72 違い
それは、手合わせと呼ぶには余りにも一方的だった。
彼女の剣が躱され空を切る度に、振り下ろした手を狙われ木剣を弾き飛ばされたり、斬りかかる際に身体を入れ替えながら足を払われ、地面に転がされたりもした。
だが、それでも彼女は何度も落とした木剣を拾い、諦める事なく何度でも立ち上がり続ける。
そんな彼女を僕は黙って見ている事が出来なくて・・・、思わずもう止めるようにと、そう言ってしまったんだ。
「シャロン様、もうそろそろやめられた方が宜しいのでは・・・?」
「いいえ!まだです!」
見ている限りだと、彼女が弱いという訳ではない。
しかし、こうも一方的だとサリーナとは、一見するとかなりの実力差があるようにも見える。
だが、シャロンさんは左手に身体の半分程もある盾を、右手に木剣を持つ一般的な歩兵の戦い方の為、僕やサリーナのように一対一に特化している訳ではなく、寧ろ集団戦で生き残る為の戦法なのだと言えるだろう。
そう見た場合、シャロンさんはアルと同じかそれ以上には強いのだが、サリーナとの手合わせは彼女にとって致命的だと言える程に相性が悪いようだ。
今だって、シャロンさんもこのままでは通用しないと考えたのか、盾を前に向け突進による盾攻撃を仕掛けたのだが、サリーナは突き出された盾の端を掴むと、身体の位置をシャロンさんと入れ替えながら足をかけて地面に引き倒し、彼女の首元に木剣を突きつけている。
こういった身体の使い方は、戦場を経験しているマーサさんから教えられたモノだ。
いかに相手に何もさせずに鎧通し等で行動不能に追い込むかや、トドメを刺すかを僕と一緒に習った成果なのだろう。
サリーナもそれを理解して手加減をしているのは見て取れるが、何というか段々とサリーナがシャロンさんの余りのしつこさに苛ついてきているのも伝わってきて、地面を転がる回数が増えてもきている。
その為、既に手や頬等の見えている所は擦り傷だらけになっており、革製の膝当てや肘当て、革鎧等も砂埃塗れになっていて、正直見るに堪えない。
「フランドル伯!彼女を止めてください!」
「いや、ああなると、昔から本当にしつこいんだよね・・・。だから、知らないと言ったのに・・・。娘は何故か体力にはかなり恵まれていて怪我からの回復も早くてね、本当に手に負えないんだよ。それにしても、キミの婚約者は凄いな。護衛だと言うのも納得だよ。」
サリーナに関心している場合ではないような?
それに、それならそうともっと早くに言ってくださいませんか?
これは、どうしたらいいのだろう・・・。
「やっぱりお嬢さんまたやってるなぁ。相手は・・・何でサリーナ嬢?イーオ君に挑むと思ってたのに。というか、サリーナ嬢ってあんなに強かったの?うちの小隊長達と余り変わらないんじゃないかな?」
どうしていいか判らずに、ただ二人の手合わせを見守るしか出来なかった僕の背後から、唐突に声が聞こえたのでそちらに振り返ると、トマスさんが困惑した表情でシャロンさんとサリーナの方を見ていた。
「トマスさんいい所に!シャロン様を止めてください!」
トマスさんののんびりとした調子に僕は思わず大きな声を出してしまったのだが、トマスさんは心底面倒そうな表情を浮かべながら口を開く。
「えー・・・嫌だよ。どうせ聞かないし。」
「貴方の仕えているフランドル家の御令嬢でしょう!?」
聞く聞かないの話では無いと思います!
「それはそうなんだけどさぁ。仕方ないなぁ・・・。サリーナ嬢も疲れてきてるようだし、交代といきますか。」
「えっ?交代、ですか?」
止めるのではなくて?
「お嬢さーん!いい事教えてあげるよー!」
「何ですかトマス副団長!後にしてくださいませんか!?」
「此処にいるイーオ君はねー。貴方の好きなキランに勝った男だよー。しかも、お嬢さんより一つ下なんだよね。」
「何ですって・・・?」
トマスさんの言葉に、シャロンさんは動きを止めこちらに視線を向ける。
サリーナもそれに釣られて動きを止めたようだが、トマスさんは何を考えてそんな事を言ったのだろう?
「じゃあ、後は任せたよイーオ君。キミなら、お嬢さんに怪我をさせないぐらい、わけないよね?キランに勝てるぐらいだし。」
トマスさんは面白そうに笑いながら、僕をチラリと見つつそんな言葉を口にした。
そんな彼の意図がわからずに、僕は思わず間の抜けた返事を返してしまう。
「えっ?」
何を任せると?
「投げ技と、打撃技は女の子相手だからダメだよ?イーオの力だと、普通の子は簡単に骨が折れちゃうからね。襟絞めとかの絞め技も、色々な所に触っちゃうから、禁止ね?」
「いや・・・。」
マーサさんの言う事は解るけれど、どうして僕が相手をする前提なの?
