70 すれ違い
夕食の後、ディランの侍従で見覚えのある女性を見かけたので、彼に明日一緒に夕食を食べないかとの言伝を頼んだ後、充てがわれた部屋に戻るとアルが何か用があるらしく、何処か落ち着かない様子で訪ねてきた。
護衛であるアルが、邸宅内を彷徨いている事を誰かに咎められでもしたのだろうか?
だが、此処には見知った人も多いから、そんな事は起き無いと思うのだが・・・。
今回、僕に護衛として同行する事になった小隊は、ジーナさんが小隊長を務める隊だ。
他の貴族の土地に赴く場合、小隊規模の護衛が付く事はままある事なのだという。
尤も、伯爵はより多くの団員を帯同させたかったようだが、示威行為と取られる可能性が高い為、下手に人数を増やす訳にはいかなかったらしい。
そこで、まだ所属の決まっていなかったアルにも声が掛かり、ギリギリ許容出来る人数の範囲で出立する事となったのだった。
アルが希望している駐留先である研究所や駐屯地はまだ影も形もないし、アルの功績も評価されたから、なのだと思う。
ついでに言うと、マーサさんは顔が広くニールさん達の領主とも面識があるそうなので、建前上は別口での客・・・という事で、同行している。
年に数回そうやってニールさん達を頼って里を訪れていたらしく、通行の許可証もあるそうでいつもの事なのだそうだ。
因みにアルは、結局親父さんの説得には失敗したらしい。
キランさん達が村から引き上げる際、半ば家出同然に街へ無理矢理ついていったのだと聞いている。
だが、本人の志望はあくまで村の駐屯地での勤務の為、そのうち親父も理解してくれるだろう、とも言っていた。
親父さんは多分、猟師を継いで欲しいという思いだけで、反対していたのでは無いと思う。
その気持ちがない訳では無いだろうが、僕と共に伯爵の治める街へ行く事を快諾してくれた頭領が、そんな事だけで反対しているとは、僕にはどうしても思えなかったからだ。
恐らく息子であるアルが、戦地に赴く可能性があるからこその、反対なのではないだろうか?
きっと、それはアルにもわかっているのだと思う。誰だって、肉親が傷付き斃れる可能性など考えたくはないだろうから。
キランさんが説得に行った際に、討伐戦の話を聞いたから、なのだろう。
それでもアルは、村を護りたいと望んでいた。
鉱石が採掘されるようになると様々な危険が考えられるので、アルも引く訳にはいかないのではないだろうか?
そしてそれが、いつか親父さんにも伝わると、そう信じているのではないだろうか?
だとしたら・・・強いな、アルは。
そんな僕の親友が、部屋を訪ねて開口一番に立ったまま軽口を叩く。
「おい、イーオ。二人で昼間からあんな事するなよ。外から丸見えだったぞ。」
「やっぱり、そうだよね・・・。」
馬車の外を見た時に、馬に乗っているアルと目が合ったから、言われるだろうなとは思ってはいたけれどさ・・・。
でも多分、サリーナが居るのにそんな事言うと怒られるよ、きっと。
後、ウロウロしないで座ればいいのに。
「いや、まぁ練兵場での事もあるから、今更だとは思うんだけどな。・・・ん?サリーナさん、顔真っ赤だけど大丈夫か?」
何か、アルの軽口がいつもと違う気がするのだけど、気のせいかな?
僕を揶揄う事はよくあるけれど、僕以外に向けては余り言わない筈なのだが。
それに、何処かうわついているというか・・・。この部屋に入ってくる時も、妙にソワソワしていたように感じたし。
「アルさんがそんな事言うからでしょ!イーオさんも気付いてたなら、何で言ってくれないんですか!あぁ・・・もうっ!ジーナにまた、何て言われるか・・・。」
アルの発言で真っ赤な顔になったサリーナの怒りの矛先が、何故か彼女の左隣に座る僕にまで飛び火したかと思えば、彼女は恥ずかしさに耐えられなくなったらしく、両手で顔を覆いながらブツブツと何かを呟きつつ、幼い子供の様にイヤイヤと頭を横に何度も振る。
・・・ナニコレ、ちょっと可愛い。
「え、俺の所為か?」
アルの所為とは、言えないな。少し考えたら、外から見えるのぐらい想像が付くもの。
それにさっきから、アルの様子もおかしいし・・・。
此処は僕が宥めるしかないか。
「いや、アルは気にしなくていいよ。僕達が迂闊だっただけだから。」
「そうですよ!兄上があんな事言うからっ!」
僕の言葉に、サリーナはムスーっとしながら非難の声をあげると、赤い顔のまま頬を膨らませ、こちらを睨む。
・・・何か、僕まで揶揄いたくなってきた。
「うん。本当にごめんね。」
でも、こういう時は素直に謝るのが一番かな?
