68 伯爵とイーオ
「それは、恐らく機械達がより効率のいい方を自動で選択したから、なのではないでしょうか?これらはあくまで推測ですが、認証を受けたが故の事象ではないかと。」
訓練所での出来事の直後、謎の拍手喝采が巻き起こった。
突然の事に、僕は何が起きたのか解らなかったのだが、少しして騎士団の人達が祝福の声を上げているのだと気付く。
そうして漸く、僕は自分が何をしていたのかに思い至ると、僕とサリーナは反射的に普段使っている客間へと逃げてきた。
衆人環視の中で、なんて恥ずかしい事をしてしまったのかと耐え難い羞恥心から僕はベッドに飛び込むとよくわからない声を上げながら身悶えし、サリーナも扉付近で立ち止まり膝から崩れ落ちると、顔を両手で覆いながら声にならない叫び声を上げている所に、マナも戻ってきた。
マナは僕達の様子を見て不思議そうに首を傾げた後、ベッドで身悶えしている僕へと徐に近づき、何故か頭を撫で始める。僕を落ち着かせようとしてくれたようだ。
そんな彼女の手からは体温を感じられなかったのだけれど、なんとなくこの感覚が懐かしくも感じ、不思議な安心感を覚える。
それから少しの間マナに頭を撫で続けられた僕は、恥ずかしさを誤魔化す為にも、サリーナの剣について質問をした所、先程のような返事が返ってきたのだった。
「自動で選択?機械達が勝手にって事?それって暴走じゃないの?」
使用していたサリーナの意図とは違う働きをしたのなら、それは暴走なのではないかと感じた僕は、マナに自分の考えを伝える。だが、マナはそんな僕の言葉にやや困ったような表情をしながら返した。
「えぇ。今のお話ですと、刀身自体の振動による膨大な熱を発生させるには、触媒として使用した石に存在する機械達の数が足りなかったのでしょうね。なので、蓄積されている情報の中から、実現可能な原理の物を選択したのではないかと思います。旦那様のおっしゃる暴走とは、恐らく認証を受けていない者が、サリーナと同様に複雑な事を、例えば氷等を作ろうとした為に、起きた事象なのではないかと。」
ダメだ。マナの言う事は難しすぎて僕には意味がよくわからない。
氷は確か、水から熱を奪った結果凍る、で合っていたかな?
でもそれって、そんなに複雑な事なのか?
うーん・・・?まぁ、そこはそれ程重要でもない気もするから、今はあの時何があったのかを聞こう。
「じゃあ、あの時は何が起きて、あんな異常な切れ方になったの?」
「恐らくですが、刃の振動ではなく、ナノマシン自体が高速運動をしながら衝突する事で、分子間の結合を破壊したのではないかと思われます。」
自分から聞いておいてなんだが、やはり僕には全く理解出来そうにもない。
このまま一人でこれ以上何かを聞いたとしても、何の参考にも出来そうにないのだけれど、どうしたものか・・・。
そんな風に僕が悩んでいると、サリーナがこちらへ歩み寄り、ベッドの端に腰を掛けてからマナを見ながら問いかける。
彼女の顔はまだ赤いままなのだが、恐らく僕だけではマナに質問をする事が難しいと感じたのだろう。
「・・・それって、あたしが考えていたモノよりも、かなり凶悪なのでは?それに、そんな危険なモノなら、何であたしには影響がなかったのですか?」
「確かに、理論上切断出来ないモノはないでしょうね。サリーナの身体に影響がなかったのは、認証を受けた使用者を守るよう働いた為かと。そう考えますと、元々人が操る事を前提にしていた可能性すら考えられますね。」
切断出来ないモノが、無いだって?