「娘を頼んだよ。」
「だから、話を・・・。」
フランドル伯まで・・・。でも、その言い方は、かなり語弊があると思います。
「お相手を、お願い出来ますでしょうか、イーオ様?」
「イーオさん、あたしは此処で応援してますね。」
「・・・はい。」
気付くと笑顔の二人が僕の側に立っていて、謎の圧力からか思わず僕は返事をしてしまった。
こうなったら仕方ない。
全力で、逃げに徹しよう・・・。
謁見の為に着ていた服をサリーナに預け、下に着ていた身軽な服装だけになると、渋々ながら僕はシャロンさんと対峙する。
そしてそれから三十分程、僕は回避をし続け彼女はそんな僕に向け空振りをし続けた為か、疲労の色が濃くなってきていた。
それでも彼女は、強い意志の籠った瞳で真っ直ぐに僕を見据えながら向かってくる。
何故、そこまでするのだろうか?
「シャロン様、もうやめませんか?これ以上続けると、お身体を痛めつけるだけですよ?」
自分でも嫌な言い方だとは思う。
だけど、こういう事が初めてでは無い様子だったし、同様の事を今後も続けると、いずれ必ず取り返しのつかない事態に陥るのは明白だ。
だから、敢えて此処は敢えて実力差を誇示するべきだと感じた。
「い、いいえ、ま、まだ、やれます。」
しかし、そんな僕の考えを無視するかのように、肩で息をしながらまだ戦えると告げる彼女。
何がシャロンさんにそこまでさせるのかが理解出来ずに、僕は再度忠告をする事にした。
「余り無茶をされては、怪我をしてしまいますよ。」
もっと、はっきりと言うべきか?
「怪我など、怖くはありません!」
そういう問題じゃない!と、思わず叫びそうになるのを堪えながら、どうやって諭すのがいいかを必死に考える。
彼女の行為がただ悪戯に身体を痛めつけているだけにしか、僕には見えなかったからだ。
「ですが・・・。」
「この非才な身では、貴方やキラン様のようには戦えないのはわかっております。」
「シャロン様・・・?」
どう説得するかを迷い言い淀んだ僕に向け、彼女は突然独白のように語り始めた為に思わず聞き返してしまうも、シャロンさんは自らの心の内を吐き出すように口を開く。
「ですが、戦場で敵に屈する姿を領民の前に晒す訳にはいかないのです!それに、訓練を全力でやり抜かなければ、実戦で力を発揮する事等不可能だと、キラン様からも教わりました!」
・・・そうか、この人もまた、誰かの規範でありたいと願うから、ただただ必死なだけなんだ。
確かに、彼女の言う通りかもしれない。
僕はまた大事な事を、忘れていた。
相手に怪我をさせたく無いからと、手を抜くのは相手の為にもならないって、前にもそう言われた筈だろう?
「・・・わかりました。では全力で、お相手致します。」
「お願い致します!」
僕がそう言い終わるや否や、彼女は僕に返しつつ距離を詰め、左手の盾で心臓をを庇いながら木剣を振りかぶる。
窮屈そうな形の筈なのに、動き辛そうにしていない事からも彼女の努力や研鑽がそこに垣間見えた。
だけど、そんなに見え見えの大振りでは身体の中心を守っている意味が無いから、多分疲れで正常な判断が出来なくなっているのだろう。
かと言って、剣を受け止めてしまうと恐らくだが盾での追撃をまともに受けてしまう。
それならば、振り下ろしてくる剣の横っ腹を、全力で弾いて体勢を崩れさせるだけだ!