本格的に拗ねられると、アルの用事にまで影響しそうだし。
「兄上?イーオの事か?お前ら、確か生まれがひと月も違わないだろ。・・・まぁ、いい。それより、明日は馬を休ませる為に出発は明後日になるようだし、此処には厩舎もあって専門の人員が居るから、護衛の俺は非番なんだ。だからさ・・・、ちょっと付き合え。」
随分と遠回しに言うなと思ったら、いきなり付き合えって、もしかして城下町にかな?
何か目的でもあるのだろうか?
僕達は初めて訪れたのだから、知っている場所なんてありはしない筈だけど。
「いいけど、何処か行きたい所でもあるの?」
僕の返事に、アルは顔を赤くしながら頭を掻きむしる。何だろう?こんなアルは初めて見る。
「あーー・・・、いや、まぁ・・・な。」
うーん?恥ずかしい事を臆面もなく言えるアルが言い淀むなんて、明日は雨でも降るのではないだろうか?
「ニーナへの贈り物の下見でしょ、どうせ。月初ですから、お給金が支払われた後ですし。」
「え?ニーナさんにって・・・、アル、もしかして・・・?」
不貞腐れた様子で話したサリーナの言葉で漸く、こういう事に疎い僕にも、アルの態度の意味が理解できた。
なるほど・・・そう言う事か。
「あぁ・・・、うん。まぁ・・・そう言う事だ。」
そっか。あの森での会話の時のアルの様子から、憎からずニーナさんの事を想っているのは伝わってきたし、恐らく遠征から戻った後、自分の気持ちを伝えたのだろう。
なら、僕は二人の仲を応援するだけだ。
・・・待てよ?もしかして、その事があったからアルは街に帰りたかったの?・・・アルって、案外そういう事に対して行動的だったんだね。
そんな親友の意外すぎる一面に驚きながら、僕はサリーナの機嫌を直す為にも、ふと思いついた考えを話す事にした。
「そっか。わかった。そう言う事なら、喜んで協力するよ。・・・そうだ、サリーナも一緒に行こうよ。僕達だけじゃ、きっと何を贈ればいいのか判らないからさ。」
「確かにな。・・・俺からも頼むよ、サリーナさん。さっきの発言は謝る。この通りだ。」
そう言いながら、アルは立ったままサリーナに頭を下げる。
僕達二人は田舎者だし、街に住む女性に何を贈ったらいいのかなんて皆目見当がつかない。
それに、彼女はニーナさんの友達だから、好みも知っているだろう。
だから、此処は機嫌を直して貰う為にも、サリーナに頼るべきだ。
お姉さん気質な彼女なら、多分頼られると悪い気はしないと思うから。
すると、僕達の言葉に少し考える素振りをした後、まだ不機嫌そうではあるが、サリーナは短く溜息を吐きながら腕を組み、少し睨むように頭を下げているアルを見つつ、口を開いた。
「・・・仕方ないですね。あたしの親友の為でもありますし、行きますよ。」
「すまない。恩に着る。」
「王都で話題のお菓子で、手を打ちます。」
「む・・・、仕方ないな・・・。」
よかった。彼女も少し機嫌を直してくれたようだ。
それにしても、王都で話題のお菓子って、前にリズと一緒に食べた〝ケーキ〟というモノかな?