あの剣って、そんなに危険な代物だったのか・・・。
そうなると、同様の事が認証するだけで可能であるならば、誰もが鉱石を扱える様にする訳にはいかない。
これは、やはりマーサさんの忠告通りに、誰かに知られてしまうのは不味いだろう。
勿論、既に認証してしまったアルにすらこの事実を伝える事は、やめておいた方がいい。無論、伯爵にも。
認証を受けるという、たったそれだけの事でここまで危険な物が扱えるようになるとは、流石に想定外だ。
尤も、サリーナにそういった武器の知識があった為でもあるのだろうが、それを差し引いたとしても危険な事には変わり無い。
・・・ただ、マナの言っている人が使用する事が前提だった可能性については、僕が認証を行える事からも間違っていない気がする。
一体、どういう意図が有ってそう作ったのか判らないいけれど、これについてはノアに会って確かめるしかないな。
以前マナは、機械達が環境を作り替える為に作られたと言っていたけれど、それなら何故武器としても扱えてしまうんだ?
僕やサリーナと共に暮らしていたノアが、そんな事を本当に望んでいるだなんてどうしても思えないのだが・・・。
それに、人が扱う物ならば何故黒化なんて現象が起きてしまうのだろう?
・・・本当に、黒化を治す術なんてあるのか?
そんな疑問が僕の中で沸き始めた時、何かを考え込むような様子だったサリーナが、突然呟いた。
「なら・・・、方舟の隔壁も、切れるのかな・・・?」
・・・えっ?
想像もしていなかった彼女の言葉に僕は思わずポカンとしてしまったのだが、間髪を入れずにマナが言葉を返した。
「それはもしもの事を考え、辞めた方が良いのではないでしょうか?推測ですが、方舟の表面に存在しているのは、ノア自体のナノマシンでしょうから、恐らく触れた瞬間に命令が上書きされ、刃自体が届かないとは思いますよ。」
サリーナは自分で、隔壁は解放したままにしてはいけないと言ってたもの・・・。それは止めた方がいい事なのは、幾ら僕でも解るよ・・・。
「さ、流石に冗談だよっ!?姉さんに攻撃したい訳じゃないもの!でも、素直に隔壁を開けないかもしれないから、開けさせる為の脅しに使えないかなって、そう思っただけよ!手動で開けるの、沢山あるから結構時間かかるんだもん!」
マナの言葉にサリーナは慌てふためきながら言い訳をするのだが、僕は彼女のこの発言は多分本音なのだろうなと感じた。
彼女は料理を含め色々な事を器用にこなせる反面、やや横着というか面倒くさがりな面があるのだ。
侍従としての仕事中は、凛とした表情を崩さず真面目なのだが、ここ最近一日中一緒に居た所為か、洗濯物を干す際に籠を足で移動させている場面を、何度か見かけた事があった。
記憶の中の彼女も、時折同じ事をしてはよく籠をひっくり返し、誰かに怒られていたような覚えもある。
そんな二人の様子に、僕はつい可笑しくて吹き出してしまった。
僕が真剣に悩んでいた所に、楽をする事を考えていたサリーナと、それに真面目に返すマナとのやり取りを見ていたら、自分の悩みがとても小さなモノに思えてしまったんだ。
直ぐに解決出来ない事を、此処でウジウジ悩んでも仕方がない。
今は、マナから少しでも情報を得なければ。
「何で笑うんですか!?そ、それよりも、さっき蓄積された情報、と言ってましたよね?という事は、ナノマシンには何かしらの情報があるんですか?」
僕に笑われた事で、サリーナはどうやら居心地が悪くなり、話題を変える事にしたらしい。確かに、言われてみればその部分は気になる所ではあるので、是非答えを聞いてみたい。
ほんの少しでも、解決への糸口に繋がるかもしれないから。
「そうですね。ですが、この星に満たされているナノマシン達は合わせて一つの機械ですので、微細な機械の一つ一つが何かを持っている訳ではありませんよ。ナノマシン全てで人の脳のような物を構成している、とでも言いましょうか?なので、単体で存在したとしてもそこから情報を得る事は出来ないでしょう。」
この説明は、以前細胞に例えながらマナが少しだけしていたので多少は理解出来る。目に見えない機械達の一つ一つが言うなれば細胞であり、それ単体では意味を成さず、機能する為にはこの星にある全ての機械達が必要だって事だよね?
