65 事情
「どういう事、ですか?」
「あの子、自分の事はあんまり話さないんだけど・・・前にね・・・、前世の記憶のようなものがあるって・・・そう言ってたんだよ。実験台にされた時、色々と思い出したんだって。」
「実験台って・・・、もしかして、マホちゃんが黒化させられた時って事ですか・・・?」
「・・・うん。そうみたい。あまり詳しくは教えてくれなかったんだけどね。」
「そうですか・・・。」
「ワタシも流石に半信半疑だったよ。たまに気を引きたくてそう言う子供がいるのも知ってはいたからね。此処では無い別の所で、大好きな人達と一緒に幸せに暮らしていたって言われたら、今の現実が受け入れられなくて、そんな事言ってるのかなって・・・、ワタシそんな風に思っちゃったんだ。」
マーサさんがそう感じるのも無理はないと思う。でも、彼女はそう思ってしまった事を後悔しているような様子で、言葉を続ける。
「・・・その事を話してくれたのは一度きりたけど、今思うとそういうのともなんか違うような感じだった。きっと、ワタシがその時信じていなかった事が表情に出ちゃっていたから、あの子もそれ以上は言いづらかったのかもね・・・。」
僕はどう返せばいいのだろうか?
そんな事無いですよとか、簡単には言えない。
話を聞いている限りだと、マホちゃんは人の感情の機微にかなり敏感な子のようだし、恐らくはマーサさんの言う通り彼女の表情から察したのだと思う。
「・・・大丈夫だよ。今のワタシなら、ちゃんと信じられるから。マホだけじゃなく、イーオ達の事もね。だからさ、イーオがそんな顔しなくていいんだよ!」
そう言いながらマーサさんは執務室の長椅子に腰掛ける僕の隣に移動して、頭を優しく撫で始める。
「次に会う時は・・・きちんとあの子に謝らないとね!信じてあげられなくて、ごめんって。・・・でも、一人じゃ怖いから、その時はイーオも一緒にいてね?」
「はい。わかりました。僕で良ければ。」
「ありがと!」
マーサさんには普段かなりお世話になっているから、そのくらいならお安い御用だ。物怖じしないように見える彼女でも、流石に負い目のある相手と改めて向き合うのは、怖いのだろう。それはぎこちない笑みで僕の頭を撫でるマーサさんの表情を見ていれば、幾ら僕でも気付く。
なら・・・、それが少しでも和らぐなら、僕も出来るだけ協力をしたい。
僕は頭を撫でられ続けながらそんな風に考えていると、少しの間沈黙が流れた後、僕達の様子を黙って見ていたサリーナさんが少しからかうような口調で口を開く。
「しかし、話を抜きにして見ていると、これではどちらが子供かわかりませんね。」
「確かにね!」
まぁ、傍目から見ると僕が小さな子供に頭を撫でられているようにしか見えないよね。・・・そう考えると途端に恥ずかしくなってきたな。
サリーナさんは場の空気を和ませようとしてこんな風に言ったのはわかっているけれど、目を細めながらクスクスと笑う彼女の表情に、僕は更に顔が火照るのを感じ思わず顔を伏せた。
「あたしも協力しますよ。マホちゃんがあたしの事を覚えているのなら、あたしもその場にいた方が説得力が増すでしょうし。・・・あたし自身は、まだマホちゃんの事を思い出せてはいませんけれど・・・。」
確かに、マーサさんの話の通りならその方がいいかもしれない。サリーナさんの提案に、マーサさんは僕の頭を撫でる手を止め、彼女の方へ顔を向ける。
「サリーナも、ありがとね!」
「いえ、マーサさんにはお世話になっていますから、そのくらいは・・・。」
「それでもだよ!ありがと!」
マーサさんの言葉にいえいえ、こちらこそとサリーナさんは返す。先程まで硬くぎこちない表情だったマーサさんも大分恐怖心が薄れたらしく、いつものニコニコとした表情に戻ったようだ。よかった。
「わたしも、旦那様の頭を撫でてもよろしいですか?」
サリーナさんとマーサさんのやり取りが終わると突然、黙って様子を見ていたマナが羨ましいと言わんばかりに、こちらへ手を伸ばしながら口を開く。先程までは空気を読んでくれていたらしいけれど、どうやら話が終わったと考え、やりたい事をやる事にしたようだ。僕の返答を聞く前に頭撫で始めてるし・・・。
「では、あたしも・・・。」
えっ・・・?サリーナさんも、なの?