それなら、お祝いを兼ねて僕がご馳走した方がいいかもしれない。
贈り物に関しては、僕は余り力になれそうにはないし。
「まぁ、そっちは僕が出すよ。僕からサリーナへのお詫びと、アルへのお祝いって事で。」
「・・・ありがとう。二人共。」
「た、食べ物に、釣られる訳じゃありませんからね?」
「うん。わかってるよ。ありがとうね、サリーナ。」
そう言いながら、長椅子に僕と並んで座る彼女の頭を左手で軽く撫でる。
午前中の仲裁の際に、彼女が頭を撫でてほしいと言ったので、外から見えてしまう事に気付いていた僕は、夜にでもと伝えていたのだが、アルが訪ねて来た為その約束が果たせていなかった。
まさか、その所為で彼女は余計に不機嫌になったのだろうか?
・・・あり得るな。となると、彼女を怒らせたのは僕の所為でもある。
そう思い至った僕は、出来るだけ優しく頭を撫で続けると、彼女は赤い顔をしながらも満足気に目を細める。
やはり、撫でて欲しかったらしい。
こんな事を言うと、また怒らせてしまうかもしれないから口にはしないが、こうしているとまるで犬、みたいだ。
尻尾、付いてないよね?
そんな僕達の様子に、アルは呆れたような表情をしているのだが、そんな事には構わず少しの間そうしていると、サリーナの方に身体を向けている僕の背後から、服を引っ張られる感覚と共に、声をかけられた。
「旦那様が行かれるのでしたら、わたしも行きます。」
僕を挟んでサリーナの反対側に座るマナに顔だけを向けると、羨ましそうな表情でこちらを見つめながら服を引っ張っていた。
マナは飲食が出来ない為、付いてきてもただ見てるだけになるのだけれど、こんな表情を見てしまったら、置いていく訳にはいかない。
そう思った僕は、アルにも確認をする。
「マナも?・・・見てるだけでも大丈夫なら、一緒に行こうか。アルも構わないよね?」
「あぁ。折角だからな。賑やかでいいと思うぞ。」
僕の言葉に、アルはすぐ同意してくれた。
親友も、マナの表情に僕と同じ様な事を感じたようだ。
だが、僕達の感じた事と、マナの考えていた事はどうやら違っていたらしい。
「後、わたしの頭も撫でてください。」
「ダメです。」
羨ましそうにしていたのは、どうも僕がサリーナの頭を撫でていたからのようだ。
そんなマナの言葉に、アルは苦笑いをする。多分、僕も似たような表情をしていた事だろう。
しかし、僕が何かを答える前にサリーナに即答されてしまったマナは、少しむっとした様な表情で口を開く。
「何故サリーナが答えるのですか。キスについては今は諦めますけれど、次に頭を撫でて貰うくらい、いいではありませんか。」
「ダメ。」
そう短く答えながら、彼女は頭に乗せられたままの僕の手に自分の手を重ねると、自ら動かし撫で始める。
すると、今度はマナが空いている僕の右手を掴み、自分の頭に持っていこうとするのだが、僕の身体が変な方向に捩れる所為で上手くいかず、不満そうな表情でサリーナに抗議し始めた。
昼間あれだけ言い合いをしたのに、まだ諦めていなかったのかと、やや辟易としながらも両腕を解放して貰ってから、再び始まりつつある口喧嘩を先んじて止めようとした矢先、突然部屋の扉が勢いよく開かれ、此処に居る筈の無い人物が部屋へと入ってきた。
「ちょっとお待ち下さい!私も行きますわ!」
「リズ!?何で此処にいるの!?」
想定もしていなかった乱入者に、僕は思わず大きな声をあげてしまう。
そう言えば、前にもこんな事があったような・・・。
そんな事を考えているうちに、リズはスタスタと部屋の中へと入り、僕の向かいにある一人がけの椅子へと腰掛けた。
「私はマキ様に呼ばれて、王都に参ったのです。勿論、お父様にも許可を頂いておりますわ。お父様からお聞きになられておられないのですか?」
マキに?叔父上は何も言ってなかったと思うけれど、もしかして伝え忘れていたのかな?