そうすると、どの道目には見えないような物を調べる事なんて出来はしないから、どうにも出来そうにはないな。
・・・でも何だろう?よくわからないけれど、何か違和感を感じる。
直接見てもいないのに、存在を知っている物か・・・。
うーん・・・。何かが引っかかっているのだけれど、その何かに思考がたどり着けなくて、モヤモヤする。
そんな風に僕が何に違和感を感じているのかも判らず悩んでいる間、サリーナも何かを考えていたらしく、少しの間沈黙が流れる。
違和感の答えにたどり着けない苛立ちを誤魔化す為に、僕はサリーナの横顔へ視線を向け、彼女が何を考えているかを尋ねようとした時、サリーナは顔を上げマナに再び問いかけた。
「むー・・・、貴方のその身体って、ナノマシンですよね?しかも、材料も鉱石等に含まれている物だと言ってましたよね?なら、マナを調べれば何かわかるのでは?」
とりあえず僕の違和感は置いておくとして、確かにサリーナの言う通りだ。こうして話せるから忘れがちになるけれど、マナの身体は機械の集合体。
言うなれば、大きな鉱石なんだ。
一つ一つを調べるのが無理でも、塊であるマナなら意思疎通も出来るから、どうにかして調べる事で侵食を抑える方法だけでも判れば・・・。
「それは難しいでしょうね。そもそもナノマシンの解析が出来る設備や技術は、わたし達以外には貴方がたの方舟にしかありませんよ。それに、この星を満たしているナノマシン達と機能に違いは余りないでしょうが、多少は変質していると思いますので、全ての情報が残っているかもわかりません。」
サリーナの質問に、僕の微かな希望すら否定するようにマナは首を振りながら不可能だと答える。
専用の設備が無いとどの道無理って事か。マナをシュウさんに見せたらどうにか出来るかとも思ったのだけれど、彼女のこの口振りだとそれでも色々なモノが足りていないのだろう。
やはりノアに会う以外には、父さんや里の人達を治す手段はないのか・・・。
それならば、やはり今は里の人達に移住してもらうのが最優先事項だ。
マナは良くも悪くも、出来ない事をハッキリ言ってくれるから、頭を切り替えやすくて助かるな。
「確かに、そうですね・・・。」
「お役に立てず申し訳ありません。わたしの所為で、お父様がああなってしまわれたのに・・・。」
悔いるような表情で、マナは謝罪の言葉を口にする。
僕が、黒化の影響を取り除く為の切っ掛けを探す目的で彼女に質問をしているのだと、判っていたのだろう。
そんな彼女を見て、胸がチクリと痛む。
こんな顔、させちゃいけない・・・よな。
「それはもういいよ。マナだってやりたくてやった訳じゃないんだからさ。それに、僕の所為でもある訳だから、今は悔やむより一緒に解決策を探してくれると、助かるよ。」
マナに思う所が無いかと問われれば嘘になる。でも、だからと言って、自分の責を棚に上げて彼女を責めるなんて事は出来そうにもないし、やりたくも無い。
何より、伯爵やマーサさんですらそんな事をしていないのに、僕だけが彼女を一方的に弾劾するのは間違っているし、彼女のこの悲しそうな表情が演技だとも思えない。
なら、今はきっとマナを信じる事こそが、最善なんだ。
「旦那様は、お優しいですね。勿論、わたしに出来る事は何でもご協力致しますよ。」
「うん。ありがとう、頼りにしてるよ。」
「こちらこそ、ありがとう御座います。」
僕が信頼していると伝えたからか、マナは嬉しそうに微笑みながらお礼の言葉を口にする。
これでいいんだ。誰かの悲しむ顔なんて、見たくは無い。
すると、僕とマナとのやり取りを慈しむように見つめていたサリーナが、何かに気付いたような表情で突然口を開く。
「・・・あれ?ちょっと待ってください。マナの身体も鉱石と似た物だとすると、マナ自体を鉱石と同様に使う事が出来るんですか?」
言われてみれば、サリーナの疑問は尤もだ。
さっきマナ自身が、機能にそこまでの違いはないと言ってもいた。なら、彼女も鉱石と同じ様に使う事も可能な気がする。
そんな僕やサリーナの考えを肯定するように、マナは頷きながらサリーナの後に続けた。
「はい。多少の違いはあるでしょうが、可能だとは思いますよ。わたしが姿を変えられるのは、その為ですから。」
「そうなの?」
「はい。わたしの意思でも出来ますけれど、認証を受けた今ならサリーナでも可能だと思いますよ。旦那様は解りかねますが、試してみますか?」
なるほど。だから、姿を変える際に一度発光したりするのか。それならば、サリーナも石を扱えるようになったのだから、マナの言う通り彼女にも可能だろう。
だが、僕はどうなんだ?