「あー・・・取り込み中すまないが、話は終わったようだね?」
その後、抗議をしたものの無視をされ、諦めて暫くの間三人に頭を撫でられ続けていると、気不味そうな表情の伯爵が僕達の様子を伺うように扉から顔を出す。
一体いつから見られていたんだ!?
「も、申し訳ありません叔父上!」
「いや、構わないよ。」
苦笑いをしながら執務室に足を踏み入れる伯爵。その後ろから似たような表情をしたニールさんとトマスさんも続く。
・・・これは、どうやらニールさん達にも聞かれていたらしい。
「イーオは剣だけではなく、女性に好かれる才能もあるらしいね。」
伯爵は、揶揄うような声色で僕に声をかけながら奥にある執務用の椅子に腰掛ける。その言葉に思わず顔から火が出るのではないかと思えるくらい先程よりも体温が上がるのを感じ再び顔を伏せると、そんな僕の反応を見た伯爵は笑う事を堪えきれなくなったのか、吹き出してしまった。
「ワタシのかわいい息子だからね!」
マーサさんはそう言いながら更に僕の頭を撫でる。
できればもうやめて頂きたいのですが・・・。
「うちのお嬢様は・・・、まぁ大丈夫かな。」
「そうでしょうね。違う心配はありますが・・・。」
違う心配・・・?
こちらの様子を見ていたニールさん達が、笑いを堪えているような口振りでそんな事を呟いた為、僕は思わず赤い顔のままニールさんへ顔を向ける。
「まぁ、イーオ君も会えばわかりますよ。」
僕の視線に気付いたらしいニールさんは苦笑いをしながらそう告げると、トマスさんも似たような表情で軽く頷いた。
うーん?どう言う意味なのだろう?
「あぁ、あの子か・・・。確か、キランを婿に寄越せと言っている子だったな・・・。」
「えっ?」
キランさんを、婿に?先程のやり取りが余程面白かったのか、まだ表情や声色が笑ったままの伯爵の呟きに驚き伯爵へ視線を向けると、伯爵は軽く咳払いをしてから表情を引き締めつつ口を開く。
「まぁ、その話は今はいいだろう。」
「これは大変失礼を致しました。」
「いや、構わないよ。私もキランや君達とは長い付き合いだ。いい加減キランも身を固めた方がいいとは思っているのだからね。・・・おっと、それよりもそろそろ本題に入るとしよう。」
そうだった。キランさんの結婚話も確かに気にはなるけど、今ここに居る理由は僕がニールさん達の住む領地にある隠れ里に行く話をする為だ。
でも待てよ?この話をする為に伯爵がニールさん達をここに連れてきたという事は、恐らく・・・。
ここは少しボカして確かめてみるか。
「はい。僕達がニールさん達の領地に行く・・・という事なのですが・・・。」
「えぇ、私達も話は聞いておりますよ。理由までは存じておりませんが、あの隠れ里に行くのですよね?」
やはり。
知らないなら、この場に居るはずがないとは思ってはいたけど、二人は隠れ里の事を知っていたんだ。
まぁ、いくら人目を忍んでいたとしても、領地にそんなものがあれば人の出入りがあるだろうし、気付かない筈もない。
「はい。ニールさん達も隠れ里の存在はご存知なのですね・・・。」
「えぇ・・・。ですが、存在を知っている者はそう多くはありません。」
「そうなのですか?」
「はい。領主様や騎士団の極一部の者だけです。」
なるほど。
住んでいる人達の性質を考えれば、領民に無用な不安を与えない為にも、知る人間は最小限の方がいいのかもしれない。
「色々あるんだよね。うちの領主様は保護したいと考えているようではあるんだけど、そうすると他の貴族に介入する口実を与えてしまう事になりかねないから。」
「というと?」
え?他の貴族に介入させない為?
どういう事だ?何か見て見ぬフリをしなければならない事情があるのだろうか?
「彼らは他の貴族の領地から逃げ出した者達ですから、正規の手続きを経て移住してきた訳では無いのですよ。その場合、彼らは我々の土地に暮らす領民ではなく、不法に滞在する者達となってしまいます。」
「そうすると法に則った場合、元の貴族の領地へ彼らを送り返さないといけなくなっちゃうんだよ。」
「そんな!」
送り返すだって!?そんな事をしたら、隠れ里の人達は・・・マホちゃん達は、きっと殺されてしまう!
追手を差し向けられていたって確かマーサさんが言っていたから、そうなるのは火を見るよりも明らかだ!