「ごめん、何も聞いてないよ。僕も色々あって忙しかったから、余り自分の部屋から出なかったんだ。食事も部屋で摂っていたくらいだし。」
マナの事もあり、討伐から戻った後は家族一緒に食卓を囲む事はなかった。
それに、数日で王都に向け出発した事もあって、ノエリアさんやフィーとすらまともに会話をしていない。二人には見かけた時に挨拶はしたけれども。
「そう・・・でしたか。それでは、仕方ありませんね・・・。」
僕の言葉に、彼女は酷く傷付いたような表情で顔を伏せる。自分の存在を軽んじているのだと、感じてしまったのかもしれない。
リズの事は気にならなかった訳ではないけれど、会えないのは偶々なんだろうと、楽観視していた自分を殴りたくなる。
ちゃんと伯爵にリズがどうしているかを聞くか、館で探すべきだったんだ。
協力させるだけさせておいて、幾らなんでもそれは無いだろう。
マキに呼ばれて、となると僕のお願いを聞いてくれたからに他ならないのに。
でも、側から見ればそんな風にリズを扱ってしまっている僕が、彼女になんて声を掛けていいのかも分からず、ただただ謝る事しか出来なかった。
「ごめんね・・・。僕が頼んだ事だったのに、言い訳してしまって・・・。本当に、ごめん・・・。」
「そんな・・・。私が頼ってくださいと、お願いしたのですから、お兄様が謝る事ではありませんわ・・・。」
リズはそう言ってはいるけれど、その表情は暗い。
そんな彼女の様子に、胸が苦しくなる。
「ううん。これについては、間違いなく僕が悪いよ。リズを利用するような事をしたのに、忙しかったとはいえ、気に留めていなかったんだから・・・。」
「お兄様も、慣れない事を一生懸命にされていたのですから、仕方ありませんよ。私もお兄様宛に言伝をしていませんでしたから、おあいこ・・・という事に致しませんか?」
「本当に、ごめん。」
全く、度し難いな・・・僕は。
傷付いているのはリズの方なのに、気まで遣わせてしまっている。
「もう、この事で謝らないでくださいまし。私もお兄様にご協力したいと自ら申し出たのですから、そう何度も謝られてしまいますと、私も困ってしまいますわ。」
「うん、わかったよ。ありがとうね。・・・じゃあ、リズも明日一緒に出かけようか。」
リズの為にも、此処は謝り続けない方がいい。
余計に気を遣わせてしまうから。
それよりも、彼女に報いる事の方が大事だろう。
「私がご一緒しても宜しいのですか?立ち聞きなんて、はしたない真似をしてしまいましたのに・・・。」
「うん。勿論だよ。アルも大丈夫だよね?」
「ああ、俺に異存はない・・・です。」
相変わらず丁寧な言葉が苦手なアルの様子に、リズは口元に手を当てつつ、クスクスと笑いながらアルへと視線を向けると、軽く頭を下げ笑顔で口を開く。
「アルドさんも、ありがとうございます。楽しみにしておりますね。」
「明日は賑やかになるね。・・・そう言えば僕が此処にいる事を、誰に聞いたの?」
「私の侍従であるマイにですわ。ですから、ご挨拶をと思いまして。」
僕は気付かなかったのだが、マイさんも居たのか。
まぁ、ディランの侍従の女性の例もあるから、当然と言えば当然なのだろう。
「そうだったんだ。ごめんね、突然で驚いたよね。」
「いえ、私はお兄様にお会い出来て嬉しいです。・・・それはそうと、お兄様が何故この時期に王都へ参られたのですか?まだ学院へ御入学されるまで、お時間がある筈では?」
確かに、リズの疑問は最もだ。
だが、危険な場所に赴く事を伝えるのは、何があるかわからないから、言う訳にはいかない。
だけど、建前の方であれば話しても問題はない筈だろう。
「僕が此処に居るのは、叔父上の名代として討伐に協力して貰ったフランドル伯に親書を渡す為だよ。だから、明後日には王都を発つ事になるね。学院の入学までには戻るよ。」
「お父様の名代、でしたか。遠征にも行かれておいでなのですから、余りご無理はなさらないでくださいね・・・。ところでお兄様、他にも少々お尋ねして宜しいでしょうか?」
「その遠征絡みだし、何より僕が志願した事だからね。大丈夫だよ。それで。聞きたい事って何かな?」
「流石はお兄様ですわ。お尋ねしたいのは・・・、そちらの、黒髪の幼な子は、どなたなのですか?」
リズは少し言いづらそうな表情で、マナに視線を向けながら尋ねる。
見知った人間が、見知らぬ人物を連れていれば、そういった反応にもなるだろうし、僕からマナを紹介するのが筋だという事に、リズから尋ねられるまで気付きもしなかった。
作法を失念していた、僕の落ち度だ。だから、リズは言いづらそうにしていたのだ。
・・・失態ばかり、だな。
「ご、ごめん、紹介が遅くなってしまって。この子はマナというんだ。色々あって、一緒に行動する事になったんだよ。」
「色々・・・ですか?マナさんと仰るのですね。私はリゼットと申します。以後、お見知りおきを。それで、お兄様とはどの様なご関係なのでしょう?」
僕とマナの関係を訊ねるリズは笑顔を浮かべてはいるのだが、その笑顔が何故か恐ろしいモノに感じてしまうのは、気のせいかな?
