伝えなくては。
ここまでしようとしてくれる事への感謝の言葉と、今の自分の素直な想いを。
「心配してくれて、ありがとう。・・・アルの力を貸して欲しい。」
「今更だな。」
僕の言葉に、アルは口元で微かな笑みを浮かべつつ、いつもの調子でそう返す。
それがまた可笑しくもあったのだけれども、やはり巻き込んだ事への罪悪感がある所為か、僕はアルに再び問いかけた。
「確かに、今更かもね。・・・でも、話を聞いて本当に後悔してない?」
「・・・それこそ、今更だろ。俺だって、お前みたいにその人達を助けたいって思ったよ。だから、俺も行く。」
「わかった。」
アルが困るような事がもしあったならば、僕は必ずこの親友の力になろう。
そして、僕達の目的が無事果たせるように全力を尽くそう。
僕の言葉に笑いながら答える大事な友達を見て、僕も笑いながら返しつつ、心の中でそう強く願ったんだ。
「話は終わった?」
お互いにわだかまりも無くなり、いつもの調子で軽口を言って笑いあえるようになった直後、後ろからマーサさんが笑顔でそう問いかけてくる。
マーサさんにもかなりの迷惑をかけてしまったから、ちゃんと謝らないとな。
「ええ、ご心配をおかけしてすみませんでした。」
「俺も、すみませんでした。」
「いいよー。あ、でも後でサリーナにもちゃんと謝るんだよ?すっごい心配してたから。」
僕達二人の謝罪を、マーサさんは仕方ないなと言わんばかりに苦笑しながらも優しくそう告げる。
確かに、サリーナにも謝らなくちゃいけない。
冷静になれた今になって漸く、彼女が僕達の事を心配して昨晩は眠れなかったのだろうと気付いたから。
「勿論です。」
「うん。それよりさ・・・、ちょっと話しておきたい事があるから、早く水を汲んできてね。」
「話しておきたい事、ですか?」
少し表情を曇らせながらマーサさんが言った言葉に僕が思わず聞き返すと、彼女は軽く頷いてから先に馬車へと戻っていく。
その後ろ姿を眺めながら僕は不穏なモノを感じつつも、アルと二人で手早く桶で水を汲み、マーサさん達の元へと急いだ。
まともに喧嘩の場面を書いた所、喧嘩をしているだけで一万字ぐらいになってしまいましたので大幅に省略致しましたm(_ _)m