「イーオ、大丈夫だから。ちょっと落ちついて、ね?」
「はい・・・。すみません・・・。」
思わず漏れた僕の焦ったような言葉に、マーサさんは何かを堪えるような表情で僕を諭す。マーサさんも今のニールさん達の話を理解はしているのだろう。
少し冷静にならないと・・・。本当に悔しいのは、恐らくマーサさんの筈だから。
「続けますね。・・・移住者として彼らを受け入れようにも、王都以外は元の領地の貴族と移住先の領地の貴族の双方の許可が必要になるのです。」
「他国からの難民なら、何処の領地でも保護出来るんだけどね。」
「なので、彼らがどういった目にあったかを考えれば、元の領地からの許可が下りるはずもありません。もしかしたら、既に死んだ扱いにされているのかもしれませんが、他の貴族の領民の事なので、幾ら私達の領地に今居たとしても表だって調べる訳には参りません。そのあたりは内々に調査を進めている最中です。」
「だから、僕達も現状では動く訳にはいかないって事なんだよ。彼らには申し訳ないけれどね。ただでさえ、僕達の住む領地に対して良くない感情を持っている貴族が居る現状を考えると・・・尚更かな。」
「良くない感情・・・ですか?」
良くない感情?ちょっとよくわからないが、ニールさん達には他にも動く訳にいかない理由があるのだろうか?
「・・・イーオ君は、王家が隠匿している技術という話は聞いた事がありますか?」
「いえ、初耳です。」
王家が隠匿している技術?どういった技術なのだろう?
「あまり大っぴらにはされていないけど、そういうモノがあるんだよ。必要と認めた場合にのみ、王家から直接技師が派遣されるんだ。」
「私達の住む領地には、その技術を使って発展している街が幾つか存在します。尤も、そこに住む住民を含め、治める領主にすらその内容は明かされてはいないのですが、その技術がある事で経済が潤っているという事実があるのです。」
「だから、他の貴族からよく思われてはいない訳だよ。簡単に言えば、やっかみだね。」
既に目をつけられているから、尚の事動く事が出来ないという事なのか・・・。こればかりは、確かにどうしようも無いのかもしれない。
「話を戻しましょうか。そんな訳で私達は隠れ里を黙認・・・と言いますか、知らないフリをするしか無いのですよ。領主様は、その事に大変心を痛めておられますが・・・。」
「僕達としても、民は守らなければならないと考えているから、手出し出来ない事が歯痒くもあるよ。だけど、これ以上この国に諍いの種を蒔く訳にはいかなくてね・・・。今終結に向かっている他国との戦争だって・・・、元々は・・・。」
「トマス、それ以上は王族批判に繋がり兼ねませんからやめなさい。」
「申し訳ありません、兄さん。」
戦争の原因・・・?どういう事だろう?まぁ、これは後で伯爵に聞いてみた方がいいかもしれない。
「なので、申し訳ありませんが協力出来る部分と、出来ない事があるのです。出来て領地内の視察の許可ぐらいでしょうね。」
「いや、それで充分だろう。すまないな。」
「いえ、私達としてもどうにかしたくはありますので・・・。隠れ里の状況については、マーサから報告を受けてはいましたから。」
・・・マーサさんが?
なるほど、そう言う事か。だから、隠れ里に行くという話になった時、彼女は話を円滑に進める為にも二人の協力を得ようとしたんだ。確かに、事情を知っているのなら協力してもらう方がいいよね。
引っかかるのは、伯爵がさっきから余り口を挟まずに苦虫を噛み潰したような表情をしている事だ。この様子だと、伯爵も色々知っているのは間違いない。
「イーオ君、どうかしましたか?」
どうやら考えている事がまた顔に出ていたらしく、ニールさんが怪訝そうな表情で僕に尋ねる。
「あ、いえ・・・。叔父上の表情が険しいなと思いまして・・・。」
僕の言葉に伯爵は少し驚いた表情になった後、苦笑いをしつつ頭を掻く仕草をしながら口を開いた。
「すまない、顔に出してしまっていたようだね。・・・イーオ、最近になってからではあるが私はこの話に関わっているんだよ。イーオはシュウとの話は覚えているかい?」
やはり、伯爵も関わっていたのか・・・。通りで話が早い訳だ。この口振りだと、伯爵も何かしらの手を打ちたいとは思っていたらしい。
いや、それより何で今ここでシュウさんの名前が出てくるのだろう?
「シュウさんとの話・・・、ですか?」