僕の場合、今までの経験だと僕の意思とは関係なく決まった形にしかならない。
何度実験をしても、それは変わらなかった。
だけど、意思のあるマナだったらどうなるのだろう?
試してみる価値はあるような気がする。
それに、マナ自身に細工がされていないかを確かめるという意味もある。繭のように細工をされていた場合、マナを連れてノアに会いに行く事が、どれほどの危険が伴うのか考えるまでもない。
「それは後でいいです。どの道練兵場やこの部屋では出来ませんし。それよりも、他に聞きたい事があります。」
確かに、アレから然程時間も経っていないしね。
流石に今練兵場には行けないか。
今はそれよりも、サリーナの聞きたい事の方が気になるな。
すると、彼女の言葉にマナは可愛らしく小首を傾げながら続きを促した。
「なんでしょう?」
「この星がナノマシンに満たされていると言いましたよね?それは大気中もですか?」
「いえ、大気中には殆どありませんよ。大部分は大地や一部の鉱物に定着して、少量が水や植物等にも含まれているようです。大気の成分を変えるには、水や植物から変えねばなりませんし。」
僕には話がよく見えて来ないのだが、マナの返事にサリーナは、表情を厳しくしながら更に質問をする。
「そうすると植物を食べてしまうと黒化してしまうのでは?水や植物にも存在してるなら、飲食も危険な気がしますけど。」
そうか、彼女が聞きたかったのはそう言う事か。
サリーナの言う通り植物にも含まれているとなると、食事自体が危険な行為のように僕でも感じる。
だけど、それならば人の黒化の事例は実験以外にも沢山存在する筈だ。しかし、そんな話は今のところ聞いた事はない。
これは、何故なのだろうか?
僕のそんな疑問にも答えるかのように、首をを横に振った後、マナはサリーナの質問に返す。
「先程も言いましたが、機能するにはそれなりの数が必要なので、水や植物に含まれている極少量のナノマシン程度では機能しません。環境の改変中であれば、それらを摂取した場合侵食されてしまうでしょうが、既に人や動物が住める環境になった後の現在では、水や植物に含まれていた機械達の大半が岩や金属の鉱石に移った為か、余りそちらには存在していないのです。」
もしかして、これが鉱石が生まれた仕組みなのかもしれない。まぁ、今それがわかったとしても、何かが変わる訳では無いけれど。
「なので、植物に含まれている極少量が体内に入ったとしても自然に体外へ排出されるでしょうから、現状では食事で侵食が起きる可能性は低いと思われます。」
なるほど。現状なら、飲食ではほぼ黒化は起きない、と。
あれ?そうすると、かなり以前から存在していたと言われている魔物ってもしかして・・・。
ある事に思い至った僕は、その疑問をマナにぶつけてみる事にした。
「という事は、昔から偶に黒化した獣が現れていた理由ってもしかして、偶然?」
「恐らくは。可能性として最も考えられるのは、土や石を消化の補助で取り込む習慣のある動物ではないでしょうか?偶々多く含まれている食物を摂取して、運悪く侵食されてしまう可能性もあるでしょうけれど。」
やはりか。土や岩塩から塩分を摂取する動物も居れば、消化の為に石や砂を貯めておく器官を持つ動物もいる。これまでのマナの話からすると、充分に納得出来る答えだ。
いや・・・、ちょっと待て?