・・・それはいいとしても、マナとの関係ってどう答えるのが正解なんだ?
名目上は、僕が雇っている侍従・・・とはなっているけれど、年端もいかない少女を雇うなんて普通はあり得ないから、そう伝えたとしてもリズは納得しないだろう。
それに伯爵に説明した事と、同じ事をリズに伝えてもいいのだろうか?
「どの様な・・・か。うーん・・・、説明が難しいな・・・。」
「わたしは、旦那様の所有物ですよ。そのためにこの姿を得たのですし。」
マナの言葉に、リズは笑顔のまま固まる。
それこそ、凍りついたかのようにピクリとも動かない。
「マナ・・・、それは誤解を生むからやめてくれないかな?」
この国には、奴隷のような人を人とも思わない制度が存在してはいないのだから、その表現は非常に不味い。
ニールさんに教えられた事だけれど、例え貴族であったとしても、人として生きる権利を奪うような真似は、許されてはいないのだ。
創作物や、他国でならそういう事はあるらしいけれど。
だから、見た目だけが人だったとしても、この国だと自警団や騎士団の前で所有物だと言い切りでもしたら、すぐ様犯罪者扱いをされてしまうかもしれない。
「他に形容のしようがないと思いますよ?」
「うーん、そもそもが違うよね?それに今のキミの姿だと、かなり不味い発言なんだよ?」
少なくとも今のマナの姿は幼い少女なのだから、よりタチの悪い変質者扱いされてしまう危険すらある。
まだその事をマナに教えてはいなかった僕が悪いのだろうが、今は何とかしてリズの誤解を解かなければ・・・。
でも、どう話すべきなのかが解らない。
そんな風に焦っている僕を他所に、マナは不思議そうな表情を浮かべながら、再び口を開いた。
「そうなのですか?わたしは構わないのですが。お困りでしたら、サリーナの姿にでもなりますか?」
「何で、またあたしなの?」
「サリーナの姿なら、同じ様に愛して頂けるかと思いまして。」
「そんな目的で、あたしの姿を真似ないでよ・・・。本当に怖いのダメなんだって・・・。」
うーん?そんなに怖いかな?・・・あっ、もしかして、自己像幻視とか、超常現象の類いが連想されるから?