そう判断した僕は、脳天を目掛けて振り下ろされた木剣に向け、瞬時に左下段に構えてから最速で剣を振り抜く。
直後、木剣と木剣のぶつかる甲高い音が響くと共に、彼女は大きく体勢を崩して尻餅をついた。
それから数秒の後に弾き飛ばされ宙を舞った木剣が、少し離れた所でカラカラと音を立てて転がる。
その光景にやりすぎてしまったと思い、僕は慌ててシャロンさんに駆け寄り手を差し出すと、彼女は呆然としながら僕を見上げた。
「だ、大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
「え、えぇ・・・。」
何が起きたのか理解出来ていないのか、目をパチクリとさせながら、彼女は後ろに転がった木剣と自分の手を交互に見やる。
状況が呑み込めて居ないのだろう。
だが、そのまま地面に座らせておくのは気が引けるので、失礼しますと一言声をかけてから彼女の手を取り、彼女の背中にも手を当てつつ出来る限り優しく立たせてから、再度声を掛けた。
「お怪我はありませんか?」
サリーナにつけられた擦り傷ぐらいしか目立った外傷は無いけれど、骨に異常があるかもしれないので、確認は必要だろう。
「は、はい。私は大丈夫です。・・・それよりもイーオ様、今何をなさったのですか?」
どうやら、彼女には僕の太刀筋が見えていなかったらしい。
だが、僕は特に珍しい技術を使ったりした訳ではないので、素直に自分のやった事をシャロンさんに伝える。
「シャロン様の剣を狙って弾いたのですよ。」
「・・・普通、そういった事は中々出来ないと思いますよ。・・・私では、イーオ様のお相手は務まりそうにありませんね。」
僕も幼い頃、父に同じ事をされて何が起きたか理解するまでに時間がかかった事があるので、彼女の言いたい事は分からなくは無い。
「父の見様見真似ですよ。それに恐らく戦い方の相性の所為もあると思います。」
これは本心だ。
強さとは単純に相手を打ち倒す為のモノではなく、生き残る為のモノだと父さんから教えられている。
だから、僕と彼女の違いはその向いている先が相手に何もさせずに無力化させるか、自らを守り切る為かの違いでしかない。
そして、僕より幾分か彼女が冷静さを欠いた為にこんな結果になったのだと思う。
だから、彼女も違う戦い方を覚えればまた話は変わってくるだろう。
「成る程、イーオ様のお父様の・・・。ですが、相性だけで片付けられるようなお話では無いと思いますよ?」
「失礼ながら申し上げますと、集団戦の戦い方と、一対一の戦い方の違いですので、機会がありましたらそういった戦い方も学ばれると宜しいかと存じます。」
「いえ、そういうお話ではなく・・・」
僕の返答に、シャロンさんは困った表情を浮かべながら、どう話すかを思案している様子で言葉を切ると、ふいに視線を僕の後方に向けた。
すると直後、真後ろから声をかけられる。
「イーオ君に護衛して貰えるなら安心だとキランが冗談っぽく言ってたから、大袈裟だと思ってたけど・・・。確かにこれは勝てる気がしないね・・・。今、明らかにお嬢さんが振り下ろすのを見てから敢えて弾いてたよね?」
その声に振り向くと、いつの間にかトマスさんやジーナさん達がこちらにきていた。
僕とシャロンさんが話始めたので、手合わせが終わったと思ったのだろう。
「ええ、トマス副団長。イーオ様はキラン団長の全力の突きを回避しながら体当たりをしたりと、割ととんでもない事を平気でしていらっしゃいます。まともに相対した私の同僚は訓練用の鎧だったとは言え、蹴りの一撃で金属鎧毎肋骨を折られたくらいですよ。」
アレは正直、僕も想定していない出来事だったので、力加減が全くできて居なかった所為だ。
バーナードさんには申し訳無い事をしたと今でも思う。
「・・・流石に、それはマーサでも出来ないよね?」
「うん。だからイーオに体術は禁止って言ったんだよ。ワタシやキランみたいに頑丈じゃないと、本当に危ないからね。」
成る程、だから普段の体術の訓練の際に、サリーナと絶対に手合わせをさせないのか・・・。
自分の力が強いのは解っていたけれど、此処までくると流石に他の人と違いすぎるのが恐ろしく感じる。
一体どうなっているんだ、僕の身体は?
「マーサが言うなら、大袈裟じゃ無いんだろうね。僕も手合わせをお願いしようかと思っていたけど、これはやるまでもないかな。」
「流石にそんな事は無いと思いますよ。それに、父さんやマーサさん相手だと、全く歯が立ちません。動き読まれますし。」
トマスさんも副団長なのだからやってみなければわからないと思うのだが、今は自分の身体がおかしいと改めて実感してしまった為に、そんな気分にはなれない。
「それは、イーオが馬鹿正直なだけだよ。相手を誘導するように動かなきゃ。」
「読んだり、見えているからといって、あたしもイーオさんの動きについていけそうにはありませんね・・・。昔ならともかく・・・。」
・・・昔ならともかくってどういう意味だろう?
最後の一言は呟くように言った所為か、他の人には聞こえては居ないようだけれど、サリーナの反応が他の人と違うのは、まさか心当たりがあるのか?
後で確認した方がいいのかもしれない。
でも、それを確認する事が・・・どうしようも無く、怖い。
もし、僕が人間でないとしたら?
僕の中にある機械達の所為で、僕は人間以外のナニカになっているのだとしたら?
それなら、この異様な力の強さや、怪我が治るのが異常なくらい早いのにも説明が付くんじゃないのか?
「サリーナ嬢はイーオ君の動きが見えているのか・・・。そりゃ、お嬢さんが敵わない訳だ。」
だとしたら、僕は何なんだ?
「サリーナ様、イーオ様、もし宜しければ・・・」
後から聞いた話ではどうやら、シャロンさんはサリーナをいたく気に入ったらしく、フランドル領に滞在する間、僕達と行動を共にしたいと申し出たらしい。
だが、自分の身体が明らかに他の人と違うという事実と、先程のサリーナの呟きがどうしても気になってしまっていた僕は、この時の会話をあまりよく覚えてはいない。
やはり、僕は化け物なんじゃないのか?
どうしても、その事が頭から離れなかったんだ。