それなら、父さんが足を失う原因となった、戦場に現れた黒化した熊って一体・・・?
侵食された動物を食べたのか?
しかし、幾ら雑食性とはいえ、大半は木の実や魚を食べるはずの熊が、他の動物を襲ってまで捕食するのは考えにくい。そういう熊も居るにはいるらしいが、相当北に行かなければ生息はしていない。
なら、黒化した魚を食べた?
それならば、マナの話から考えても一頭くらい黒化するのはあり得なくはないだろう。
だが、確か何頭か居たと誰かが言っていた筈だ。
そうなると次に考えられるのは、複数の熊が同時に大量発生した黒化魚を食べたとか?
でも、そうすると今度は水中や植物に機械達は余り存在していないという、先程のマナの話と矛盾しないだろうか?
だとすると、どう考えても人為的に引き起こさない限りは、あり得ないだろう。黒化したとしても小熊では、武装した兵士を沢山殺せるとも思えないし。
・・・これは、どうにも嫌な予感がする。今のままだと、推論にすらならない妄想だけど、もしかして・・・。
いや、今はよそう。推測をするのは情報を集めてからでも遅くは無い。それよりもまず、マナに他の事も尋ねてみるべきだ。
それに、これが判ればまた少し話が変わってくるだろうし。
そう考えた僕は、再びマナに問いかける。
「植物は黒化しないの?」
「それについては、わかりかねますね。動物と植物では細胞の構造が違いますし。ですが、調べてみる価値はあるかもしれません。」
「そっか・・・。色々答えてくれて、ありがとうマナ。」
マナは見たい物だけを見ていたと言っていたから、植物には興味がなかったのだろうし、これ以上は今のところ思い浮かばないから、今日はこのくらいでいいだろう。
・・・だけど、これからも継続して色々と情報を集める必要がありそうだ。
もしかすると、僕が考えていたよりずっと前から、身の毛も凍りつくような悍ましい実験が、行われていた可能性があるのだから。
「ご質問は以上でしょうか?それでは旦那様、今からわたしの身体を試してみますか?」
僕達の質問がひと段落したとマナは判断したらしく、彼女は少しニヤりとしながらそんな人聞きの悪い言い方で僕に問いかけた。
「その物言いは、かなり語弊があると思うよ?」
しかもその見た目だと、余計に不味いよ。
「サリーナと同じように情熱的に扱って頂けると、わたしとしては嬉しいのですよ。」
マナはそう嘯きながら僕を見つめるのだが、この様子ではワザと誤解を招くような言い方をしたようだ。
サリーナと同様に見る事が出来ないのは、マナも理解してはいるのだろうけれど、情熱的にと言われた為か先程の訓練所での一件が思い起こされ、自分の顔が熱くなるのを感じ、思わず言葉に詰まってしまう。
「マナ、イーオさんが困ってますよ?」
そんな僕の様子を見たサリーナが、クスクスと笑いながらマナに問いかけると、マナも同じ様に笑いながらそれに答える。
・・・どうやら、揶揄われていたらしい。
「そうですね。冗談はこれぐらいにしましょう。旦那様に嫌われたくはありませんし。それよりも如何致しますか?」
「それこそさっき言いましたけど、室内は止めた方がいいでしょうね。何が起きるかわかりません。それに、練兵場で人に見られてしまうのも不味いと思いますから、夜中にでもあたしが稽古に使っている場所でやりましょう。」
彼女の言う通り、誰かに見られるわけにはいかない。ましてや部屋の中でなんて、どんな現象が起きるかもわからないから危険すぎる。
そうすると、サリーナの案に賛成するべきなのだが、彼女が一人で隠れて訓練していた場所とは、何処なのだろうか?
「サリーナの使ってる場所?」
「はい。敷地内ですけど、ジーナに教えてもらった場所なんですよ。彼女は余り来ませんので、人目にはつかないと思います。館と兵舎の中間程の場所にありますよ。」
「ジーナさんに?二人は知り合いなの?」
二人が何かをしている場面なんて見た事がないのだが、何処かに接点があったのだろうか?