確か自分のを見たら、死ぬという噂があった気がする。
・・・彼女は案外、怖がりな割にそういった事にも詳しいらしい。いや、寧ろ怖がりだから、か。
これも誰かに吹き込まれたのかな?と、どう説明したらいいのかが思い浮かばずに僕が現実逃避をしていると、リズは漸く我に返ったらしく、震えた声で絞り出すように問いかけてきた。
「・・・あ、あの、も、もう一度、お、お、仰って頂けますでしょうか?わ、私、な、何か聞き違えたような気が、致しますので・・・。」
「ですから、わたしは旦那様のモノだと言ったのですが、理解出来ませんでしたか?」
「マナ!?そんな言い方をしたらダメだよ!」
追い討ちをかけるようなマナの言葉に、僕は思わず声を荒げてしまうのだが、煽るようなマナの発言の後、リズは顔を伏せワナワナと肩を震わせていた。
どうやら、かなり怒っているようだ・・・。これは、もう、言い訳のしようが無いかも・・・。
「・・・お兄様?どう言う事か、〝詳しく〟ご説明頂けますか?」
僕がリズの様子に戦々恐々としていると、彼女は顔を上げ何故か笑顔のまま、ゆっくりとした口調で説明を求めてきた。
・・・笑顔なのに、凄く怒っているような気がするのは、気のせいじゃない・・・よね。
「・・・はい。」
有無を言わさぬ様子のリズに、僕は大人しく従うべきだと感じ、素直に事情を話す事にした。
何処で出会ったのか、どういう経緯で僕に付き従っているのか、それと彼女の正体についても、話せる範囲ではあるが、伯爵に話した事と似た内容の話をリズにも伝える。
姿を変えられる事については、目の前でサリーナの姿に変わって貰ったら、酷く驚いては居たけれど、何とか信じて貰う事が出来たようだ。
「・・・俄かには信じられませんが、お兄様が嘘をつかれるとも思えませんし、信じるしか無いのでしょうね・・・。この姿も見た事ですし・・・。」
どうやら、理解して貰えたらしい。
話の途中から、困った様な表情を浮かべてはいたけれど、それは多分僕がリズを巻き込みたくないと考えていた事も、伝わったからなのだろう。
「ごめんね、リズ。マナの事は余り公にする訳にはいかなくて、ちょっと苦しいかもしれないけれど、僕が直接雇っている侍従という事になってるんだ。叔父上も扱いに困ってたから、館に置いてくる訳にもいかなかったしね・・・。」
「それは仕方ないと思いますよ。お話を聞く限りですと、お兄様のお側以外に置いておかれる訳にはいかないでしょうね。後、こちらの別宅も人員は領地から来ておりますので、サリーナの姿を真似るのはやめた方が宜しいかと存じますよ。」
「それは残念です。」
僕とリズの関係をある程度理解出来たらしいマナは、リズの言葉を聞き、再びノアの姿になると、その様子を見ていたリズが、眉を顰めながら僕に問いかける。
「・・・何度見ても、慣れそうにはありませんね・・・。お兄様、人前ではマナさんに姿を変えないよう、お教えされてはいるのですよね?」
「うん、勿論だよ。叔父上にも言われてはいるけれど、目をつけられる可能性は僕も理解しているから。他にも色々教えてはいるんだけど、後は僕やサリーナ以外にかなりトゲのある言い方をする事があるのさえ直せれば・・・」
僕達以外だと、マーサさんにもかなり懐いているが、それは今はいい。
そう考えながら、リズにもどうしたらいいか意見を求めようとした時、僕の発言に彼女は眉を顰め言葉を遮るように呟いた。
「・・・サリーナ?」
「リズ?サリーナが、どうかしたの?」
僕がどうしたのかと問いかけると、彼女は益々表情を険しくしながら、少し語気を強めつつ、再び僕に問いかける。
「お兄様、何時からサリーナを呼び捨てにされておられるのですか?遠征の前にはそのように呼ばれていなかったと思うのですが?それに、よくよく考えれば・・・何故、此処にサリーナがいるのですか?マナさんは仕方ないとしても、騎士団員でも無い貴方が、他の貴族の領地に随伴するのはおかしくはありませんか?」
「リゼット様、あたしは・・・」
「サリーナは黙っていてください!お兄様、どういう事ですか?答えてください!」
この感じは・・・、伯爵とよく似ている。
だが、彼女との婚約については、領地に戻れば何れ解る事だから、下手に隠す必要は無いだろう。
そう考えた僕は、そちらについても素直に話す事にした。
「・・・リズ、彼女は、僕の正式な婚約者になったんだよ。」
「・・・そんな・・・、何時、ですか?」
「十日くらい前、だね。」
「私が居ない間に、ですか・・・。そして、それをお父様が、お認めになられた、と。」
怒っては・・・いないようだが、リズは辛そうな表情でやや俯きがちに、呟いた。
彼女も、公表はしていないけれど僕の婚約者、だからなのだろうか。でも、サリーナとの事で嘘なんか吐きたくはない。
「うん。だから、連れてきたんだ。理由があって、もう侍従として館で働く訳にはいかなくなってしまったからね。」
「そうでしたか・・・。いつかはそうなると思ってはおりましたが、こんなにも早く・・・。しかも、私を差し置いて・・・。でも、そうなりますと・・・お姉様が、お可哀想ですわ。私との事でも、あんなに傷付いておられましたのに・・・。あんなにも、お兄様を慕っておられますのに・・・。」
僕の言葉に、リズは顔色を変えながら呟く。最後の方は、声が段々と小さくなっていったので殆ど聞こえなかったけれど、辛うじて聞き取れたリズがお姉様と呼ぶ人物に、僕は心当たりが無い。
誰の事なのだろう?