「あたしと昔から一緒に剣の稽古をしていた友達、ですね。彼女もこの街出身ですから。」
「そうだったんだ・・・。」
意外な繋がりに驚きはしたのだけれど、少し今の彼女を知れたみたいで嬉しくもある。まだまだ僕の知らないサリーナの一面が沢山あるのだろうから、もっともっと彼女を知らなくちゃいけないと、夜に館を抜け出す話を三人でしながらも、僕はそんな事を考えていた。
「・・・そうですか。娘が決めた事ですから、私に異存はありません。娘がイーオ様を我が家にお連れした時からいつかこうなるのでは、と覚悟はしておりました。・・・イーオ様、娘をどうか宜しくお願い致します。」
「弟の言うように、この娘が望んでいるならば、私や妻に異存等あろうはずもございません。ですので、若・・・、サリーナも既に成人しております故、どうか本人の好きなようにさせて頂ければと、存じます。」
サリーナに求婚をしたその日の夕方、伯爵の執務室にトレントンさんとアーネストさんが呼ばれ、僕達自身の口から説明をした。急な話し合いではあったけれど、伯爵の性格だけでなく、出立まで余り時間が無い事も鑑みて、早い方が良いと伯爵は判断したらしい。
勿論、僕の護衛を兼ねる為に危険だという件を含め、話せる範囲の事を二人に伝えた上で、求婚についても同意を得る事が出来た。
奥さんを早くに亡くされたトレントンさんと、子供の居ないアーネストさん夫婦にとって、サリーナは唯一の子供なのだ。
だから、伯爵はアーネストさん達に配慮し、危険があるかもしれない事から、彼女を全力で遠ざけていたのだとも聞かされた。
身内には甘いと父さんも言っていたから、伯爵らしいといえば伯爵らしいのだと思う。
トレントンさん達と話している最中、彼女はいかに自分が大切にされているのかを再確認したようで、ずっと涙を浮かべていた。
「イーオ・・・。これが、人の身を預かるという事なんだ。キミの責任は重い・・・。今なら、わかるね?」
二人に説明を終え承諾も得られたので、アーネストさんの奥さんにも説明をしに行く為に、サリーナも含めた三人が執務室を退室した後、部屋に残った僕へ呟くように伯爵はそう告げた。
「はい。」
僕は、まだ覚悟が足りていなかったのかもしれない。サリーナに何かあれば、悲しむのはこの人達も一緒なんだ。
だから、僕は何がなんでも彼女を守り抜く。
そう、心の中でトレントンさん達にも誓った。
僕がそんな決意を固めている中、伯爵は執務室の窓からアーネストさん達を見送る。本当なら、僕も彼らと共に奥さんに説明をしに行こうと考えていたのだけれど、伯爵に執務室に残るように言われた為、後はサリーナに任せる事にしたのだ。
しかも、それだけではない。廊下に控えている従者も呼び出して、暫くの間執務室に誰も近づかないようにとの言伝もしていた。
故に、人に聞かれてはいけない話なのは容易に想像出来るけれど、一体何の話なのだろうか?
「さて、残って貰ったのは他でも無い。・・・イーオ、以前キミは私に、神様に会えるかと尋ねたね?」
「はい。」
討伐隊の結成式の前、確かにその事を僕は伯爵に尋ねた。自分の出自を辿る為に、そう尋ねる事が必要だと感じたから。
けれど、今は状況が少し違う。
自分が赤ん坊の頃に王城にいた事も知っているし、ノアがそこに居るという事もわかってはいる。
だから、伯爵には悪いけれど、今更あの時の質問の答えが得られた処で、状況は何も変わらないのだ。
自分で聞いた手前、もうその件については会えると判っているので大丈夫ですなどとは、口が裂けても言えない為どうしようかと悩んでいると、伯爵も困った表情で少し間を空けてから、口を開く。
「それについて・・・なのだが、実は私の予想より早く返事が届いてね・・・。まだ先の話ではあるが、私と共にある場所へ赴いて欲しいのだよ。」
「ある場所、ですか?しかも、叔父上と一緒に?それは何処なんですか?」
「大聖堂だよ。」
「大聖堂?」
「あぁ、方舟教の総本山である、大聖堂だ。」
方舟教の総本山?そんな場所に、僕なんかが呼ばれるなんて・・・。
何故なのだろう?まぁそれは、行けば解る事だとしても、先ってどのくらい先の事なのだろうか?