「お姉様・・・?一体、誰の事?」
「い、いえ、今のはお忘れくださいまし。そう、でしたか・・・。突然で申し訳ございませんが、お兄様・・・私少々気分が優れませんので、失礼させて頂きますね。」
「う、うん・・・。ゆっくり休んでね?」
「はい・・・。では・・・失礼致します。」
リズは唐突に話を切り上げると、慌てた様子で部屋を後にした。
残された僕達は、何が起きたのかが理解出来ずに、思わずアルと顔を見合わせる。
「リズ、どうしたんだろう?急に青い顔をして、慌てて出ていったけど・・・。大丈夫かな?」
「俺には判らん。・・・ん?サリーナさん?どうした?」
アルの言葉に、僕も彼女へと視線を向けると、今度はサリーナが俯いていた。
表情までは見えなかったのだが、微かに肩が震えているようだ。
「い、いえ・・・。すみませんイーオさん。あたしも、ちょっと気分が悪くなってしまいましたので、お部屋で休んできますね。」
大丈夫かと声を掛けようとすると、サリーナは顔を上げ、眉間に皺を寄せながらそう告げる。
何処か痛むのだろうか?
「う、うん。大丈夫?」
「はい。では、おやすみなさい・・・。」
そう言うと、彼女も足早に部屋を後にする。
残された僕とアルは再び顔を見合わせるのだが、二人の様子がおかしかった事しか判らなかったので、とりあえず僕はアルに話しかけてみた。
「二人共、どうしたんだろう?大丈夫かな?」
「さぁ・・・?まぁ、俺も宿舎に戻るよ。じゃあな。」
「うん。おやすみ、アル。」
一体、何だったのだろうか。
何か、僕は不味い事でも言ってしまったのだろうか?
そう自らに問いかけても、答えは分からなかった。
翌朝、朝食を充てがわれた部屋で摂り終えた後に、リズが訪ねてくる。
どうやら急用が出来た為、一緒に買い物には行けなくなったらしい。
楽しんできてください、と言われはしたのだけれど、昨日の彼女の様子がどうしても気になり、後を追う事にした。
すると、少し館の中を探し回った後に邸宅の玄関先で、リズとサリーナが何かを話しているのを目撃する。
「・・も、・・・・気付いてしまわれたのですね。迂闊でしたわ。・・・お姉様にも、お兄様が・・・・・・・・・・・・。」
何だろう?何を話しているんだ?少し距離がある為、僕の位置からではよく聞こえない。
言い争っているようには見えないが、二人とも表情が優れているようには見えないのだが・・・。
「はい。・・・・・・のですが・・・。」
「いえ、貴方が・・・・・・でしょうか?」
「あたしには、・・・・・理由があるんです。ですから・・・」
「貴方とお姉様の間に、・・・・・・・・・・お兄様には、・・・・・・・・・・で、今は・・・・・・・頂けませんか?・・・・・・・・・・・しょう。」
「・・・・した・・・。」
「・・・・・・きてくださいな。」
最後に、リズはサリーナに微笑みかけてから、足早に邸宅を出て行った。
朝食を摂り終えた後とはいえ、こんな朝早くに一体何処へ行こうというのであろうか?
それに、二人は何を話していたのだろう?サリーナの剣幕からして、大事な話のようだったから、とてもではないが声を掛けていい状況だとは思えなかった。
それにサリーナと、そのお姉様とやらには面識があるのだろうか?もしかして、王女様の事・・・?