「まだ先と仰いましたが、それは何時なのでしょうか?」
「手紙では、学院の入学前とあるね。大司教様もお忙しいお方だから、すぐには難しいのだろう。」
「なるほど・・・。わかりました。」
少し予想外の話だったけれど、これはこれで前に進んだと考えて良さそうだ。
意図が読めないのは不安ではあるけれど、それを確かめる為にも今は従うべきだと思う。
「すまないね。正装の用意は整えておくよ。・・・しかし、わざわざ大司教様がキミに会いたいと仰られるとはな・・・。流石に想定していなかったよ。マキ様がこちらにいらっしゃった事といい、一体何が起きているのか、検討がつかない。」
大司教って、確かマキの親・・・だよな?
何でそんな人が、僕と会おうとするのだろうか?
「そうですね・・・。僕にも何が何やら・・・。」
僕の答えに、伯爵は軽く頷いてからため息を漏らす。
どうやら、伯爵もこの状況に相当混乱しているらしい。無理もないだろうが、とりあえず今は流れに身を任せるのが一番ではないかとは思う。
それから、数分の沈黙が流れた後、伯爵は眉間に皺を寄せながら口を開いた。
「イーオ・・・。サリーナが鉱石を扱えるようになったのは、キミがやった事、なのかい?」
伯爵の突然の質問に、僕の心臓は早鐘を打ったように脈打つ。
不味いな・・・。この様子だと、伯爵は何かに気付いてる。
「そんな事、出来る筈がありませんよ。尤も、そんな事が本当に可能なら、シュウさんの研究も捗るでしょうね。」
僕は冷静に努めながら、何とか否定の言葉を口にしたのだが、伯爵の表情は険しいままだ。
「・・・それもそうだな。すまない、おかしな事を聞いてしまったね。」
表情は相変わらず何かを考えている様子なので、恐らく伯爵は納得してはいないのだろう。
これは、僕がやった事だと確信しているのかもしれない。
しかし、何故突然そんな事を聞いてきたのだろうか?
此処までの話の流れでは、そんな考えに至るような要素はなかったような気がするのだが・・・。
「イーオは、もう少し表情に出さないようにした良いと思うよ。何故こんな事を聞くのか、聞かないでほしいと顔に書いてあるからね。」
そんなにわかりやすく表情に出ていたのか・・・。
「私がそう思ったのは、キミが特別な身体を持っている事や、マナの存在等もあるが、一番はあの時妙に自信を持っていた事だよ。普段のキミからは考えられなかったからね。それに、手紙だってそうだ。何故大司教様が直々にキミに会いたがるのか、イーオに何かあるからなのではないかと考えた時に、ふとキミがサリーナに何かしたのではないかと、そう感じたんだ。」
「そ、それは・・・。」
やはり、この人の前では隠し事は出来そうにもない。
だけど、伯爵達の身の安全の為にも話す訳にはいかなくて、僕は答えられずに言い淀む。
「言わなくていいよ。イーオが理由もなく私に話さないとは思えないからね。話せない事の一つや二つ誰にでもあるものだよ。」
「も、申し訳ありません・・・。」
僕の答えに、伯爵は苦笑いをしながら軽くため息をつき、仕方ないなと言いた気な表情のまま僕を見つめ再び口を開く。
「やれやれ・・・。私の子供達は皆、腹芸が出来そうにもないな。素直すぎると言うか、何というべきか・・・。まぁ、それは追々でもいいかも知れないが、貴族として生きるなら、すぐ顔に出す癖はどうにかした方がいい。」
「・・・はい。」
「さて、この話はこれくらいにしておこうか。此処からはさっき君達が逃げてしまったので、出来なかった話なのだが・・・」
そう言うと、伯爵は里へと同行する護衛の事や、今後の事についての話を始める。
僕とサリーナが話を聞ける状態ではないと判断して、落ち着くまでそっとしておいてくれたらしい。
伯爵に気を遣わせてしまっているなと思う。
昼間の件もそうだし、今だってそうだ。
僕は伯爵に逆らったのに、どうしてそんなに優しいのかがわからない。
何故、伯爵が此処までしてくれるのかが本当にわからない。養子とはいえ、普通此処までしてくれるものなのだろうか?