でも、サリーナが昔の記憶以外に王女様と繋がりがあるというのは、今までの彼女との会話から考えてもあり得ないと思うのだが・・・。
となると、一体誰の事を話していたのだろう?だけど多分、この事を二人に聞いたとしても、あの様子では答えて貰えない気がする。
日も大分高くなり始めた頃、僕とアル、それにサリーナとマナ、そしてマーサさんを含めた五人で館を出て、商業区画へと向かう事になった。
四人で出かけようとしていた際、手持ち無沙汰なマーサさんに見つかり、彼女も一緒に来る事となったのだ。
尤も、マーサさんは何度か王都を訪れているようで、道案内をかって出てくれたので、初めての僕達には有難い話ではあったのだが。
「あー、なんだー。アルドにコイビトが出来たから、皆で買い物に出かけようとしたんだね。ワタシはてっきり、ワタシを置いて皆で美味しいモノを食べに行くのかと思ってたよ!」
美味しい物を食べに行くというのは、あながちハズレてもいないのだが、本来の目的はアルの贈り物を選ぶ事なので、そこは黙っておいた方がいいだろう。
「マ、マーサさん、そんな大きな声で言わないでくれないか・・・。誘わなかったのは、俺が悪かったから。」
「あ、ゴメンゴメン。でも、アルドは案外恥ずかしがり屋さんだねー!」
アルはマーサさんに揶揄われ、真っ赤な顔をしている。
まぁ、貴族街で余り人が歩いて居ないとは言え、公衆の面前で堂々と言うような話ではないので、無理もない。
そんな親友を見兼ねて、助け船を出す事にしたのだが・・・。
「マーサさん、あんまりアルを揶揄わないであげてよ。」
「そうですよ。アルさんもきっと勇気を振り絞って伝えたんでしょうから。」
「・・・その発言は、追い討ちとしか思えんぞ。昨日の仕返しか。」
「そんな事は無いですよ。」
サリーナは昨日の仕返しとばかりに、意地の悪い言い方でアルは更に揶揄われる。
・・・流石に可哀想になってきたな。
もしかして、サリーナは余り虫の居所が良くないのかもしれないな。
まさか、今朝のリズとのやり取りの所為、なのか?
「そっかー。若いっていいねー。・・・ねぇ、アルド、イーオ・・・それに、サリーナ。」
「はい。何ですか?」
僕達のやり取りを楽しそうに聞いていたマーサさんが、突然先程までと違う口調で僕達に語りかけてきた。
僕がそれに応え、マーサさんに聞き返すと、彼女は寂しそうに笑いながら、再び口を開く。
「後悔だけは、しないように、ちゃんと・・・気持ちは伝えないと、ダメ・・・だよ?言わなくても伝わるなんて、物語のような事は、無いんだからね?」
「・・・はい。」
マーサさんは、多分父さんとの事で言っているのだろうけれど、昨日の事でリズともう一度話さなければいけないと考えていた僕に、その言葉は深く突き刺さる。
「お母様、わたしの思いは、旦那様に伝わっていないような気がしますけれど。」
「マナは、まぁ・・・頑張って?」
「はい。お母様。わたしも旦那様に愛して頂けるよう頑張りますね。」
「それは、頑張ってどうにかなるモノでもないような・・・。」
こんな風に初めての王都を皆と一緒に廻りながら、昼食を摂り、ニーナさんへの贈り物の目星も付けられたのでアルの目的も達成出来たのだが・・・サリーナは余り喋らず、その表情はずっと昏く沈んだままだった。
そして、確かに彼の従者に言伝を頼んだ筈なのに、返事が来る事も、ディランがその夜訪ねてくる事もなく、あれ以降にリズと顔を合わせる事や、出発の挨拶をする事も出来ずに、僕達は翌日そのまま出発する事となってしまったんだ。
本来、余りそういった事はしたくはないのですが、貴族の名前は考えるのがどうしても苦手なので、現実に存在した貴族から名前をお借りしております。
ですので、被りや問題があればご指摘頂けると助かります。