正直、僕には・・・よく、わからない。
「それで、ずっと悩んでたんですね・・・。晩御飯も余り手をつけていませんでしたし、心配したんですよ?」
真夜中、サリーナの秘密の訓練場所に案内をされた僕は、様子がおかしかった事を彼女に尋ねられ、僕は自分の気持ちを素直に話したんだ。勿論、マナも居るし、マーサさんも何故か着いてきたのだが、そんな事すらも気にならないぐらい、僕は悩んでいた。
伯爵に、どう恩を返したらいいかが、わからなかったから。
「イーオは難しく考えすぎなんだよ。伯爵様は、ただキミが心配なだけだから、そんな悩まなくていいのに。」
僕の話を聞いたマーサさんは、笑いながらそんな風に告げる。
でも、悩まなくていい事だなんて、とてもじゃないが思えなかった。
「ですが・・・。」
「あー!もうっ!男の子でしょ!ウジウジしないの!昼間のだって、ただの親子喧嘩なんだから、伯爵様は気にしてない筈だよっ!」
親子、喧嘩・・・?そうなのかな?
「まだ判ってなかったの!?伯爵様はね、イーオが心の底から大事なんだよ!本当の息子だって、本気でそう思ってるの!キースの手前口には出さないだけで、見てたら分かるでしょ!そんなのっ!」
「マーサさん、ちょっと落ち着いてください。声が大きいです。」
「あ・・・ゴメンね。」
サリーナに諭されたマーサさんは、しまったといったような表情で口に手を当てる。
すると、今度はサリーナが僕を見つめながら、口を開いた。
「イーオさん、貴方の気持ちもわかりますけれど、マーサさんの言う通り、伯爵様はただ貴方が心配なだけだとあたしも思います。だから、そんな風には悩まないでください。」
そっか、マーサさんだけじゃなくて、サリーナにもそう見えていたんだ。・・・本当に、そうだったらいいな。
「伯爵様を、キースと同じようにお父さんって呼べば、きっと泣いて喜ぶと思うよ。きっとそれだけで、伯爵様は満足してくれるよ。」
「わ、わかりました。」
本当に、マーサさんの言う通りに、それだけで伯爵に恩返しをした事になるのかはわからないけれど、そうする事がいいのかもしれない。
いや、僕自身がそう呼びたいのだと、今なら素直に思える。
今日だって僕が間違わないよう、導いてくれようとしていたんだ。
きっと、僕達が感情だけで突き進んだ結果、後悔しないよう道を示そうとしてくれていたんだ。
父さんも形は違うけれど、今までに何度も不器用なりに同じ事をしようとしてくれていた。なら、少し恥ずかしいけれど伯爵を父と慕ったとしても、何らおかしい事じゃない。
うん。それがいい。
照れ臭いけど、次に伯爵と話す時は、こっそりとそう呼んでみよう。
「じゃあ、話も纏まった事だし、実験ってのをしてみよっか!」
「はい!」
それなら、マーサさんをお母さんって呼べば、喜んでくれるかな?
そんな事を考えつつ、僕は母さんに返事を返しながら、実験を始める事にしたんだ。
ルビの振り方がよくわかっていないのて、最後の母さんの部分はマーサさんと変換して頂ければと思います。m(_ _)m